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「へぇ、沙絵が来る!」
界が電話するとジョージは素直に喜んだ。彼は沙絵と仲が良いのだ。
「いつ?」
「……明日」
「あした~!」
ジョージはびっくりした声を出してから、それからあははと軽快に笑った。
「沙絵らしいなあ。思い立ったらすぐってとこが」
「笑いごとじゃねーよ。アイツがこういう行動取って、俺良い目にあったことないし」
「仕方なくない?」
「え?」
「久しぶりに緋乃に再会して手ぇ出しておまけに泣かせたんだから、緋乃命の沙絵が怒んないわけないじゃんか」
「…………」
界は絶句した。間違ってない。
間違ってないが……しかし……
(なんでこいつそこまで知ってんだ?)
友達とはいえ他人であるので界はあの一夜のことをジョージに詳しくは話していない。というか話したくない。何故かって、単純に恥ずかしい。
自分にだって廉恥心ぐらいあるのだ。
カーッと耳まで熱くなるのを感じながら界は顔を片手で覆った。
「あれ、カイ、怒った?」
沈黙した友に気がついてジョージが声を上げる。界は唸った。
「怒ってはねえけどよ……」
「けどなにさ」
「少しはこっちのプライバシーにも配慮しろよ」
「おや珍しい。君が照れてる」
「あたりまえだろ! ものっすごい個人的な部分だろ、恋愛って!」
がぁと吠えるようにそう訴えると、ジョージは一瞬驚いたように沈黙して、それからすぐに「ごめん」と言った。
「……でも、なんか意外だ。怒るんじゃなくて照れるんだな」
「はぁ?」
「や、なんでもない」
そんなやりとりを交わした後、ジョージはお店を探すと言って電話を切った。
「わー! そこのイケメンふたりー! お嬢様だぞ、久しぶりー」
で、翌日夜である。ジョージが仕事を切り上げる時間を見計らって家を出て、男たちはそろって沙絵を迎えに行った。
お嬢様はホテルに荷物を置いて観光をしていたらしく、チャイナ風のワンピースにフラットシューズという軽装である。
めっちゃ久しぶりだなー、と界は思った。緋乃と別れてから、何となく彼女にも連絡が取りづらくて遠ざかっていたのだ。
「沙絵~! ひさしぶりだね」
たっとジョージが駆け寄って行って沙絵を抱擁する。沙絵は声を上げて笑い、彼の背中に手を回した。
「きゃ、ジョージだ♪ 相変わらず綺麗だねー」
「それは僕のセリフだよ、お洒落さん。チャイナ服かわいいね」
「そうなの! これ可愛いでしょ? 気に入ってるんだ」
どことなくいちゃいちゃした雰囲気の二人に苦笑を浮かべつつ、続いて界も沙絵をハグしたが……
「えっ」
沙絵は何故か、赤くなって驚いた顔をした。界もえ? とすぐに体を離す。なんかまずいことしただろうか。
「どうかしたの? 沙絵」
ジョージが気が付いて声をかけると、彼女はてへへ、と恥ずかしそうに頭を掻いた。
「や、なんか……ジョージはともかく、界くんにハグされたの初めてだからさ。なんかびっくりしちゃった」
そこでああ、と界は気づいた。そういえばそうかも。
日本ではそんなことしたらただの変態になるし、海外で彼女と会ったのはこれが初めてなのだ。つまり海外仕様に驚いたという事なのだろう。
「ゴメン。こっちだとふつうだから」
「そうでしょうね。うん、緋乃の気持ちがちょっとわかった」
にこーっと笑った沙絵の言葉に界は黙る。ジョージがあー、と空を仰いで、とりなすように明るい声を出した。
「それで。お店予約してあるから、行こっか!」
「え、お店? やだ」
しかしながらこのお嬢様は相変わらずのマイペースっぷりを発揮してそれを拒否。ジョージは固まり、界は眉間にしわを一本刻んだ。
沈黙が生まれたが、沙絵はまったく気にせずさらに微笑む。そして言った。
「わたし、界くんの家に行きたいの」
***
「へー、広いお家。これってアパート?」
「日本で言うマンションに近いのかな? 僕たちはマンションもアパートもフラットって呼んでる」
「ジョージの家もこんな感じ?」
「僕の家はもうちょっと広いよ」
「え~!? これ以上ひろいのお!?」
「でも、代わりに少し遠い町はずれにあるんだ。緑が多いとこに住みたかったから」
ジョージと沙絵が喋っている。界を無視して喋っている。人の部屋を物色しながら喋っている。
それは構わない。構わないのだが……
「少しは手伝えよ!」
キッチンで一人料理をしながら界は叫んだ。なんだこの理不尽な状況。
勝手にドイツに来て勝手に家に来て料理しろとかのたまいやがって。
あいかわらずのお嬢様だ。ヨハンナといい勝負だ。
「え~? 何よけち。緋乃は家にあげたんでしょ」
ロフトによじのぼってそこからひょっこりと顔を出し、沙絵が声を上げる。界はくっ、と怯んだ。いちいち彼女の名前を出すあたりがセコい。
腹立たしくてオーブンの扉をがんっと音を立てて閉めた。
「……じゃぁ、客人はいいとして、せめてジョージ! 皿並べろ」
「はいはい~アイスバインとなんだっけ? パン?」
「そうだよ。元は俺の夕食になるはずだった!」
「そう怒るなよ。皆で食べた方が楽しいじゃないか」
キッチンに入ってきたジョージはそう笑って界の怒った肩を叩いた。
何度もこのフラットに来ている彼は皿の場所もカトラリーの保存場所も知っている。てきぱきとテーブルを整えるその様子に、沙絵がじーっと興味深げな視線を注いでいた。
「ん、美味しい。へぇー、界くん料理うまいんだ」
やがて夕食が始まると、沙絵が感心したようにそう言った。界はべつにとぶっきらぼうにワインを傾ける。
「最近ぜんぜんやってなかったから、久しぶりに時間かけてみただけ」
「忙しいの?」
「まぁ、そこまでじゃないけど」
「ウソつくなよ」
界の言葉にジョージが突っ込む。柔らかく煮込んだ豚肉を口に放り込みながら。
「ここ一か月で休み何日だ? 三日もなかったんじゃないか?」
「ひぇっ。信じられない」
界が答える前に沙絵がそう悲鳴を上げていた。彼女はパンを握ったままの姿勢で界を呆れたように見る。
「相変わらずそんな人間らしくない生活を……。界くんに自分を労わるという考え方はないのかしら?」
「みんな言うけどな、それ」
界は苦笑して自らもパンをちぎった。
「俺はやりたいことをやってるだけだから、辛くないんだって」
「気持ちは良くても体は疲れるでしょう。物理的に。体壊したりしたことはないの?」
「ああ、あるある。食事を忘れて倒れたりとか、ひどい帯状疱疹ができたりとか、熱出しても気づかなかったりとかね」
答えたのは何故かジョージで、彼は最後の一言をウィンクとともに界に贈った。
一方の界は何を言われているのかわかって眼を反らす。
「仕方ない。それが俺だ。だいたいそこまでしょっちゅうじゃない」
「まあね。具合悪くなってもすぐ治るしね。本当普通じゃないよ君は」
「人を化け物みたいにいうな!」
「ある意味バケモノだよ? できないことないんじゃないの、本当に」
ジョージと何時もの通りのやりとりを交わしていると、ふと沙絵がため息を吐いた。それは何気ない、彼女が意図せずに唇からこぼれおちたという類のものではなく、明らかに一種の主張を孕んで行われた行為であったので、界はぎくりと肩を揺らして彼女を見た。
すると果たして沙絵はフォークを置き、その濡れた瞳で界をじっと見つめ返してきたのだった。
「……あなたたちって、今でもぜんぜん、変わらないのね」
涼やかな声は耳に心地よいもののはずなのに、何故か底知れぬ深みを感じさせ、耳にした者の恐怖を煽った。界は一瞬息を止めたが、予期していたことである、自らも食事する手を止めて彼女に向き直った。
ジョージがえ、という顔をして友二人の顔を見比べた。一瞬の沈黙が落ちる。
界はそれを自ら打破した。
「──高槻」
「なにかしら」
「緋乃は、元気かな」
再び沈黙。
数秒の後、空気を揺らしたのはチッ、という舌打ちの音。
続いておよそ品があるとは言えない台詞。
「……そんな気になるなら自分で見に来いよ」
「沙絵! 崩れてるよ、お嬢様崩れてる!」
「うっさいな~、だってそうでしょ!?」
横からのジョージの突っ込みを苛々と跳ねのけて、沙絵はついに界に食って掛かった。
「どういうつもりなのよ、界くん! 偶然出会ったのはいいとして、中途半端に手を出して、あの子の気持ち弄んで。そんな人だと思わなかった!」
「中途半端なつもりはない」
真っ向から切り付けられた刀をあたかも素手で受け止めるが如く界は答えた。
「俺だってびっくりしたんだ。お互いに、あんな刹那的な行動を取るとは思わなかった」
「だからなんだよ!」
「だから、俺は今でもあの子が好きなんだってことだよ!」
露骨に牙を剥く沙絵に、界も若干声を強めて言い返した。ああうるさい。
友人たちは昔からお節介と言うか、情に厚い。平気でプライバシーを侵害してくる部分があるのだ。
「なによ、じゃぁ好きだからって……」
「ちょっと黙って」
この時には少し、いや結構怒っていた界は、沙絵の言葉をばっさりと遮った。
いくら友達でも言っていいことと悪いことはある。
「高槻も、ジョージも。どこまで聞いてるのか知らないが、俺が遊びであの子を扱わないってことぐらいわかってるはずだよな。なのに手を出したとか、そういう言い方やめてくれるか?」
我知らず低い声になった。沙絵が唇を尖らせて、ジョージがあー、と青ざめた顔にひきつった笑みを浮かべた。
「そ、そうだよな? 沙絵もちょっと謝りなよ」
「なんでよ。やだよ! だって界くんはいつもそうじゃん!」
ジョージの仲裁を叩き潰した沙絵は、明らかに怒っていたが、だがどこか悲しげに、もどかしそうに見える表情でそう叫んだ。
界は界でもう引けない。だいたい沙絵はこのためにドイツまで来たのであるからして、真っ向からぶつからなければ逆に失礼というものだ。
だから沙絵をまっすぐに見て聞き返した。
「いつもってなんだよ?」
「いつも正しいことばっかり言って、出来て、なんでそうなのよ。出来ないことがなくて。普通は何でもできないのよ。二つのことを両立することだって難しいの」
「はぁ? 話ずれてんだろ」
「ずれてない!」
沙絵はお嬢様の仮面を投げ捨てて声を荒げた。珍しく、激昂していた。
「そういうところが緋乃はいやだったんだよ! 界くんがいつもぶれないから。自分はできないことがあなたはできる。立ち止まりたいのに、あなたは立ち止まらない。新しい道を新しい仲間と進んでいて、楽しくて仕方がない。そうでしょ?」
界は言葉が出なかった。
不覚にも、沙絵の言葉にショックを受けていたのだった。
否、彼女の言葉は抽象的で、正直ほとんど意味がわからないのだが、なんとなく方向性はわかる。だから余計にショックだった。
横でジョージもぽかんと口を開けて驚いているのが見えた。それはそうだろう。
ふだんはマイペースな沙絵がここまで感情をあらわにするのは珍しいことなのだ。
「緋乃は生きてるのよ」
沙絵は低い声でさらに続けた。ふだんは青白いとも言える肌が今は赤く怒りに染まっている。これは本気だ、と、界もジョージも理解した。
「考えて、動いて、仕事をして、これから結婚して子供を産むの。あの子をまるごと欲しいなら、貴方だって引き換えに何かを投げ出さなければいけないのよ」
界は思わず拳を握った。ずっと考え続けてきたことを、沙絵にまで言われてしまった。それが悔しかった。
(わかってるさ)
あの人の笑顔を守りたいのなら。
もう寂しい想いをさせないためには──
「今のままであの子をまた都合良く手に入れようなんて思わないで」
そう、俺が、変わらなければいけないのだと。
「……それは本当に言い過ぎじゃないのかな。沙絵」
言葉を失ってしまった界の横で、やがてやんわりとジョージが声を発したのがわかった。
「二人の問題は二人のことで、僕らがむやみに口出していいことじゃない」
お前が言うなよとも思うセリフであったが、界は少し感謝した。
たまにはマトモなこと言うじゃねぇか。
だがお嬢様はまだエキサイトしている、ジョージの言葉にも打てば響く速さで「だって!」と答えた。
「緋乃、すっごく悲しそうなんだもん! 三年前からよ、界くんと別れることになったから、あの子人が変わっちゃったみたいに……」
「それは界だって一緒だよ。大体振ったのは緋乃のほうだろ、界だって色々忙しかったのは事実なんだ、どっちかだけが悪いわけじゃなかった」
「緋乃がどんな気持ちで界くんを振ったと思ってるのよ!」
「きみは振られた後の界を知らないからそういうことが言えるんだよ!」
今度はジョージまでエキサイトしてきた。界は思わず項垂れていた顔を上げた。
「界はなぁ、酒に溺れて毎晩喧嘩して、頭を三針縫う怪我をしたんだぞ! 緋乃が界の話も聞かずに一方的に別れてくれって言ったから!」
「なによ! そんなこと言うなら緋乃だって歌やめちゃったじゃん、デビューまでしてたのに。界くんがずっと傍にいてくれたらそんな風にはならなかったのに!」
「それは界のせいじゃないだろ!」
「だから何でわかんねぇんだよ男って! このポンコツ!!」
(えーっと)
界は話が変な方向に進んでいるのに気が付いて眼を細めた。
いつの間にやら言い争いになっていた。




