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End of the Atonement  作者: 久野 龍
第六章 堕ちていく傀儡
42/60

 ■3■

 呼吸一つ分、完全に固まったのち。


 グレンはガイアへ向けていた剣を、そっと下ろした。

 それから、かちゃり……と、この上なく気まずい音を立てて鞘へ納める。


「ぶっ……くくっ、あはははははっ!」


 たまらず吹き出したのはガイアだった。腹を抱え、岩肌をばんばん叩きながら爆笑する。


「ひぃーっ、腹痛てぇ! 先生、マジで俺がこいつ殺しに来たと思ってたろ!」

「う、うるさい! 状況が状況だろうが!」


 グレンが顔を真っ赤にして怒鳴り返す。だが、完全に形無しだった。

 ケセナも毒気を抜かれたようにへたり込み、大きく息を吐いた。


「もう……本当に心臓に悪いよ、グレンさん」

「……悪かった」


 ばつが悪そうに視線を逸らし、グレンは咳払いをひとつ挟んで、無理やり威厳を立て直そうとする。


「と、とにかく。ガイアが敵ではないと分かったのなら、それでいい。お前が無事ならな」

「それより、先生。その怪我」


 呆れ顔のラルが、グレンの胸元――エンジからかっぱらってきた深緑のチュニックの隙間から覗く真新しい包帯を指差した。

 その一言で、全員の顔から笑みが消える。

 洞窟の空気は、また静かに引き締まった。

 グレンは岩場へどかりと腰を下ろし、傷口を軽く押さえながら、街で起きたツェヴァンとの死闘について語り始めた。


 圧倒的な魔術と剣技の前に、己がまるで歯が立たなかったこと。

 だが、ツェヴァンは途中で刃を収め、激痛を伴う特効薬を塗りたくったうえで見逃してくれたこと。

 そして最後に、『青龍はこれ以上、貴様らを追わん』と告げたこと。


「――というわけだ。師匠は、もう敵じゃない」


 その言葉に、洞窟の中へ安堵の空気が広がった。


「よかった……本当に、無事でよかった」


 ケセナが心の底から安堵したように胸を撫で下ろす。

 あの時、自分を逃がすために一人で死地へ残った男が、こうして生きて戻ってきてくれた。その事実だけで、今は十分だった。

 ガイアも「あー、焦ったぜ」と首の後ろを掻く。

 張り詰めていた空気が、ようやくほどけた――その直後だった。


 ぐぅぅ〜……。

 誰かの腹の虫が、盛大に鳴った。


 音の主は、プラークルウだった。

「はうっ」と顔を赤くしてうずくまる剣精を見て、ケセナも苦笑しながら自分の腹を押さえる。


「そういえば、朝から何も食べてなかったね。ちょっと待ってて、すぐ何か作るから」


 ケセナが腰を上げ、球体から鍋を取り出そうとした、その時。

 ラルがすっと右手を挙げ、岩へ腰掛けるグレンをびしりと指差した。


「先生」

「ん? どうした、ラル」


 グレンが目を丸くする。

 ラルは半眼のまま、淡々と告げた。


「一人でご飯、食べてた」


 ――爆弾発言だった。


 荒波の砕ける音が、洞窟にやけに大きく響く。

 おかしい。ついさっきまでは、波の音など気になりもしなかったはずなのに。

 ケセナは洞窟の外へ一度視線を逃がし、それからそっと中を見た。


 目の前には、妙に奇抜な仕立ての深緑のチュニックを着込んだ、屈強な黒髪の男――かつて帝国最強と謳われた騎士団長が、岩肌の上で涙目の正座をさせられていた。


 その巨体を冷ややかに見下ろしているのは、赤みがかった金髪に紫の瞳をした少女ラルと、燃えるような赤髪赤瞳の青年ガイア。ついでに銀髪金瞳の幼女、プラークルウまでいる。

 グレンは、まるでこれから判決を言い渡される罪人のように、三人からひたすら無言で睨みつけられていた。


 その異様な光景を前に、ケセナは呆れ顔で立ち尽くす。


「……ええと」


 いたたまれず恐る恐る口を挟もうとした瞬間、


「黙ってろ」

「えーーーー」

「黙って」

「黙っててください!」


 ガイア、ラル、プラークルウの順で、容赦なく押し返された。


(助けられなくてごめん、グレンさん……!)


 ケセナは胸の内でひっそりと手を合わせ、すごすごと引き下がって鍋をかき混ぜた。


 そして。

 波音すら遠のくような、極限まで張り詰めた沈黙の後。


「「「自分だけ飯食ってるとか!!!」」」


 三人の怒号が、ぴたりと揃って洞窟へ響き渡った。


 無理もない。

 グレン以外の全員が、朝からろくに水すら口にしておらず、疲労と空腹の限界だったのだ。あんな死闘と逃走劇のあとで、当の保護者だけが温かい食事にありついていたなど、到底許せる話ではない。


「……はぁ。今、作ってるのに」


 ケセナはぐつぐつ煮える鍋をひと混ぜしながら、長いため息をついた。


「こっちはろくに食ってねぇんだぞ」

「……知るか、そんなもの」


 正座させられたままのグレンが、顔を背けて言い返す。


「人攫いに遭ってるって言うから。危険を冒して助けに行ったのに。呑気に、ご飯を食べてるなんて」

「人攫いには遭っていない。それに、人の好意は無下にできん」

「深緑の変な服を着てても、やっぱり黒バカあほーです!」

「お前は一番関係ない話をしている気がするが?」


 一人一人の怒りへ律儀に言い返していくグレン。

 その大の大人の意地っ張りな姿を見ていたケセナの口から、ふと、自分のものではない感情が零れ落ちた。


「売り言葉に買い言葉だ。……本当に、成長してないな」


 それは完全に、オウセイの呆れだった。

 グレンの肩がぴくりと揺れる。鋭い視線で睨まれた気もしたが、ケセナは構わず木べらを置き、出来上がったスープを木椀へ注ぎ始めた。


 背後ではまだ三人がグレンに詰め寄っている。

 ケセナはそんな腹ぺこ三人衆に向けて、明るく声を張る。


「ご飯、できたよー」


 ふいに顔へ強烈な風が当たり、ケセナは思わず目を閉じた。

 洞窟なのに突風が吹いたのかと思い、恐る恐る目を開けると――さっきまでグレンを取り囲んでいた三人が、文字通り突風の速度で目の前に整列していた。


「怖っ」


 空腹で身体能力を限界突破させた三人の執念に、ケセナは本気で引いた。


 ------


 かくして、ようやく人心地ついた洞窟内。

 温かいスープとパンで胃袋を満たし、少し落ち着きを取り戻した三人衆の話題は、もっぱら『ツェヴァンの虫嫌い』についてだった。


「問題はだ」


 ガイアがパンを齧りながら、大げさに息を呑む。


「どうやってあのじーさんの胸ぐらに虫を放り込むか、だよ!」

(……手に持たせるんじゃなかったっけ)


 ケセナはスープを啜りながら、胸の内でひっそりと言葉を返していた。

 いつの間にか、恐るべき剣士への対策とは思えない話になっている。


「あのお爺さん、常に雷を纏ってる。近づけない」


 ラルも真剣な顔で頷きながら、しれっとスープをおかわりする。


「そう、それ! なんか良い方法ねぇか〜!」


 どうやって虫を服の中へ滑り込ませるかという、不毛極まりない会議が盛り上がっていく中、少し離れた岩場で休んでいたグレンが、呆れた声を投げた。


「……ツェヴァン様なら、もう襲ってこないぞ? さっき話しただろう」


 ぴたり、と三人の動きが止まる。


(あ……)


 全員の脳裏に、つい先ほどの会話が蘇った。

 そうだ。ちゃんと聞いていたはずだった。

 だが直後に、ラルの『この人、ご飯食べてた』という大罪告発が始まり、超重要事項は綺麗さっぱり吹き飛んでいた。


 洞窟には、再び波音だけが虚しく響く。


「あんなに真面目に虫の入れ方を話し合ってたのに……全員、バカ確定です」


 プラークルウが顔を覆って呻き、ケセナは苦笑いしかできなかった。


 こほん、と。

 気まずい空気を切るように、ケセナはわざとらしく咳払いをする。


「ジェグヌの先は、オーレルディアまで一本道だ。問題は、その中間にある関所――『鉄火の門』だ」


 一斉に視線が集まる。


「両側は荒海で、ぱっと見は中央突破しか道がないように思える。でも……別の突破方法がある」

「別の、道?」


 グレンが目を細めた。


「ああ。昔、俺が……いや、オウセイが使った手だ。ただ、もしかしたら、ここの穴より酷い状態かもしれない」


 ガイアは呆れ半分、感心半分で黙っていたが、隣でプラークルウが唐突にぶるぶる震え出した。


「あそこ!? いやですぅーーーーっ!」

「そんなに酷いの?」


 ラルが首を傾げる。


「酷いも何も、常に荒波を被りまくって全身塩漬けになるんですよ! オウセイ様だって、青褪めて『二度と使わない!』って断言してたじゃないですか!」

「そうも言ってられないでしょ、プラウ!」

「あんなの、道じゃありません!」


 ――道じゃない。


 一体どんな道なんだ。

 グレンもガイアもラルも、最悪の想像をしかけてやめた。自分たちの予感が、そのまま当たりそうだったからだ。


 無言の圧力を受け、ケセナは観念したように息を吐いた。


「『鉄火の門』の真下。海沿いの絶壁を行く」


 やはり、予感は当たってしまった。

 波の砕ける音だけが響く中、グレンとガイアとラルは、示し合わせたようにげんなりと深く項垂れたのだった。

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