18話 友達になりたい
地面に残る跡を辿り、息を切らしながら森の奥に進んでいくと、やがて木々の向こうからリネットの声が聞こえた。
「離しなさい! この……っ!」
太い幹の陰から様子を窺うと、別の魔法士の姿をした擬態魔が、リネットを木に押さえつけていた。彼女の杖は地面に転がり、懸命に身体を動かしているものの、腰と両腕を締め上げられて逃げられないらしい。
「隊長、どうして助けてくれないんですか?」
「あなたはわたくしの部下ではないわ!」
リネットが睨みつけると、擬態魔はくすくすと楽しそうに笑った。
正面から魔法を放てば、リネットまで巻き込んでしまう。私は気づかれないよう木の陰に身を寄せて、杖の先に魔力を集めた。
できる限り小さく、細かく杖を動かし、宙に氷の魔法陣を描いていく。狙うのは魔物の身体ではなく、リネットに巻きついている腕だけだ。
「……っ!」
私の魔法は的確に魔物の腕だけを凍らせることに成功した。擬態魔が驚いて振り返った隙に、私はもう一度杖を振って魔法陣を描く。
ひゅっと鋭い風が矢のように凍りついた部分だけを打ち砕き、解放されたリネットの身体が地面に落ちた。
「リネット!」
駆け寄って身体を支えると、彼女は苦しそうに息をしながら私を見上げた。
「あなた……どうして戻ってきたのよ……!」
「話はあと。立てる?」
「あなたに心配されなくても、このくらい――」
そう言い返しながら立ち上がろうとしたリネットは、足に力が入らず、再び私に寄りかかってきた。魔物に締めつけられていたせいか、手首には赤黒い痕が残っている。
背後では、擬態魔が砕けた腕をじわじわと再生している。
「少しだけ我慢して。逃げるわよ」
地面に落ちていた杖を拾ってリネットに渡し、彼女の腕を肩に回す。二人で木々の間を進み、どうにか岩が重なった狭い窪みまで辿り着くと、その間に二人で隠れた。
「ここなら、少しは時間を稼げるはずよ」
入口に杖を向け、音を遮り姿を隠す魔法を紡ぐ。完成した魔法陣に魔力を注ぐと、薄い膜のような光が岩の隙間を覆っていった。
擬態魔の目を完全に欺けるわけではないけれど、応援が来るまで見つからずに済む可能性は高い。
「防音魔法の応用ですわね。さすが、元上級魔法士」
「……そうなのよ、気付いてくれたのね! 防音魔法の魔法文字の一部を変えているのだけれどーー」
「こんな時まで魔法の解説をしなくていいですわ!」
なぜか一喝されてしまったので、私はリネットの隣に腰を下ろした。急いでここまで来たうえに、立て続けに魔法を使ったせいで、どっと疲れが押し寄せてくる。
「エレナさん、ほかの三人は……?」
「負傷した人を連れて森を出てもらったわ。今頃は応援を呼びに向かっているはずよ」
「そう……」
無事だと知って安心したのか、リネットの肩から力が抜けていく。
「よかった。全員、こういうイレギュラーに遭遇するのは初めてだから心配していたんですのよ」
呆れたように言いながらも、その声はなんだか柔らかくて部下への信頼が伝わってくる。
「部下を大切にしているのね」
「小隊長として当然のことですわ」
「偽物かもしれないと分かっていたのに、迷わず助けに戻るくらい?」
そう尋ねると、リネットは言葉に詰まり、気まずそうに顔を背けた。
「……仕方がないじゃない。目の前で助けを求められたら、置いていけるはずがないですわ」
「それなら、私だって同じよ」
リネットが驚いたように私の方を見つめた。
「あなたが私を嫌っていることは知っているわ。でも、だからといって置いて逃げることはできなかったの」
私にとっては当たり前のことだったけれど、リネットには信じられない言葉だったらしい。彼女は呆然と私を見つめたあと、これまで押し込めていた感情を吐き出すように顔を歪めた。
「ああっ、もう、そういうところが嫌いなのよ!」
突然声を荒らげたリネットに、私は目を瞬いた。
「何でもできて、皆から慕われて……団長も昔の仲間も、あなたが帰ってきたことを喜んで……っ!」
彼女はいつものように勝ち気な表情を浮かべているけれど、その大きな瞳には涙が溜まっていた。
「……ごめんなさい。ただの八つ当たりだってわかっていますわ」
リネットは俯いたままぽつりと呟いた。怒りを吐き出したことで、張り詰めていた糸まで切れてしまったのかもしれない。
先ほどまでの勢いを失い、疲れ切ったように背中を岩壁に預ける。
「わたくし、元々貴族なんですの」
力のない声で唐突に告げられ、私は彼女の言葉に耳を傾ける。
「でも、母が亡くなって父が再婚してから、あの家にわたくしの居場所はなくなったわ。家族と同じ食卓につくことも許されず、屋敷の奥の部屋で、誰にも迷惑をかけないように暮らせと言われたのよ」
リネットは膝の上で両手を握りしめた。細い指が白くなるほど力を込め、爪を食い込ませながら、途切れそうになる声をどうにかつないでいく。
「魔法をうまく扱えずに物を壊したら、気味が悪い、家名に傷をつけるなですって。魔法士団に入ることを条件に、家から追い出されたんですの」
リネットの握りしめた手の上に、とうとう涙が落ちた。彼女はそれを見つめたまま、拭おうともせずに話を続ける。
「でも、魔法士団では結果を出せば、ちゃんと認めてもらえた。失敗すれば叱られたけれど、小隊を任されて、ようやくわたくしにも居場所ができたと思ったのに……」
その言葉に、私は目を伏せた。
なんだか、彼女が昔の私に重なってしまって、胸のあたりがぎゅっと苦しくなる。
(私と似てる……)
実家の伯爵家も、私に無関心だった。病気がちの妹を可愛がって、私のことなんて全然見てくれなかった。
少なくとも私が離婚した時に、手紙一枚で済ませてしまうくらいには。
(少しだけリネットの気持ちが分かった気がするわ)
リネットの高飛車な態度も、誰より結果にこだわるところも、二度と必要のない人間だと思われないために身につけたものだったのかもしれない。
「わたくしには、この場所しかないのよ。あなたが戻ってきたら、また居場所が奪われるんじゃないかって……怖かったの!」
「私は、あなたの居場所を奪えないわ」
リネットが作ったものは、リネットだけのものだ。私なんかが簡単に奪えるはずがない。
「あなたが連れ去られたとき、ユアンは真っ先に追いかけようとした。ほかの二人だって、あなたを置いていくことを嫌がっていたわ」
「それは……わたくしが小隊長だからですわ」
「そんなことない!」
必死にそう否定すれば、リネットは口元を歪ませて手で顔を覆った。もう嫌だ……と呟きながら、私の方をちらりと見つめる。
「わたくしったら、こんな弱音吐いたことないのに、よりにもよって、あなたに話してしまったのかしら! 友達でもないのに……」
その言葉になんだか吹き出しそうになってしまう。
私だってリネットは別の場所で出会っていたら、絶対に仲良くなれないだろうと思う。だけど、こうやって話せて彼女の心の傷を教えてもらえて、本当に嬉しかったから。
「――でも、私は貴方と結構いい友達になれると思うんだけれど」
「……っ」
リネットが弾かれたように顔を上げた。困惑したような、だけど、少しだけ嬉しそうに口元を緩めた時だった。
――入口を覆っていた光の膜に細い亀裂が走った。
私たちは思わず抱き合って、入り口を見つめる。
「見つけた」
亀裂の向こうに見知らぬ中年の男性が立っている。リネットはその顔を見た途端、怯えたように目を見開いた。
「お父様……」
「お前には、初めから居場所などない」
男性の口元が歪み、次の瞬間、私の作った光の膜が粉々に砕け散った。
擬態魔が腕を伸ばして、私たちに襲いかかる。私は咄嗟にリネットの前に立ち、杖に魔力を送ろうとしたのだけれど。
(こんな時に、魔力切れ……!)
防御の魔法陣を描こうとするものの、震える杖先から伸びる光は弱く、線が思うようにつながらない。魔力は感情ともリンクしているから、こういう時とても厄介だ。
「エレナさん、逃げてくださいませ!」
「あなたを置いていけないと言ったでしょう!」
魔物が目前まで迫って、私はぎゅっと目を瞑った。
――瞬間、私たちの足元に、眩い青色の魔法陣が広がった。
(これは……転移魔法……?)
考える間もなく、あっという間に地面が凍り付き、擬態魔の腕を激しい音とともに弾き返した。直後、轟音がして、私たちが隠れていた岩も全て吹き飛んでいく。
吹き抜けた風に髪を乱されながら顔を上げれば、木々の向こうに、杖を構えた一人の魔法士が立っていた。
(私と同じ、この魔法は……!)
かつて彼に教えた私の得意な氷魔法は、とんでもない暴れ方をしているけれど。
見間違えるはずのない深い紺色の制服と、その整った顔を目にした瞬間、張り詰めていた全身から力が抜けそうになる。
「――遅くなってすみません。後は任せてください」
いつもより少々冷たいジルの声が響き渡った。




