41話 ずっと隣にいて欲しい
パン屋を出たあと、私たちは王都の外れにある小高い丘に向かった。
緩やかな坂道を上りきると、眼下には王都の街並みが広がり、その向こうには空へ届きそうなほど大きな世界樹が見えた。
陽が傾き始めた空は淡い茜色に染まり、世界樹の葉が、光を反射してきらきらと輝いている。
「綺麗ですね」
「ええ。一度、ここから世界樹を見てみたかったの」
景色を眺めるために選んだ場所だったけれど、いざ二人きりになると、急に緊張してきた。
隣にいるジルに目を向けると、彼は何も急かさず、私が話し始めるのを待ってくれている。
私は胸元に手を当て、一度大きく息を吸った。
「告白の返事をしようと思って」
「告白……」
ジルが繰り返したところで、私の意図に気がついたらしく「えっ」と声を上げて固まった。
「もしかして、忘れていたの?」
「忘れるはずがないでしょう。ただ、今ここで聞けるとは思っていなかったので……」
「……待った方がいい?」
「いいえ。もう一思いに殺してください!」
ジルはそう答えると、緊張を隠すようにぎゅっと目を瞑った。
普段はずいぶん余裕があるように見えるのに、それを隠していたのかと思うととてもかわいいと思ってしまう。
「私、ずっとアルベルトを忘れられないのだと思っていたわ」
ジルは何も言わず、私の言葉に耳を傾けている。
「確かに、好きだったの。優しくしてもらったことも、一緒に領地を守ろうとしたことも、私にとっては大切な思い出よ」
その気持ちまで否定してしまえば、五年間を必死に生きてきた自分まで否定することになる。
「でも、私が好きだったのは、思い出の中にいるアルベルトだったのだと思う」
もちろん変わってしまったのは、アルベルトだけではない。
私も、侯爵夫人だった頃の私とは違う。魔法士団に戻り、新しい仲間と出会い、自分の意思でこれからの人生を選びたいと思うようになった。
「忘れる必要なんてなかったのね。好きだった気持ちは思い出として残したまま、前に進んでもよかったの」
「先輩……」
「だから今度は、今の私が、これから誰と一緒にいたいのかを考えたの」
ジルの表情が強張る。
答えを待つ藍色の瞳には、不安が滲んでいる。
「ジルと一緒にいると楽しい。避けられたときは寂しかったし、危険な目に遭えば心配になる。これからも一緒にパンを食べたり、綺麗な景色を見たりしたいと思っているわ」
一つずつ言葉にするたび、自分の気持ちがはっきりしていく。
ジルは、頼れる先輩だった私も、離縁して自信を失っていた私も、魔法士として失敗した私も、迷いながら前へ進もうとする今の私も――すべてを見て、そのうえで好きだと言ってくれた。
だから。
「私は、ジルが好きよ」
ようやく伝えられた。
けれど、ジルは何も答えずに、呆然としたまま私をじっと見つめている。
「ジル?」
「……すみません。今、先輩が何と言ったのか、もう一度聞いてもいいですか?」
「何度も言わせるつもり?」
「とても、信じられなくて……」
ジルの声が震えていた。
こんなにも余裕を失っている彼を見るのは初めてで、なんだかくすぐったくなる。
「ジルが好き。可愛い後輩としてではなく、一人の男性として、あなたのそばにいたいと思っていて……」
続きを言い終わる前に、強く腕を引かれた。そのまま胸元に抱き寄せられて、息が止まりそうになる。
「ジ、ジル……? 苦しいわ」
「すみません。でも、今だけは我慢してください」
ジルは腕の力を緩めなかった。耳元で聞こえる呼吸は乱れ、私の肩に顔を伏せたまま動こうとしない。
「どれだけ、この言葉を待っていたと思っているんですか」
「待たせてしまって、ごめんなさい」
「……もう一生、先輩には振り向いてもらえないのかと思った」
やっと解放された私は、ジルの顔をみつめた。笑っていたけれど、藍色の瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。
「俺も、先輩が好きです。これから先の先輩も、ずっとそばで見ていたい」
ジルの手が、私の頬にそっと触れる。
「先輩。キスしてもいいですか?」
こくりと頷くと、唇に柔らかなものが触れた。
ほんの短い口づけだったのに、触れたところから熱が広がり、心臓がうるさいほど大きく鳴っている。
ゆっくりと離れたジルも、耳まで赤くなっていて、自分の口元を確かめるように何度もなぞっている。
「……もっと格好よくできると思っていたんですが」
そんなことを言うけれど、可愛くてとても愛おしいと思う。だけど口に出したらジルは怒りそうだから、黙っていることにした。
「先輩。これからは、同じ景色を見ていてもいいですか?」
「ええ。私の隣で見ていて。ずっと」
二人で並び、夕日に染まる世界樹を見つめる。
つないだ手を握り返すと、ジルも応えるように指に力を込めた。
そのとき、世界樹の方角から一枚の銀色の葉が風に乗って飛んできた。
きらきらと光を零しながら私たちの周りを舞っていく。まるで新しい門出を祝福してくれているようで、私たちは顔を見合わせて笑った。




