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End of the Atonement  作者: 久野 龍
第七章 消えぬ傷痕の灯火
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 ■4■

 冷徹なレイアの仮面が、ついに崩れ落ちた。


 彼女の全身を覆っていた凍てつくような白い気配は、陽に溶ける雪のように、弱々しい後悔へと変わって霧散していく。

 レイアは震える瞳で、凄惨な血だまりの中に横たわる金糸の髪の青年を見つめていた。


「……俄かには信じられん。だが、すべての辻褄が合ってしまう」


 しばらくの沈黙の後、レイアはぽつりと零した。


「……私は、主君の遺児に対して、取り返しのつかない酷なことをした」


 カツ、と。

 レイアが一歩、ケセナへ歩み寄る。

 グレンとガイアが咄嗟に身構えるが、彼女から先ほどまでの凍てつくような殺気は完全に消え失せていた。

 レイアは血だまりの中に膝をつき、ふわりと、ケセナの血に染まった金の髪へ白魚のような指先を触れさせる。

 『無慈悲の慈愛』。

 その二つ名の通り、その手つきは壊れ物を扱うように優しく、慈愛に満ちていた。


「……寡聞であった。許してくれ」


 静かな、心からの謝罪。

 幻影で容赦なく命を刈り取る『無慈悲』な姿しか知らなかったガイアは、初めて見る彼女の『慈愛』の貌に完全に面食らいながらも、たまらず声を荒げた。


「あんた……こいつに、一体何したんだよ!」


 レイアはゆっくりと顔を上げ、ガイアを一瞥する。


「……ふむ。矢張り気になるか」

「あったりめーだろーが! 俺の弟分がこんな大怪我してんだ! 言わねぇと、ぜってぇ許さねぇぞ!」


 激昂するガイア。

 だが、レイアは柳に風と受け流し、冷ややかな声でぴしゃりと言い放った。


「その言葉は、私に勝てる確信を持ってから言え、朱雀」

「……うっ」


 絶対的な実力差を突きつけられ、ガイアは悔しげに呻いて口を噤む。

 レイアは再びケセナへ視線を落とし、淡々と事の顛末を語り始めた。


「四肢を拘束したまでだ。大罪人として、陛下の御前へ運ぶためにな。……だが、その『精霊捕縛』を施した拘束具を、この遺児は自ら破壊した。外からではなく、己の内側からな」

「……内側、から?」


 ラルが涙に濡れた顔を上げ、かすかに首を傾げる。

 魔術の理を知る者なら、それがどれほど異常か分かる。

 『精霊捕縛』を施されれば、一切の精霊を呼ぶことはできず、魔術は完全に封じられるはずなのだ。


「信じがたいのも無理はない。術をかけた私自身、未だに信じ難い」


 レイアは自嘲気味に目を伏せた。


「だが、遺児はやって退けた。己の四肢の肉が削げ落ち、焼け焦げることも厭わず、力尽くで魔力を暴発させてな。……そして拘束を破り、暴走した」


 一呼吸置き、レイアはグレンたちを真っ直ぐに見据える。


「自我を失った彼を止めるためには、もはや屠るしかなかった。だが、私一人ではどうにもできぬ。あれは最強の『兵器』だ。どれほど幻影で惑わそうとも、純粋な破壊の前では私も到底敵わぬ」


 レイアは続ける。

 

「故に、幻影でツェヴァン・ロンを創り出し、最強の剣士と共闘する形をとったまでだ。……そこに、貴様らがのこのこやって来ただけに過ぎぬ」

「のこのこって……」


 あまりにも身も蓋もない言い方に、ガイアが情けなく呻く。

 だが、それでも食い下がった。


「だったら、俺たちが来た時点でさっさと幻影を解けよ! 戦ってんの見てただろ!?」

「本来、私が構築した幻影空間に入り込めるのは、私が認識し、許可した者だけだ。……それを土足で踏み越えられたのだ。興味が湧いて観察させてもらった」

「性格悪っ!!」


 ガイアの悲鳴のようなツッコミを意にも介さず、レイアは未だケセナの傍らに座り込むラルへ、探るような視線を向けた。


「騎士団長。この娘は、一体何者だ?」


 その鋭い眼光を受け、グレンはさりげなく一歩前へ出る。

 ラルを庇うように立ち塞がり、低く答えた。


「……自分の弟子ですよ。それ以上でも以下でもなく、可愛い弟子の一人です」


 決して真実を明かそうとしない、その不器用な庇い方に、レイアは完全には納得しなかったものの、ふん、と短く鼻を鳴らした。


「ならば、もう少し策士になれ」

「……ッ!」


 グレンの背に冷たいものが走る。


(……気づかれていたのか)


 先ほどの『陛下からの極秘命令』という、滝のような冷や汗をかきながらついた茶番は、この聡明な白虎族長には最初から見透かされていたのだ。


「まぁいい。すべては聞いた。それをどう判断し、どう動くかは、私次第でよいな?」

「……はい」

「私には、一族の命がかかっている。それを踏まえての判断になるが……それでも構わんな?」


 凄みのある最終確認。

 だが、グレンはもう誤魔化さず、真っ直ぐに言い切った。


「もちろんです」


 その揺るぎない眼差しを受け止め、レイアは最後にガイアへ視線を移した。


「朱雀。お前も、腹は決めておるのだな」

「当然だろーが」


 ガイアは鼻で笑い、自嘲気味に、だが確かな覚悟を込めて言った。


「朱雀の純血はもう俺しか残ってねぇ。民は、生き残った朱雀の精鋭どもが守るって誓ってくれた。だから俺はここに来た」

「……そうか。すまない、許せ」


 短く頭を下げると、レイアは深く息を吐いて続けた。


「この遺児の治療を、私にさせてはくれないか。せめてもの償いがしたい」


 そう言うと、レイアは血だまりの中に眠るケセナの身体を、そっと抱き上げた。


 光精霊が治癒を施したとはいえ、怪我は完治しておらず、切り刻まれた衣服の下からはなおも少量の赤い血が滲んでいる。

 その新しい傷の下に、見え隠れする消えぬ古傷の群れがあった。

 こんな身体で、四星霜前の戦争に『兵器』として立ち、魔力の限界近くまで放出して戦い続けていたのか。

 そう思うと、レイアは戦慄した。


 あの戦争には、レイアも当然いた。

 グレンの脇で、何も映さぬ紅い瞳のまま立っていた、小さな影。

 敵からも味方からも恐れられた殺戮兵器。


 あの頃は、近づくことすら躊躇った。

 そんな子を、今こうして抱き上げて初めて気づく。

 軽い。

 あまりにも、軽すぎた。


(……この子は、どれだけの苦痛の中で生きてきたのだ)


 腕の中に収まる主君の遺児の、薄い胸板と頼りない重みに、レイアは胸の奥で痛ましく呟いた。

 ふと視界の隅で、ラルが「私が! 運ぶのに!」と地団駄を踏み、グレンが慌てて宥めているのが見えた。

 レイアは涼しい顔で、それを無視する。


 ……もっとも、先ほどの不敬な発言については後で叱るつもりだったが。


「来い。我が白虎の里へ」


 無慈悲の慈愛。

 世界最強と謳われる誇り高き白虎族長は、主君の遺児をその胸に抱いたまま、振り返ることなく悠然と歩き出した。

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