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End of the Atonement  作者: 久野 龍
第六章 堕ちていく傀儡
40/60

 ■1■

 真っ二つにへし折られた分厚い木扉の残骸に縋りつき、「ああっ、特注の無垢材が……っ」と半泣きになっている家主のエンジをよそに、グレンは砕けた扉の向こうを凝視していた。

 部屋へ押し入ってきた小柄な暴風は、そんな哀れな男の存在などまるで視界に入っていないのか、一直線にグレンのもとへ歩み寄る。


 そして。

 ラルは、寝台の上で木匙を持ったまま固まるグレンに向かって、怒りを露わにして捲し立てた。


「あたしたちが、どれだけ! 心配したと! ……っていうか、何その服! 似合わない! キモイ!!」

「……お前最近、プラウに感化されてないか……?」


 エンジに着せられた黄色のチュニックへの辛辣すぎる評価に、グレンは傷とは別の意味で胸を押さえたくなり、低く呻いた。

 だが、ラルはそんな反応すら無視してさらに一歩距離を詰める。


「一人で街中を駆け回って……っ。『黒い服の男が胸から血を流して倒れてた』とか!」

「ラル、俺は……」

「『路地裏で人攫いに引きずられていった』とか――――っ!!」

「……は? 人攫い!?」


 グレンは思わず素っ頓狂な声を上げた。

 その瞬間、ラルの張り詰めていた緊張がぷつりと切れた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」


 その場にへたり込み、両手で顔を覆ったまま、子供のように声を上げて泣き出す。


「ラル……」


 床へ落ちる大粒の涙。

 いつもは大人びていて、冷静で、少し言葉足らずで、生意気な口ばかり叩く弟子。

 その彼女が、ここまでなりふり構わず泣きじゃくっている。

 自分を囮にして逃がされたあと、この見知らぬ要塞都市で、いくつもの最悪の噂を耳にしながら血眼で探し回ってくれていたのだろう。

 グレンは胸の奥が締めつけられるのを感じ、寝台からゆっくり腰を下ろした。

 その背後で、


「……自分、人攫い扱いされてる……」


 壊れた木扉を『よしよし』と撫でながら、エンジが暗い声でぽつりと呟いたが、グレンは完全に聞こえないふりをした。

 胸の痛みを庇いながらラルの前へ片膝をつき、その小さな身体をただ無言で抱きしめる。


「……ごめんなさい、先生……っ、あたしたちが、弱いから……っ」

「馬鹿を言え。お前たちが無事でよかった」


 グレンの大きな手に背を撫でられ、ラルは黄色のチュニックへ顔を押しつけたまま、さらにしゃくり上げた。

 そんな師弟の再会を、壊れた扉の残骸の上から眺めていたエンジが、鼻をすんっと鳴らして尋ねる。


「それで? その子は?」

「ああ。俺の弟子の一人だ。お前、会ったことなかったか?」

「ガイア族長とキョウには戦場で会いましたが……この子は初めて見ます」

「ああ、そうだったか」


 グレンは小さく息を漏らした。

 ラルを弟子として引き取ったのは、ガイアとキョウが朱雀の地へ戻ったあとだ。エンジが騎士団を離れ、この武器屋を開こうとしていた時期とも重なっている。知らなくても無理はなかった。


「駄目だな。どうも最近、耄碌したらしい」

「いえ。興味のないことへの団長の記憶力の無さは、昔からです」

「…………」


 グレンは、かつての右腕からの容赦ない正論に、ぐうの音も出なかった。

 やがて胸元で泣いていたラルの身体から力が抜け、静かな寝息が聞こえ始める。よほど気を張っていたのだろう。無事を確認し、緊張の糸が完全に切れたらしい。


「……まったく」


 グレンは口元に微かな苦笑を浮かべると、ラルの小さな身体をそっと抱き上げ、先ほどまで自分が座っていた寝台へ寝かせた。

 それから、まだ十分温かい粥の椀を手に取り、何事もなかったかのように食事を再開する。


「…………」


 その一連の流れを呆然と見ていたエンジが、どっこいしょと椅子を引き寄せて腰を下ろした。


「そういう図太さ、本気で見習いたいですよ」

「どうした?」

「ぶち破られた木扉二枚の修理、業者に見積もりを出させるので、きっちり全額払ってくださいね」


 にっこり笑って請求してくる元部下に、グレンは半眼になる。


「……どっちが図太いんだか」


 ------


 グレンが食事を平らげ、二刻ほどの休息を取ったのち。


 エンジは「大工のところへ行って見積もりを出させてきます。店の風通しが良すぎるんで、留守番頼みますよ」と言い残し、蝶番の壊れた木扉の残骸を跨いで外へ出ていった。

 静かになった部屋で、グレンは寝台の傍らへ立ち、眠るラルの赤みがかった金髪をそっと撫でた。


「……怖い思いをさせたな、ラル」


 ぽつりと、本音がこぼれる。

 皮肉にも、ラル自身がぶち壊した店の入り口と私室の二枚の扉の隙間から、大通りの風がまっすぐ吹き込んできた。

 その風が頬を撫でたせいか、ラルが「ん……」と小さく呻き、ゆっくり目を開ける。


「……先生」

「起こしたか。まだ寝てろ」

「そんなわけには、いかない。ケセナも、心配してる」


 ラルは目を擦りながら起き上がった。

 その言葉に、グレンの表情が引き締まる。


「あいつら、無事なのか?」

「無事。今は、街の西側の岸壁にある洞窟に避難してる」

「洞窟?」


 この要塞都市にそんな場所があっただろうか、とグレンが眉をひそめると、ラルは思い出したように付け加えた。


「ケセナが、昔、隠れてた場所だって」

「……なるほどな」


 その一言で、グレンは納得した。

 今のケセナの奥底に眠る『オウセイ』の記憶。五千年前、世界中から追われていた殺人鬼が身を潜めていた場所なら、見つからないのも道理だ。


「行こう」


 早く合流しなければ。

 エンジから押しつけられた『武器屋の店番』という役目など瞬時に脳内から消し去り、グレンはラルを連れて部屋を出ようとして――ぴたりと足を止めた。


「先生?」

「……とりあえず、この気持ち悪い色のチュニックはどうにかするか」


 くるりと踵を返し、グレンは躊躇なくエンジの衣装棚を開け放つ。

 しかし中に入っていたのは、黄色のほかにも紫や、目がちかちかするような謎の模様の服ばかりだった。


「……あいつが女にモテない最大の理由、絶対これだろ」

「窃盗犯」


 弟子の冷たい一言を「あとで金は払う」と都合よく解釈し、グレンは衣装棚の奥底から比較的まともな色合いの深緑のチュニックを引っ張り出した。

 それにさっさと着替えると、ラルと共に武器屋を後にする。


 ――それから半刻後。


 誰もいなくなった、風通しの良すぎる武器屋の店内へ、大工からふんだくってきた修理の見積書を手に、エンジが上機嫌で帰還した。


「団長! 見積もり出ましたよ! きっちり払って――」


 だが、私室には誰もいない。

 代わりに、お気に入りの深緑のチュニックが消え、あの『最高に団長に似合っていたはずの黄色のチュニック』だけが、寝台の上へ無造作に脱ぎ捨てられていた。


 留守番の放棄。

 そして、窃盗。


 その事実を理解した瞬間、エンジの手の中で、高額な修理代が記された見積書が、無惨に真っ二つへ引き裂かれた。


「だーーーんーーーちょおおおおおおおっっ!!!!」


 哀れな元副団長の魂の絶叫が、昼下がりの大通りへ虚しく響き渡った。

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