二章ー4
汐は真っ暗な空間を漂っていた。
「これが精神世界なのかしら?」
天地すら分からない空間を見つめて、いなほが言っていたことを思い出す。
「そうね」
いきなり自分以外の声が聞こえて、驚いて辺りを見渡す。
「上よ、上」
声に言われて上を仰ぎ見ると、汐が今までで見た誰よりも美しい女性がそこにいた。
あまりの美しさに汐は息を飲む。
全身真っ白で服も肌も髪すら白い、特に目を引くのは純白のマントだ。
「今までで一番美しいか、なかなか嬉しいことを言ってくれる娘じゃない。今まで見たことが無いならこの先も見ることがないだろうから、よく目に焼き付けるのよ」
そう言った女性の言う通りに、汐は焼き付けるように見る。
「思った以上に素直な娘ね。名前はなんて言うの?」
「はい、古海 汐と言います」
「シオか、いい名前ね。私はポリアフ、雪の女神の四姉妹が一人よ」
女神といわれて汐は、もっと高圧的なしゃべり方をすると思っていたと、考えているとポリアフは微笑んだ。
「このしゃべり方は、貴女が勝手に変換しているのよ?
私の血をどこで手に入れたか知っているでしょう。だから、意思疎通出来るように貴女に私の精神を繋げて私がどう言いたいのか感じ取った貴女が無意識にこのしゃべり方に変換しているの」
「私の思ったことが……」
「分かるわ。だってここは貴女の精神世界だから、貴女の中に入るのと同じこと、人間の思考なんて簡単に読めるわ」
思っていることが読み取られると知って、汐は身体を硬直させる。
「そんなに怖がらないで、貴女は今急いでいるのでしょう」
ポリアフに言われて、精神世界に来る直前にあったことを思い出した。
「あの……!」
「急がないの。まず試練を考えないと……。このマークの意味は何?」
ポリアフの背後に汐が考えたマークが大きく現れた。
「なるほど、そういう意味なのね。私の力と相性が良さそうね」
マークを見た汐の考えを読み、ポリアフはマークの意味を知る。
「じゃあ、二つほど試練を与えましょうか」
「二つもですか?」
「心配しなくても、一つ目はすぐ終わるわ」
ポリアフが言った瞬間、真っ黒の精神世界に白が広がった。
汐はいきなり拡がった白色を眩しく感じたが、すぐに目がなれる。
そこには雪の女神らしく、雪が広がっていて汐がいる場所は山の頂上のようだった。
「シオはソリしたことある?」
ソリと言われて、汐は草ソリを思い描いた。
「それのことよ。まずは雪山をソリで競争するのが最初の試練、滑るだけだからすぐ終わるでしょう。
スタート開始はシオがしていいわ」
「はい……。三、二、一、スタート!」
スタートと同時に、ポリアフが前に出る。
そのことに驚きながらも、汐は必死に追いかけるが差が縮まらない。汐は焦るが本物のような体感スピードや向かい風を受けて無意識にスピードを落としてしまう。雪道も凸凹なので余計スピードを出せないでいた。
数秒後、一回もポリアフの前に出ることが出来ず汐は負けてしまった、すぐ目の前にいてチャンスがあれば追い抜けれたはずなのに汐には抜くことが出来なかった。
「はぁ……はぁ……、もしかしてこれで終わり?」
競争が終わりという意味でなく、試練自体が終わってしまったのかと汐は気を落とす。
「私は勝ったら二つ目の試練に進めるとは言ってないわ。二つ目の試練はソリの競争で勝っても負けても進めるわよ。
二つ目の試練が最後のチャンスだけどね」
現実世界で戦っている黎人といなほの期待にまだ応えることが出来ることを知って、汐は安堵する。
「二つ目の試練は難しいわよ」
ポリアフが指を鳴らすと、雪山は消えて真っ暗な空間に戻るが、少し変わっていた。
先程と違うのはちゃんと立つ場所があることだ。
「今、貴女は学校の教室と同じ広さの区切られた空間に入っているわ。ここでしてもらうのはこの四つの雪玉を壊さず全部取ること」
ポリアフは手から野球ボールぐらいの大きさの雪玉四つを区切られた空間に入れた。
「時間は無制限、シオが全部取るか諦めるまでよ。始め!」
四つの雪玉は床に当たると一瞬で四方に跳んだ。
雪玉は速いスピードで空間内を反射して縦横無尽に動き回る。
「これは流石に……」
雪玉の動きが捉えられない速さではないが、体がついていけるほどの速さでもない。
「諦める? 私は勇敢な人は好きだけど、逃げ出す人は嫌いよ。一生私と契約できるとは思わないことね」
「分かってます」
「じゃあ、私は終わるまで消えているから、頑張ってね」
そう言ってポリアフは消えた。
ポリアフを見送った汐は深呼吸をして、動き出す。
現実世界と精神世界の時間の進み方は同じか分からないが、汐の体感時間で一時間経っていた。
その間、全力で動いていた汐は足が震えて動けなくなっていた。
汐は特にスポーツをしているわけではないが人より運動能力は高い方だ。しかし急停止と急加速、それと前後左右に向きを変える運動を休み無しで一時間もしていれば、足に多大な負担をかける。
それでも、雪玉の跳ぶ方向を先読みして手を出して、やっと一個取れると思ったが手に雪玉が当たった途端崩れた。
スーパーボールのように空間の中を飛び跳ねているからといって、雪玉の頑丈さは本物と変わらないらしい、脆い雪玉の跳ぶ方向に障害物があれば当然砕ける。
砕けた雪玉は床に落ちる前に元に戻って、弾んで壊れる前のスピードに加速して空間内を動き回る。
それを見て、汐は精神的な物が切れて動きを止めた。
「はぁ、はぁ……」
「もう、諦めるのかしら?」
終わるまで消えていると言ったポリアフが出てくる。
ポリアフが出てきたということは、汐が諦めようと思っているということだ。
「……そんなわけ無いです」
「そうかしら? 心の中では無理だと思っているようだけど」
汐はポリアフに言い返さなかった。考えたことを読まれるのだ、虚勢を張ってもしょうがないと思ったからだ。
「誰も責めたりしないわ。貴女は力の限りを尽くしたのだから。
現実に戻ってあの二人と共に逃げなさい、もしくは相手に印章を譲渡するのね」
「嫌です」
汐ははっきりと断って、いなほの話を思い出そうとする。
「違う神の試練が参考になるのかしら」
ポリアフの言うことを無視して頭の引き出しから引っ張り出す。いなほの試練は汐の試練よりも途方も無いものだった。それでも、乗り越えたということは、何か掴めればクリアできるということだ。
いなほが契約した神の様に人にクリアできる試練をとポリアフが出しているか分からないが、汐はそうだと信じる。
「お人よしというか、何というか」
ポリアフは呆れた風に言う。
ずっと追いかけて何か雪玉に変化が無かったか、汐は考える。
始まりから今までの間のことを細かく思い出していると、一度だけ違和感があったことを思い出した。
それは足の負担が表れ始めた時で、自分の足に引っかかり転びそうだった寸での所で体勢を立て直したが、緊張で数秒ほど動きと呼吸が止まった間、雪玉の動きが遅くなった気がしたのだ。
その後、試しに呼吸を止めて雪玉を追ってみるが、苦しいだけで気のせいだと思ったのだが、もしかしたらこの考えは合っているのかもしれないと汐は考える。
呼吸と共に動きを止めたから動きが遅くなった。動きも止めるというのは、雪玉を追いかけて捕まえることとは反対のことだが、だからこそその考えが盲点になっているのかもしれない。
汐は足の震えを力を入れることによって止めて呼吸を整え、目の前を通り過ぎる軌道を描く雪玉が視界に入った瞬間呼吸を止めた。
すると僅かだがスピードが落ちた。
そのことを確認して呼吸をすると、元の速さに戻る。
「思った通り……」
「へぇ、気付いたのね。思ったより時間が掛かったけど」
「簡単に正解をくれるんですね」
「分かったところで、問題はないでしょう? どちらにしても呼吸を止めて遅くなっても、この速さの雪玉を崩さずに取るのは難しいでしょう。動かないと雪玉を取ることも出来ないしね」
「なら、止めることが出来るもの全てを止めます」
汐は全身の力を抜き右手を目線まで上げる。それから片目を閉じる。
この程度のことで雪玉は開いている目で追えるほどのスピードになる。そして、雪玉の一個が目の前を通る軌道になったことを確認して、上げた右手の位置を調節して頭を空っぽにした。
それだけのことで、雪玉のスピードは格段に落ちる。
「でも、それだけではまだ崩れてしまうわ」
ポリアフの言葉を聞き流して、意識すらしない。
動きも呼吸も入ってくる情報も思考も止めて汐は最後に感情すら無くすと、雪玉はスローモーションのように動きが遅くなる。
雪玉が当たる感触が来るまで待ち、肌に冷たさを感じてから五指をゆっくりと閉じていくと、手の中に雪玉が収まった。
「おめでとう、それが正解よ」
ポリアフからそう言われてから、汐は全てを動かせる。
「ふぅ……。最初のソリでの競争の意味が分かったわ」
手に持った雪玉を見ながら汐は呟く。
「あの試練は、この試練の攻略を難しくさせる為の伏線ね。呼吸の乱れとか色々な理由があるでしょうけど、一番狙っていたのは、私の感情ね」
感情の乱れを狙う、だからポリアフはソリの競争の結果を気にしていなかったのだ。
「焦らせることによって平常心を無くさせることによって攻略方法を分からなくして、もし分かったとしても焦りを元にした思考や感情を無くさないことには雪玉を取ることが不可能にするのが目的ね」
「ええ、シオの考えた通りよ。通常の状態よりも貴女の何かが変化をするとスピードが速くなるようにしていたの、まさか感情を殆ど無くせるとは思わなかったわ」
「感情を無くすのは慣れているから。それにしても、この試練は私が望んだ能力をよく現しているわね」
「神である私には簡単なことよ。
あと三つ取ることは、シオにはもう難しくないかもしれないけど、一つ助言をあげるわ」
「何ですか?」
「今すぐというわけじゃないけど、シオが切った親指からは血が出続けているわ。流石に死にはしないでしょうけど、貧血による眩暈はあるかもしれないわね」
汐は言われて、そういえばと目を見開いた。
「ちなみに、ソリ競争では私に絶対勝てないようになっていたから。
じゃあ、試練が終わったらまた現れるわ」
ポリアフは逃げるように消えた。
「これも、感情を乱す為の言葉なのだろうけど、分かっていても動揺するわね」
しかし、諦めたらとは言わなかった。
ポリアフはこの試練は汐が乗り越えて終わるのだと確信したから言わなかったのだ。
「女神様の期待にも、クロ君といなほちゃんの期待にも応えないとね」
汐は二つ目を取る為に、自分を止め始めた。
黎人といなほは、精神的に追い詰められていた。
敵が強いわけではない、中年の男以外は数秒で倒すことが出来る。しかし、きりが無いのだ。
中年の男達は二人が力尽きるのを待つだけでいいのだが、黎人達はいつになるか分からない試練の終わりを待たなければいけなかったからだ。
「流石にこれはきついな」
黎人が黒い刃が出ている契印章で敵を倒しながら言った。
「ほんと、どこから湧いてくるのかしら、この連中は」
いなほが契印章から雷を放って数人の男を動かなくした。
汐が儀式を始めて三十分ずっと戦い続けている二人は、精神的疲労から愚痴が出る。
「どうだ、お前らはもう帰ってもいいんだぞ」
中年の男がそう言ってくる。
「冗談、帰る時は三人でだ」
黎人は言うと、常人では出せないスピードで中年の男との間合いを詰めた。
「何回やっても同じだ」
中年の男は空中で押印すると複数の炎が表れて、上昇し黎人に降り注ぐ。
黎人は全てかわして中年の男に近付くが、身体の死角に硬い感触がある。
「しまっ――」
強烈な衝撃を受けて吹き飛んだ。
「能力強化の契印章のようだが、未熟で使いこなせていないな」
「その未熟者に傷与えられているのは誰だよ」
契印章がそういうと、男の顔に斬り傷が付けられていた。
「ほう、この短時間で成長したみたいだな。
だが契印章の副能力で火の耐性があるみたいだが、衝撃まで消せておるまい。
体も強化されているようだから、骨が折れているということは無いみたいだが、相当のダメージのはずだ」
黎人は何も言わないが、中年の男の言う通り体は立っているだけがやっとのダメージが蓄積されていた。
「黎人!」
いなほの声で、部下の男が後ろから攻撃をしてきているのに気付く。
劣契判で地面を使った間接攻撃を黎人は契印章の力で捻じ伏せて、部下の男に炎を飛ばした。
「部下では手も足も出んか。
俺からの攻撃は全部防いでいる辺り才能はあるみたいだが、俺のようにカウンターが出来ない。さて、いつまで保てるかな」
中年の男の言う通り、どちらかが攻撃を仕掛けると互いに防いでいるが、男はカウンターを合わせてくるので黎人はダメージを受けているが、逆に防ぐだけで精一杯の黎人は男にダメージを与えることが出来ていなかった。
「言っとくが、俺はまだ本気を出していないからな」
「負け惜しみを言うな、小僧。
俺は予備の契印章で相手をしてやってるんだ。その俺にダメージらしいダメージを与えることが出来てない時点で力量の差はわかるだろ」
互いに本気を出していない状態でのダメージの差は、お互いの力量差を表していた。
黎人は流石に覚悟を決めないといけないかと考え始めた時、汐を包んでいた光のドームが眩い光を放った。
ドームが光る理由は二つ、試練を乗り越えて帰ってきたか、試練を乗り越えることができず帰ってきたかの、どちらかだ。
その場にいた全員が見守る中、ドームが消えると汐が契印章を持って立ち上がる。
「間に合ったみたいね」
汐は空中で押印する。
その瞬間全員が止まり、汐がもう一度空中押印すると黎人といなほを除いた全員が氷に覆われる。
『まぁ、初めてにしては及第点ね』
汐の脳に直接ポリアフの声が響いて、すぐ傍にいるような気配を感じる。
「精進していきます」
『よろしい、じゃあ気が向いたらまたくるわ。頑張るのよ』
ポリアフがそういうと、気配が無くなった。
「ちっ、ただの小娘と思ったが……」
中年の男は契印章から炎を出して氷を溶かす、汐の攻撃を防ごうとしたみたいだが、完全に防ぎきれなかったらしい。
「どうする? 三対一だぜ。それに協定を破る気か?」
黎人が挑発するように言うと、中年の男は炎を走らせて部下達を覆っている氷を溶かした。
「お前達、退くぞ!」
中年の男が全員に聞こえるように大声で言うと、部下達は素早く退却し始めた。
「小僧、次に会う時は本気で相手してやる。その時まで腕を上げとくんだな」
「望む所だ」
そう捨て台詞を残して中年の男も退却して行った。
「あー……疲れたー!」
いなほは叫んで後ろに倒れた。
「汐先輩、契約の試練をクリア出来たんですね」
黎人は汐に近付いて言った。
「かなり苦労したけどね。それより、護ってくれてありがとう、二人とも」
「どーいたしましてー」
「当たり前じゃないですか」
礼を言う汐に、いなほと黎人はそう返した。
その時、汐の目の前に光が現れて収まると、巻物が現れた。
「これは?」
「これは契約が完了した時に現れる印鑑です」
「印鑑?」
汐は契印章を顔の横に上げて見せた。
「えっと、印鑑というのは元々、印影を記録して印章と所有者を登録する登録簿のことを指すんです。
印判魔法の始祖は弟子に伝授する時に印鑑に登録することを義務付けたらしくて、この魔方陣に組み込まれているんです。
登録方法は契印章と汐先輩の拇印を押印するだけです」
巻物は書かれているのが見えないほどの速さで開いていって、何も書かれていない枠で止まった。
汐は言われた通りに契印章と拇印を押印すると、逆再生のように元に戻って消えた。
「これで終わりです。お疲れ様でした」
汐は言われてへたりこんだ。
「今日はここで寝ましょうか」
「さんせーい。黎人、火の番お願い」
いなほが賛同する。
「駄目です。というか明日学校なんですから、朝に降りると遅刻します」
「意外に真面目なのね。さて明日は病欠と」
「さすがに怒りますよ」
「冗談よ。私もたまには言うのよ? 未莱さんの分も頑張って勉強しないといけないものね。とりあえず今度の実力テストの結果が楽しみだわ」
うっ、と黎人は呻いた。
「いなほちゃん帰りましょうか。クロ君エスコートお願いね」
三人はその場を後にした。




