39話 さようなら、アルベルト
「アルベルト・クライン。あなたは結界に異常が起きていると知りながら、その事実を王家と魔法士団に報告しませんでした」
「それは……」
「擬態魔に騙されたこと自体を、罪に問うつもりはありません。ですが、その女性が結界を壊したのではないかと疑いながら、領民よりも彼女を守ることを選んだ。それは、あなた自身の判断です」
アルベルトは俯いたまま、ぐっと下唇を噛んだ。
「結界が完全に失われていれば、クライン侯爵領だけではなく、周辺の町や村にも甚大な被害が出ていたでしょう。領民を守るべき立場にありながら、その責務を放棄したことは見過ごせません」
女王陛下の声は穏やかだったけれど、反論を許さない厳しさがある。静まり返った室内に、凛とした声が響いた。
「よって――あなたから侯爵位と領地の管理権を剥奪します。領地はしばらく王家の管理下に置き、あなたには王家の管理する離宮での謹慎を命じます」
厳しいその処分に驚いたけれど、彼のやったことを思えば当然ではあった。貴族たちも異論はないようで、深く頷いている。
アルベルトは顔を上げ、信じられないというように女王陛下を見つめた。
「わ、私がいなくなれば、領地は混乱します。あの土地のことは、私が一番よく分かっているのです」
「本当にそうかしらね?」
女王陛下の視線が、私に向けられた。
「エレナ。王宮からも新たな管理者を派遣するけれど、領地が安定するまで、あなたにも補佐を命じます」
「わ、私が、ですか?」
まさか私に話を振られるとは夢にも思っておらず、声が裏返ってしまう。
「あなたは、領地と侯爵家の実務を担っていました。あなた以上に適任の者はいないでしょう」
まさか、再び侯爵領に関わることになるとは思っていなかった。驚いている私に、女王陛下は少しだけ表情を和らげる。
「もちろん、王立魔法士団の仕事を優先し、支障のない範囲で助言をしてもらえれば十分です。王家から正式な役目として命じる以上、働きに応じた報酬と権限も与えます」
魔法士として働きながら、大好きだった領民や使用人たちの力になることができる。とても理想的な着地点に思えて、私は食い気味に返事をする。
「承知いたしました。お引き受けいたします」
「よい返事です」
女王陛下は満足そうに頷いた。しかし、アルベルトはそうではならしい。
「ど、どうしてですか。エレナが領地を管理するのなら、私も――」
藁にもすがる思いで口を開いたアルベルトを、女王陛下が冷たい声で遮った。
「勘違いしないように。エレナへ領地の補佐を命じることと、あなたへの処遇には、何の関係もありません」
「だ、だけど、エレナも五年間、一緒に領地を守ってきたことは覚えているだろう? 夫婦としてやってきたじゃないか!」
アルベルトは、私に助けを求めるような目を向けている。
「君からも説明してくれ。私は、穏便に済ませたかっただけなんだ。私が領民を大切にしていたことを、君は知っているだろう?」
確かに、以前のアルベルトは自分よりもずっと領地を大切にしていた。そんな彼を見ていたからこそ、私は好きになったのだ。
「……私は、あなたを愛していました」
アルベルトが目を見開く。
「それなら、もう一度――」
「ですが、私が愛していたのは、領民を大切にし、領主として責任を果たそうとしていた頃のあなたです……あなたは、変わってしまいました」
「では、君は変わっていないと言えるのか?」
「いいえ。私も変わりました」
その答えに、アルベルトが不意打ちを食らったように黙り込んだ。
ごめんなさいね。残念ながら、もう貴方に縋るような私ではないのです。
「私は、自分が幸せだと思う生き方を見つけたんです」
「エレナ……君が必要なんだ……」
「あなたが必要としているのは、私ではありません」
アルベルトを真っ直ぐに見つめる。
「領地と屋敷の仕事を代わりに引き受け、困ったときには何も言わず助けてくれる、都合のよい妻です――さようなら、アルベルト」
騎士に促され、アルベルトが立ち上がる。何度も私を振り返りながら連れていかれる姿を見ても、引き止めたいとは思わなかった。
扉が閉まって、足音が遠ざかっていく。
「あらあら、エレナも言うようになったわね」
「……申し訳ございません」
「なぜ謝るの? 褒めているのよ。以前会った時よりも、今の方がずっとよい顔をしているわ」
女王陛下は、そのとんでもなく整った顔に親しげな笑みを浮かべた。そんな方に褒められると、どうにも照れくさくなってしまう。
「ところで――確認なのだけれど、あなたは今更伯爵家のご令嬢として生きていく気はないのでしょう?」
(……???)
突然実家の話を持ち出され、私は戸惑いながらも頷いた。実家の伯爵家では、特別冷遇されていたわけではないけれど、離縁した時も頼れなかったし、この歳になって家名に頼る気もさらさらない。
「はい。魔法士としての暮らしがありますので」
女王陛下はその言葉に、意味ありげに微笑んだ。
「領地が落ち着いたあと、功績にふさわしい立場について改めて話しましょう。王家直轄地が手に余るので、困っているところなのよ」
それが何を意味するのか、すぐには分からなかったけれど、周囲にいた貴族たちは何かを察したらしく、小さくざわめいている。
「今日はもう下がりなさい。オズワルド、皆には休暇を与えてあげて」
「言われなくても、そのつもりですが」
「あなたもよ、オズワルド。一体いつになったら、お休みを取って私とお茶をしてくれるのかしら」
「……こんなところで、私的なお話はお控えください」
「あら、今さらでしょう?」
女王陛下は楽しそうに笑い、団長は困ったように眉間を押さえた。
(もしかして、お二人は私が思っている以上に親しい関係なのかしら……?)
不思議に思って二人を見比べると、団長に気づかれ、早く行けと言わんばかりに手を振られた。
私とジルは陛下に深く頭を下げ、揃って部屋を出る。
長い廊下を歩いていると、隣にいたジルがこちらを気遣うように覗き込んだ。
「先輩、パン屋に行きませんか。お腹がすきました」
「確かに、すっごくペコペコだわ!」
なんだか、意外とあっけない終わり方だったなぁと思いながら、私は大きく伸びをした。




