一章
一人の少女がビルの路地裏を歩いている。
腰まで届く黒髪を揺らしながら歩く少女は、制服を着ており少々幼さが見えるが大人びた端整な顔立ちで、高校三年生だと思われる。
古海 汐と書かれたネームプレートのキーホルダーをつけた学生鞄を持っていることから学校帰りのようだ。
黙々と路地裏を歩いていると、目の前に小さな公園程度の敷地が現れ奥に二階建ての店が見える。
店の看板には『判子屋 石川』と書かれていた。
汐は胸ポケットからメモ紙を取り出して、ネットから印刷した地図を見て目的の場所か確認して店に入った。
店の中は所狭しに何も彫られていない円柱や長方形の石が置かれていた。
奥に入っていくとカウンターがあり、その上にうつ伏せになって少年が寝ていた。
一瞬眉をひそめて、少年に声を掛ける。
「すみません、少しお聞きしたいことがあるんですが」
そう言って少年の肩を揺らした。
「んっ……」
少年は目を擦りながら頭だけ動かして汐を見た。
「……生徒会長?」
呟いた少年と生徒会長と言われた汐は止まる。
すぐにハッとした少年は勢いよく立ち上がった。
「なっ、何か御用ですかお客様!」
店が震えるかと思うほどの大声を出して少年は営業スマイルを作った。
汐は冷ややかな視線を送る。
「うちの高校は学校からの許可がないとバイト禁止って知ってる? 後輩君」
汐が言うと後輩君と呼ばれた少年は慌てる。
「ば、バイトじゃないですよ、バイトのわけないじゃないですか。
このお店はですね、祖父の店でして、祖父が外出しているから代わりに店番してたんですよ!」
必死に説明する少年に疑いの目を向けながらも、納得したというように汐は頷いた。
「なるほど、店主がいないのなら代わりに店番をしている君は石のことは分かるかしら?」
汐は鞄からレモンのような形をした紅い水晶を取り出した。
「……これは?」
少年は紅い水晶を見ると尋ねた。
「これと同じ石で判子を作って欲しいの」
汐はよく見せるために少年に渡す。
渡された少年はまじまじと見てからライトに当てる。
しばらく見ていたが少年は汐に石を返した。
「うちの店には同じ石は無いですね」
「そう」
少年が言うと汐は残念そうに呟いた。
「ところで、綺麗な石ですよね。もし良かったらその石を売ってくれませんか?」
汐は不思議そうな表情になる。
「俺は店番をしていますが、元々は篆刻師の見習いなんです。
まだ高い石は彫らせてくれなくて、練習用は見た目がイマイチでこうやる気が出ないんですよ。
でもその石は高い石の類じゃないけど見た目は綺麗だから、習作として力を入れて彫れる気がするんです」
「なるほどね。お幾らで買い取ってくれるのかしら?」
「そうですね。色も付いてますし思い入れもあるようですから五万でどうですか?」
「却下ね」
汐が売却に乗り気に見えていたので即答で断られ少年は呆気に取られる。
「この石は祖父の形見だから、譲ることも売ることも瑕をつけるようなこともしたくないの」
売却をしない理由を説明する。
「でも、面白いわね」
少年は自分の落胆した様子が面白いのかと思って不機嫌な顔になる。
「君のことじゃなくてね。ここに来る前に露店があったの。
もしかしたらと思ってこの石と同じ物を持ってないか聞いてみたのだけど、かなぶりだったわ。
それで去ろうとした時に売ってくれと言われたの、断ったけど」
汐は世間話のように語るが、少年の表情は強張っていた。
「どうかしたの?」
「いえ、なんでもないです」
「そう? まぁいいわ、私はこれでおいとまさせてもらうわね」
汐が帰るために振り返る。
「ちょっと待ってください」
呼び止められた汐は再び振り返る。
「ちょっと掌を出してもらっていいですか?」
汐は少年に言われるがまま鞄を持っていないほうの手を差し出した。
汐が見ている前で少年は判子を取り出してインクを付けて、汐の掌に押した。
汐は驚いた顔をして掌に付けられた判子を見つめていた。
少年はいきなり判子を押したのは流石にまずかったかと心配そうにしていたが、汐が何も文句を言わないのでどうしたのかと逆に不思議そうに汐を見つめる。
「これどういうこと?」
唐突に汐に質問された少年は一瞬ビクッとしてから答える。
「ちょっとしたおまじないです、悪いことが起きないようにする。
ほら、女の子が一人で帰るのは危ないじゃないですか」
「……そう。じゃ私は本当に帰るわ。もし学校で会ったら、そのときは挨拶ぐらいしてね。
おまじないありがとう」
まさかお礼を言われるとは思っていなかったのか少年は呆けるようにして汐を見送った。
店を出て汐は押された判子を見る。
「……おじいちゃん」
手を握って目を瞑り祈るように呟いた。
汐は表の通りに出ると次の判子屋に行くかどうか考える。
判子屋など大きい町は知らないがそうそうあるものではない、こんな小さな町にはここから歩いて二時間の所にもう一軒あるぐらいだ。
今日は無理しないで休日に行った方が良いかと迷ったが、休日は少し遠出してパワーストーンのお店で探してみたいと思った汐は次の判子屋の方向へ歩き出した。
しばらく歩いていると後ろから視線を感じる気がした。
振り返ってみると、歩いている人は何人かいるが汐を見ている人はいなかった。
汐は気のせいかと思い歩き出すと、再び視線を感じる。
また気のせいだと思い歩き続けるが視線は消えず、振り返ると感じていた視線は消える。
判子屋の少年の危ないという言葉が脳裏に浮かんだ汐は、出来るだけ人通りが多い道に出ようと人の賑わう声がする方に道を変えた。
汐は人の多い気配をする方に進んで行ったが、逆に人気が無くなっていった。
人が多い気配はするのに人気が無くなっていき、おかしいと思った汐は引き返そうと来た道を戻ろうとした時、男が道を阻んだ。
汐が横を通り抜けようとすると男はわざと道を塞ぐ。
「すみません、ここを通りたいんですけど」
汐が男に言うと、男は首を横に振る。
「ここを通りたかったら、さっきの石を渡しな」
そう男に言われて、汐は今道を塞いでる男が先程会った露店の男だと思い出す。
汐は恐怖を感じて後ろに振り返って走ったがすぐに行き止まりに辿り着く。
振り向くと露店の男がすぐ近くまで来ていた。
「さぁ痛い目に遭いたくなかったら、石をよこしな」
汐は石が入った鞄を護るように抱いた。
「寄越せって言ってんだろうが!」
露店の男は汐の鞄を掴んで強引に奪おうとするが、汐は奪われないように力一杯鞄を抱いて身体を振ることで男の手を離そうとする。
思いのほか汐の力が強かったのか一瞬男の手が離れた時、汐は思いっきり体当たりする。
男は少しよろめき、汐はその隙に横を通りぬけようとしたが、男は汐の肩を掴んで力任せに正面に投げ飛ばした。
投げ飛ばされた汐はバランスを崩して尻からこける。
「少し痛い目に遭いたいようだな!」
そう言って、男は上着から紅い物と銀のコンパクトを取り出した。
取り出した物が何か分からない汐に向かって男は、銀のコンパクトを開けて紅い物を押し付けて、押し付けた部分を汐に向けた。
「えっ……?」
汐はマヌケな声を出す。何故なら向けられた瞬間、光の球が顔の横を掠めて行ったからだ。
車が壁にぶつかったような衝突音が後ろから聞こえた。
汐は思わず振り向くと行き止まりの壁に球状の跡と、それを中心に拡がる罅が残っていた。
「今はわざと外してやったが、次は当てる。嫌なら石を寄越せ」
「絶対嫌」
「じゃあ、死ね」
汐が拒否すると男はまた銀のコンパクトの中に紅い物を押し付けた。
「待て!」
男の背後から声が響く。
男が邪魔で汐からは見えないがどこかで聞いたことがある声だ。
「あぁ? かっこつけならどっかいけ」
「ふぅ、危なかったー。あとちょっとで凡ミスで取り返しがつかないことになるところだった」
声の主は男のことを無視して安堵したように呟いた。
「てめぇ、人の言うこと聞いてんのかよ!」
「デカイ声出さなくても聞こえてるって」
五月蝿いなぁ、といったニュアンスで声の主は言った。
「もう一回言ってやる、どっかに行け痛い目に遭いたくなかったらな」
「雑魚がお決まりのこと言ってるのは笑える」
「そんなに痛い目に遭いたいのかぁ!」
男は銀のコンパクトに擦り付けていた紅い物を声の主に向けた。
「あぶな――」
汐が危険を告げる前に男の紅い物から、バスケットボール大の光の玉が声の主に向かって飛んだ。
声の主に光の玉が当たると思った瞬間はじけ消えた。
「な……!」
男の驚愕する声が聞こえる。
「だから雑魚だって言ったんだ。体格差で見て普通に殴り合いになったら俺の方が負けるだろ。これだから力を持った馬鹿はしょうがない。ま、そんなチャンスはもうないけどな」
「なんだと、てめ――」
男は言い終わる前にたじろいだ。
「それは……」
「魔法が消された時点で気付け」
声の主が言うと同時に地面を蹴る音を汐は聞いた。
直後、汐の目の前で男がくの字に折れ曲がって浮かび、声の主が横を回転しながらすり抜け片手に持っていた細長い物の底で男の後ろ首を殴った。
男が倒れたと同時に声の主は持っている細長い物を文字は消える、全て一瞬の出来事だった。
男は顔から倒れて動かない、気絶しているようだった。
「大丈夫ですか? 生徒会長」
声の主は怪我がないか聞いてくる。
そう言われて汐はやっとどこで聞いたか思い出した、先ほどの判子屋の少年だった。
「あ、ありがとう」
「いやぁ、危なかったですね、もしかしてミスったと思ったときは焦りましたよ。ま、ミスの分も取り戻しましたし、俺はこれで。じゃ」
少年は早口で言って呆然となっている汐の前から早々と立ち去ろうとした。
混乱していた汐は少年が持っている自分の鞄をみて正気に戻る。
「待ちなさい」
元々澄んだ声だった汐の声色が冷たく変わる。
少年は汐の言う通りに止まった。
「助けてくれたのは良いのだけど、私の鞄をもってどこに行くのかしら?」
少年は氷ついたように動かず返事もしない、汐は溜息をつきながら立ち上がり歩いて少年の前にでる。
少年は愛想笑いをしながら冷や汗を流していた。
「とりあえず、そうね、君のお店に戻って全部話して貰おうかしら?」
「全部?」
「ええ、今起こったこと、私の石のこと、人の鞄を盗もうとしていることをね」
そう言って少年に見せる表情は、人を凍らせることが出来そうな冷たい笑みだ。
汐の笑みを見た少年か断ることが出来ないのは、無理のないことだった。




