23話 孤独な少年とお節介な先輩
エレナ先輩とのデートは、三週間後の休日に決まった。
本当はもっと早く会いたかったものの、俺も先輩も任務や会議が重なり、なかなか一日そろって休める日がなかったのだ。
その間、先輩は何度か三級指定の魔物の討伐や王都の巡回に参加し、少しずつ魔法士としての勘を取り戻していった。評判も上々で、俺まで嬉しくなってしまう。
そして、やっと迎えたデート当日――俺は服に頭を悩ませていた。
普段は制服だから考える必要はないし、私服も動きやすければ何でも構わないと思っている。だけども、今日ばかりは、そうも言っていられない。
紺色では仕事のときと変わらない気がするし、明るい色では浮かれて見えそうで、また別の上着に手を伸ばしてしまう。
(……一体、俺は何をしているんだ)
我に返って鏡を見ると、今までに見たことないくらい真剣な顔で、襟元を整えている自分が映っていた。
結局、最初に選んだ黒い上着を着ることにした俺は、脱いだ服をベッドに置いたところで、机に立てかけていた杖が目に入った。
深い藍色の魔法石が、窓から差し込む朝日に照らされている。
魔法士団の制服と同じその色を、先輩は偉大な魔法士の色だと言った。まだ魔力の制御も満足にできなかった俺が持つには立派すぎる石だったが、先輩は必ず似合うようになると笑ってくれた。
杖に手を伸ばし、冷たい石を親指でなぞる。
――俺は、エレナ先輩と出会うまで人間のことが信じられなかった。
◇
たった一人で育ててくれた母は俺が幼い頃に亡くなり、その後は何人かの親類の家を転々とした。どの家でも最初は気の毒な子どもだと迎えられたけれど、魔力が暴走することが分かってからは、長く置いてもらえなかった。
それもそうだろう。感情が高ぶれば窓が割れるし、ひどいときには家具に火がついた。自分でも止められないものを、周囲の大人たちが恐れるのは当然だったのだと思う。
最後に俺を引き取った親類は、王立魔法士団に相談したあと、荷物の入った鞄と一緒に俺を投げ捨てるように置いて帰った。
魔法士団では、正式な団員になる前の見習いとしてではなく、強すぎる魔力を制御できるようになるまでの保護対象として扱われた。
与えられた部屋は寝起きするには十分な広さがあり、食事にも困らなかったものの、扉には外から鍵がかけられ、決まった時間になると小窓から食事が差し入れられた。自由に廊下に出ることも許されず、部屋の外に出られるのは、複数の魔法士に囲まれて訓練場に移動するときだけだった。
訓練もほかの見習いたちから離れ、防護柵に囲まれた場所で行われた。教育係の魔法士でさえ柵の中に入ろうとはせず、安全な外側から俺に指示を出していた。
保護という名目ではあったが、俺からすれば、囚人とほとんど変わらない生活だった。
それでも最初のうちは、魔力を制御できるようになれば、いつかこの生活も終わると信じて頑張っていた。
けれど、魔法が暴発すれば訓練はそこで打ち切られ、しばらくすると教育係は別の魔法士に替わった。ようやく顔と名前を覚えた頃にはまた誰かがいなくなる。そんなことを繰り返すうち、どうせ今回も同じだと諦め、誰かが近づこうとすると自然と拒むようになっていた。
期待されなければ、失望もされない。初めから遠ざけておけば、置いていかれたときに傷つかずに済む。
そんな俺の前に、新しい教育係として現れたのが彼女だった。
『今日から訓練を担当する、エレナです。よろしくね、ジル』
彼女は防護柵の向こうからではなく、扉を開けてそのまま俺のいる場所に入ってきた。
『入ってくるな!』
声を荒らげて睨みつけると、彼女は扉に手をかけたまま、不思議そうに首を傾げた。
『どうして?』
『今までの教育係も全員怪我をした。アンタは死ぬかもしれねぇな』
そう言えば、大抵の者はビビッて足を止めるのだ。ところが彼女は少し迷ったあと、真っすぐに俺のところまで歩いてきた。
『近寄るなよ! ……俺は化け物なんだ』
彼女は困ったような笑みを浮かべた。
『――そう? あなたは、普通の男の子だわ』
なんだかむず痒い気持ちになって俺は机に置いていた杖を乱暴につかんだ。
そうやって優しくしたところで、どうせ何度か失敗を見れば、これまでの教育係と同じように来なくなると思っていた。
それなのに、新しい教育係との訓練は俺の予想よりも長く続いた。
彼女は暴発が起きても、翌日には絶対に同じ時間にやってきた。魔法陣の線が歪んでいれば容赦なく最初から描き直させて、俺が暴言を吐けば杖で頭を小突いた。
誰に頼まれてここまで付き合っているのかと尋ねても、教育係だからと答えるだけだった。哀れんでいるわけではないようだったが、だからといって信じる気にもなれず、一度も暴発を起こさずに訓練を終えられた日に彼女が喜んでも、素直に受け取れなかった。
『本当にすごいわ! ちゃんと復習したんでしょう? ジルは偉いのね!』
そう言って頭を撫でられた。
誰かに褒められたことがなかったわけではない。だけど、俺がどれほど努力したのかを見てくれたのは、彼女が初めてだった。
『……そんな、ことは』
その時、生まれて初めて嬉しいという感情を持ってしまって俺は慌てて首を振った。
◇
ある日の訓練中、描き終えた魔法陣に魔力を注いだ瞬間、杖から放たれた炎が予想以上に大きく膨れ上がった。
彼女は防御の魔法陣を描こうとしたものの、間に合わなかった。炎は左腕を掠め、彼女の制服の袖を黒く焦がした。
『エレナ!』
床に落ちた杖を拾うこともできずに駆け寄ると、彼女は火傷した腕を押さえながらも、自分で立ち上がった。
『大丈夫。少し掠めただけよ』
大丈夫なはずがない。焼けた袖の下から覗く皮膚が赤く腫れ、指先まで震えていた。
騒ぎを聞いて集まった魔法士たちは、彼女を治療室に運び、俺を訓練室へ残した。扉の外で交わされる声は小さかったけれど、危険すぎる、訓練を続けさせるべきではないという言葉だけは、はっきりと聞こえた。
――今度こそ終わったのだと思った。
俺自身、これ以上誰かを傷つける前に魔法を捨てるべきだと考え、荷物を鞄に纏めた。もっとも、魔法士団を出たところで行く場所などなかったけれど、それでもここにはいられなかった。
警備が手薄な翌朝、誰にも見つからないうちに出ていこうと部屋を出ると、廊下の先に彼女が立っていた。
左腕には白い包帯が巻かれている。
『どこに行くつもり?』
『……ここを出る』
『そう。じゃあ、訓練が終わってからにして』
当然のようにそう言われて、俺は耳を疑った。
『訓練なんて、もうできるわけないだろ。俺はあんたに怪我をさせたんだぞ!』
『ええ。痛かったわ。とっても』
『だったら、もう近づくなよ!』
声を荒らげると、彼女はいつものように困ったような笑みを浮かべた。決して離れようとはせず、鞄を握っていた俺の手に、包帯を巻いていない方の手を重ねた。
『嫌よ。ここで私までいなくなったら――あなたは本当に一人になってしまうでしょう?』
『……っ』
彼女は心を読む魔法でも使えるのだろうか。心の柔らかい部分に触れられて、何も言葉が出てこなくなる。
誰にも話したことはなかったけれど、彼女には最初から分かっていたのかもしれない。
俺は、ずっと誰かが自分の前からいなくなることが、何よりも怖かったんだって。
『でも、また怪我をさせるかもしれない……』
『そうならないように練習するの。辞めたら、失敗したままで終わってしまうわ』
彼女は俺の鞄を取り上げると、まだ痛むはずの腕で持とうとしたため、慌てて奪い返した。
『怪我人が持つなよ』
『じゃあ、自分で部屋に戻してきて。私は訓練場で待っているから』
そうして鞄を部屋に戻してから訓練場へ向かうと、彼女は言葉どおり俺を待っていた。
『……エレナ、先輩』
初めてそう呼ぶと、彼女は目を輝かせて、ぱあっと嬉しそうに笑った。
『なに、ジル?』
『昨日は……すみませんでした』
『ええ。では、同じことを繰り返さないように練習しましょう』
たぶん俺は、一生この人には敵わないのだとこの時に確信した。




