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「おい二人とも、止め……」
久しぶりの友との再会で言い争いとは気分が良い筈がない。
界はとりあえず沙絵とジョージの間に割って入ろうとしたのだが──、
「君のためだろ!」
「あなたの話よ!」
思いっきり怒鳴り返されて呆然とした。
(いや、俺が悪いのか?)
ここでちょっと悩んでしまうのが界というヘタレである。
人の好き嫌いがはっきりしている分、嫌いなタイプにはとことんクールだが、逆にはホット。情が深い。緋乃が極端な例であるが、親しい人間に弱いのだ。
そんな瀬川君は、目の前の好きな人間ランキングにランクインしている友人ふたりから矢継ぎ早に非難され、さらに驚くこととなった。
「大体君はなぁ、昔っから変なところ鈍いんだよ! 自分のことめちゃくちゃに言われたり傷つけられてもなにも感じてないみたいな顔して! 少しは言い返せよ、見てるこっちが腹立つんだよ」
「そうよ、鈍いわ! あなたは自分に対する視点ってものが欠けてるのよ、だから、緋乃があなたを見てどんな気持ちになるのかわからないんだわ! 大体ヨハンナって誰よ? 緋乃が一番だって言いながら、あなたはそういう女を横に置いて緋乃がどう思うかって考えないわけ?」
「仕方ないだろ、勤め先の社長の御嬢さんなんだぞ? そういう感覚がわかんないってのは沙絵もやっぱりお嬢様だよな。少しは社会性身に着けた方がいいんじゃないの?」
「んなこと言ってるからアンタたちっていつまでたってもヘタレなのよー!!!」
言われたことにショックを受けている間もなく、沙絵がジョージの頬を張った。
ばしっと良い音が響き渡り、そのあとリビングに落ちてきた沈黙。続けて、うるっと緑の瞳を湿らせたのはジョージ。
界はさすがにあー、頭を押さえてから、二人の間に割って入った。
「……わかった。お前らの言い分はよくわかったから、とりあえず、喧嘩はやめれ」
***
「本当のところはどう考えているのよ?」
界は沙絵へとりあえず酒を飲ませた。最初に開けたのともう一本のワイン、それからとっておきの日本酒。
こっちでは手に入れるのが中々難しいサケを沙絵はぐいぐいと飲み干してまあなんとか怒りは静まった。
しかし界への追及は止まない。ざるではないが酒にはめっぽう強い沙絵は、今度こそ界に詰め寄った。
「求婚しようと思っている」
もう恥ずかしがったり出し惜しみしている場合ではなく、界は大人しくそう答えた。
沙絵はしかし、けっと斜めに界をにらみ、さらに疑惑のまなざしを注ぐ。
ちなみにジョージは部屋の隅で落ち込んでいる。フェミニストの彼は妹以外の女に殴られたことがだいぶショックだったらしい。逆に言うと妹にはぼこすこ殴られても平然としているのだが。
「大学生の時もそう言ってたよね?」
「言ってた。本気だった。実際こっちに来てするつもりでしたがその前に別れようって言われた。それが何か?」
さらりと口にしたのは界にとってかなり痛い記憶である。酒の勢いがなければ到底言えない。
しかし沙絵は界のそんなデリケートな心情をふんっと鼻で笑ってけなす。
「自業自得よー。どーせ界君のことだからさ、ヨハンナちゃん? とか、グレーテルさん? とか、他にも美女を無意識に侍らせてたんでしょ。それで気づいてなかったんでしょ」
「……かもしれないけど。でも俺はほんとにその気ないし。好かれたとしても好きにはならない。誘いも断ってる。これ以上どうすればよかったんだ?」
「ヨハンナちゃんとはしょっちゅうデートしてるって聞いたけど」
「あのこは親戚っていうか、妹の感覚で」
「あーもーだから、緋乃が同じこと言いながらほかの男と毎週末出かけてたらあなたはどう思うのよ!?」
沙絵にずばっと指摘されて界ははっとする。確かに。
それは……許しがたいかもしれない。いやしかし。
本当に彼女の大事な人間だとしたら自分が口を出す権利はないし、もやもやしながらも行ってらっしゃいと言ってしまうのかもしれない。
界は考えて、それを沙絵に伝えた。
すると沙絵はがっくりとうなだれた。さらさらの髪がテーブルに擦れる。
「……なんだよもう二人しておんなじこと言いやがって」
ぼそぼそした声は呆れたようにも悲しげにも聞こえる。
界が返答に窮していると、彼女はやがて再び勢いよく顔を上げた。
「あのねえー。君たちってさ、カッコつけすぎなんだよね、基本的に」
「かっこつけ……?」
界はさらに戸惑った。その形容詞は、自分だけでなく緋乃にもあてはまるというのか。
そんな界に沙絵は大きくうなづいて言葉を続ける。
「そうよ! 嫉妬とか、そういうの相手にぶつけなかったんでしょ。ワガママ言わなすぎっていうか……失敗怖がりすぎっていうか……」
うーんなんか違う、と眉間にしわを寄せて考えてから、沙絵はああと卓を叩いた。
「そう、嫌われるの怖がりすぎ」
「当り前だろうがよ」
今度は界が項垂れる番だった。好きな子に嫌われたくないと思うのは至極当然の思考ではないのか。
特に、自分は我ながら不思議なほどに緋乃に弱い。彼女に言われたらたぶんなんでもするだろうし、叱ったこともほとんどない。
「大好きだから、嫌われたくない。傷つけたくない。それが悪いことなのか?」
「悪いとは言ってない。あたしが言いたいのは、あなた方は、お互いがちょっとワガママ言ったくらいで嫌うような間柄じゃなかったでしょっていうことよ」
「そ、それはでも、わかんないだろ」
「……なんでわかんねーんだよ」
沙絵は界をめんどくさそうに見つめながら足を組み、それでも一応聞いてくれた。
なんのカウンセリングなんだと思いつつ、界は必死に心を探る。こういうの、普段はあまり得意ではないのだが。
「人は……わからないよ。どんな些細な一言がきっかけで消えない傷を負うかもしれない」
「でもあなたは、普段はとてもはっきりと物を言うわ。それで誰かが傷つくとは思わない?」
「友達と恋人は違うだろう。仕事も違う。俺にとって緋乃は本当に他とは違うんだ」
ヨハンナやグレーテルのように気が強くない。わがままを言えない。
そして沙絵のように享楽的でもマイペースでもない。
緋乃は人の機微にとても敏感で、思いやることに長けている。だからこそ、傷つきやすい。
「──もしその違うという意味が、緋乃があなたとの関係を築くことができないほどに弱い女だという意味なら、あなたはあの子を見誤ってる」
「っ、違う!」
沙絵の一言に界は思わず腰を浮かせた。
そんな風に思ってはいない。
「そうじゃないよ! あの子が誰よりも強いことはよくわかってる。だって俺自身があの強さに助けられてきたんだから」
「じゃあなに?」
「高槻だって知ってるだろ。緋乃は強いけど、同時に繊細だ。あの子自身は気づいてないけど、才色兼備なせいで昔から一方的に敵視されがちだった。それで批判されて、顔には出さないけど傷ついてる。けど辛くても笑って見せるような子だ。俺はそういうあの子を守りたかった。それでも頑張るあの子が好きだった」
界は必死に説明した。しゃべりながら自分で思い知ったのは、本当にずっと、自分は彼女が好きだったんだなということだった。
努力家の女性もけなげな女性も他にたくさんいるだろう。だが界が緋乃以外目に入らないのは、ずっと彼女が好きだったからに他ならない。
「だから、俺は、あの子を傷つけたくないって思った。ことさらに大事にしたんだ」
「……でもうまくいかなかったじゃない」
界の独白を聞いた沙絵ははあと長いため息をついた。
「あのね。確かに大事にしてくれるのはうれしいわ。緋乃は無理するタイプだし、何かあるとすぐ穴の中のハリネズミみたいに丸くなって自分の殻に閉じこもっちゃうところがあるからね」
絶妙な比喩を用いて沙絵はでもねと界を見た。
「もっとバンバン言いたいこと言っていいのよ。会いたいとか、ほかの男と会うなとか、あれやってほしいとかこうしたいとか。別れたくなかったとか、お前がいないと生きていけないとか、みっともないこといっぱい言いなよ」
「……」
いやそこまで言うのはさすがにどうだ、と界は思ったが、口にはしないでおいた。沙絵の意見に確かに思い当たる節があるからだった。
別れたくないと、もう一度考えてくれと、自分はあの時何度言った?
何回かは口にしたが、電話口でだ。仕事は確かに忙しかったが、緋乃は最後のあたり着信拒否にも近い状況になったが、普通に考えたら日本に行ってまで食い下がるべきだった。
それを彼女の迷惑になるからと言い訳をしてしなかったのは、自分ではないか。
「でもそれは、緋乃もいっしょ」
界が黙っている意味をちゃんと理解してくれたらしく、沙絵はやんわり微笑んだ。
どこか母のような姉のような、慈愛に満ちた笑みだった。
「あの子はあなた以上に、恋愛下手だからね。現在ハリネズミ真っ最中なの」
「……えっ」
それはつまり落ち込んでいるということだと理解して界は青くなる。そんな彼を見て沙絵は両手を目の前で振って見せた。
「あなたのことを今でも大好きなのよ。ほかの男なんて相手にもしなくて、そのくせあなたに似た人をいつも目で追って。本人はそれを認めなかったけれど、ドイツから帰ってきたあの子を見てわかったわ」
沙絵はそこで界の目を見た。
「あの子は間違ったのよ。あなた方の恋はまだ終わっていない。そうよね?」
「──うん」
そこで界は悟った。沙絵はわかってくれている、と。
そう、自分は終わらせるつもりがなかった。だから、彼女が日本に帰ってしまっても、不思議と落ち込みはしなかったのだ(もちろん、悩みに悩んだが)。
ただ沙絵の言った通り、緋乃が自分たちの関係を過去のものにしようとしているのもわかっていた。
だからどうしようかと悩んでいたのだ。
これ以上自分ばかりが食い下がって、彼女に迷惑をかけて、また傷つけるのはいやだな──と。
でもそれは、目の前の友の言うとおり、相手を思いやってるふりをして、ただ自分が臆病なだけなのかもしれなかった。
「……そうなんだ。俺は、終わりにしたくない。たとえそれが俺の勝手でも、緋乃にもう一度俺との未来を考えてもらいたいと思ってる」
「ん。それで、具体的な策は?」
「仕事を辞めるよ。緋乃の気持ちを尊重するけど、彼女が望むなら日本に帰る」
「フム。あの子に仕事を辞めろとは言わないのね?」
「なんでだ? 俺、緋乃が仕事してる所、好きだよ。彼女がやりたいなら、ずっと働いていてほしい」
「ヒルダを辞めても、あなたはチェリストとして食べていけるものね──よし!」
オーケー、と顎を撫でて、沙絵はそこで初めて満面の笑みを浮かべた。
友人の界ですらはっと見とれるような清々しい笑顔であった。
「それが聞けたなら、いいの。緋乃はあたしが説得する」
「……ほんとに? ありがとう」
界もぱっと笑顔になった。
あんまり嬉しくて、思わず沙絵を抱きしめてしまったくらいだ。
だが界の腕の中で沙絵は居心地悪そうに笑った。
「……あーっと、さっきも言ったけど、これはちょっと……」
「あ、ごめん」
界もはっとして身を離す。そうだ。沙絵はスキンシップに抵抗があるのだった。
「つい、うれしくて」
「……界くん何か変わったね」
「そう?」
「うん。今のあなたなら、大丈夫かもしれないね」
沙絵は白い顔をうすら赤くしてはにかみ、それから横を向いてぼそぼそとつぶやいたが、界の耳には聞こえなかった。
「……ほんと天然の女殺しだよねえ……」




