30話 私には向けてくれない笑顔
そうして迎えた夜会当日。私は王宮から用意された控え室で、支給されたばかりの礼装に袖を通した。
復帰試験に合格してそのまま魔法士団に戻ったため、この礼装を着るのは初めてだ。
深い紺色の礼装には、普段の制服よりも華やかな銀糸の刺繍が胸元から裾に大きく広がっており、足首まで届くスカートにはたっぷりとした生地が使われている。
これは夜会のためだけの衣装ではなく、古くから受け継がれてきた魔法士本来の正装なのだという。今でこそ討伐には動きやすい制服を着ていくけれど、昔の魔法士は、この裾の長い礼装で魔物と戦っていたらしいから驚きだ。
「エレナさん、そろそろ行きますわよ」
「はあい。もう行くわ!」
リネットに返事をして廊下に出ると、少し離れた場所で待っていたジルがこちらを振り返った。
普段から、彼の制服は遠目でも筆頭魔法士だと分かるほど華やかだけれど、今夜は礼装用の飾りや白い手袋まで身につけているため、いつも以上に近寄りがたいほどの威厳があった。
「お待たせ」
私が声をかけると、ジルは何も言わずにこちらを見つめた。
「……どこか、おかしい?」
「いいえ。よくお似合いです」
微笑んだものの、ジルはそれ以上何も言わず、私に腕を差し出した。
あれから、結局私たちは話せずである。今日こそちゃんとジルと向き合うぞと気合を入れて、会場に向かうことになった。
◇
王宮の大広間は、正装した大勢の招待客で賑わっていた。
私たちが入場すると、周囲から一斉に視線が集まる。なかでも筆頭魔法士であるジルは注目の的で、彼を見つめる女性たちが、頬を染めて囁き合っていた。
「ジル様よ」
「素敵ね。恋人に立候補したいわ」
先日は私とデートをしてくれたけれど、これほど女性から人気があるのなら、親しくしている相手がいても不思議ではない。
そう思うと、感じたことの無い痛みが胸を走っていった。
(なんだろう、この気持ち……)
自分の感情を確かめる前に、女王陛下の入場を告げる声が響き、私は慌てて姿勢を正した。
広間に入ってきた女王陛下に、招待客が一斉に頭を下げる。
銀色に近い淡い金髪と、澄んだ紫色の瞳。欠点を探す方が難しいほど整った顔立ちは、同性の私でも思わず見惚れてしまうほど美しい。国で最も美しい女性と称えられる方だけれど、華やかな容姿以上に、人々の視線を引きつける堂々とした佇まいが印象的だった。
陛下とは侯爵夫人として夜会や式典に出席していた頃、何度か言葉を交わしたことがある。身分に関係なく相手の話に耳を傾ける方で、領地の相談をした際にも、私の名前と話した内容を覚えていてくださったのを覚えている。
陛下は広間の正面に立つと、魔法士団員をぐるりと見渡した。
「まずは、全員が無事に戻ったことを嬉しく思います」
穏やかな声だったけれど、広い会場の隅々までよく通った。
「一級指定の擬態魔を討伐したジル。その功績を称えます。そして、突然現れた魔物を相手に仲間を守り、応援が到着するまで持ちこたえた者たちも、よく戦いました」
私たちが陛下の前に進み出ると、その紫色の瞳がこちらに向けられた。
「久しぶりですね、エレナ。魔法士団に復職したとは聞いていましたが、早々に随分と危険な目に遭いましたね」
「ご心配をおかけいたしました」
「あなたが再び魔法士として歩み始めたことを、私は嬉しく思っています。けれど、自分の命も大切にしてください」
「はい。肝に銘じます」
叱るような言葉でありながら、その声音には優しい気遣いが込められていた。
陛下は続いてリネットたちにも一人ずつ声をかけ、怪我の具合や現在の体調を確かめていく。その様子を見れば、ただ功績を称えるためだけに、私たちを招いたのではないことが伝わってきた。
「これからも、王国を守ってくれることを期待しています」
「ありがとうございます」
大勢の前に進み出るのは緊張したけれど、隣に立つリネットと目が合うと、あの日、森の中で泣いていた彼女の姿を思い出した。
こうして二人とも無事にこの場に立てていることが嬉しくて、自然と笑みが零れる。
陛下のお言葉が終わると、会場には音楽が流れ始め、本格的に夜会が始まった。
ようやく緊張から解放され、ほっと息をつくと、隣にいたリネットも同じように力を抜いていた。
「討伐よりも緊張しましたわ」
「リネットでも緊張するのね」
「当然でしょう。女王陛下の御前ですもの」
少し乱れた襟元を整えていたリネットが、ふと私の胸元に目を留める。
「あら、そのブローチもつけてきたのですね」
彼女は少し離れた場所にいるジルに意味ありげな視線を移した。気付いてもらえたら会話のきっかけになるかもと思っていたのだが、今のところ効果はない。
「……………この正装にも合うかと思って」
「まあ、そういうことにしておきますわ」
「どういう意味?」
尋ねても、リネットは機嫌よく笑うばかりで答えてくれなかった。
彼女が知り合いに呼ばれて離れていくと、私は再びジルに目を向けた。彼の周りには挨拶をしようとする貴族が絶えず、その中には若い女性の姿も多い。
先ほど耳にした言葉を思い出し、本当に恋人はいないのだろうかと考えていると、近くにいた年配の夫人から声をかけられた。
「エレナ様と筆頭魔法士殿は、随分と親しくていらっしゃると伺いましたわ」
「以前、私が魔法士団にいた頃の後輩なのです」
「まあ。それでは今夜は、昔から親しいお二人で?」
確かに親しいけれど、きっとこのご夫人の言う意味は恋愛的な関係を指しているのだと思う。なんと言おうか迷っていた時だった。
「いえ――俺にとって大切な先輩です」
いつの間にか私の隣にやってきたジルが、私に代わって答えた。
「エレナ先輩は同じ魔法士団に所属する仲間であり、今夜は共に功績を称えていただいた者として、同伴をお願いしました」
「そうでしたの。あまりにお似合いなので、てっきり特別な関係なのかと思いましたわ」
夫人は楽しそうに笑い、ほかの客のもとに歩いていった。
ジルの答えは何も間違っていない。
確かに私たちは先輩と後輩で、同じ魔法士団に所属する仲間だ。
それなのに、小さな棘が刺さったように胸が痛むのは――。
「先輩、何か飲みますか?」
「ええ。お願いするわ」
ジルが飲み物を取りに離れた直後、一人の若い令嬢が彼に近づいた。
淡い桃色のドレスがよく似合う、可愛らしい女性だった。頬を染めながらジルに話しかけ、やがて遠慮がちに片手を差し出す。
きっとダンスに誘っているのだろう。
(ジルなら、誘われて当然よね)
社交の場で申し込まれた一曲に応じることなど、特別な意味を持たない。頭ではそう分かっているのに、ジルが彼女の手を取る場面を想像した途端、ちくちくと胸が痛む。
(……これって、もしかして嫉妬?)
はっきりと浮かんだ気持ちに、自分でも驚いてしまう。
「エレナさんは、踊りませんの?」
隣にいたリネットが、私の視線を追うようにジルを見た。
「私は、久しぶりだから」
「そうではなく、筆頭と踊らなくてよろしいのかと聞いているのですわ」
「ジルは今、ほかの方に誘われているでしょう? だから、彼が踊り終わるまでは待とうかと――」
「断っていますけれど」
「え?」
もう一度見ると、令嬢は残念そうな顔で一礼し、ジルの前から離れていくところだった。断ったのだと分かり、胸を締めつけていたものが、急にほどけていく。
「あなた、本当に分かりやすいですわね」
「何が?」
「ああっ、もう本当にじれったいですわ! わたくしも良い殿方を見つけてまいりますから、覚悟なさって!」
飲み物を手に戻ってきたジルと入れ替わるように、リネットはぷんすか怒りながらその場を離れてしまった。
「先輩、お待たせしました」
「ありがとう。あの方とは踊らなくてよかったの?」
受け取ったワイングラスに目を落としたまま尋ねると、ジルは一瞬黙った。
「見ていたんですか?」
「偶然、目に入っただけよ」
「今日は先輩の同伴者ですから、ほかの方と踊るつもりはありません」
その答えにほっとした自分に驚いたものの、同伴者だからと理由をつけられると、やっぱり寂しい。
「それでは、俺は団長のところに戻ります」
ジルはそう告げると、私に一礼して離れようとした。
なぜだろう。すぐ手の届くところにいるはずなのに、以前よりずっと遠く感じる。
魔法船の中で、ジルは私に、また置いていかれそうで困っていると言っていた。あのときの彼も、目の前にいる相手が遠くに行ってしまうような、こんな寂しさを感じていたのだろうか。
このまま行かせてはいけない気がして、私は気がつけばローブの袖を掴んでいた。
「ジル、少し話せない?」




