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27話 離してしまった手

 


 アルベルトがどうしてここにいるのだろうか。まさか、領地からわざわざ王都までやってきたとでも?……私に会いに?


(どうしよう、全然嬉しくない)


 何となく心の中にしこりのようなものがあると思っていたのだが、アルベルトに会ってもときめかないあたり本当に恋心を忘れてしまったらしい。


「最近手紙を送っても返事がないから、直接話を聞きに来たんだが……」


 ここ最近は仕事で手いっぱいでら正直彼からの手紙を開けてすらいなかった。


 アルベルトは、私の隣に立つジルに視線を移した。


「侯爵家の領地について、エレナに相談したいことがある。すまないが、二人だけで話をさせてもらえないだろうか」

「勝手に決めないでいただけますか」


 私に言い返されたことに驚いたのか、アルベルトは面食らったように瞬きを繰り返した。


「ジル、私に何か言いかけていたわよね?」


 もともと、今日はジルと過ごすために空けていたのだ。アルベルトに勝手に予定を奪われるわけにはいかない。


 だけど、ジルはふるふると首を横に振った。


「何でもないです」

「何でもないことないでしょう、だって何かすごく大切なことを言おうとしてたんじゃ……」


 ジルが身を引いたので、私は彼に詰め寄って手首を掴んでしまってーー


「だから、なんでもないですってば!」


 ジルはぱしんと私の手を振り払った。


 ジルは、生い立ちも相まって人間不信な節があり、今でも人と関わるのが怖いのだろうと薄々感じている。それでも、私にだけは心を開いてくれていると思っていたのに。


 まるで初めて彼にあった時のように、心に壁を下ろされてしまって、言葉が出ずに俯いてしまう。


「ごめんなさい、先輩……。手を振り払うつもりはなくて」

「ううん、こちらこそごめんね」


 表面上では謝るけれど、なんとなく二人の間に溝ができてしまったのを感じる。


「それじゃ、先輩。また」

「えっ、ジル! ちょっと待ってーー」


 ジルはくるりと踵を返すと、人混みの中に消えていく。筆頭魔法士の制服ならまだしも、黒いジャケットの彼は一瞬にして人に紛れてしまう。


「待ってよ、ジル!」

「ーーエレナ」


 人混みに駆け出そうとする私の手首を捕まえたのは、アルベルトだった。


「なんですか」

「話があると言っただろう。聞いてくれないか」


(まだいたのか……)


 しつこい。あまりに。

 私が対応しないとどこまでも着いてきそうなので、ズキズキと痛む頭を押さえながら、家の中に案内するのだった。


 ◇


(今度こそ先輩と向き合うって、決めていたのに……)


 いざ、侯爵様を目の前にすると、どうしても結婚式の時のことを思い出してしまったのだ。先輩の心は、まだ侯爵様にあるんじゃないかと急に不安になって、結局何も言えなかった。


(だって、恋心を忘れる魔法なんてない)


 俺が気持ちを伝えることで、先輩との関係を壊してしまったらもう二度と前みたいに話してくれなくなってしまうかもしれない。

 

(オズワルド団長の言ってた恐怖ってこれかよ……)


 関係が壊れるくらいなら、今の距離感のまま可愛くて無害な後輩の立ち位置を守った方がいいんじゃないか。

 彼女は貴族だし、俺みたいな人間は元々手の届かない相手だ。勘違いしてはいけない。


(……先輩に近付くのが、怖い。これ以上好きになりたくない)


 エレナ先輩は何も悪くないのに、本当にこんな自分が嫌になる。


 ◇


 ジルのことが気になりつつも、アルベルトを放置するわけにもいかず、念のため話を聞くことにした。

 玄関を入ったアルベルトは、居間に足を踏み入れたところで驚いたように立ち止まった。


 小さな食卓と、その奥に置いた一人掛けのソファ。壁際の棚には少しずつ買い揃えた食器や本が並び、窓辺にはローザさんから分けてもらった鉢植えが置いてある。

 侯爵家の屋敷とは比べるまでもない、ごく小さな家である。


「本当に、ここで暮らしているのか」

「ええ。まだ借りたばかりだけれど、ようやく慣れてきたところです」

「使用人は?」

「いないですよ。一人で暮らすのに必要ないですもの」


 アルベルトは信じられないものを見るように、室内に視線を巡らせた。


「困ることはないのか?」

「今のところは何も。掃除も料理も、自分の分だけならそれほど大変ではないですし、自分のことを自分で決められる暮らしは、思っていたより心地いいものですよ」


 素直な気持ちを伝えたつもりだったけれど、アルベルトはぽかんとした様子で首を傾げていた。

 侯爵家にいた頃の私は、朝から晩まで領地や屋敷の仕事に追われていた。アルベルトにとっては、その姿が当たり前だったのだろう。


 鞄を棚に置き、向かいの椅子を勧める。お茶を用意しようとすると、アルベルトが戸惑ったように私を呼び止めた。


「君が淹れるのか?」

「ええ。紅茶でいいですよね」


 湯を沸かして茶葉を量り、二人分の紅茶を食卓に運ぶ。ごとんとティーカップを乱雑に置いてしまい、苛立ちを物にぶつけるのは良くなかったと反省する。


「それで、領地についてのお話とは?」

「北の森にある結界のことだ。最近、少し弱っているらしい」


 侯爵領の北の森には、魔物が人の暮らす場所に出てこないよう、広い範囲に結界が張られている。侯爵家で暮らしていた頃は、異常がないか定期的に確かめ、必要があれば領地の魔法士に補修を頼んでいた。


「結界が弱っているのですか?」

「ああ。今すぐ破れるほどではないそうだが、以前のように魔力を補ってもうまくいかないらしい」

「管理方法なら、離縁する前に書類にまとめて残したはずですが……」


 以前にも、アルベルトから同じような内容の手紙が届いていた。最低限の返事は書いたけれど、その後追加でどんどん手紙がやってきて返事が滞っていたのだ。


「心配でしたら、魔法士団に調査を依頼した方がよいと思います」

「そこまでする必要はない。だから君に頼みに来たんだ。一度、領地に戻って状態を見てくれないか?」


 あまりにも当然のように頼まれ、私は唖然としてしまった。離縁した元妻に、新しい夫人と暮らしている侯爵家に戻ってきてほしいなんて、いったいどういうつもりなのだろう。


「数日だけでいい。使用人たちも、君がいなくなってから困っている。領地のことも屋敷のことも、ミレーユには分からないことが多いんだ」


 アルベルトは、以前と同じように私が仕事を引き受けることを疑っていないようだった。眉間を押さえながら、なんとか答える。


「私はもう、侯爵夫人ではありません」

「それは分かっている。だが、あの結界について君以上に詳しい者はいないだろう」

「正式に魔法士団に依頼してください。そうすれば、私が向かうことになるかもしれません」

「大ごとにはしたくないんだ。領民たちのことが心配ではないのか?」


 困っている人たちを持ち出すなんて、あまりに卑怯ではないか。

 私は、握りこぶしでドンとテーブルを叩いた。ティーカップがかたんと揺れる。


「心配しているからこそ、きちんと調べてほしいと言っているんです! 内密に私を呼び戻すのではなく、正式に依頼するのが筋というものでしょう!」


 私は、今までの人生で『怒る』という行為をしたことがない。人とぶつかるのは面倒で、自分が折れた方が早いと思ってしまうからだ。


 だけれども、今日はどうにも我慢ならない。

 アルベルトは、目を丸くして私を見つめていた。


「エ、エレナも怒ることがあるんだな」

「当たり前です!」


 一体誰のせいだと思っているのだろうか。

 なんだか、ここまで頑なに魔法士団に知らせることを嫌がるなんて、本当は聞かされているよりも深刻な状態なのではないかと不安になってくる。


「……本当に、今すぐ危険はないのですね?」

「あ、ああ。結界はまだ保たれている。領地に戻ってから、正式に依頼するかどうか、もう一度考えるよ」


(それなら、いいんだけれど)


 私は補修する際に気をつけていたことを簡単に伝えた。それ以上のことは、実際に結界を見なければ分からない。


「これで難しいようでしたら、必ず魔法士団に知らせてください」

「……分かった」


 本当に納得したのかは分からなかったけれど、アルベルトは苦い顔で頷いた。

 紅茶を飲み終えると席を立って、もう一度、小さな居間を見回す。


「それにしても、君がこんな場所で一人で暮らしているとは思わなかった」

「狭いですが、気に入っています」


 広い部屋も、美しい庭も、何不自由のない暮らしも、決して嫌いだったわけではない。使用人たちと過ごした日々も、領民のために働いた時間も、今でも大切に思っている。


 それでも、自分のために選んだこの家に帰ると、心からホッとするのも事実だった。


「……エレナは、変わったな」


 アルベルトは寂しそうにも見える曖昧な表情を浮かべ、外に出ると迎えの馬車に歩いていった。

 扉を閉め、一人になった居間に戻る。


 すぐに危険があるわけではないと言っていたけれど、それなら、どうしてアルベルトは王都まで私を訪ねてきたのだろう。

 何かを隠されているような気がしたものの、考えても答えは出ず、私は机に突っ伏した。


(せっかく、ジルとのお出かけだったのに……)


 それなのに、最悪な後味で一日を終えることになるなんて。


(次に会ったら、きちんと話を聞かないと……)


 鞄から取り出した硝子のブローチは、室内の明かりを受け、淡い藍色へと変わった。

 その色を見つめていると、どうしてもジルのことを思い出してしまうのだった。



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