29話 すれ違いと寂しさと
リネットが我が家を訪れたあとから、私はジルを見つけるたび、デートの帰りの話の続きをしようと思っていた。
――けれど、どうやらジルは私を避けているらしい。
「ジル、少しいい?」
廊下の向こうから歩いてきた姿を見つけ、思い切って声をかけると、ジルは足を止めて以前と変わらない笑顔を向けてくれた。
「おはようございます、先輩。何かありましたか?」
「この前のことなんだけれど――」
「筆頭、会議のお時間が」
私が話し始めたところで、ジルの後ろから追いついてきた魔法士が、分厚い書類の束を差し出した。
「先輩、すみません。これから会議があるので、話はまたあとでもいいですか?」
「え、ええ」
「ありがとうございます。では、失礼します」
ジルは一礼し、そのまま魔法士とともに廊下の奥に歩いていった。
筆頭魔法士であるジルは、朝から王宮との会議に出席し、各部隊から届く報告書に目を通し、討伐任務で問題が起きれば自ら向かわなければならない。そもそも、ゆっくり話せる時間の方が少ない人なのである。
だから、仕方がないとそう思っていたのだが――それから数日経っても、二人で話す機会は一度も訪れなかった。
今までどおり挨拶はしてくれるし、仕事で質問をすれば丁寧に答えてくれる。
それなのに、私が仕事以外の話をしようとすると、決まって急ぎの用事を思い出したように離れていく。
ジルが今まで私のために時間を割いてくれていたのか、痛いほど実感してしまう。
(やっぱり、傷つけてしまったのよね……)
話し合いたいだけなのに、その機会すらもらえないことが、思っていた以上に苦しかった。
◇
「エレナ、入れ」
その日の午後、オズワルド団長から呼び出され、私は団長室を訪ねた。
机の前に立つと、団長は書類の中から一枚を抜き取り、こちらに差し出す。受け取って目を通すと、私の名前とともに、上級魔法士として正式に任用するという言葉が記されていた。
「これは……」
「復帰後の仮任用を、本日付で解除する。今日からお前には、上級魔法士として働いてもらう」
思いがけない言葉に、何度も書類を読み返してしまう。
「よろしいのですか? 復帰してから、まだ一か月ほどしか経っていませんが」
「三級指定の魔物の討伐では問題なく働き、一級の擬態魔が現れたときには、負傷者を逃がしたうえで仲間を救出した。その後の任務でも、十分な働きをしている」
あんなに厳しいオズワルド団長が、戻ってきてからの私の功績を見て認めてくれたのだ。こんなに嬉しいことはない。
「あっ、ありがとうございます!」
込み上げてくるものを堪え、深く頭を下げる。
「ただし、上級魔法士になったからと言って無茶はするな。次に一級の魔物を一人で追いかけたら、降格させるからな」
「その節は本当に申し訳ございませんでした……」
オズワルド団長には、本当に頭が上がらない。
書類を大切に持ち直したところで、団長が今度は立派な封筒を机に置いた。
「もう一つ、お前に頼みがある」
「なんでしょうか?」
「三週間後に、建国祭の夜会が開かれる。一級の魔物にも関わらず、民間人にも魔法士にも死者を出さなかったことが評価され、討伐に関わった者は夜会の席で表彰されることになった」
差し出された招待状を開くと、私の名前が確かに記されている。
「欠席することは……」
「女王陛下から直々に招待されておいて、できると思うか?」
「……」
侯爵夫人時代に仲良くしてくれた奥様方からは気を遣われるに決まっているし、アルベルトとのことを知っている者たちから、好奇の目を向けられることなんて明白である。
「招待されているのは、お前のほかにジルとリネット、それから当日小隊にいた三人だ。俺も魔法士団の代表として出席する」
「リネットたちも一緒なのですね」
「一人で放り込まれるよりはましだろう。何かあれば俺が言い返す。お前は髪型の心配でもしておけ」
なんて心強い味方だろう。そう思っていると、オズワルド団長が目をきらりと光らせてこちらを見上げた。
「で、最近、ジルは相変わらず絡んでくるのか」
「えーっと」
まさか、先日のデートの一件をオズワルド団長に話せるはずもない。「最近は忙しいみたいで」と誤魔化すようにそう言えば、団長は額に手を当てて呆れたように呟いた。
「心が折れたか。意外と早かったな」
「……?」
「お前は悪くないぞ、エレナ。あの負け男が悪い」
最後の話はよく分からなかったけれど、招待状と復位の書類を抱え、丁寧に一礼すると、団長室をあとにする。
魔法士団に戻ることを決めたときには、王宮の夜会で表彰される日が来るなど考えてもいなかった。五年間の空白を埋めるには、もっと長い時間がかかると思っていた。
(――嬉しい)
その気持ちを真っ先に伝えたい相手の顔が浮かび、私は自分でも気づかないうちに、筆頭魔法士の執務室に向かっていた。
けれど、扉を叩こうとして手を上げたところで、ここ数日のジルの態度を思い出す。
また避けられてしまうかもしれないと迷っていると、内側から扉が開いた。
「エレナ先輩?」
「わっ、えーっと、おはようジル」
「もうお昼ですが」
出てきたジルと目が合い、不審者のように片手を挙げたまま固まってしまう。
「ごめんなさい。訪ねようと思っていたのだけれど、忙しかったかしら」
「いえ。ちょうど俺も、先輩のところに行こうと思っていたところです」
そう答えたジルは、以前のようににこにこと笑いかけてはくれない。だけれども、心が折れないようにぐっとこらえて話しかける。
「今日、上級魔法士として正式に任用していただいたの」
「聞きました。おめでとうございます、先輩」
ジルは柔らかく笑った。
「団長は、そういうところで嘘をつきませんから。本当に先輩が必要だと思ったんでしょう」
自分のことのように喜んでくれる声は、以前と変わらず優しい。一見すれば、何も変わらない距離感なのに。
(……それなのに)
まるで、甘さの抜けてしまったミルクティーのように何か物足りなさを感じてしまう。
「先輩も夜会に誘われたと思うんですが、お願いしたいことがありまして」
ジルは一度言葉を切り、私の顔を窺う。
「もし、ほかに同伴を頼む方がいないのでしたら、俺にエスコートを任せていただけませんか。討伐に参加した者同士ですし、その方が周囲にも自然だと思いますので」
「ええ、ぜひ」
「……承知しました。では、また後日」
ジルはそう答えて一礼した。
だけど、そのまま立ち去ろうとする姿を見て、私は咄嗟に呼び止めた。
「待って、ジル!」
「何でしょうか」
「デートの帰りに、アルベルトと会ったときのことなんだけれど――」
名前を出した途端、ジルの肩がびくりと強張った。振り返ってはくれたけれど、先ほどまでとは違い、私と目を合わせようとしない。
「私、あのときは――」
「すみません、先輩。その話はまた今度にしてください」
丁寧に頭を下げると、ジルは足早に去っていった。
(ああ、私って本当に……!)
伝え方があまりにも下手すぎる。ジルとはまたお出かけしたいと思うくらい楽しいデートだったのに。
(どれだけ避けられても、さすがに夜会までに仲直りしたいわ)
以前より遠くなってしまった彼との距離が、とても寂しく感じられた。




