7話 復帰試験へいざ
アルベルトとの離縁が正式に成立したという通知が宿泊先の宿に届いたのは、ジルに魔法士団への復帰を勧められた数日後のことだった。
封筒から取り出した書面には、私たちの名前と、離縁が認められた日付が記されている。私はソファに腰を下ろしたまま、その通知を何度も読み返した。
「……これで、本当に終わったのね」
自分で望んだことなのに、口にするとズキズキと心が痛んだ。
結婚したばかりの頃、彼に名前を呼ばれるだけで嬉しかったことを思い出して、ゆるく頭を横に振った。
(ジルの魔法もすぐに効くわけではなさそうだから、しばらくの我慢ね)
しばらく眺めてから、折り目に沿って紙を畳み、封筒へ戻した。
もう、侯爵夫人として私がするべきことはない。これからどこで、何をして暮らしていくのか、自分で決めなければならない。
そこで浮かんだのは、返事を待ってくれているジルの顔だった。
五年も現場を離れていたのだ。昔のように働ける自信なんてないし、戻ったところで迷惑をかけるだけかもしれない。そう考えて、ずっと答えを出せずにいた。
けれど、やっぱり魔法士として働くというのは魅力的な誘いだった。
知らない魔法を覚えたり、難しい課題を前に同僚と頭を抱えたり。忙しくて大変だったけれど、自分の功績がちゃんと評価されるのが好きだった。
(……よしっ)
人生思い切りも大事よね。
いつまでも落ち込んでばかりはいられない。もう一度魔法士として働いて、自分の力で暮らしていこう。
アルベルトのことを思い出さずに過ごせる日も、いつか来るはずだ。
私は机に向き直ると、新しい便箋を取り出した。
宛名にジルの名前を書き、その下に『復帰試験を受けたいと思っています』と続ける。すると、迷っていたのが不思議なくらい、決意が固まっていく。
数日後、試験の案内が宿に届いた。本当に魔法士に戻るための一歩を踏み出したのだと実感し、ぞわぞわと緊張が広がっていった。
◇
「まさか、こんなに見物人がいるとは思わなかったわ」
試験のために訓練場に足を踏み入れた私は、周囲の観覧席を見上げて呟いた。
円形の訓練場を取り囲むように、紺色の制服を着た魔法士たちが並んで座っている。空席を探す方が難しいほどで、だんだんと緊張してくる。
「すみません。先輩が復帰試験を受けると、どこからか広まったようです」
「あなたが話を大きくしたのではなくて?」
「俺は数人にしか話していません」
ジルが嘘をついているようには見えない。
とはいえ、王立魔法士団を五年前に辞めた元侯爵夫人が、筆頭魔法士の推薦で復帰試験を受けるのだ。興味を持たれるのも無理はなかった。
「筆頭の推薦なら、試験など形だけでは?」
「五年も魔法を使っていないと聞いたぞ」
ひそひそと交わされる声が、嫌でも耳に入る。
その時、観覧席の前列で、こちらをじっと見つめている若い女性魔法士がいた。
縦ロールの栗色の髪を二つに結んだ姿は可愛らしいけれど、その表情はあまり友好的とは言えない。私と目が合うと、彼女はなぜか睨むようにこちらを見つめてきた。
「あ、あの子、ジルの知り合い?」
「ああ、俺の後輩ですよ」
「へぇ……」
今やジルは、絶世の美男子兼魔法士団筆頭だ。ぽっと出の侯爵夫人がコネで試験を受けに来るなんて、さぞかし面白くないだろう。
「静かにしろ!」
その時、低い声が響き、ざわめきがぴたりと止まる。
訓練場の中央に立っていたのは、オズワルド・ベルナー団長だった。
背が高く、がっしりとした体格も相まって、腕を後ろで組んで立っているだけで周囲を圧倒するような迫力がある。
「久しぶりだな、エレナ」
「ご無沙汰しております、オズワルド団長。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「先に言っておく。昔優秀だったことと、今使えることは別だ。ジルに何を言われて来たのか知らんが、使えないと判断すれば容赦なく落とすからな」
むしろ、私はその言葉にほっと安堵した。
今の私を見て判断してもらえるのであれば、結果がどうなっても受け入れられる。
試験の準備が進められる中、用意してもらった杖を受け取ると、私は握り具合を確かめるように指を動かした。
自分の杖は魔法士団を離れた時に手放してしまったため、今日は訓練用のものを借りることになっている。
ペンからインクが押し出すように、魔力を込めて動かすと杖の先から光の線が描かれる。魔法士はその線で魔法陣を描き、魔法を発動させるのだ。
試しに空中へ短い線を引いてみたものの、思っていたよりも太い光の線が残った。
(少し使いづらいわね)
魔法陣を描くための杖は、長く使ったものほど手に馴染む。新しいペンでいつもの字がうまく書けないように、慣れない杖では魔力の加減も難しいのだ。
「試験は一つだけだ。あれを見ろ」
団長が示した先には、鳥籠が置かれていた。中にいるのは、手のひらに乗るほどの小さな銀色の鳥だ。
羽を整える仕草は本物そっくりだけれど、胸元には小さな魔石が埋め込まれている。どうやら、魔法で動くものらしかった。
「今から、この場に銀の鳥を放つ。砂時計が落ちきるまでに、こいつを籠に戻せ。ただし、傷つけたら失格だ」
訓練場には屋根が付いているから、鳥がここから逃げ出すことはないけれど、この広い空間で小鳥を追うのはなかなか骨が折れそうである。
「捕まえ方に決まりはありますか?」
「ない。無傷で戻せればいい」
鳥籠のそばに大きな砂時計が置かれ、ジルは私から離れていく。途中で振り返った彼は、緊張している私に小さく微笑んだ。
「一緒に働けるのを楽しみにしてます」
「……まだ、合格するかわからないわよ」
「先輩なら、大丈夫ですよ。絶対に」
ジルは余裕たっぷりの笑みでそんなことを言ってのけるけれど、私は全然自信なんかない。
そうこうしているうちに準備が整ったようで、団長が鳥籠に手をかけた。
「では、始め!」
砂時計が返されると同時に、銀の鳥が勢いよく飛び出した。
窓から差す日の光を受けて、羽がきらりと輝く。鳥は明るい窓辺をひと回りすると、今度は私の頭上に飛んでくる。
(傷つけずに捕まえるなら、柔らかい網で包んでしまうのがよさそうね)
私は鳥を見上げながら、杖の先で空中に円を描いた。内側に必要な文字を書き込んでいくと、魔法陣が形になっていく。
だけれども、使い慣れていない杖というのは本当に書きづらい。
何度もやり直して魔法陣を完成させた時、ちょうど捕まえてくれと言わんばかりに鳥が目の前まで来ていた。
「チャンスだわ!」
しかし、魔法陣から広がった光の網を見て、銀の鳥がくるりと身をひるがえす。素早く逃げられてしまい、私は唇を噛んだ。
「……速いのね」
呟いた私の頭上で、鳥が尾羽を揺らす。
悠々と飛んでいるその姿が、なんだか挑発しているように見えてしまって、何とも言えない気持ちになる。
今度は鳥の動きにも気を配りながら魔法陣を書き込んでいると、天井近くにいた鳥がこちらを向いた。
私が杖を動かすのに合わせ、小さな頭が右へ左へと動く。
(もしかして、どんな魔法を使うか見ているの?)
魔法陣を読んで逃げる鳥だとしたら、ずいぶん厄介な試験だ。そんなことを考えながら最後の線をつなぐと、こちらに近づいていた鳥は、網が広がるなりさっと横に逃れてしまった。
「ああ、また……」
「素早いから全然捕まらないな」
観客席から声がして、杖を握る手に力が入った。
二回とも、魔法陣を描いている間は近くまで寄ってきていたのに、いざ網を出した途端にタイミングを見計らったかのように逃げられてしまう。
焦って砂時計を見ると、思ったよりも砂が落ちていることに気が付いた。こうしている間にも、試験の終了時間は刻一刻と迫ってきている。
借り物の杖だから仕方がない、なんて言い訳はできない。
次の魔法陣を描きかけたところで、ふとジルと目が合った。
『がんばれ』とそう口を動かしているように見えた。後輩に格好悪い姿なんて見せられないと、私は握りしめていた杖を持ち直す。
まだ時間はある。闇雲に網を出す前に、少し考えよう。
ゆっくり杖を動かすと、銀の鳥がまたこちらに顔を向けた。鳥は逃げずに、描きかけの円に近づいてくる。
(……まだ、魔法陣を描くかどうかはわからないはずなのに)
私は円の続きを描かず、空いた場所に短い線を引いた。
すると、鳥の顔が、そちらを向いた。もう一本、少し離して線を引くと、今度もそちらへ首を傾けた。
「おい、どうしたんだ。お絵かきが始まったんだけど」
「諦めたんじゃないか?」
そんなギャラリーの野次が飛んでくるけど関係ない。
私は、一通り鳥の動きを確認したあと、書きかけの魔法陣を消してみる。すると、鳥は一目散に明るい窓辺に飛んでいくではないか。
「……なるほど」
オズワルド団長のことだから一筋縄ではいかないと思っていたけれど。
私は、分かってしまったのだ。
この試験の狙いが。




