34話 侯爵夫人を追って
ジルの言葉が何を意味するのか理解した瞬間、背中にぞわりと冷たいものが走った。
「それでは、夜会にいたミレーユ様が……」
その先を口にするのが恐ろしくなり、言葉が続かない。
もし、ジルの考えが正しいのなら。
私に正妻の座を譲るよう迫り、離縁に追い込んだのも。アルベルトと今日まで夫婦として暮らしてきたのも――。
(確かに、知能の高い魔物は人間を騙すことに愉悦を感じるというけれど……!)
動揺する私に代わり、ジルが続ける。
「侯爵様の隣にいる女性は、目の前にいるミレーユ様の姿を真似た魔物かもしれません」
「魔物が、私の姿で……?」
ミレーユ様は口元を押さえ、怯えたように身体を震わせた。リネットも信じられないような表情で、声を上げる。
「そんな……! では、わたくしが倒したのは偽物だったということですの!?」
「リネット、あの擬態魔を倒したのは俺だ」
「そこは、今はどうでもいいですわ!」
リネットの突っ込みにジルは不服そうに眉を寄せたが、すぐに表情を引き締めた。
「あの擬態魔は、一級指定の魔物にしては、あまりにも簡単に倒せたんだ。人の心を読み、姿だけでなく声まで真似られるほど知能が高いはずなのに、戦い方も単純だっただろう」
確かに、あの魔物は人間を捕まえて襲いかかるばかりで、こちらの隙を突くような動きは見せなかった。
「俺は確かに筆頭だが、一級指定の魔物を一撃で倒せたことには違和感があった。だが、あれが本体ではなく、本体から切り離された分身だったと考えれば、辻褄が合うだろう」
「では、本体は今も生きていて……ミレーユ様として、侯爵家に入り込んでいるということですの!?」
「――落ち着け。まだ決まったわけではない」
オズワルド団長が、この場の動揺を抑えるように告げる。団長に驚いた様子がないということは、この展開を薄々察していたのかもしれない。
だが、さすがというべきかあくまで中立の立場で話を続ける。
「そもそも、この女性が本物のミレーユ殿だという証明も済んでいない。だが、夜会にいる女性が魔物である可能性が出た以上、放っておくこともできん」
「そうですね。二人を引き離して、別々に話を聞く必要があります。侯爵様にも確認しなければならないことがあります」
ジルの言葉に、団長が険しい顔で頷いた。様々な可能性を考えたうえで、筋道を立てて指揮をしている彼らを見ていると、魔法士としての経験値の違いを思い知らされる。
「王宮にはまだ大勢の招待客がいる。騒ぎを起こせば、何も知らない者まで危険にさらすことになる。相手に疑っていると悟られないよう、二人を確保するぞ!」
夜会で見たミレーユ様の姿が頭に浮かぶ。
大勢の視線を浴びても動じず、穏やかに微笑んでいた女性。あれが魔物によるものだったとしたら。
「今から急げば、夜会の終了に間に合います。先輩も付いてきてもらえますか?」
「もちろんよ!」
目の前のミレーユ様には、身元を確認するまで魔法士団で保護を受けてもらうことになり、私たちは再び王宮に向かった。
◇
王宮の広間では何も知らない招待客たちが談笑を続けている。けれど、先ほどまでいたであろうアルベルトとミレーユ様の姿が見当たらない。
オズワルド団長が近くにいた王宮の給仕を呼び止める。
「すまない。アルベルト・クライン侯爵を見なかったか?」
「侯爵様でしたら、控えの間にいらっしゃいます。奥様が体調を崩されたため、先に帰らせたと伺っておりますが」
ジルと団長の表情が強張っていく。
「いつだ」
「四半刻ほど前かと……」
「馬車でか?」
「はい。クライン侯爵家の馬車でお帰りになりました」
団長はそばにいた魔法士たちを呼び、声を落として命じる。
「今すぐ馬で追え。クライン侯爵家の馬車を見つけても不用意に近づくな。行き先を確かめ、すぐに知らせろ」
「承知しました」
魔法士たちが足早に広間を出ていく。
もし夜会にいたミレーユ様が擬態魔なら、私たちが姿を消したことに気づき、先に逃げた可能性がある。
胸騒ぎを覚えながら、私たちはアルベルトがいるという控えの間に向かった。アルベルトは、ぞろぞろと入室した私たちを見て、明らかに警戒していた。
「これは、どういうことだ?」
「確認したいことがある」
団長は正面の椅子を示した。侯爵であるアルベルトに命じる口調にも、少しの遠慮もない。王立魔法士団を束ねる団長は、有事において貴族に命令を下せる権限を持っているからだ。
「まずは座れ、クライン侯爵」
「ミレーユの具合が悪くなったんだ。私もすぐに帰らなければならない」
「そのミレーユ殿についての話だ」
アルベルトが腰を下ろすと、扉が閉められた。私とジル、団長以外の魔法士たちは、退出して見張りについた。
「魔法士団本部に、ミレーユ・オルタンと名乗る女性が保護を求めてきた」
「何を言っている。ミレーユなら、先ほどまで私と一緒にいただろう」
「本部にいる女性は、あなたと結婚した事実はないと言っている」
「……っ! そんなはずはない!」
アルベルトは椅子を倒しそうな勢いで立ち上がった。
「誰かがミレーユを騙っているだけだ。私と暮らしている彼女が本物に決まっている!」
アルベルトは言葉に詰まりながらも、言い訳するかのように声を張り上げた。
「昔から知っている。幼い頃から、何度も会ってきたんだ。私が彼女を見間違えるはずがない。そうだ、エレナだって離縁の時に顔を合わせただろう!?」
そうだ。私だって見抜くことができなかった。
だからこそ、彼に本当のことを言ってもらう必要がある。
「では、順番に聞きましょう。ミレーユ様があなたを頼ってきたのは、いつですか?」
「……一年ほど前だ。彼女が夫を亡くしたあとからだ」
アルベルトは椅子に座り直し、苦しそうに目を伏せた。
幼い頃から、彼はミレーユ様を想っていたらしい。
けれど、互いに家の決めた相手と結婚し、別々の人生を歩むことになったから彼女のことは諦めてきたのだとか。そんなある日、やがて夫を亡くしたミレーユ様がアルベルトのもとを訪れ、頼れる人がほかにいないと訴えた。
そのとき、アルベルトは彼女のために侯爵領の別邸を用意したという。
それは、私とまだ夫婦だった頃のことだ。本当に私は何も知らなかったんだなと思い知らされる。
「ですが、本部に保護を求めてきたミレーユ様は、その頃からずっと親族のもとで暮らしていたと話しています」
「では、本部にいる方が偽物なのだろう!」
アルベルトは考える間もなく言い切った。
「その可能性も含めて調べています。ですが、あなたが別邸に迎えた女性が、初めから偽物だった可能性もあります」
「あり得ない!」
激しく首を横に振る姿は、目の前にある疑いを拒むというより、自分自身に言い聞かせているようにも見えた。
「彼女は昔のことも覚えていた。子供の頃に交わした話も、好きだった花も、何もかも知っていたんだ。偽物に分かるはずがない!」
「侯爵様、落ち着いてください。人の心を読み、その人にとって大切な相手に姿を変える魔物が確認されています。あなたの記憶から、必要な情報を得ていたとしても不思議ではありません」
ジルの言葉を聞き、アルベルトの唇が悔しそうに震えた。
それでも否定しようとする彼に、ジルは立ち上がって歩み寄った。椅子に座るアルベルトを見下ろし、その表情を確かめるように問いかける。
「本当に、何一つおかしいとは思わなかったのですか?」
「……思うわけないだろう」
「では、なぜ結界の異常を魔法士団に報告しなかったのです?」
アルベルトは、目を逸らしたまま答えなかった。
膝の上で組んだ両手に力が入り、ジルから逃れるように視線が下がっていく。何かを隠していることは明らかだった。
私はアルベルトの瞳を見つめる。
「アルベルト。知っていることを、すべて話してください」




