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End of the Atonement  作者: 久野 龍
第六章 堕ちていく傀儡
41/60

 ■2■

 街の西端。

 荒れ狂う灰色の海を見下ろす絶壁へ辿り着いたグレンは、岩陰にぽっかりと開いた小さな穴を見下ろし、思わず絶句した。


「……おい、本気か」

「大丈夫。ちょっと狭いだけ」


 先に穴へ入ろうとしたラルが、明後日の方向を見ながら歯切れ悪く答える。


「あたしは、通れる」

「おい、不穏な言い方をするな!」


 思わず言い返したものの、ラルは振り返ることもなく暗い土の穴へ潜り込んでしまった。


 あとに残されたグレンは、重いため息をつき、穴と自分の身体を交互に見比べる。長年の鍛錬で鍛え上げられた屈強な体躯にとって、もはや嫌がらせに近い大きさだ。


「……っ、くそ、狭っ!」


 四つん這いになってなお身を屈めなければ通れない。這って進むたび、ツェヴァンに穿たれた胸の傷が容赦なく痛み、グレンは何度も顔を顰めた。


「ラル、少し風で土を削れないか!?」

「散々掘ったから、嫌」


 エンジから盗んできたばかりの深緑のチュニックが、土の壁に引っかかって無惨に擦れていく。傷の痛みと息苦しさに文句を垂れながら、グレンは泥だらけになって先へ進んだ。

 途中、ラルが妙に楽しそうにしていた気がしたが、たぶん気のせいだろう。

 やがて、長い土の通路を抜ける。


「……っ、ようやく、着いたか……」


 泥まみれのまま洞窟の内部へ転がり出たグレンの頬を、ひやりとした潮風が撫でた。

 ケセナが、どれほど張り詰めた空気の中で身を潜めているのか。

 そう身構えて顔を上げた、その視界へ飛び込んできたのは。


「え、何それ。本当にそんなこと言ったの?」

「おうよ。そしたらあのばーさん、顔真っ赤にして怒り出しやがってよ」


 波の音が響く洞窟の奥で、談笑し、笑い合うケセナと――いるはずのない朱雀族長、ガイアの姿だった。


「ガイアッ!?」


 ありえない人物を見て、グレンは思わず声を上げた。

 その声に弾かれたように、談笑していた二人が同時に振り返る。


「先生!」

「グレンさん!」


 ガイアはすぐに立ち上がり、気安くこちらへ駆け寄ってくる。

 一方、ケセナも立ち上がろうとして腰を浮かせたが――何かに気づいたように動きを止め、再びすとんと岩肌へ腰を下ろした。


 その動きを見た瞬間、グレンの胸の奥がぎり、と軋んだ。


 自分やガイアが駆け寄った時、万が一にも触れてしまうことを恐れたのだ。発作を警戒し、自ら距離を取ることを選んだ。その姿が痛ましかった。


「怪我、大丈夫か? 先生」


 駆け寄ってきたガイアが、深緑のチュニックの隙間から覗く真新しい包帯を見て、真顔で尋ねる。


「……なんでお前が、俺の怪我を知っているんだ」


 グレンが鋭く目を細めると、ガイアは「あー……なんでかなぁ」と白々しく視線を逸らした。


「観ていたのは、お前か?」

「青龍族長の監視者なら、別だぜ?」

「だろうな。お前、時計塔の上で観ていただろう」


 街中での死闘のあと、失血で意識が飛びかけた中でも感じた特異な気配。あれがこの男なら、辻褄が合う。


「まぁ、探してたら見ちまったというか……」


 ガイアはぽりぽりと頭を掻き、少しばつが悪そうな顔をした。


「それで? お前はどうしてここにいる」

「おうよ、このポンコツが俺的にも心配で心配で……」

「ガイア。俺は今、真面目に話している」


 グレンの低い一言に、洞窟の空気がぴんと張る。

 ガイアはしばらく無言で見返していたが、やがて、先ほどまでの気安い表情をすっと消した。代わりに現れたのは、四獣の一角を担う朱雀族長の顔だった。


「……評議会で勅令が出た。『潜伏している最大凶悪戦犯を、抹殺しろ』」

「!」

「俺のところにも伝令が来た。ただ、今のところはファルイーアが単独行動してると認識されてる。先生が連れてるってことは、まだ気づかれてねぇ。……が、刻の問題だな」


 その報告に、グレンは奥歯を噛み締める。


「ついでに、従わなければ『一族皆殺し』だとよ」

「なんだと!」

「えっ……!?」


 あまりにも非道な条件に、背後で話を聞いていたケセナも思わず声を上げた。


「そんなこんなで、各族長が動いてる。ツェヴァンじーさんが直々に来たのもそのためだ」

「族長級でなければ、『兵器』は殺せないと判断したか……」

「そうかもな」


 重い沈黙が落ちる。

 一族の命運を人質に取られているのなら、ガイアがここでケセナを見逃す理由はない。


「……それで」


 グレンは静かに腰の剣へ手をかけた。


「お前はどっちだ、ガイア」


 鋼が鞘を擦る音が響き、グレンは剣を半ばまで引き抜く。


「先生。俺は確かに朱雀の族長だ。けど、その前にこいつの兄貴分でもある」

「そう言って油断させてから殺すか。ケセナを」


 冷徹な言葉とともに、グレンが切っ先を向ける。

 ガイアは深く、重いため息を吐いた。


「俺は、あんたの弟子だぜ?」

「その前に、お前は朱雀の族長だ。背負ってるものが違う」


 一族の命運を背負う重責を、グレンは誰より知っていた。だからこそ情に流される男ではないと、警戒しているのだ。


「……ああ。そうだ。俺には護らなきゃならねぇ民がいるさ。だがな、先生――」


 その時だった。


「ケセナは殺させない」


 グレンが地を這うような声で唸る。


「……随分と血ぃ、登ってんな」


 ガイアが呆れたように呟き、腰の短剣に手を置いた。

 それは他でもない、かつてグレンが叩き込んだ近接用の構えだった。


「ちっと冷えてもらわねぇと、話もできねぇじゃねぇか」


 二人の男が、互いに致命的な距離で武器を構える。

 つい先ほどまで穏やかだった洞窟は、一瞬にして凄まじい殺気で満ちた。岩陰で見ていたラルとプラークルウは、あまりの急展開に固まっている。


 一触即発の、その瞬間。


「待って、グレンさん! ガイアは味方だ!!」


 ケセナが咄嗟に立ち上がり、二人の間へ滑り込んだ。

 極度の接触恐怖を抱える今の彼にとって、大柄な男二人の間に割って入る距離感は致命的だ。下手をすれば腕や肩が触れ、発作を起こしかねない。

 それでも、今は自分の恐怖より、ガイアを庇うことを優先した。


「退け、ケセナ」

「嫌だ!」


 それでも、グレンの切っ先は下がらない。


「師だからわかることはある。こいつは一筋縄じゃ……」

「先生、バカ――――ッ!!」


 鼓膜を劈くような少女の怒声が、洞窟へ響き渡った。


「……ラル?」


 グレンが振り返ると、そこには肩をわなわなと震わせ、ずんずんと足音を立てて近づいてくるラルの姿があった。

 彼女はグレンの前へ立つなり、びしっとガイアを指差し、涙目で吠えた。


「敵が! あんな風に! 穏やかに談笑、する!?」


 ラルも、完全にガイアの味方だった。

 命を狙いに来たかもしれない危険な族長を前に、あろうことか愛弟子が全力で相手を庇い、ついでに自分をバカ呼ばわりしてくる。


 予想外すぎる展開に、グレンは完全に虚を突かれ、剣の行き場を失って固まった。

 その一部始終を少し離れた岩の上から眺めていたプラークルウが、呆れたように肩を竦める。


「黒バカ、あほー」


 最高位の剣精からの辛辣すぎる追撃が、波の音に混じって洞窟へ虚しくこだました。


「……え?」


 己の早とちりにようやく気づいたグレンの、情けない声が落ちたのは、そのすぐ後だった。

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