6話 もう一度、魔法士になりませんか
「……ん」
目を覚ますと、見覚えのない天井があった。
ふかふかの羽毛布団に、窓から差し込む朝日。ずいぶんと立派な部屋だが、少なくとも私が泊まっている宿ではなさそうだ。
(……ここ、どこ?)
昨夜は五年ぶりに再会したジルと酒場へ行って、それから――。
「先輩! おはようございます!」
突然聞こえた声に、私はぎょっとして振り返った。
そこには、白いシャツに黒いズボンという、随分とくだけた格好のジルが立っていた。
「……ジル? どうしてここに?」
「俺の家ですからね!」
「…………ええっ!?」
勢いよく起き上がった途端、頭にずきんと痛みが走った。
どうやら昨夜、私は酒場で酔いつぶれてしまったらしい。宿の場所を聞いてもまともに答えられなかったため、ジルが自宅へ連れ帰り、客間で休ませてくれたのだという。
「ご、ごめんなさい! 迷惑をかけたわね……」
「全然! 先輩をお姫様抱っこできて、俺は嬉しかったですよ」
「お、お姫様抱っこ!?」
なんということだろう。五年ぶりに再会した後輩の前で酔いつぶれた挙句、抱きかかえられてしまうなんて。
本当に、穴があったら入りたい。
「あっ、そうだわ! 昨日のお酒代、私、払っていないでしょう?」
「俺が払っておきましたよ」
「それなら返すわ。いくらだった?」
慌てて鞄に手を伸ばすと、ジルが笑いながら首を振った。
「いりませんよ。俺から誘ったんですから」
「でも、あんなに飲んだのに……」
「昔は先輩に何度も奢ってもらいましたし。たまには後輩に格好つけさせてくださいよ」
そんなことを言われてしまうと、強く出られない。
「ちなみに、昨日の記憶ってありますか?」
「……残念ながら、ぼんやりとしか覚えてないのよね」
申し訳なさそうにそう言えば、なぜかジルはほっとしたような顔をして部屋を出て行った。
身支度を整えてから食堂へ向かうと、ジルが朝食を用意してくれていた。
焼きたてのパンとこんがり焼けたベーコンと目玉焼き、野菜のたっぷり入った温かいスープ。どうやら一人暮らしが長いおかげで、料理もすっかり得意になったらしい。
「すごいじゃない! 昔は卵を爆発させたこともあったのに」
「先輩、いつの話してるんですか……」
呆れたようにそう言っているわりに、ジルは嬉しそうに目を細めた。
「やっぱり、先輩は笑ってる方がいいですね」
「もう。朝から調子のいいことばかり言って」
そう言いながらスープを口に運ぶと、じっくりと煮詰めた野菜の味がして驚いてしまった。
「美味しい!」
「嬉しいな。もっと褒めてください」
あまりにも得意げなので、つい昔のように頭を撫でてしまいそうになる。
けれど、昨夜のことを思い出して慌てて手を引っ込めた。
(……そういえば、変なことを言われたような?)
確か、もっと触ってほしくなるとか、恋心を忘れる魔法をかけてあげるとか。
急に顔を近づけてきたときなんて心臓が止まるかと思った。あれは、酔っ払った私の夢だったのだろうか。
「それで、先輩。これからどうするつもりですか?」
食事をしながら、ジルが尋ねてきた。
私は、しばらく宿に泊まりながら仕事を探すつもりだと答えた。魔法は使えるのだから、魔道具屋でも家庭教師でも、何かしら働き口はあるだろう。
けれど、ジルは不思議そうに首を傾げた。
「だったら、魔法士団に戻ってくればいいじゃないですか」
「……え?」
あまりにもさらりと言われ、私は思わず目を瞬いた。
魔法士団は、魔物の駆除から王族の護衛までを担う精鋭部隊だ。昔はそれなりに出世街道を歩んできた私だけれど、今でも通用するとは限らない。
「無理よ。辞めてから五年も経っているのよ? 魔法だって随分進歩しているでしょうし……」
「そうですね。今は簡単な魔法なら、魔法陣盤を杖にはめ込むだけで発動できますし」
「……何ですって!?」
ジルの言葉に、がたんとテーブルから立ち上がって身を乗り出してしまった。
「魔法陣を描かなくていいの!? どの魔法なら使えるの? 魔力の消費量はどれくらい違うの?」
「せ、先輩、落ち着いてください!」
落ち着いていられるわけがない。私が魔法士だった頃は、杖で魔法陣を描くのが当たり前だった。それが、今では専用の道具で発動できるというのだから驚きである。
できることなら、今すぐにでも実物を見てみたい。
「……ふふ」
「何よ?」
「いえ。やっぱり先輩は、魔法が好きなんですね」
(仕方ないじゃない……)
侯爵夫人だった五年は、ほぼ魔法に無縁の生活をおくってきた。久々にこんな話ができて嬉しくなってしまったのだ。
ただ年甲斐もなく子どもみたいにはしゃいだのは恥ずかしいので、おずおずと椅子に座り直しながら言う。
「そりゃあ、好きよ。ずっとやっていた仕事だもの。でも、五年の空白は簡単には埋められないわ」
当然というべきか、魔法士になるための試験はかなり難しい。実技試験もさることながら、筆記試験なんて何十年かかっても合格しない人がいるほどだ。
今さら、そんな必死になって勉強できる気もしないし――。
「だったら、復帰試験を受ければいいんですよ」
「なにそれ?」
なんでも、退団した魔法士が、現在も現場で通用するかを確かめる試験らしい。実技にさえ合格すれば、もう一度魔法士団へ戻れるのだという。
そんな制度ができていたとは知らなかった。
(……もう一度、魔法士に)
そう考えると胸が高鳴ったが、すぐに別の不安が浮かんだ。
「でも、筆頭魔法士のあなたに誘われて受けるなんて、不正を疑われないかしら」
「それなら大丈夫ですよ。試験官はオズワルド団長ですから」
「……あの鬼団長!?」
思わず声が裏返った。
オズワルド団長は、私が所属していた頃から実力の足りない者には容赦がない人だった。あの人が試験官なら特別扱いなど望めるはずもない。
「それじゃあ、ますます無理そうね……」
「先輩」
そこで、ジルが真面目な顔になった。
「どうして無理だと決めるんですか? 先輩が俺に教えてくれたんですよ」
夜空のような藍色の瞳が、私を見つめる。
「『自分には無理だと決めるのは、できることを全部試してからにしなさい』」
「…………」
それは、かつて泣きじゃくっていたジルを励ますため、何度も言い聞かせた言葉だった。昔の私もなかなか鬼だったなと思いつつ、ふと気が付く。
「……まさか、覚えていたの?」
「当たり前じゃないですか。先輩に言われたことは、全部大切な言葉ですから」
ジルは照れくさそうに笑った。
あの頃は、泣いてばかりいた後輩をどうにか励ましたくて、必死だった。それなのに、五年も経った今、まさか自分の言葉に励まされるなんて。
「それに、俺はまた先輩と一緒に働きたいんです」
あまりにさらりと言われたので、返事に困ってしまう。
「先輩、復帰試験、受けてみてくださいよ。先輩が魔法を使っているところ、俺、もう一度見たいんです」
「……ジル」
「それに、俺の格好いいところも、もっと見せたいですし」
悪戯っぽく笑った彼の口元から牙のような八重歯が覗く。
五年前、アルベルトと結婚するために手放した、大好きな仕事。もう魔法士に戻りたいと思う日が来るなんて、考えもしなかった。
(……試してみるくらいなら、いいのかもしれない)
ジルは、魔法士のローブを羽織って食後の紅茶を飲み始めたので、私も食器を片付ける。いつまでも、彼の家に居座るわけにはいかないと立ち上がったところで、ふと昨日のことを思い出した。
「――ところで、昨日の『恋心を忘れる魔法』ってなに?」
「ぶぶっ」
その言葉に、ジルは盛大に紅茶を噴き出した。そのまま、ゲホゲホと咳き込むものだから、慌ててハンカチを彼に差し出す。
「…………覚えてたんですか」
涙目で恨めしそうに見つめられたけれど、昨夜の記憶がすべて残っているわけではない。
「なんとなくだけど。あなたが開発した魔法だとか……。そんな術式、聞いたことがないんだけど」
ジルはしばらく黙っていたが、やがて観念したように口を開いた。
「……はいはい、そうですよ。俺が開発した魔法です。先輩がかけてほしいって言うから、昨日かけてあげました。これで侯爵様への恋心も、そのうちきれいさっぱり忘れます!」
「本当に!?」
なんだか若干やけくそに言い捨てられた気もしなくもないけれど、冗談ではないらしい。
魔法士団を辞めてから五年。魔法陣盤が開発されたくらいなのだから、私の知らない魔法が生まれていてもおかしくない。
「すごいわ、ジル! どういう仕組みなの? 感情だけに作用する術式? それとも記憶そのものに干渉するの?」
「…………」
「ねえ、魔法陣だけでも見せてもらえないかしら!」
「もう帰ってください! この二日酔い魔法オタク!」
「なんで怒るのよ!?」
ジルは真っ赤な顔でそっぽを向いてしまった。まったく、仕組みを教えたくないなら最初からそう言えばいいのに。
――それにしても、恋心を忘れる魔法だなんて。
(なんて画期的な発明なのかしら!)




