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End of the Atonement  作者: 久野 龍
第七章 消えぬ傷痕の灯火
49/60

 ■3■

 静まり返ったはずの屋敷に、ゆっくりとした、しかし確かな足音が響く。


 凍りつくような、白く底知れぬ気配。

 土煙の向こうから悠然と歩み寄ってきたのは、『無慈悲の慈愛』――白虎族長レイア・ファンサルだった。


「私の幻影を消すとは。その娘、何者だ? 逃亡の騎士団長」


 一切の感情を排した、冷徹そのものの声が戦場に落ちる。


「……逃げた、つもりはないですがね」

「知っている。お前はリュウショウ様のためだけに生きているからな」


 その淡々とした応酬を聞きながら、ガイアは息を呑んだ。


(幻影とは、次元が違う……っ!)


 全身の肌を粟立たせるような、底知れぬ寒気。

 これこそが、本物のレイア・ファンサルの気配だった。

 背筋を冷や汗が伝い落ちる。

 ガイアは本能で悟らざるを得なかった。絶対に、勝てない、と。


「だが」


 レイアの氷のような視線が、グレンの背後で倒れ伏すケセナへと向けられる。


「その『化け物』に対しては違ったと私は記憶している。お前は一体、何がしたい?」

「……」

「リュウショウ様を殺害し、ノヴェリアの残留思念のような……そんな人形を、お前はなぜ庇う?」


 ああ、と。

 グレンは内心でひっそりと短く息を吐いた。

 それが、この世界に広まっている捻じ曲がった『事実』なのだ。

 殺気を纏う今のレイアに、正面から何を言っても無駄だろう。

 それでも、言わねばならない。捻じ曲げられた事実ではなく、この世界の『本当』を。

 どうすれば、この怒れる『無慈悲の慈愛』に言葉が届くのか。

 グレンは記憶の底から、親友の手腕を思い出した。そして、一つの強烈な賭けに出る。


「レイア様」


 グレンは構えていた剣の切っ先をわずかに下げ、真っ直ぐにレイアを見据えて告げた。


「――陛下より、ご命令がございます」


 リュウショウは、もうこの世にはいない。

 今、この世界で『陛下』と呼ばれる人物はただ一人。

 世界をかつてない混沌に陥れた張本人であり、皇太子として生きてきた――本当の『人形』、フィサルーア・ク・フェスカだ。


「ご命令だと?」


 レイアの冷徹な顔色が変わる。


「自分が長きにわたり隠密行動を取っていたのも、すべては陛下からのご命令があったからこそ。『ファルイーアを探し出し、保護せよ』。それが、自分が現陛下より賜った極秘任務です」

「……なぜそれを私に言う?」


 極めて真っ当な疑問だった。

 グレンの背中を冷たい汗が流れる。


「これを前提として、陛下のご命令をお伝えしたかっただけでございます」

「……私が追っている大罪人は、実は陛下の庇護下にある。つまり、お前たちは私の敵ではない。そう言いたいのか」

「はい」

「……」


 レイアは値踏みするようにグレンの目をじっと見据え、しばらく沈黙した。

 剣呑な空気が場を支配する。

 やがて彼女は、纏っていた刺すような殺気をわずかに緩め、静かに言った。


「聞こう」


 グレンは安堵を悟られぬよう、慎重に言葉を選んだ。


「……ファルイーアは、決して大罪人などではありません」

「解せぬな」


 即座に、レイアから氷の刃のような反論が飛ぶ。


「ではなぜ、四獣の族長たる我らに『潜伏している最大凶悪戦犯を、抹殺しろ』と命じた? それも、背けば一族を皆殺しにするという条件つきで」

「……っ」


 その鋭すぎる指摘に、グレンは完全に言葉を詰まらせた。

 『極秘に保護を命じている』という自分の嘘と、

 『一族の命を人質にしてまで抹殺を命じている』という現実。

 どう考えても辻褄が合わない。


「……そ、それは……」


 絶体絶命。

 見事な言い訳など一つも思い浮かばず、グレンから冷や汗が噴き出した、その時だった。


「こいつがなかなか見つけねぇから、陛下もおかんむりだったんじゃねぇの?」


 極限まで張り詰めた空気をぶち壊すように、ガイアの軽口が割って入った。


「ガ……ッ!」


 反射的に叱り飛ばしかけたグレンは、振り返って息を呑む。

 ガイアが、ニヤリと不敵に笑っていたからだ。


「……朱雀。お前、知っていたのか?」


 レイアの視線がガイアへ向く。

 ガイアは肩をすくめ、堂々と言い放った。


「俺は朱雀族長である前に、騎士団団長の弟子だからな。それなりに情報は回ってくる。それに、俺のところにもその『一族の命と引き換えの命令書』は届いてる。だからこそ、俺はここにいるんだよ」


 軽口ばかり叩いていても、ガイアもまた四獣の一角を担う朱雀族長だ。

 彼が『族長としての立場』で裏付けたことで、グレンの苦し紛れの嘘に一気に説得力が生まれる。


「ふむ。……どうりで」


 レイアが顎に手を当て、何事かを納得したように頷いた。


 正直、グレンには彼女が何をどう納得したのかよく分からなかったが、これ以上追及される前に、勝機とばかりに一気に畳み掛ける。


「……というわけです。これは現段階において、陛下と、ツェヴァン様、そして自分とガイア族長しか知らぬ極秘事項でございます」

「……何? 青龍も知っておるのか」

「はい」


 そう言い切った瞬間、グレンはようやく身体から強張った力が抜けていくのを感じた。

 レイアが「知らぬのは私だけか……」と何やら呟いているが、もう待てない。


 偽りの刻は、これで終わりだ。

 ここから先は、正真正銘の真実だけを語ればいい。


 グレンは深く息を吸い込み、レイアへ向けて、この世界の本当の姿を語り始めた。

 静寂に包まれた屋敷の中で、グレンの低く重い声だけが響く。


「玉座に座り、お前たち四獣を顎で使っている現皇帝フィサルーア。……あれこそが、皇妃ノヴェリアの禁呪『生物創造』によって生み出された、偽りの人形だ」

「……馬鹿な」


 レイアの口から、氷のように冷たい声が漏れた。


「ならば、リュウショウ様を暗殺したというあの大罪人は。私が先ほどまで刃を交えていた、あの底知れぬ化け物は一体何だと言うのだ」


 『無慈悲の慈愛』。

 その二つ名の通り、彼女は主君を害した『化け物』に対して一切の容赦を持たない。

 その確信こそが、彼女の強さそのものだった。

 だが、グレンは悲痛な面持ちで首を横に振る。


「目をお覚ましください、レイア様。貴女ほどの慧眼が、なぜ気づかないのですか」

「何を……」

「今、貴女の目の前で血の海に沈んでいるその子供こそが。貴女が心から忠誠を誓った主君、リュウショウ様の正真正銘の『遺児』です」

「――ッ!」


 その瞬間、レイア・ファンサルの纏っていた絶対的な殺気が、音を立てて罅割れた。

 息を呑み、目を見開く。

 あり得ない。そんなはずはない。

 だが、彼女の明晰すぎる頭脳は、グレンの言葉を裏付ける事実を次々と弾き出してしまう。


 なぜ現皇帝は、四獣の一族の命を人質にしてまで、この青年を異常なまでに排除しようとしたのか。

 なぜこの青年は、『精霊捕縛』という絶対の拘束を、己の四肢の肉を削ぎ落としてまで、内側から強引に破壊するという理外の力を行使できたのか。


(……もし、本当に。あの方が、リュウショウ様の血を引く、真の……?)


 そうだとしたら、自分は一体何ということをしてしまったのか。

 敬愛してやまなかった主君の、たった一人の遺児。

 理不尽にすべてを奪われ、絶望の中で生き延びようと足掻いていた幼き命を。

 あろうことか、自分は四肢を拘束し、無慈悲に刃を突き立ててしまったのだ。


「あ……」


 レイアの喉から、今まで誰一人として聞いたことのないような、ひどく掠れた、か細い声が漏れた。

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