20話 男二人の秘密の話
「ジル、今夜は時間はあるか?」
先日の擬態魔の討伐報告書をオズワルド団長に提出すると、妙に神妙そうな面持ちでそんなことを言われた。
(時間があるかどうかは内容によるんだけどな)
ここ数日ほど、ほぼ休みなしで働き詰めており体も結構限界なのだが、まさかこれ以上仕事を任されるのだろうか。エレナ先輩も休養中だし、俺の気力は削がれる一方である。
「お前としか話せない秘密の話があってな」
「秘密の、話」
そう繰り返せば、オズワルド団長はこくりと頷く。団長直々に筆頭魔術師にしか話せないとなれば、相当重たい内容かもしれない。
俺は覚悟を決めて、夕方までに一気に仕事を片付けた。
◇
「秘密の話って言ってませんでした?」
「こういう話は酒がないと」
俺と団長は、なぜか大衆酒場にいた。団長は店員にキープボトルを持ってくるように頼んだのだが。
「なんか、俺のキープボトルの酒減ってないか」
「…………気のせいじゃないですか」
ボトルをしげしげと眺める団長から、俺は目線を逸らした。
俺を始めとする団員たちは、団長に仕事を押し付けられるたびにこっそりボトルの酒を飲ませていただいている。かなり高級なウイスキーらしいが、そもそも団長が酔っぱらった時に「いつでも飲んでいいからな~」と言っていたのだ。言質は取っている。
団長は「まあいいか」と言いながら、グラスに酒を注いでくれる。
「はい、じゃあ乾杯」
団長が差し出したグラスに、自分のものをこちんと合わせる。
酒場は仕事終わりの客でかなり賑わっていた。隣の席では男たちが肩を組んで歌っているし、誰かの豪快な笑い声が聞こえてくる。
秘密の話をするには、ずいぶんと賑やかな場所を選んだものだ。
「それで何ですか。秘密の話って」
せめて、この酒を飲んで帰る頃には終わってほしい。そう思いながらグラスに口をつけると、団長はあっさりと言った。
「お前の恋の話しかないだろ」
「げほっ……」
思い切りむせて、ウイスキーを吹き出してしまう。
「おい馬鹿! その酒高いんだぞ」
「誰のせいだと思ってるんですか……!」
慌てて口元を拭う俺を見ながら、団長は楽しそうに酒を飲んでいる。
まさかこのために、俺は夕方まで必死に仕事を片付けたのか。だったらエレナ先輩の見舞いに行きたかった。
「それで、どうなんだ。その、エレナとは」
いや、年頃の子どもに話しかける父親か。
「別に、どうもこうもないですよ」
「何も進展はないのか?」
「……先輩は今、休養中ですから」
「休養しているのはここ数日だろう」
しつこい。
先輩から聞いたのだろうか。いや、先輩がわざわざ団長に俺の話をするとは思えない。そもそも、話すようなネタが何もない。
それもこれも、俺が情けなく空回りし続けたせいで。
「俺のことをからかうために呼んだんですか」
「心配してやってるんだろう。お前、魔物を相手にするときより苦戦してるじゃないか」
「……放っておいてください」
「好きな人を振り向かせることは、一級の魔物を討伐するよりも難しいぞ」
そんなことは、言われなくても分かっている。
先輩は、魔物よりもずっと厄介だ。好意を伝えようとすれば、可愛い後輩を見守る顔をして邪魔してくるくせに、無意識に俺を撃ち抜くような言葉や仕草で攻撃してくるんだから油断ならない。
(しかも、最大の敵である元旦那のアルベルトなんちゃら侯爵もいるし)
結婚式に見た時は、それはそれは大人っぽい好青年だと思ったが、中身はただの浮気男だった。全く、先輩もあの男の何がいいんだか!
「まあ、焦るな。エレナにとって侯爵は『運命の人』なんだ」
まるで内心を見透かされたような気がして、俺は飲みかけのグラスを置いた。
「……運命の人、ですか」
「エレナの家庭環境は知っているだろう?」
「まあ、少しは」
先輩の実家の伯爵家では、妹ばかりが可愛がられていたらしい。魔法士になると決めたときには、そのまま家を追い出されたのだと聞いた。
侯爵との結婚も、伯爵が可愛い妹を嫁がせたくなかったから先輩を選んだのだと、そんな噂まで耳にしたことがある。
「侯爵は、エレナにとって初めて頼れる人間だったんだ。お前にとってのエレナがそうだったように」
「……」
「俺だって、侯爵は最低な浮気男だとは思うぞ? ただ、エレナの実家から貰った金を倍にして返して、彼女と実家の縁を切っているんだ。ただの浮気男ではない」
一人で家を出た先輩にとって、味方になってくれる人が現れたことは、どれほど心強かっただろう。その相手と結婚できたとき、どれほど嬉しかっただろう。
俺が知らない先輩を、あの人は知っている。
それが、どうしようもなく悔しい。
「……団長は、恋愛で一番大事なことって何だと思いますか?」
なんだか子どもっぽいことを聞いてしまった気がしたけれど、団長は笑わずに、グラスを揺らしながら酒を眺めている。
てっきり思いやりとか、相手を大切にすることとか。そんな答えが返ってくるのだと思っていたのだが。
「――運だな」
「運?」
「ああ。いくら相手のことが好きでも、身分やタイミングが邪魔をすることがあるだろう。逆に、たまたま出会う時期がよかっただけで、うまくいくこともある」
「……身も蓋もないですね」
なんだか納得がいかず団長を見ると、向こうは涼しい顔で酒を飲んでいた。
「だが、お前がエレナと政略結婚できるお貴族様に生まれていたら、こんなに思い悩んでいないだろう」
まったくその通りなので、何も言い返せなかった。
俺が黙っていると、団長は皿に残っていた肉を口に放り込んだ。
「難しいですね、恋愛って」
「そうだな。じゃあ、諦めろ」
「嫌です」
何がおかしいのか、団長は声を上げて笑った。
こっちは真剣に話しているのに、失礼な人だ。
「もし、恋愛が運なら……チャンスが巡ってきたときに掴むための努力をするまでです」
「あー、若い! 眩しい!」
オズワルド団長は俺をおちょくるように、目の前で手をひらひらと振った。
なんなんだこの人は。
「けどな、ジル。恋愛で一番怖いのは、ライバルじゃなくて自分の心だぞ。恐怖に打ち勝てよ、若者」
そう言って、ちびちびと酒を飲む団長を、俺は首を傾げて眺めた。
(恐怖ってなんだ……?)
意味がわからないのに、団長の言葉には妙に実感がこもっている気がする。もしかすると、団長にも、忘れられない相手がいるのだろうか。
どういう意味なのか尋ねるか迷っていると、団長がことりとグラスを置いた。
「じゃあ、本題だが」
「えっ、今までの前置きだったんですか」
「言っただろ、秘密の話って」
俺の恋の話がただの前座にされたことが少々気に食わない。文句を言おうとしたところで、団長の表情が真剣なものへと変わる。
「――お前が倒した擬態魔、何か引っかかっていることはないか?」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
討伐報告書を書きながら、何度も思い返していたのだ。
一級に分類される魔物には、高い知能を持つものが多い。人間の言葉を話し、わざと挑発してくるものもいる。
逃げられる相手をわざわざ追い詰め、すぐには殺さずにいたぶる。人間が怯えたり、騙されたりする姿を楽しむのだ。
なのに、あの魔物はただ人間を襲うだけだった。
「……ええ。俺もおかしいと思っていたんです」
そして、何よりも。
「――弱すぎました」
団長は驚かなかった。俺を見据えたまま、口元に笑みを浮かべる。
「さすが、我が国の筆頭魔術師」




