10話 素直になれない
なんで、ここに?と思ったけれど、時計を見れば、ちょうど昼休みの時間だった。
誰もが憧れる筆頭魔法士様が、パンを山ほど抱えているのが何だかチグハグで笑ってしまう。
そんな私に気づいたジルが、紙袋を背中に隠した。
「これは……部下への差し入れです」
「あら、ジル君が全部食べるって張り切ってたじゃない」
ローザさんにあっさりとばらされ、ジルは気まずそうに黙り込んだ。どうやら彼も、ローザさんには敵わないらしい。
「エレナちゃんも、久しぶりに買っていく?」
「では、蜂蜜パンと林檎のパンを一つずつください」
「一つずつで足りる?」
「昔たくさん買っていたのは、私ではなくジルのためなので」
そう言うと、ジルはむっとした表情で反論する。
「先輩、たまに俺の分まで食べてたじゃないですか」
「そんなに食べていないわ!」
すぐに言い返すと、店主夫妻が顔を見合わせて笑った。結局、ローザさんは頼んだパンのほかに、焼きたての小さなクリームパンを二つ包んでくれた。
おまけだそうだ。
「再会のお祝い。二人で食べて」
「ありがとうございます」
なぜかジルがお礼を言うと、私の代わりに紙袋を受け取って店を出た。
「ちょっとジル、自分で持てるわ」
「このあと、どこに行くんですか?」
紙袋を奪い取ろうとする私を華麗に無視して、ジルは横に並んで歩きだした。
「郵便局よ。手紙を出したくて」
「では、一緒に行きます」
(いや、でも……)
街ゆく人の視線がずきずきと刺さる。筆頭魔法士の隣を歩くのは目立つからできれば遠慮願いたい。
ジルを見上げれば、驚くほど整った横顔が目に入って頭がくらくらとしてきた。
「ジルは仕事に戻らなくていいの?」
「今は昼休みなので」
ジルは満足そうに笑ったあと、私の歩幅に合わせて歩き出したので、もう諦めることにした。この後輩は意外と頑固で、一度決めたことは団長に言われてもなかなか曲げないのだ。
郵便局は、パン屋から二つ先の通りにあった。幸いにも、中にいる人はそれほど多くない。
ずっと持たせたままだったパンの紙袋をジルから受け取り、空いている窓口に向かいながら鞄を開く。
しかし、片手で手紙を取り出そうとしたせいで、封筒が指の間をすり抜け、床に落ちていってしまった。
「あっ」
私が屈むより早く、ジルが拾い上げた。そして、封筒の宛名を見たまま――サファイアの瞳をすっと細める。
「……侯爵様に送るんですか」
その上、いつもよりも一段と低い声で、そう呟いた。
「ええ。今朝、アルベルトから何通も手紙が届いたの」
「返事を書く必要なんてないでしょう」
「それは、分かっているんだけど……」
ジルと目を合わせづらくて、私は抱えていた紙袋へ視線を落とした。
別に悪いことをしているわけでもないのに、言い訳を探すように、紙袋の端を指で弄る。
「色々と困っているみたいだから。何も返さないのも、少し気になってしまって」
そう言うと、ジルの眉間に深いしわが寄った。
「どうして先輩を捨てた人間を助けてあげるんですか」
「だって、使用人たちや領民が困るでしょう?」
ジルは額に手を当てて、呆れたように溜息をついた。
「……本当に、先輩はお人好しですね」
「自分でも分かってる。だから、手紙を返して」
封筒に手を伸ばすと、なぜかジルが私に向かって一歩近づいた。
(えっ)
距離を取るために、私も一歩離れると、ジルがまた近づいてくる。
すぐ目の前に立ったジルを見上げた時、ようやく自分が壁際に追い込まれていることに気づいた。
「ジル、近いわ」
「……それだけですか?」
ジルは、切なげな表情で私を見つめる。
「使用人や領民が心配だから。本当に、それだけですか?」
「……どういう意味?」
「――本当は、全然、侯爵様のことを諦めてないくせに」
ひゅっと喉の奥が鳴るような感覚がする。
皆のためという大義名分を立てたけれど、もちろんアルベルトから頼られて嬉しかった気持ちがなかったと言えば嘘になる。
先日、ジルに恋心を忘れる魔法をかけてもらった手前、こうして手紙を返そうとしていることが矛盾した行動に思えて、ひどく後ろめたく感じられた。
「……すみません。意地悪なことを言いました。好きだった人を忘れるのが難しいことくらい、俺も分かってるつもりです。でも」
これ以上この話を続けることに耐えられず、ジルの脇を通り抜けようとした。けれど、彼はそれを遮るように一歩踏み出し、行く手を塞ぐ。
ジルは私を見つめたまま、さらに少しだけ距離を縮めて、ある意味諦めたような表情で私に告げる。
「……どうしたら、俺のことを見てくれるんですか」
長いまつ毛に縁どられたサファイアの瞳が、すぐ目の前にあった。あまりの近さに思わず息を呑む。
再会してからというもの、ジルは随分と思わせぶりではないか。
思い切って私は尋ねてみることにした。
「……ねえ、ジル。あなた、私のことが好きなの?」
「エッ」
さすがにここまでグイグイ迫られるとそう勘違いしても仕方ないだろう。ジルがぴたりと固まったかと思うと、みるみる耳まで赤くなり、慌てた様子で私から顔を背ける。
「ち、違います! そういう意味じゃ……!」
「……なあんだ。違うのね」
なんだか少し拍子抜けしてしまったと同時に良かったと思う。だって、ジルに好きですなんて言われてもなんて返せばいいのか分からないんだもの。
「だったら、あんまりそういうことしちゃ駄目よ。勘違いするでしょう?」
「…………っ」
ジルは口元を手で覆ったまま、何も言わなくなってしまった。まったく。仕掛けた本人が照れるなら、最初からからわないで欲しい。
「でも、あなたの魔法、少しは効いているのかもしれないわね」
「…………え?」
「だって、ジルといる間はアルベルトのことを忘れていられるもの」
そんなすぐにはアルベルトのことは忘れられる気はしないけれど、恋心を忘れる魔法のおかげなのか考える時間は減った気がする。
そう告げると、ジルはますます顔を赤くした。
「…………その設定、まだ生きてたんですね」
なぜか、ジルはしおしおと項垂れて口から魂が抜けてしまったように明後日の方向を見つめている。
「次の方、どうぞ」
ちょうど順番が空いたらしく、私はジルから封筒を受け取り窓口へ向かった。
◇
(あ〜〜〜〜っ! 最悪だ、最悪だ、最悪だ……っ!)
エレナ先輩の背中を見送り、俺はがっくりと肩を落とした。全ての選択を見事に間違えた気がする。なんて情けない男なんだろう。
恋心を忘れる魔法なんて、あるわけがない。なのに、俺といる間はあの男を忘れていられるなんて言われたら。
(本当にそんな魔法があれば、今すぐに先輩にかけてあげるのに)
恋心を忘れられずに苦しむくらいなら、俺にすればいい。俺なら絶対に泣かせないし、先輩が必要としてくれるなら、何だってするのに。
「……俺の方が、ずっと好きだったのにな」
もっとも、好きかと聞かれて咄嗟に否定してしまった俺に、偉そうなことを言う資格などないのだが。




