何かの間違いです
「カイン、それは何?」
馬車の中で、カインのコートの裾が僅かに裂けていると気づいた。鋭利な刃物で切ったような跡だ。
「何があったの」
「………」
近頃、カインの周りでは不審な事ばかり起こる。
毒の混入に始まり、頭上から花瓶が落ちたり、複数人に襲われたり。レイモンド邸への放火もあった。いずれも彼の対処により大事には至っていない。
最初は聞けば起きた事を教えてくれたのに、私が気にするからか最近は秘密にされる。
「ねぇ、お願い。黙ってないで教えて」
「……」
カインの腕を引くと、やっとこちらを見た。常と変わらない瞳は感情が見えない。
「…心配いりません」
その言葉に、にわか怒りが湧く。
「心配するに決まってるでしょう!」
「……」
「今までの犯人だって、一人も捕まってないじゃない」
カインの周りで起こった事件は、私の知る限り何一つ解決していない。彼は基本的に犯人探しをせず、証拠品だって残さず捨ててしまう。
「せめて、調査をしないと……」
声がしぼみ、俯いてしまう。
カインにもしもの事があったらと、怖くなる。彼に触れる手が震えた。
「……調査は不要です」
「どうして」
「首謀者が想像通りなら、こちらの立場が悪くなります」
「それは…っ」
言葉が詰まる。
想像する首謀者とは、ベンシード伯爵家の人達だ。
確かに、公に調査して彼等が首謀者と分かれば……ベンシード伯爵家は他家の夜会で毒物事件を起こしたり、放火という大罪を犯した家となり、後継者のカインの立場まで悪くなる。
かと言って他家で起きた事件や放火を内密に調べるのも難しい。
何も無かった事にするのが、一番楽だ。全て計算されている。
「でも、それでも……」
「………」
目的地に着いた馬車が止まる。ハンセルク侯爵家の夜会だ。
夜会なんて出たくない。
カインは剣を置いて行かなければならない。私と違って護衛もつかない。夜会では必ずと言って良いほど、彼が危険な目に遭う。
エスコートする手を強く握った。
「……絶対に私から離れないで」
「………はい」
「はいって言ったのに!!!」
思わず叫んでしまい、慌てて口をふさぐ。
何人かが振り返ったけれど、私の様子を見てすぐ素知らぬ振りをしてくれた。
小声でユアンに話しかける。
「ユ、ユアン。カインはどこへ行ったの」
私が化粧直しに数分外しただけで、カインが居なくなってしまった。
「手洗いかと思いましたが、戻りませんね」
「……誰も知らないの?」
他二人の近衛騎士を見るも、どちらも首を振った。
嫌な予感がする。カインは前にわざと一人になって相手をおびき寄せた事があった。私が巻き込まれないようにする為だ。
剣も無いのにそんな事しないと信じたい、けれど……。
「誰かカインを探して」
「我々はミア様のお側を離れられません。家の者に聞いてみましょう」
このハンセルク侯爵家は、ユアンの実家だ。近くの使用人に話を聞いてくれる。
その間、私は目だけで辺りを探した。見つからない。気持ちばかり焦ってしまう。
「これはこれは、ミア皇女殿下ではありませんか。またお会いできて光栄です」
声の方を見ると、今一番見たくない顔があった。カインの異母兄オースティンだ。歪む顔を隠す気にもならない。
「私いま忙しいの。またにして」
「おや、そう嫌わないでください。母のしている事には私も困っております」
「あらそう」
彼と話すつもりはない。背を向けてまたカインを探す。
「もしや愚弟をお探しではありませんか。先ほど見かけましたが」
「なっ!どこで!?」
つい反応して、振り返ってしまった。
「案内しましょう。こちらへどうぞ」
手を差し出される。また顔が歪んだ。
使用人との話を終えたユアンが戻って来た。
「ミア様、この近くで行方を知る者はいないようです。他の者にも確認するよう伝えました」
「そう…」
手がかり無しだ。他の使用人からの報せを待つか、当てもなく会場を探すか……
「私が愚弟を見かけてから時間は経っておりません。まだそこにいるでしょう」
笑顔を向ける彼について行くか。
オースティンの人となりは知らない。どうせ当てもなく探すくらいなら、一度はついて行っても良いかも知れない。
「……案内をお願いするわ」
「かしこまりました」
手は取らなかった。オースティンも手を引っ込めて歩き始める。
進んだ先は、二階のバルコニーだ。
カインの姿は見えない。薄暗く人気のないここには……私達しかいない。
やっぱり時間の無駄だった!!
挨拶する気にもならず、踵を返す。
「お待ちください。ほら、そこにいますよ」
飄々とした声で引き止められる。
オースティンが指差したのは一階テラスの先、庭園の中だった。
誰かいる。顔は見えないけれど、服は近衛騎士の制服のようだ。あの背格好の近衛騎士は、カインだけ。
「あんな所に……!!」
襲ってくれと言ってるような場所だ。嫌な予感が当たった!
慌ててバルコニーを出ようとしたけれど、今度は手を掴まれ、引き止められる。
「離して!」
ユアン等が間に入り、すぐ手は離された。
「申し訳ありません。しかし、今は行かない方が良いでしょう。よくご覧ください」
オースティンがにやりと笑い、再び庭園を指し示す。
「一人ではないようですよ」
見れば、言う通りもう一つ人影があった。
女性だ。暗がりでもよく見える黄色の、胸元を強調するようなドレスを着ている。
「ミア皇女殿下には、居心地の悪い空間ではないでしょうか」
「……そんな事ないわ」
パッと見は逢引する二人だ。何度も似たような場面を見てきた。
私達が婚約解消寸前という噂はまだ消えきってなく、相変わらず何人もの令嬢がカインに近づいてくる。けれど彼が普段通りあまり喋らなければ、令嬢側が勝手に振られたと思ってくれた。
今回も同じだろう。そう思っていたら……少し様子が違った。二人が会話をしているように見える。それだけじゃない。
――カインが笑っている?
肩を揺らして口元に手を当てている。その手が令嬢の頬に伸ばされ……二人の顔が近づいた。
「っ……!」
息が止まり、血の気が失せる。吐き気がした。
「あれは、顔も中身も父親そっくり。ミア皇女殿下、私は貴女が心配です。利用されるだけされ、すぐ妾を迎えられたら……寂しい思いをするでしょう」
オースティンの笑顔を見る。その顔と言葉は、彼の意図とは逆に私を冷静にさせた。
今度こそバルコニーを出る。足早に会場を進む私へ、ユアンが心配げに声をかけた。
「ミア様、カインがあのような事をするとは思えません」
「分かってるわ。どうせオースティンの用意した、カインによく似た別人よ。似たような服を着せて、あんな事させて……私に見せつけただけ」
分かってる。分かっている。けれど早くカインに会いたい。胸の中で黒いモヤが広がる。
当てもなく探し回っていたら、ふいに手を引かれた。今度は不快感のない、待ち望んだ手だ。
「カイン!」
いつもと同じ、にこりともしそうにない顔があった。
「どこへ行っていたの!」
「……」
カインの姿を上から下まで確認する。怪我は無さそうだ。安心して息をついた。
「心配したんだから」
「……申し訳ありません」
謝れば良い訳じゃない。頰を膨らませて睨む。本当に何をしていたのか。
一つ思いついて、目を閉じた。カインの真似だ。視界を遮り嗅覚に集中する。鼻を彼の胸から首、顔に向けて匂いを確かめた。
香水の匂いなど、残り香のようなものは無い。やっぱりさっきのは別人だ。
瞼を開けると、カインと目があった。思っていたより顔が近い。
「………」
「あ…これはその…」
頰が熱くなる。パッと身体を離した。
「とにかくもう、黙ってどこかへ行かないで」
「はい」
「はいって言ったわね。今度こそ、言った事は守りなさいよ?」
「…はい」
手を握り直される。簡単には許さないと思っていた心が、あっさり絆されてしまう。
「もし……カイン様?」
知らない声に、目を向ける。
黄色いドレスで胸元を強調した令嬢がいた。バルコニーから見た彼女だ。
「仲がよろしい所、失礼しますね」
微笑みながら、私へ値踏みするような視線を向ける。感じが悪い。
「カイン様の忘れ物を届けに来ただけですわ」
そう言って、勝手にカインの手を取り何かを渡した。気持ち悪い手つきで肩まで手を這わせる。
「では、またお会いしましょう…ね」
「………」
黄色いドレスを揺らし、言いたいだけ言って去って行った。
落し物でなく忘れ物、また会いましょう…とは。あくまでもカインと逢瀬を交わしたと主張したいらしい。
戸惑ってるだけだろうけれど、カインが彼女の後ろ姿を見てるのに苛立つ。
「何を渡されたの?」
「………」
カインが渡された物へ視線を移した。
「貴方の物じゃ無いのでしょう」
彼女が会っていたのは別人のはずだ。だから、カインの物を持ってる訳がない。
「…いいえ」
カインが受け取った物を仕まおうとする。
「待って。あ、貴方の物なの?」
「はい」
「本当に?よく似た別物じゃない?」
「……」
胸がざわつく。
「わ、私にも見せて」
「………」
少しの沈黙が落ちた後、カインが手の中のものを見せた。
「あ…」
ハンカチだった。本来は青と金で描かれる騎士団の紋章が、緑と黄色で刺繍されている。
間違いなく、私が刺繍してカインにあげた物だ。
彼女といたのは本当にカインだった?
違う。きっとどこかでハンカチを拾っただけ。
この広い会場で偶然カインの物を?
違う。違う。今日このハンカチを彼女が手にしたとは限らない。
じゃぁ他の日に会っていたの?
嫌な考えが堂々巡りする。
「カ、カイン……」
「はい」
縋るようにカインを見上げる。
いつもと変わらない顔。何を考えてるか分からない。
彼の事が…………全く分からない。
――さっきまでどこに居たの?
言葉が喉元で詰まり、声にならなかった。