ちゃんと愛し合っています
虫の音が聞こえた。
気づいてみれば、近頃は寝苦しい夜もない。段々と日も短くなっている。
暑さが薄れるのは嬉しいはずなのに、この季節はどこか寂しい気持ちになる。
開いていた本を閉じた。流行りの恋愛物語だ。
就寝時間というのに寝室にも行かず、サロンで読書をしていた。べつに物語の続きが気になった訳ではない。
軽く伸びをした後、背もたれへ身体を預ける。何の気なしに左手を上げ、眺めた。
少し詰めてもらった婚約指輪が薬指にぴったり嵌まっている。カインの瞳を思い浮かべ、胸がキュッとした。
そろそろかなと思っていたら、ちょうど扉をノックする音が聞こえた。待ち構えていた侍女がすぐ迎え入れる。
「失礼します」
聞こえた声に口元が緩む。
勤務を終えたカインが入室し、私のいるソファへ近づいた。
「座る?」
「…いいえ」
座らないのか。
何だかそわそわして、自分の手を揉んだり撫でたりしてしまう。
「きょ、今日もお疲れ様」
「………」
「松虫が鳴いてるわ。涼しくなってきたわよね」
「………」
カインが片膝をついて、私の手を取った。
き、きた!
胸が高鳴り、顔が熱くなる。
「………私を待つ必要はありません」
期待していた言葉と違った。頰を膨らませ睨む。
「待ちたくて待ってたの」
「………」
近衛騎士の勤務時間は日によって違う。カインの勤務終了が夜になったのは、このやり取りをするようになって今日が初めてだった。
「そっちこそ、仕事が終わるのを待つ必要ないのよ?」
「………」
彼はきっちり仕事とプライベートとを分けてるようだ。近衛騎士として近くにいても、恋人らしい事は一切してくれない。
だから、この時間が大切なのだ。
「………愛しています」
私の手を口元へ寄せ、囁いた。唇が触れる事はなく、吐息だけ感じられる。
「わ、私も……」
その先は言えない。胸が苦しいくらい鳴り、頬が熱を持つ。手の感覚へ過剰に集中してしまう。
レイモンド邸へ行ってから、カインは毎日愛してると伝えてくれるようになった。決まって勤務終了後の僅かな時間、特に工夫のない同じ文言。
それでもストレートな言葉と甘い雰囲気が嬉しくて、簡単に喜んでしまう。
カインが手を離し立ち上がる。慌てて袖を引いて見上げた。
「もう帰るの?」
「………」
優しく手を外される。
「おやすみください」
そう言うと、礼をして退室してしまった。確かに遅い時間だけれど、もう少しいてくれても良いのに。
唇を尖らせて不服をあらわにする。
「夜中に女性の元で長居しないのは、当たり前ですよ」
マリーがストールをかけてくれた。
「さぁ、もうお部屋へ戻って、寝衣に着替えてください」
「…はぁい」
カインと会うため、ネグリジェにも着替えていなかった。きっと何人かの侍女に残業させている。
大人しくマリーに従った。
次にカインと会ったのは、翌日のジャンター侯爵家の夜会だった。婚約披露を除き、婚約者同士として参加する初めての会だ。
エスコートされ会場へ入る。
カインに手を引かれると、それだけで口の端がムズムズした。最近はよく顔が緩む。
「ミア皇女殿下、カイン殿、本日はようこそお出でくださいました。ご婚約おめでとうございます」
「お招きありがとう、ジャンター侯爵」
「カイン殿は音楽への造詣が深いと伺っております。どうぞ、ドート管弦楽団の演奏をお楽しみください」
「…はい」
さすがはジャンター侯爵。先日までただの近衛騎士だったカインについて調べてある。まぁ、実際は演奏や聴き分けが得意なだけで、音楽に興味は無いようだけれど。
主催との挨拶を済ませ、給仕からシャンパンを受け取る。口にしようとすると、カインが顔を寄せてきた。
「な、なに?」
「………」
頰に熱が集まる。
彼の軽く伏せられたまつ毛は、長くも短くもなく、整っていて綺麗だ。つい見つめてしまう。
「……いえ」
顔が離れた。ほっとしたような、残念なような。
何だったんだろう。顔に何か付いてたかな。取る前に風で飛んだとか?
頰や口元をさすりながらシャンパンを飲む。フルーティな甘さながら、スッキリした味わいで飲みやすかった。
ワインも食事も会場の設えも、ジャンター侯爵家は卒がない。
「ミア皇女殿下、お久しぶりです」
名前を呼ばれ振り返る。
「あら、お久しぶりね」
反射で返したけれど、誰だろう。
どこかの伯爵令息だったか………ダメだ。思い出せない。
「ご婚約おめでとうございます……と言って、良いのでしょうか」
「え?」
「この度のご婚約、皇女殿下のお気持ちが伴わないものと聞いております」
「なっ!?」
驚きのあまり、とっさに言葉が出ない。むしろ私の気持ちありきの婚約だ。
「貴族間の均衡を保つ為とはいえ、伯爵家の中で最も力のない家を選ばれるとは……いやカイン殿、申し訳ない」
「………」
「ま、待って。気持ちの伴わない婚約とは誤解だわ。私達はその……」
愛し合っている、とは恥ずかしくて言えず、もごもごしてしまう。顔が赤く染まっていくのが分かった。
カインを見るも、興味無さそうな顔で代弁してくれそうにない。
「ご無理なさらないでください。傍目にもこの婚約は不要です。均衡を気にするほど今の情勢は不安定ではありません」
「っ…」
彼にそんな意図は無いだろうけれど、不要と断じられて胸が痛んだ。
「寵愛するミア皇女殿下が他の相手を望めば、陛下もお考えを改められることでしょう。この婚約はすぐ解消できます」
「か、解消?!」
冗談じゃない!!
「例えば、僭越ながら我がヴィクセイン家は派閥に属さず中立の立場です。また、領地は気候が良く景色も素晴らしいため、観光産業も発達しております。ぜひ、一度お越しください。きっと気に入りますよ」
やたら良い笑顔を向けられる。ようやく話が掴めた。なんて非常識な人だ。
カインへ必要以上に寄り添い、微笑み返す。
「ご助言ありがとう。けれどこの婚約は、誰に強いられたものでもないの。ヴィクセイン伯爵領へはいつか夫婦で伺いたいわ」
「………」
私の意図を理解したのか、カインが見せつけるように腰へ手を回した。
ゾクゾクッと、よく分からない感覚が腰から背中へ広がる。急に血の巡りの良くなった身体が熱い。
「これは……失礼いたしました。ぜひご夫妻でお越しください」
非常識な人がそそくさと去っていく。
「もう!ほんと、失礼しちゃうわ!」
「………」
「カイン?」
なぜかカインが腰から手を離さない。熱を逃がすため小さく深呼吸し、理由を考える。
そして考え終わるより先に答えがやってきた。非常識な人は彼一人じゃなかったのだ。ベンシード伯爵家の立ち位置が憶測を呼んだのか、私達が政略結婚で婚約解消寸前という噂が広まっていた。
入れ替わり立ち替わり上級貴族令息と下級貴族令嬢がやって来て、私を口説いたりカインに色目を使う。中にはカイン好みそうな肉感的で大人な雰囲気の女性もいて、気が気でなかった。
次から次へ来る人々が、やっと途切れた頃、二人でテラスへ出た。
何杯目かのワインを飲み干す。誤解を解くため、今日はよく喋った。喉を潤そうとつい飲みすぎたかも知れない。カインが腰に手を回しているのは、途中から私を支える為になっていた。
疲れをため息に乗せて吐き出せば、フワフワした気持ちになった。カインに更に擦り寄る。香水ではない、カイン自身の良い匂いがした。
素面なら絶対に出来ない。離れてるとはいえ、ユアン等近衛騎士も見ている。
「……」
「…嫌かしら?」
「………」
返答が無いまま、ベンチへ座らされた。温もりが離れ肌寒くなる。
カインが正面に立つ。ふと、彼が最初に貰ったシャンパンを持っている事に気づいた。
「飲んでないのね。お酒は嫌い?」
「………」
「わかった。好きでも嫌いでもない!」
「…はい」
少しずつだけれど彼の考えが分かってきた。答え合わせして肯定されると、本当に嬉しい。
「それ、飲み易くて美味しかったわ。試しに飲んでみたら?」
「……」
カインは首を振ると、グラスを持つ手を植木へ伸ばした。ゆっくり傾けられ、黄金色のシャンパンが煌きながら落ちていく。
「どうしたの?」
「……」
飲まないなら給仕に返せば良い。わざわざ捨てる必要はないはずだ。
カインは私を一瞥した後、グラスを振って最後の一滴まで落とした。
「……毒です」




