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どうにか進むべき方角を定め、一行は絶壁を目指して走っていた。
その道中、ケセナは仲間たちから、これでもかというほど手厳しい揶揄を浴び続けていた。
「ケセナ様って、いっつもそう!」
この一星霜ずっと一緒に旅をしてきたプラークルウが、並走しながら呆れ果てた声で断言する。
「ラル、知ってる!? ケセナ様ったら、分かれ道に来るたび『小枝を投げて』進む道を決めてたんですよ! バカでしょ!」
「プラウ、やめてっ……!」
あまりの羞恥に、ケセナは半泣きで懇願した。
「フェルナリアに行く時なんて、散々悩んだ末に自信満々で『行こう、フェルナリアへ!』なんて言ったくせに、結局廃墟へ一直線ですし! それに――」
「もう喋るなー!!」
ケセナは勢い任せに腰袋から小さな球体を取り出し、「あ! ひど……!」と抗議するプラークルウを強制的に中へ収納した。
スッと静かになった空気に、ケセナは心底すっきりした顔で「ふぅ」と息を吐く。
久しぶりにこの球体――プラークルウがくれた、何でも収納できる便利道具――を使った気がして、手の中でころころと転がした。
「……ねぇ、ケセナ」
背後を走るラルが、半眼で問いかけてくる。
「もしかして、絶望的な方向音痴?」
「……ううう」
「そういや、昔も迷子になって……」
今度はガイアまで面白がって過去の失態を掘り返そうとしてきたため、ケセナは「あーーーっ」と大声を上げ、一歩前へ躍り出て聞こえないふりを貫いた。
だが、心はまったくそれどころではない。
グレンが、心配だった。
何度も振り返りそうになるのを堪え、必死に前だけを見る。ラルも同じらしく、時折、深刻な顔で背後を振り返っているのが視界の端に映った。
そうして一行は、ようやく目的の場所へ辿り着いた。
街の西端。
一同は目の前の光景に、思わず唖然とする。
切り立った、正真正銘の絶壁。
眼下には荒れ狂う灰色の海が牙を剥き、轟音を立てて波を叩きつけている。人など到底寄せ付けぬ、自然の要害だった。
「どうやって降りるの、これ」
絶望的な断崖を前に、ラルがぽつんと呟く。
ケセナは「こっち」と短く促し、崖の縁に沿って歩き出した。
少し進んだ先。
岩陰に隠れるように口を開けていたのは、人が一人、這ってやっと通れるかどうかの小さな穴だった。
「おい、これ……」
ガイアが自身の逞しい体躯と穴を見比べ、信じられないという顔で呻く。
「掘ったんだ、俺が」
「いつだよ!!」
ガイアの的確なツッコミに、ケセナは視線を泳がせた。
「……五千星霜前、かな」
「あ?」
「……着いたら、全部話すよ」
それだけ言い残し、ケセナは躊躇なく真っ暗な穴へ身を滑り込ませた。
当然ながら、五千星霜も放置されていた土の穴である。
ところどころ崩落し、道が塞がっている箇所も多い。結果、一行を待っていたのは、這いつくばりながら『掘って進む』という最悪の行程だった。
「……疲れた」
土まみれのラルが、肩で息をしながら不機嫌に吐き捨てる。
「仕方ねぇだろ。俺は火の魔術専門だからな。こんな狭いとこでこれ以上使ったら酸欠で全員死ぬぞ。……ってか狭ぇ! 肩がつっかえる!」
最後尾で灯り代わりの小さな火を指先に灯しながら、ガイアが文句を並べる。
「……ガイアがデカすぎるんだよ……」
「おめぇがちっさすぎんだ!」
前後でぎゃあぎゃあと騒ぐ二人に挟まれ、中央で魔術を行使していたラルが、ぴたりと動きを止めた。
「……あたしに全部やらせておいて。前後でうるさい……っ!」
「だってさ、俺は火力が強すぎて生き埋めになるし、あと、使った後倒れるし、ガイアは――」
「ほんと! 使えない!!」
苛立ちが限界に達したラルの指先から、強烈な突風がケセナの鼻先を掠める。
残っていた土砂を乱暴に吹き飛ばし、道が一気に拓けた。
ようやく長い土の通路を抜け、一行は洞窟の内部へと辿り着く。
絶壁の中腹に穿たれたその空洞の入口からは、荒れ狂う海が真正面に広がっていた。吹き込む潮風が冷たい。
ケセナはその景色を見つめ、静かに息を吐く。
ここはかつて、殺人鬼として世界中から追われていたオウセイが、孤独に怯えながら身を潜めていた場所だ。五千星霜前、彼はここでたった一人、追手の足音に耳を澄ませながら夜を明かしていた。
(……でも、今は)
振り返る。
そこには、泥だらけになって「最悪」と文句を言うラルと、「やっと出られたぜ」と肩を回すガイアがいた。
暗く冷たかったはずの洞窟に、確かな体温と賑やかな声がある。
「とりあえず、休もうか……」
「あんたたち……何もしてないくせに……っ!」
ラルが親の仇のような目で睨みつけてくる。
「……ごめんなさい」
「すまん」
ケセナとガイアは揃って素直に頭を下げた。
ラルがようやく怒りを鎮め、呼吸を整えた頃。
波音だけが響く洞窟の中で、ケセナはガイアへ向き直った。
そして、自分の中に眠る真実を、もう隠さず語り始めた。
オウセイのこと。
ベラルティル家の地下室でのファルイーアのこと。
オウセイとキリエに助けられ、温かい記憶を与えられたケセナのこと。
そして――リュウショウの死の真相と、黒幕であるフィサルーアのこと。
ガイアは途中で一度も口を挟まず、その途方もない話を最後まで聞き遂げた。
だが、フィサルーアの裏切りが語られた瞬間だけは、朱色の瞳に鋭い殺気が走り、握りしめた拳からぎり、と骨の鳴る音がした。
「……先生は、知ってんだな」
すべてを聞き終えたあと、ガイアが低く問う。
「うん。もちろん」
ケセナが頷くと、ガイアは大きく息を吐き、赤い髪をがしがしとかき乱した。
それから、にかっと白い歯を見せて笑う。
「わかった。なら、俺も手伝ってやるよ」
その不敵で、少しだけ乱暴で、底抜けに頼もしい笑顔は――ケセナの、いや、かつてのファルイーアがよく知る、あの頃の友の顔だった。
胸の奥が熱くなる。
ケセナの表情が、ようやく少しだけ緩んだ。
「ほら、お前もそんな辛気くせぇ顔すんな。生きて会えたんだからよ」
ガイアは笑いながら立ち上がり、昔の癖のまま、弟を労うように無造作に手を伸ばした。
ケセナの髪を、がしがしと撫でようとして――
乾いた破裂音が、洞窟の中に響いた。
「……は?」
ガイアが目を見開く。
伸ばした手は、ケセナの頭に触れる寸前で、不可視の風の壁に強烈に弾き飛ばされていた。
弾いたのは、二人の間に割って入ったラルだった。
「な、なんだよ急に……」
戸惑うガイアに向かって、ラルは氷のように冷たい声で言い放つ。
「彼に、触らないで」
その声には、はっきりとした敵意と、彼を守ろうとする悲壮な決意が込められていた。
ガイアの表情から笑みが消える。
家族としての善意を力ずくで拒まれたガイア。
そして、ガイアの善意すらもケセナを傷つけかねないと知っているラル。
最悪の形で二人がすれ違ったその真ん中で、ケセナは先ほどまでの安堵が嘘のように、全身の血の気が引いていくのを感じていた。




