38話 あなたが愛していたのは、誰?
事件が片づいてから、一週間ほどが経った。
例の擬態魔の詳しい報告と事情聴取のため、関係者全員が王宮に呼ばれることとなった。
私とジル、オズワルド団長が通されたのは、王宮の奥にある会議室だった。
そうそうたる貴族たちが集まり、長い机の上には今回の事件に関する資料が並べられている。
その上座には、女王陛下が座っていた。
細身の身体を包む深い紫色のドレスも、頭上に輝く宝石の冠も陛下の前では霞んで見えるほど、彼女自身が華やかなオーラを纏っている。
私たちが揃って頭を下げると、女王陛下は手元の資料から顔を上げた。
「あら、オズワルド。久々ね」
「一週間前にお目にかかったばかりですが」
「それでも、随分と久しぶりに感じるのよ」
「その一週間、誰から命じられた仕事に追われていたとお思いですか?」
「あら、私ね。ご苦労さま」
女王陛下は悪びれる様子もなく、にこりと微笑んだ。
(この二人って仲良しなのかしら?)
団長は苦々しい顔を浮かべながら一礼した。知らない人が見れば驚きそうなやり取りだけれど、どうやら二人にとっては珍しいことではないらしい。
「エレナもジルも、無事で何よりです」
「お心遣い、ありがとうございます」
私たちがもう一度頭を下げると、女王陛下は満足そうに頷いた。
けれど、次に資料に目を落としたとき、その表情からすうっと笑みが消える。
「――では、始めましょうか」
室内の空気が張り詰めた。やがて扉が開き、二人の騎士に挟まれたアルベルトが入ってきた。
事件から今日まで、彼は王宮の一室で軟禁されていた。
両手には縄が掛けられており、服装も簡素な白いシャツである。この一週間、ろくに眠れていなかったのか、目の下には濃い隈ができていた。
まるで罪人のようなその姿に思わず目を逸らしたくなってしまう。
「クライン侯爵」
女王陛下が彼を見据える。
先ほどまでオズワルド団長と軽口を交わしていた人物と同じとは思えないほど、その声は氷のように冷たい。
「あなたが隠していた結界の異常と、その結果については、すでに報告を受けています」
「誤解です! 私はただ、領民を混乱させたくなかっただけなのです!」
「本当に恐れていたのは、領民が混乱することではなく、あなたの妻が疑われることではありませんか?」
アルベルトは何も答えられず、縄を掛けられた両手に視線を落とした。
「あなたの判断によって、多くの領民が危険にさらされました。その責任については、あとで改めて話しましょう」
女王陛下は手元の資料を閉じると、奥にある扉に目を向けた。
「その前に、あなたがミレーユ・オルタンだと信じていた女性について、確かめなければならないことがあります」
陛下の合図を受け、閉ざされていた扉がゆっくりと開かれた。
女性魔法士に付き添われ、誰かが部屋に入ってくる。
不安そうに周囲を見回しながら足を踏み入れたのは、ミレーユ様だった。先日、取り乱していた時よりも、ずっと顔色がよく、元気になったことが分かってホッとする。
「ミレーユ……」
アルベルトの掠れた声が聞こえた。
彼は椅子を倒しそうな勢いで立ち上がり、縄を掛けられた両手を彼女に伸ばす。
「ミレーユ! 私だ、アルベルトだ!」
「アルベルト様……?」
ミレーユ様は驚きよりも怯えの方が勝ったような表情で、目を細めた。
「君なら、私のことが分かるだろう? 私たちは幼い頃から互いを想っていた。あの女は偽物だったが、君は本物なんだろう?」
騎士に肩を掴まれても、アルベルトは必死に彼女に近づこうとする。
「ようやく本物の君に会えた。これで、また二人で――」
「お、お待ちください」
ミレーユ様は戸惑いながらも、はっきりと彼の言葉を遮った。
「確かに、アルベルト様とは結婚前まで友人として親しくさせていただいておりました。ですが、私はあなたと将来を約束した覚えはございません」
「何を言っているんだ。君はずっと私を想っていたと話してくれただろう?」
「そのようなことは、一度も申し上げておりません」
「前の夫とは家同士の都合で結婚させられたと。つらい結婚生活を送りながら、私のことを忘れられなかったと……」
アルベルトが言葉を重ねるほど、ミレーユ様の顔から困惑が消えていく。
代わりに浮かんだのは、はっきりとした嫌悪だった。
「亡くなった夫との結婚は、誰かに強制されたものではございません」
ミレーユ様の声には、怒りが籠っている。
「夫は、私を大切にしてくださった優しい方でした。私はあの方を愛しておりましたし、亡くした今も、その気持ちは変わっておりません」
「嘘だ……」
「嘘ではございません」
「そんなはずはない。ミレーユはっ! 本物のミレーユは、そんなことを言わないんだ!」
アルベルトの叫び声が室内に響いた。
「本物のミレーユは、そのようなことを言わない、ですか」
女王陛下が、痛ましいものを見るようにアルベルトに目を向ける。
「ですが、目の前にいる本人が、今はっきりとそう話したでしょう?」
「違います。彼女は昔から、私を――」
「それなら、あなたが愛していたのは、今のミレーユ殿ではないのでしょう」
アルベルトが息を呑む。
「あなたが愛していたのは、彼女の姿をして、あなたの望む言葉を与えてくれた虚像です」
落ち着いた声だったけれど、その言葉はどんな叱責よりも強く、アルベルトに突き刺さったのだろう。
彼は何も言えなくなり、力を失ったように椅子に座り込んだ。
そんなアルベルトの姿を見ながら、私はかつての自分を思い出していた。
私も、昔のアルベルトを忘れられなかった。
夫婦になったばかりの頃、慣れない私を気遣ってくれたこと。領地のために力を合わせ、穏やかに笑い合ったこと。
いつか、あの頃のように私を見てくれるのではないかと期待し続けていた。
けれど、人は変わっていく。
変わっていく相手に勝手に期待して、勝手に失望するのではなくて、ありのままの自分も相手もまるごと愛せたら素敵だなと思う。
そして、そんな相手と出会えたら――。
ふと、隣にいたジルと目が合った。
サファイアのようなその瞳に、不思議と穏やかな気持ちになる。
「ミレーユ殿。つらいことを尋ねて申し訳ありませんでした」
女王陛下の声に、私は正面に向き直った。
「あなたがこの事件に関わっていないことは、これまでの調査と今の証言で十分に確認できました。今後は、王家の名においてあなたの身の安全と名誉を保証します」
「お心遣い感謝いたします、女王陛下」
ミレーユ様は深く頭を下げ、女性魔法士に付き添われて部屋を出ていった。
扉が閉まるまで、アルベルトは彼女の背中を見つめ続けていた。女王陛下は、そんな彼に冷たい視線を戻す。
「さて、クライン侯爵」
手元に置かれていた最後の書類が開かれた。
「あなたへの処分を言い渡しましょう」
アルベルトの顔が段々青ざめていく。




