26話 途切れてしまった言葉
記念にもらったのは、硝子の花をかたどった小さなブローチだった。陽にかざすと、透明な花びらがきらきらと輝く。
「とっても素敵……!」
ブローチを大切に鞄にしまい、ジルに「ここからですよ!」と念を押されて植物園の奥にある塔に入った。中の階段は魔法で動いており、立っているだけで上に運んでくれる。どういう仕組み何だろう。本当に便利ですごい。
「先輩、また目が輝いてますよ」
「だって……!」
やがて階段の先にある扉を抜けると、広い場所に出た。吹き抜ける風に髪を押さえたところで、その景色に目を奪われた。
「まさか、あれに乗れるの!?」
白い帆を広げた巨大な船が、空に浮かんでいた。
船底には大きな魔法陣が輝き、船はゆっくりとこちらに近づいてくる。王都の上空を巡る魔法船は、休日にしか運航されないうえに便も少なく、乗船券はすぐに売り切れてしまうと聞いていた。
「よく乗船券を取れたわね」
「結構、頑張りました」
ジルはそう言って、二枚の乗船券を取り出した。私を喜ばせるために準備してくれたという事実が、本当に嬉しい。
「先輩は魔法船に乗るのは初めてですか?」
「……時間がなかったもの」
侯爵夫人だった私は、仕事でいっぱいいっぱいだった。いつか機会があればと思っていると、五年も経ってしまうのだからやりたいことは早めにやるべきなのかもしれないと反省する。
「では、今日は遠慮なく楽しんでください」
船に続く階段の前で、ジルが手を差し出した。足元を気にしながらその手を取ると、彼はつないだ手に視線を落とし、悪戯っぽくはにかんだ。
階段を上り終えたあと、私から手を離すのもためらわれ、そのまま甲板に並んで座る。
「あら、若いって良いわねぇ」
「そうだな」
向かいに腰を下ろした老夫婦が、私たちのつないだ手を見て、微笑ましそうに笑っていた。
本当の恋人同士だと思われているのかもしれない。恥ずかしくなったけれど、わざわざ誤解を解くこともできず、私は手すりの向こうに顔を向け、出発を待った。
「わ……!」
しばらくすると、身体がふわりと浮くような感覚がして、船がゆっくりと動き始めた。船はどんどん高度を上げて、王都の街並みまで見渡せるようになった。
今日は天気もいいから、なおさら景色が最高だった。
「すごい。王都って、こんなに綺麗だったのね」
見慣れた街のはずなのに、夢中で色とりどりの屋根を目で追っていると、その中にひと際大きな建物を見つけた。
「あれ、魔法士団の本部じゃない? あそこよ。初めてジルに会った訓練場」
建物の奥にある訓練場を指さすと、ジルは少し嫌そうな顔をした。
「昔、俺が暴れていた場所ですね」
「暴れていたというより、周りを威嚇していたわね。話しかけただけで、来るなと怒鳴られたもの」
「……もう忘れてください」
昔のことを思い出して恥ずかしくなったのか、ジルは顔を背けてしまった。その反応がおかしくて、つい笑ってしまう。
「せっかく格好をつけようとしているのに、昔の俺を思い出されたら困ります!」
「可愛いからいいじゃない」
安心させるつもりで言ったのに、ジルはなぜか困ったように私を見た。
何か言いたいことがあるのだろうか。首を傾げても、彼は呆れたようにジトっと目を細めるだけで教えてくれなかった。
船は王都の上空を大きく回り込み、世界樹の方角に進んでいく。
ぼんやり景色を眺めているうちに、先ほどもらったブローチが気になって、また鞄から取り出してしまった。
「それ、気に入ったんですか?」
「ええ。見るたびに、今日のことを思い出せそうでしょう?」
ジルはその言葉に少し驚いたような顔をしたあと。
「ねえ、エレナ先輩」
改まった声に顔を向けると、ジルはいたく真剣な顔をしていた。藍色の瞳に真っ直ぐ見つめられ、私も口を閉じる。
「俺は、先輩と同じ景色が見たくて頑張ってきたんです」
「同じ景色……?」
「昔の俺は、先輩の後ろを追いかけることしかできませんでした。だから早く一人前になって、いつか隣に立てるようになりたかったんです」
魔力をうまく扱えず、何度失敗しても訓練を続けていた頃のジルを思い出す。
「筆頭魔法士になれば、先輩と同じ景色を見られると思っていました。けれど、ようやく戻ってきた先輩にも、また置いていかれそうで困っています」
「そんなことは……」
「……すみません。せっかくのデートなのに、変なことを言いました」
ジルは照れくさそうに笑うと、つないでいた私の手からそっと手を離した。
「でも、今日はこうして一緒に来られて、嬉しかったです」
「……ええ。私も楽しかったわ」
やがて陽が傾き始め、街の魔法灯が一つずつ明かりを灯した。道に沿って並ぶ光は、上から見ると大きな魔法陣のようで、私はジルと肩を寄せながら眺めていた。
(ジルも頑張っているんだもの。私もくよくよせずに頑張らなきゃ)
いつまでもこうしていたかったけれど、魔法船はゆっくりと高度を下げ、出発した塔に戻っていった。
◇
船を降りたあとも、ジルは私の家まで送ると言ってくれた。
夕暮れの街を並んで歩きながら、植物園で見た花や魔法船からの景色について話していると、帰り道は驚くほど短く感じられた。
「先輩」
「どうしたの?」
「今日一日一緒にいて、ちょっとは格好いいと思ってくれましたか?」
冗談めかした口調だったけれど、こちらを見る目は真剣で。
「そうね、格好良かったわ」
正直に答えると、ジルは信じられないといったような表情をして、私の顔を覗き込む。
「本当ですか?」
「あんなに素敵な場所を用意してくれるなんて。すごく楽しかったわ、ありがとう」
「……その言葉だけで、しばらく頑張れそうです」
嬉しさを隠しきれない笑顔を見て、私まで照れくさくなってしまう。
ジルが私を元気づけるために、今日一日を恋人のように過ごしてくれたのなら、その気遣いに少しは応えられただろうか。
「あの、先輩」
ジルはいたく真剣な顔をして突然立ち止まった。
「実は、ずっと先輩に言いたいことがあって……」
一体、何の話だろう。きっと、大切なことだと思って私は居住まいを正した。
周りの雑音が全て消えていくような気がするほど、ジルに見入ってしまう。緊張したように方を上下させるものだから、こちらまでドキドキしてしまう。
「俺、エレナ先輩のことがーー」
と、彼が何かを言おうとした時だった。
ジルの視線が私の後ろに飛んでいったかと思うと、不愉快そうに目を細める。
(……ん、誰かいるの?)
くるりと振り返れば、そこにいたのは。
「アルベルト……!」
今度は正真正銘、本物の元旦那がそこにいたのだった。




