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21話 仲直りには、甘いパンを

 


「暇、だなぁ」


 私は擬態魔を討伐してからしばらく休暇をもらっていたけれど、なんだか落ち着かない日々が続いていた。リネットは無事なのか、皆はどうしているのか、擬態魔の一件は無事に片付いたのか――。


(考えていても仕方ないわね!)


 私はローザさんのパン屋で大量のパンを買って、魔法士団本部の治療室を訪れることにした。


 扉を叩くと、窓際のベッドに座っていたリネットが顔を上げる。両手首には包帯が巻かれ、痛めた足もまだ腫れているようだけれど、思っていたより顔色はよかった。


「随分と遅かったですわね」

「もしかして、待っていてくれたの?」

「違いますわ。暇すぎて、誰でもいいから話し相手が欲しかっただけよ」


 相変わらず素直ではない返事に笑いながら、そばにあった椅子をベッドの隣に運んで腰かける。


「具合はどう?」

「身体より、耳の方が痛いですわ。今日も朝から団長に一時間近く叱られたのよ。怪我人に対する思いやりが足りないと思いません?」

「それだけ心配していたのよ。リネットが怪我をしたと伝えた途端、すぐに駆け寄ってきたもの」

「心配することと、怪我人を荷物のように担いで運ぶことは別でしょう!? 廊下ですれ違った人たちに、どれだけ見られたと思っているの!」


 思い出しただけでも腹が立つらしく、リネットは包帯の巻かれた手で毛布を叩いた。


「私もジルに叱られたから、お揃いね」

「あなたは当然ですわ。一級の魔物がいる森に一人で戻るなんて、どうかしていますもの」

「リネットだって、偽物のユアンに近づいたでしょう?」

「…………その話はもう終わりですわ」


 都合が悪くなった途端に顔を背けたリネットに、持ってきた紙袋を差し出す。袋の口を開くと、小麦の甘い香りがふわりと漂った。


「お見舞いにパンを買ってきたの。一緒に食べない? 甘いものを食べれば、少しは元気になるわ」

「パンごときでわたくしの機嫌を取るつもり?」


 そう言って怪訝な表情をしたリネットだったが、袋を覗き込んだとたん、ぱあっと表情を明るくする。まるで小さい花が周りに飛んでいるようなその様子に、笑顔になってしまう。


(この子、素直じゃないだけなのよね)


 彼女の性格を知ってしまった今は、もはやツンツンしているその言葉すら可愛らしいと思ってしまう。


「では、いただきますわ」


 リネットは蜂蜜パンを手に取ると、澄ました顔で小さくかじって頬を押さえる。


「美味しいでしょう?」

「ま、まあ、悪くありませんわね」


 そう言いながら食べる手は止まっていないので、気に入ったらしい。それもそのはず。ローザさんのパンは本当に美味しいのだ。

 私もクリームパンを取り出し、柔らかな生地をちぎったところで、治療室の扉が控えめに叩かれた。


「隊長、入ってもいいですか?」


 聞こえてきたのはユアンの声だった。


「入りなさい」


 リネットが答えると、ユアンと討伐で一緒だった魔法士たちが、果物の入った籠を抱えて入ってきた。私の姿を見て一瞬驚いたものの、三人はすぐにベッドの前に並ぶ。


「具合はどうですか、隊長」

「見れば分かるでしょう。しばらく安静にしていれば大丈夫よ」

「よかった……」


 ユアンは心から安堵したように息を吐いたあと、両手を強く握りしめ、リネットに深く頭を下げた。


「この前は、俺を助けるために戻ってくれて、ありがとうございました。それから……すみませんでした」

「どうしてあなたが謝るのよ」

「だって、俺、出発前に隊長のことを悪く言ってしまって……」


 ユアンが申し訳なさそうに告げると、リネットは何とも言えない顔で黙り込んだ。


「……聞こえていましたわ」

「えっ」

「声を潜めたくらいで、聞こえなくなると思ったの? 貴族の出だからプライドが高いだとか、もう少し優しく言えだとか、最初から最後まで聞こえていましたわよ!」


 ユアンの顔から、みるみる血の気が引いていく。隣にいた二人も巻き込まれるのを恐れたのか、そっと彼から距離を取った。


「も、申し訳ありません!」

「まったくですわ。小隊長の陰口を叩く暇があるなら、魔法陣の一つでも練習なさい」

「はい!」

「それから、次に同じことがあっても、絶対にわたくしを追いかけないで。小隊長の命令に従い、全員で生きて帰ることだけを考えなさい」


 厳しい口調で叱られたユアンは、以前のようにふてくされた顔をしなかった。その代わり、潤んだ瞳でリネットを見つめると、勢いよく頭を下げる。


「分かりました。これからもよろしくお願いします。――俺たち、隊長みたいにもっと強くなりますから!」


 残る二人も続けて頭を下げる。リネットは返事をせず、パンを持ったまま窓の方に顔を背けてしまったけれど、耳まで赤くなっている。


「失礼しました」と三人が部屋を出て行ったあとも、彼女はしばらく窓の外を見つめていた。


「リネット?」

「……な、何でもありませんわ」


 振り返ったリネットの瞳には、大粒の涙が溜まっていた。慌てて拭おうとしたものの、包帯のせいでうまくいかず、涙は次々と頬を伝っていく。


「やだもう……もう泣かないと決めていましたのに」

「泣いてもいいじゃない。皆が無事で、リネットもここに帰ってこられたんだもの」

「本当に面倒で生意気な部下たちですわ! わたくしより強くなるなんて100年早いですわ!」


 そう叫ぶリネットは、本当に部下思いなのだろう。

 先日の魔物は、彼女の部下たちに目まぐるしく姿を変えていたし、素直じゃないだけで心優しい人なのだと痛いほど伝わってくる。

 そう思うと、なんだか私まで泣けてきてしまってぐずぐずと目から涙が零れ落ちていく。


「どうして、あなたまで泣くのよ……」

「リネットが泣くからでしょう……」

「わたくしは泣いていませんわ!」


 二人ともパンを手にしたまま、子どものように泣き続けた。


「こんな顔を部下に見られなくてよかったですわ」


 顔を見合わせ、今度は二人でくすくすと笑った。


 リネットは残っていたパンを食べ終えると、泣き疲れてお腹が空いていたのか紙袋に手を伸ばして二個目のパンを頬張った。


「そういえば、この前は筆頭に家まで送っていただいたのでしょう?」

「ま、まあ……」


 擬態魔を討伐した日、本部に戻って治療を受けたあと、ジルは私の家までついてきた。家の前で何度も無茶をしないと約束させられ、次の休日を空けておくよう念を押されたことまで思い出し、頬が熱くなる。


「その顔……何かありましたのね。同僚として恋バナを聞いてあげますわ」

「恋バナって……」

「あら違うの?」


 リネットは勘が良さそうだし、どうも誤魔化せそうにない。私は膝の上で指を組み、リネットから視線を逸らした。


「……デートをすることになったの」

「誰と?」

「ジルと」

「はあ!?」


 リネットの口に入れかけたパンを取り落としそうになり、慌てて両手で受け止めた。


「いつ、どうして、そんな話になりましたの!?」

「森で二人きりになったときに誘われたの。家に着く前にもう一度聞かれて……一度だけなら、と」

「一度だけで済むとは思えませんけれどね」


 どういう意味か聞き返そうとしたものの、リネットがジルを慕っていたことを思い出し、やっぱり話すようなことではなかったと気づく。


「……ごめんなさい」

「なんで謝るんですの」


 きょとんとした顔のリネットは、本当に意味がわからないと言った様子で首を傾げた。


「だって、リネットってジルのことが好きなんじゃ――」

「はぁ!? わたくしが筆頭を? ないないないない! あり得ませんわぁ!」


 部屋の外に聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい大声でリネットは否定する。


「どこをどう見たら、そう思うんです!?」

「だってジルのこといっつも見てるじゃない?」

「それはわたくしが次期筆頭の座を狙っているからですわ! どうすれば筆頭になれるのか常に観察しておりますの」


 なんか……それはそれでどうなんだ。


 思いもよらなかった答えに、私はとんでもない勘違いをしていたのだと恥ずかしくなってきた。


「というか、好きになるも何も、勝算が無さすぎるでしょう。筆頭ってどう見てもエレナさんのことが好――」


 何かを言いかけてリネットがごほんと咳ばらいをする。後半が上手く聞き取れなかったけれど、リネットは「なんでもありませんわ!」と言って食べかけのパンを全て口に押し入れて、しばらく黙り込んでしまった。


「ところで、当日は何を着ていくつもりですの?」

「まだ決めていないわ。持っている服の中から、適当に――」

「適当に!?」


 治療室に響いた大声に、びくりと肩を震わせる。


「筆頭との初めてのデートでしょう? 適当な服で出かけるなんて絶対に許しませんわ!」

「そんなこと言われても……」


 お出かけ着はすべて離縁する時に侯爵家に置いてきてしまったのだ。私服といえば、無地のワンピースしかない。


「今すぐ買いに行きなさい!」


 そう言ったリネットは包帯に巻かれた手で、御用達の洋服店をメモして渡してくれたのだった。私よりずっと年下のはずなのに、意外と面倒見がいいのかもしれない。


「ありがとう。リネット」

「当然ですわ。だって、わたくしたち……その、ともだち、なのでしょう?」


 毛布に口元を隠してそう言った彼女の顔はちょっぴり赤い。ふふっと笑っていると、「何を笑っているんですの!」と怒られてしまった。




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