14話 美味しいパンでひと休み
三日後の討伐に備え、私は空いた時間を見つけては魔法士団本部の中にある訓練場に通っていた。
訓練場の端に並べられた人形に向けて杖を構え、先端に魔力を集める。杖を動かすと、キラキラと光の線が描かれて毎回うっとりしてしまう。
魔法陣は、魔法の性質を表す魔法文字と、その形や動きを決める記号の組み合わせでできている。今回は氷を表す文字を中心に、矢の形と数、それぞれが飛ぶ方向を指定する記号を書き込んでいく。
私は昔から氷魔法が得意で、ジルにもこの訓練場で沢山教えたっけ。
(……よしっ)
瞬間、光の中から三本の氷の矢が放たれる。
そのうち二本は狙った場所に命中したものの、残る一本は人形の肩を掠め、後ろの壁にぶつかって砕けた。
「……まだ少し、力を入れすぎているみたいね」
魔力の調整は、感覚で覚えるしかない。言葉で説明するのも難しいため、教えてもらってどうにかなるものでもない。
今度は流す魔力を少し抑えて、同じ魔法陣を描き直す。先ほどより細い光の線で完成した魔法陣から三本の矢が飛び出し、今度は人形の胸に全て突き刺さった。
(これなら、討伐もなんとかなりそうね)
ほっとしながら、次の魔法を試そうとしたとき、少し離れた場所で訓練していた魔法士たちの会話が聞こえてきた。
「また北の街道で人が襲われたらしい。例の、人間に化ける魔物の仕業じゃないかって話だ」
「一級指定になったんだろう? 相手の心を覗いて、その人の一番大切な人の姿に化けるらしいぞ」
杖を下ろして、二人の話に耳を傾ける。
人の姿に化ける魔物が現れたという噂は、王都に来てから何度か耳にしていた。姿だけでなく声までそっくりに真似て旅人に近づき、人気のない場所に誘い出して襲うという。
「もう専門の討伐隊組まれて捜索を始めているらしいぞ。俺たちが見つけても、絶対に近づくなと通達が出ていたし」
「まあ一級なら、当然だろうな」
魔物は危険度によって三級から一級まで分けられている。一級に指定されるのは、複数の部隊でなければ対処できないほど危険なものだけだ。
三日後、リネットたちと討伐する魔物は三級指定である。とはいえ今の私には、十分すぎるほどの強さだと思う。
(昔なら何とか一級とも戦えていたけれど……今は、まだまだね)
そう自分に言い聞かせ、私は再び人形に杖を向けた。
それから仕事を終える時刻まで何度も魔法陣を描き、腕に心地よい疲れを感じながら訓練場を出た。
◇
訓練を終えて家に向かう途中、パン屋の前まで来ると、開け放たれた窓から焼きたての小麦の香りが流れてきた。
(なんていい香り……)
訓練場で身体を動かし続けていたせいか、途端にぐうとお腹の虫が鳴った。窓の向こうを覗くと、焼き上がったパンを棚に並べていたローザさんと目が合ったので、そのままお店に入る。
「いらっしゃい、エレナちゃん。今日は一人なの?」
「まるで、いつも誰かと来ているみたいな聞き方じゃないですか」
「この前はジル君と一緒だったでしょう? 昔も二人で来ることが多かったから、つい!」
ローザさんは昔から変わらず親しみやすく、話していると、こちらまで自然に笑顔になる。
店内にはほかに客がいなかったため、私は蜂蜜パンと林檎のパンを選ぶと、そのままカウンターの前で話すことにした。
「エレナちゃん、今日は遅いわね?」
「三日後、討伐に行くことになったので、新しい杖の練習をしていました」
「まあ、くれぐれも無理はしないでちょうだい」
「一番危険度の低い魔物ですし、ほかの魔法士たちも一緒なので大丈夫です。それに、今の私がどれくらい戦えるのか確かめられると思うと、少し楽しみなんです」
五年ぶりの実戦に不安がないわけではない。それでも、自分が再び魔法士として役に立てるのか、ようやく確かめられることの期待の方が大きかった。
そんな私の顔を見て、ローザさんは安心したような、それでも心配を拭いきれないような笑みを浮かべる。
「昔から頑張りすぎるところがあるのだから、どうか気をつけて。魔法士団にはもう馴染めたの?」
「皆さん、よくしてくださいます。昔の仲間もたくさん残っていたので、思っていたより早く馴染めそうです。ただ……一人だけ、私のことをよく思っていない方がいるみたいで」
私は、ぼんやりとリネットの顔を思い浮かべた。
「ジルの知り合いというだけで、調子に乗っているように見えたのかもしれません。筆頭魔法士の推薦だからってチヤホヤされるのはおかしいと、はっきり言われてしまいました」
おおよそリネットがジルを慕っていることも関係していそうだけれど、それはあくまで私の憶測にすぎないので一旦黙っておく。
「あらまあ、随分と厳しい方なのね」
「言い方には少し棘がありましたけど、受け入れてもらえないのは仕方がないと思っています」
「エレナちゃんは優しいのねぇ」
ローザさんはそれ以上リネットについて尋ねず、包み終えたパンを棚の端に置くと、何気ない調子で話題を変えた。
「それじゃあ、王都での暮らしには慣れた?」
「一人で暮らすのは思っていたより心地よくて、家にも少しずつ慣れてきました。ただ、以前の暮らしを思い出すことはあります」
「侯爵様と暮らしていた頃のこと?」
ここ一年、アルベルトがミレーユ様にうつつを抜かすようになってからというのも、仕事は大変だった。解放されてよかったと思いたいのに、簡単に割り切れない自分が憎々しい。
「……今も、ときどきアルベルト――元旦那から手紙が届くんです」
「あらそうなの?」
「領地や使用人たちのことで困っているらしくて、分からないことを尋ねてくるんです。もう私が答える必要はないと思うのに、困っている皆の顔を思い出すと、放っておけなくて」
「それで、返事を書いているのね」
ローザさんは否定することなく、穏やかに頷いてくれる。私に姉がいたらこんな感じなのかなと想像してしまう。
「それなら、エレナちゃんの心には、まだ侯爵様への気持ちが残っているのかしら」
「それは……どうなんでしょう……」
最近、アルベルトのことをどう思っているのか自分でもよくわからなくなっている。
恋焦がれて苦しいというよりも、当然だったものが突然なくなってしまった感覚の方が近い気もする。頭を悩ませていると、ローザさんがくすくすと笑い声を上げた。
「あら、好きだった男性のことを、そんなに簡単に忘れられるはずがないでしょう? 私だってそうだったもの」
ローザさんもかつて、今の旦那さんと離れ離れになり、二度と会えないと思っていた時期があったらしい。遠距離のまま何年経っても忘れられず、ようやく再会できたときには奇跡だと思ったのだと、以前話してくれたことがある。
「ローザ、そろそろ表の看板を片づけてもいいか?」
店の奥から旦那さんが顔を覗かせた。会話は聞こえていなかったらしく、私に気づくと、いつもと変わらない穏やかな笑顔で頭を下げる。
「ええ、お願い。こちらもすぐに終わるわ」
ローザさんが微笑み返すと、旦那さんは安心したように奥に戻っていく。
長い間離れていた二人が今こうして一緒に店を営んでいることが、なんだかとても尊いことのように思えた。
「だから、エレナちゃん。その気持ちも、大切にしていいのよ。離縁したからといって、好きだったことまで否定する必要はないわ」
「……はい」
「これからは、もっと自分に素直に生きてもいいのではないかしら」
――自分に素直に生きてもいい、か。
一人暮らしも始めて、少しずつ自分の人生が動き出している気がする。私はアルベルトを忘れて、魔法士として頑張りたいと思っている。
そして、いつか自分の幸せを見つけられたら最高だ。
やがて閉店の準備を始めたローザさんは、棚に残っていたパンをまとめ、新しい紙袋に入れてくれた。
「売れ残り、よかったら持って帰って。明日の朝食にしてちょうだい」
「こんなにいただけません。買わせてください」
「常連さんへのサービスよ。またよろしくね?」
遠慮する私に半ば押しつけるように紙袋を持たせてくれて、私はありがたくいい香りのする紙袋を抱えて帰るのだった。




