16話 ここにいるはずのない人
飛び出してきた鎧狼に向けて、リネットが杖を構える。その先端には、銀色の薄い円盤が取りつけられていた。
円盤の表面には、魔法文字と記号を組み合わせた魔法陣が刻まれている。リネットが魔力を注ぐと、描く動作をしていないにもかかわらず魔法陣が赤く輝き、そこから炎の魔法が放たれた。
炎は鎧狼の胸に命中し、樹皮のような外皮を燃やしていく。
「今のは……?」
「魔法陣盤ですわ。ご存じありませんこと?」
「こ、これが……! 名前だけは知っているけれど、実際に使うところを見たのは初めてなの!」
魔法士団の試験を受ける前に、ジルが魔法陣盤の話をしていたことを思い出す。興味深々でリネットのことを見つめていれば、勢いに気圧された彼女は私を見て苦々しい顔をした。
「筆頭から聞いていましたけれど、魔法が本当にお好きなのね」
リネットは杖の先から円盤を外すと、腰につけた革の入れ物に収め、別の魔法陣が刻まれたものへ素早く交換した。
(すごい……! 見ているだけでワクワクが止まらないわ!)
私が現役だった頃にはなかった魔道具だ。使える魔法は円盤に刻まれたものに限られるけれど、一から魔法陣を描く必要がないため、魔物を相手にするときには大きな助けになるだろう。
「そんなに見つめられたら、わたくしに穴が開きますわ! こんなもの帰ったらいくらでも見せてあげますわ!」
そんな会話も束の間、左右の茂みが大きく揺れ、新たに二体の鎧狼が飛び出してくる。
リネットたちはすぐに杖を構え、魔法陣盤に魔力を流した。攻撃が次々に放たれ、さっそく一体の動きを止める。
残る一体は攻撃を避けると、木々の間を縫って後方に回り込み、私を狙って地面を蹴った。
「エレナさん、危ない!」
ユアンの声が響く中、私は杖に魔力を込めた。
鎧狼の動きを目で追いながら、訓練場での練習通り魔法陣を描いて氷の矢を放った。
矢は硬い外皮に覆われていない前脚の付け根に突き刺さり、鎧狼は勢いを失って地面へ転がる。それでも起き上がろうとする魔物にもう一度杖を向け、再び魔法を放つと動かなくなった。
それをみたユアンは、目を真ん丸にして私を見た。
「え、エレナさん、魔法陣盤使わずに倒したんですか!? すごくないですか!?」
「そ、そう?」
素直に褒められると、悪い気はしない。ユアンの言葉に頬を掻いていれば、リネットの厳しい視線が飛んできた。
「ユアン、私語は慎みなさい」
ユアンはそんなリネットの背中に向かってにべえっと舌を出した。
(じょ、上司に向かって……)
私も若い頃に団長にしたことがあるけれど、振り返られたら終わりだからあまりお勧めはしない。魔法士は意外と察しが良いのだ。
それにしても、なんとか攻撃が上手くいってよかった。五年前とまったく同じとはいかないけれど、少なくとも足手まといになることはなさそうだ。
リネットは、倒れた鎧狼と私を交互に見たあと、わずかに眉を寄せた。
「ま、まあ、エレナさんも、ちょっとは役に立つのね。魔法陣盤を使わずに、あの速さで描けるのは……悪くないですわ」
褒められたわけではないけれど、先ほどまでより声の棘が少しだけ和らいだように感じられるのは気のせいではないと思いたい。
それから私たちは森の奥に進み、残る鎧狼を一体ずつ追い詰めていった。
リネットは茂みから飛び出してくる魔物に素早く炎の魔法を放つ。攻撃を避けた個体には他の魔法士たちが応戦し、私は逃げ道へ先回りするように魔法陣を描き、氷の矢で仕留めた。
初めてにしては、なかなか連携が取れていたと思う。
最後の一体が地面に倒れた頃には、森に入ってから一時間以上が経っていた。
「これで六体ですわね」
魔物の数を確かめ、リネットは満足げに頷いた。
「周辺を確認してから戻りますわよ。魔力が減っている人は、今のうちに回復薬を飲んでおいて」
リネットの指示を受け、皆が息を整えながらごくりと回復薬を飲む。薬草を煮詰めたそれは、お世辞にも美味しいとは言えない味だが、体の中から抜けきった魔力が戻ってくる感覚がする。
(無事に終わったんだ……)
事前に確認されていた六体はすべて倒したし、こちらに怪我人はいない。初めて見る魔法陣盤に驚かされたものの、私も無事に魔物を討伐できた。
緊張が解け、ようやく息を吐いたときだった。
少し離れた場所から、ぱきぱきと乾いた枝を踏む音がした。
別の魔物が現れたのかもしれないと、全員が一斉に杖を構える。
けれど、木々の間から現れたのは、魔物ではなく、一人の男性だった。
「どうして……」
上質なグレーの上着も、綺麗に整えられた髪も、記憶にある姿と何一つ変わっていなかった。
今朝の夢の中で私を見つめていた顔が、穏やかに微笑む。
「エレナ。やっと見つけた」
いるはずのない人の声に、ひゅっと喉の奥が鳴った。
どうして。なんで。ここにいるの。
「……アルベルト」




