33話 私の知らない、私の話
夜会を途中で抜け出した私たちは、急いで魔法士団本部に戻った。
小走りで廊下を進んでいくが、正装の長い裾が今は煩わしく感じる。ジルに続いて応接室に入ると、そこでは、一足先に到着していたオズワルド団長とリネットを含めた数人の魔法士が、一人の女性を取り囲んでいた。
椅子に座る女性を見た瞬間、どういうことなのか分からなくなってしまった。
「ミレーユ様……?」
髪も、目の色も、整った顔立ちも、先ほどまで夜会にいたミレーユ様と瓜二つだった。
不安そうに眉を下げ、怯えたように視線を揺らしている彼女だが、背筋はきちんと伸ばされ、膝の上に重ねた指先にも育ちのよさを感じさせる品があった。
同じ顔をしているはずなのに、こちらの女性の方がずっと優しく、柔らかな印象を受ける。
「あなたも、私を知っているのですか……?」
「ええ。先ほど、王宮の夜会でお会いしましたが」
その言葉を聞いた途端、ミレーユ様の顔から血の気が引いて真っ青になる。椅子から立ち上がりかけたものの、足に力が入らなかったらしく、背もたれに縋るように座り直す。
「そんな……私は、夜会になんて行っていません!」
ミレーユ様は何度も首を横に振り、縋るようにオズワルド団長を見上げた。
「本当に、私がもう一人いるのだわ。ああ、どうすれば……」
「ミレーユ殿。落ち着いて、とりあえずこれを飲みなさい」
オズワルド団長は、彼女にホットココアとひざ掛けを差し出した。団長は、魔法士たちには異様に厳しいけれど、一般人――とりわけ女性には優しい。紳士なのである。
ミレーユ様は、おずおずと受け取るとカップに口をつけて、息を整えた。
「ゆっくりでいいから」
団長に促され、ミレーユ様は膝の上に掛けられた毛布をぎゅっと握りしめる。
「夫を亡くしてから、私は社交界から離れ、親族のもとで静かに暮らしていました。けれど、久しぶりに戻ってきたら、皆が私の知らない私の話をするんです」
「というと?」
「私がアルベルト様と結婚して、侯爵領で暮らしていると……。確かにアルベルト様は幼馴染ではございますが、私には何一つ覚えがありません!」
ミレーユ様の目からぼろぼろと大粒の涙が零れ始めた。
「もしかすると、おかしいのは私の方なのかもしれません。私に魔物が取り憑いて、記憶を消したのではないかって……親族のもとで暮らしていた日々の方が、全部、長い夢だったのではないかと思って……!」
最後まで言い終えることができず、彼女は両手で顔を覆ってわっと泣き崩れた。
そばにいた女性魔法士が背中を撫でて落ち着かせようとするけれど、泣き声は、かえって大きくなっていく。
室内にいた魔法士たちは、困惑したように顔を見合わせた。
「つまり、あなたが本物のミレーユ様で、侯爵家にいる女性には心当たりがないと?」
「はい……。アルベルト様とは決して恋愛関係になったことはございません」
涙を拭いながら答えるミレーユ様に、オズワルド団長は難しい顔をした。
目の前にいるミレーユ様が嘘をついているようには見えない。けれど、夜会にいた女性も間違いなくミレーユ様だった。
同じ顔をした女性が、どうして二人いるのだろう。考えても答えが出ずにいると、隣にいたジルが怪訝な顔をする。
「先輩。この前、侯爵様が先輩の家を訪ねてきたとき、何と言っていました?」
「どうして、今その話を?」
「確認したいことがあります。教えてください」
ミレーユ様の話と何の関係があるのか分からなかったものの、ジルの表情が真剣だったため、私はアルベルトから聞いたことを思い返した。
「北の森にある結界が弱っているから、領地に来て欲しいと……」
「――結界だと?」
オズワルド団長が鋭い目を向ける。
「魔物が領民の暮らす場所に出てこないよう、森を囲んでいる結界です。私は魔法士団に正式に調査を依頼するよう勧めましたが、アルベルトは大ごとにしたくないとおっしゃっていました」
「侯爵は、結界に異常があることを隠していたのか?」
「問題がないとは言っていました。ただ、王都まで直接いらしたことも、魔法士団に知らせたがらないことも少し気になっていました」
団長は黙り込み、ほかの魔法士たちも険しい表情を浮かべた。
ジルは何かを考えるように、長いまつ毛に縁どられた瞳を伏せている。
「それ、結界が壊れかけているんじゃなくて、すでに壊されているのではありませんか?」
ジルは顔を上げて、私を見つめた。
「何者かが、気づかれないように壊したんです。侯爵様はそれに気が付いているけれど言い出せないのではありませんか」
確かに、そう考えればしっくりくる。
結界が自然に弱っただけなら、正式な調査を拒む理由もないし、私だけを領地に戻そうとしなくてもいい。誰かに壊されていると知っていたからこそ、アルベルトは大ごとにしたくなかったのかもしれない。
「でも、誰が結界を壊すの?」
少なくとも領地の人間は、結界を壊したところで何も得はないだろう。
私が尋ねると、ジルはすうっと目を細めた。彼の藍色の瞳がギラギラと輝く。
「例えば――他人の姿を巧妙に真似られる、知能の高い魔物、とか」




