31話 こんな後輩、私は知らない!
振り返った彼の顔に、わずかな戸惑いが浮かぶ。
「何かありましたか?」
「ここでは話しにくいの。お願い……少しだけでいいから」
ジルは少し迷ってから、黙って頷いた。
人目を避けて広間の外に出ると、夜風の入るバルコニーまで移動した。扉を閉めれば音楽や人々の声が遠くなり、二人の間に気まずい沈黙が落ちる。
「なんで、私のことを避けているの」
「……っ!」
ジルが広間に戻ろうとしたから、慌ててその手を掴む。
「逃げないで!」
ジルに向かってこんな怒り声を上げるのなんて、いつぶりだろう。
ジルは、しゅんとなりながら立ち止まってくれたけれど、私から顔を逸らし、バルコニーの向こうに広がる夜の庭園に目を向ける。
「避けているつもりは……ありません」
「仕事が終わると、私が声をかける前に帰ってしまうわ。廊下で会っても、用件だけを話してすぐにいなくなるし、今日だって必要なことしか話してくれないでしょう?」
ジルは、困ったような顔で自嘲するように告げる。
「……先輩を困らせたくなかっただけですよ。距離感が急に分からなくなってしまったんです」
黙り込むと、ジルは寂しそうに笑った。
「先輩にとって俺は後輩なのでしょう。これ以上近づいたら、俺は……」
これまで感じていた気持ちが、ぐちゃぐちゃに混ざって堪えきれずに口から零れた。
「――それは、寂しいわ」
その言葉に、ジルはきょとんとした顔で私のことを見つめた。
「仕事の話だけではなくて、前みたいに話したい。パン屋にも行きたいし、また一緒に出かけたい。ジルがそばにいないと、寂しいの」
「……そんなことを言われたら、俺がまた期待してしまうとは思わないんですか?」
「期待って……? だって、ジルは私を元気づけようとしてくれていたのでしょう? アルベルトを忘れられるように、恋心を忘れる魔法なんて言って色々なところに連れ出してくれて――」
ジルは、目を見開いたあと、片手で額を押さえ、深いため息をつく。
「まさか、本気でそう思っていたんですか?」
「違うの?」
「先輩、俺が誰にでもあんなことをすると思っているんですか?」
一歩近づかれ、私は反射的に一歩下がった。
けれど、すぐに背中がひんやりと冷たい壁に触れ、それ以上は下がれなくなる。
「先輩、逃げないでください」
「だ、だって……」
気づけば壁に追い詰められており、すぐ目の前にはジルの顔があった。
すっと通った鼻筋も、意志の強そうな口元も、見上げてしまうほどの長身も――もう昔の少年らしさはすっかり抜けてしまったと改めて実感させられる。
彼以外纏うことが許されない筆頭魔法士の制服が、もう“可愛い後輩”ではないことを容赦なく突きつけてくる。
「あなたが結婚する時、俺がどういう気持ちだったか分かりますか?」
意味がわからず、私はただただ彼を見上げる。
「ど、どういう気持ちって……?」
ジルがふっと目を細める。
その眼差しは、獲物を逃がさない肉食獣みたいに熱くて。
「それは……さすがに鈍感すぎませんか? エレナ先輩」
――こんな後輩、私は知らない!
彼の見たことの無い表情に何も言えずに固まっていると、ジルは目を伏せたあとに自嘲したように笑みを浮かべる。
「……なんて。全部、俺がずっとぐずぐずしてたのが悪いんですけどね。近づいて、嫌われるのがずっと怖かった。この関係を壊したくなかった」
「それって……」
「でも、もう我慢できない」
冗談も逃げ道も許さないように、真っ直ぐ私を見つめた。
「――俺は、先輩が好きです」




