畑を去った男
人には、話したくない過去がある。
忘れたから…話さないのでは…ない。
思い出すと、今でも…胸が痛むからだ。
「昔、この畑を手放さなければならなかった
男を探しています」
見知らぬ女性の言葉に、仲間は、戸惑った。
「この畑を…手放した?」
女性は、うなずいた。
「はい。ずっと前のことです」
そのとき、奥から…農家の男が歩いてきた。
「俺に何か用ですか?」
女性は、彼の顔を見ると、深く頭を下げた。
「突然すみません。
私は、佐伯と申します」
「佐伯さん……?」
「昔、あなたと一緒に畑をやっていた人を、
ご存じですよね?」
農家の男の表情が変わった。
手に持っていた箱を、そっと地面に置く。
「……どうして、その話を?」
女性は、バッグから…一冊の古いノートを取り出した。
表情は、色あせ、角も擦り切れていた。
「このノートを、父の遺品の中から見つけました」
農家の男は、ノートを見つめた。
そこには...懐かしい文字があった。
何年も前。
まだ...
今の畑を始める前に、一緒に土を耕していた男。
自分よりも、ずっと…大胆で…
夢を語るのがうまかった男。
ーーある日ーー
何も告げずに畑を去った男。
「……健司」
農家の男は、小さく名前をつぶやいた。
女性は、うなずいた。
「父の名前です」
二人が一緒に畑をやっていたころ。
健司は、いつも大きな夢を語っていた。
「いつか...この野菜を全国に届けよう」
「まずは…目の前のお客さんに喜んでもらわないとな」
「お前は、慎重すぎるんだよ」
そんな会話を、何度も繰り返した。
性格は、違った。
・・・・・。
不思議と息は、合っていた。
二人で考えた野菜の育て方。
二人で工夫した売り方。
少しずつ、畑は、形になっていた。
ーーある年ーー
資金が足りなくなった。
健司は、事業を広げるために
大きな資金を必要としていた。
農家の男は、反対した。
「今は、まだ...早い。
足元を固めてからにしよう」
健司は、笑った。
「お前は、いつもそうだ…。
準備ばかりで、前に進まない」
「失敗したら…二人とも困るだろ」
「失敗することばかり考えていたら…
何もできない」
その言葉を最後に、二人の間には...溝ができた。
やがて・・・。
健司は、畑を去った。
残された農家の男は、一人で畑を続けた。
誰にも言わず。
誰にも頼らず。
あのときの悔しさを、土に向かう力に変えながら…。
「父は、最後までこの畑のことを気にしていました」
佐伯は、ノートを開いた。
そこには...野菜の育て方や販売方法の記録に混じって、
何度も同じ言葉が書かれていた。
「あいつの畑は、どうなっただろう?」
農家の男は、目を伏せた。
「……今さら、何を言いに来たんですか?」
思わず…声が冷たくなった。
佐伯は、反論しなかった。
「父は、あなたに謝りたかったんだと思います」
「謝る?」
農家の男は、苦笑いした。
「畑を出ていったのは…あいつ自身だ。
俺だって…引き止めなかった」
「父は、あなたに自分の夢を押しつけたことを、
後悔していました」
その言葉に、農家の男は、黙った。
自分だって…間違っていたのかもしれない。
相手の夢を理解しようとせず…失敗を恐れていた。
それでも...
あの別れは…痛かった。
簡単に許せるほど…時間は、短くなかった。
佐伯は、ノートの最後のページを開いた。
「もうひとつ、見てほしいものがあります」
そこには...古い会社名が書かれていた。
農家の男は、息を止めた。
それは…
早く成功した男の父親が、
かつて関わっていた会社だった。
「……どうして、この名前が?」
佐伯は、答えた。
「父は、あの会社に相談していたんです。
あなたたちの畑を続けるために、資金を借りられないかと」
農家の男の顔が曇った。
「でも…うまくいかなかった」
「はい。父は、そのあと…畑を離れました」
佐伯は、少し迷ってから続けた。
「ただ...父が亡くなる前に…こんなことを、言っていたんです」
「何を?」
「あのとき…もう少しだけ、違う選択ができていたら…
二人の人生は、変わっていたかもしれない、と」
農家の男は、しばらく何も言えなかった。
自分だけが傷ついたと思っていた別れ。
相手もまた...後悔を抱えて生きていたのかもしれない。
そのとき...。
農家の男のスマートフォンが鳴った。
早く成功した男からだった。
「父のことで、わかったことがある。
すぐに...会いたい」
農家の男は、画面を見つめた。
佐伯の持つノートに目を戻した。
過去が、またひとつつながろうとしている。
しかし・・・。
その先に何があるのかは、まだ...わからなかった。
人は、自分の見えている部分だけで、
相手を判断してしまう。
相手にも見えない事情があったのかもしれない。
過去を知ることは、相手を許すことと同じでは…ない。
それでも...
知らなかった真実に向き合うことは…できる。




