実践あるのみです
回廊を歩きながら空を見上げ、近ごろ雨が増えたなと思う。灰色の雲が空を覆うように広がり、同色の皇城に雨がしとしと降り注いでいる。季節の移ろいを感じた。
「ぃっ、くしゅん」
「おや、風邪でしょうか」
「…そんなんじゃないわ。大丈夫」
鼻を擦りながらユアンに答える。誰かが噂でもしているのだろう。一時的な人気者なので心当たりはある。
やっと皇城へ帰って来られた。馬車に揺られるばかりの日々が終わり、ホッとしている。暇な訳ではないけれど自由な時間は増えた。
拳を握り、心の中で意気込む。今こそマリーの教えを実行する時だ!
まず、二人きりの時間を作る。これは簡単だ。既に何度もやってきた。居室以外で一人になりたいと言えば良い。
雨で庭園に下りられないので礼拝堂へ来た。天気のせいか、あるいは他に人がいないせいか、少し肌寒い。
「ひ、一人になりたいのだけど」
「かしこまりました」
下心があるからか声が裏返ってしまった。心を落ち着かせるため、神に祈りを捧げる。お祈りの動機が不純な事も謝罪しておこう。
一人を残し、他の者は離れる気配がした。
すぐ振り向くのも不自然だから、しっかり、これでもかとお祈りする。近くにいる彼の息遣いを追うばかりで、集中はできていない。
深呼吸し、ゆっくり振り向く。
「…………え?」
「え?」
そばにいた人物を上から下まで、まじまじと見る。
「……ヴィクター?」
「は、はい」
「なんで?」
「なぜと言われましても……」
ヴィクターが困っている。それもそうだ。彼をここに配したのは隊長のユアンのはず。離れた場所でこちらを見ていたユアンを手招きする。ついでにヴィクターを戻した。
「どういう事なの!!」
「……どういう事とは?」
「なんでヴィクター??」
ユアンが不思議そうに首を傾げる。
「なぜと言われましても」
「私のそばはカインか貴方じゃなかったの?」
「外と比べて皇城内は安全ですし、何か事件があった訳でもありませんので」
言われてみれば、城を出る前は色んな騎士がついていたと思い出す。頭が痛くなってきた。計画が甘すぎたのだ。こんな出だしで躓くなんて!
「何か不都合がありましたか」
「大アリよ!!」
つい変な事を言ってしまった。慌てて何でもない振りをする。
「いえ、ヴィクターが悪かったとかじゃないの。その…最近はいつも同じ人がついていたから、急に変わって落ち着かなかったというか………カ、カインはどうしたの?」
「彼には他用を申し付けてあります。ああ、ちょうど帰ってきましたね」
ユアンの視線を追い礼拝堂の入り口を見て、息を飲む。外の用事だったのか、髪を濡らしたカインがそこにいた。
前髪が後ろに撫でつけられ、普段は見えない額があらわになっている。わずかに髪が肌に張り付いて、遠目にもやたら艶っぽく見えた。
思わず顔を覆う。熱が一気に込み上げて、湯気が出そうだ。
「なるほど、そういう事でしたか」
「!!な、なに?」
「いえ、では彼と代わりましょう」
ユアンがやたら嬉しそうに笑う。彼にもバレてしまった!
カインの元へ行こうとする腕を引く。
「ま、待って!いま代わったら変でしょう」
「隊長の私が隊から離れてる方が変です」
「だめ、今は行かないで!!」
今のカインと二人きりになって普通に話せる気がしない!
しばらく押し問答していると、侍女が私を呼びに来た。
「ミア様、そろそろご準備を」
言われたのは今夜の舞踏会の準備だ。まだ皇城に帰って間もないし、本当は参加せずゆっくりしたい。けれど人気者には招待が多く、断れないものもある。
ユアンを解放し、カインを見ないようにして部屋へ戻った。
出鼻は挫かれたけれど、まだまだ手はある。熱が残る顔を振って気を取り直す。
古今東西、男性は美しい女性に弱い。私も素材は良いはずなので、この点は成果を望める。
最上級の肌の手入れをしてもらい、私に最も似合うドレスを選んでもらい、流行の先を行く髪に編んでもらう。
鏡の前の自分を眺める。うん、いつも通りだ。優秀な侍女達はいつも私を可能な限り綺麗にしていた。
「いかがいたしました?」
渋い顔をしている私に侍女が不安そうな声をかける。完璧な仕事をした彼女にいらぬ心配をさせてしまった。微笑み返す。
「いえ、とても素敵よ。いつもありがとう」
プロの仕事に口出しはしない方がいい。いい……けれど、そっと胸の詰め物を増やしておく。
おそらくカインは出るとこ出た女性が好きだ。認めたくはないけれど、シャーロット姉様に見惚れたりルーシーと話を弾ませていたのは、胸の大きさが関係してると思う。
自分のささやか過ぎる胸元を見る。もう一つ詰めておこう。
「ふふふ。男性の意見も聞いてみますか」
「そ、そうね。誰か呼んできてもらえるかしら」
マリーが廊下へ出る。彼女の教えを思い出す。確かカインに意見を求めて参考にすれば良いはず。
マリーがカインだけを連れて戻ってきた。
「え、カインだけ?」
「彼が近くにおりましたので」
「ま、待ってマリー!」
マリーを引っ張り小声で話す。あからさまなのはダメじゃなかったのか。
「なぜカインだけなの?」
「あら、何を心配されてるのでしょう。これくらい平気ですよ」
笑顔で返される。まさかカイン一人を呼びつけて意見を聞くとは思ってなかったので、私の心の準備ができていない。まずユアンに意見を求めて流れを作り、彼に聞こうと思っていたのだ。
「私が平気じゃない!」
「ふふふ。頑張りどころですね。私、所用を思い出しましたので失礼いたします」
私からするりと離れ、他の侍女も連れてマリーが出て行ってしまった。部屋にカインと二人残される。
「………」
カインが黙ってこちらを見ている。ど、どうしよう。呼びつけたのだから、何か言わなければ。
決心して彼に目を向ければ、一見普段通りに見えた彼は少しだけ濡れていた。礼拝堂で見てから時間が経っているから、また外に出たのかも知れない。
どうにも色っぽく感じて、顔に熱がこもる。今日は顔が熱くなりっぱなしだ。何も言えずにまた俯いてしまう。
そこで、ある物を思い出した。引き出しから取り出す。用意していた日用品のプレゼント、馬車でせっせと刺繍したハンカチだ。濡れた髪を拭くのにちょうど良いだろう。
「あの、これ…!」
ずいとカインに差し出す。なぜか頭が働かず、上手く話せない。
「………」
「は、早く受け取って!」
促してはじめて受け取ってもらった。指が微かに触れて肩が跳ねる。
「か、勘違いしないで。馬車で暇だったから刺繍してて……たまたま髪が濡れてたからあげるだけで、最初から貴方のために作ったわけじゃないのよ!」
急に饒舌に喋ってしまった。言ってから、彼のイニシャルも入れてた事を思い出す。恥ずかしくて居た堪れない。
「そ、それより、この衣装はどうかしら」
話を逸らそうとしたら、さっきまで出なかった言葉がさらりと出てきた。身体を一回転させる。
「………」
見つめられて熱が上がる。少し汗も出てきた。
「不自然です」
身体が固まった。
不自然なのは胸に詰めすぎたせいか。それとも今の言動か。両方かも知れない。
また頭が痛くなってきた。顔は熱いのに寒気もする。
ショックを受けて立ち竦んでいると、カインがこちらに一歩近づいた。急に縮まった距離に鼓動が速まる。カインの瞳も濡れた髪も近い。
顔に手が伸ばされる。何が何だか分からないけれど、反射で目を閉じた。
―― ぺとっ
額に手が当てられた。ひんやり気持ちいい。
「熱があります」
何を言われたのか、しばらく分からなかった。




