表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/14

刃に宿る信念

「……そのままでいてほしい、とは仰られましたが」

火の粉が一つ、空にのぼって消える。

返事はない。彼女は知っている。答える者など、ここにはいない。

それでも口に出したのは。言葉にしなければ、心の奥へ落ちていかない気がしたからだ。

木々に囲まれた、誰もいない野営地。

風は外套と鎧の隙間をすり抜け、焚き火は彼女の問いを薪にしているようだった。

「私はただ、そうあるべきだと……旦那様から教わってきました」

――お前が"敬いたい"と思ったものに、どうか背を向けるな。

主の言葉は、ミルティシアの生き方を強く肯定している。

欲望や、邪な感情によって立てなくなったのではなく。誠意を持ち、残したまま、立てなくなってしまった時。

彼女が手を差し伸べるのは、そういう境遇にあった人たちだけだ。結果として、彼女を求める手を払い除けたことも、少なくはない。

「ですが……何故そうするべきなのか。そこまでは、教えて下さいませんでした……」

――それが竜の血より、よほど尊い。

そう言い切ってくれたのに。その真意は、掴みそこねていた。


問いだけが残され、夜は静かに更けていく。

外套と毛布に包まれたまま、静かに身を起こす。立ち上がる前に、冷えた灰をそっとならす。やがて荷物をまとめ、歩き始めた。

彼女は草原と森の境を縫うように、ひとり歩いていた。草の海と木々の影。その狭間に、ミルティシアの足音が落ちていく。

事前に調べていたが、どうやらこの先に小さな村があるという。喧騒も、注目も、言葉さえも。まだ少し、彼女には重たかった。

そうして歩き続け、太陽が真上に差し掛かってきた頃だった。家と、その集合を取り囲むような柵が見えてきた。

しかし、村の姿が近づくにあたって"異常"がはっきりと見えてくる。

「なあ。依頼文のとおりなら、俺達はミノタウロスを相手しなきゃいけないわけだろ?」

年老いた男性が、若い娘を庇うように立っていた。

その前に立ちはだかる男たちの声は、わずかに笑っていた。だが、その笑みはどう見ても、剣より冷たかった。

「ミノタウロスとやり合う報酬が、たかだか小麦と銅貨の束かよ」

「ほか要相談、って書いてあったよなあ。だったらさぁ……せめて飯の支度と、寝床の世話くらいしてもらえないとな」

「とはいえ一人じゃキツいだろ? 交代でやるとか……な?」

言葉の内容を理解した瞬間。彼女は、何も言わなかった。だが、その歩みが音を立てたとき。空気が一つ、裂けた。

彼女の足が足元を抉り、尾が大きく大地を打ち鳴らす。彼女の身体は弧を描き、そして脱ぎ捨てられた外套とともに男たちの前に降ってきた。

「うおっ……なんだ、てめえ……!?」

「お節介ながら、聞き捨てならない交渉内容が聞こえましたので」

ミルティシアの顔は、背後の年老いた男と、村娘に向けられていた。

「てめえ……冒険者じゃねえな?」

「登録票があるんなら出せよ。ないなら、俺達の依頼交渉に口を出すんじゃねえ」

「こっちはギルドから正式に依頼を受けてんだ。メイドなら黙ってスカートの裾でも押さえてろよ」

明らかに見下した態度とその言葉に、村娘は青ざめた。だが、ミルティシアは男たちに顔を向ける。

「貴方様方の"交渉"は、いささか誠実さに欠けているように伺えます。依頼と、それにまつわる交渉はもっと誠実であるべきです」

「誠実さがねえのは向こうのほうだろうがよ!」

「見合った報酬を出すのが誠実ってモンだろ!」

「言葉の意味を履き違えてんじゃねえぞ!」

男たちが口々に反論する。ミルティシアは背後の二人に手で合図を出し、逃がした。

「誠実さとは、"対価を求める態度"のことではなく、"互いが傷つかない交渉"を積み重ねる姿勢のことではないでしょうか」

一人が真っ先に動いた。剣を抜き、首を狙う横薙ぎ。染みついた手癖による一閃。

"交渉"における態度についても、納得がいく技量だった。

だが、ミルティシアには届かなかった。

「な……」

金属音がした。鉄同士を強く打ち付けるような、ガキン、と。その音は間違いなく響いた。

だが、男の手には音がしたはずの鉄がなかった。

「刃を抜くということの意味。もちろん、理解なさっていますよね」

「クソッ!」

「やるぞ!」

残りの二人が得物を手に、ミルティシアへ向かってくる。一人は右回り、もう一人は左回りで分かれた。

挟撃の構えが見えた瞬間。二人の立ち位置が定まる前に右回りの、槍使いの男の懐へ潜り込む。

当然その穂先はミルティシアに向けられ、何度も突き、薙ぎ払う動きを繰り返す。

そのたびに彼女は身体を捻り、わずかに屈み、槍の穂先を身体の外へ導く。そして足が地を捕らえるたび、土が宙を舞う。

「……距離が、足りっ、ないッ!?」

槍使いは思わず声を上げた。一瞬にして詰め寄られ、得意とする距離ではなくなってしまっていた。

槍の男の異変に気づき、もう一人が咄嗟にミルティシアを引き剥がしに動く。

手先を覆う程度の大きさの小盾と、肘の長さ程度の短剣を持ってミルティシアの背後を狙う。

ミルティシアの角に、槍使いでも自身のものでもない異音が届く。刹那、彼女は屈みながら身体を反転させ、その刃で短剣の刺突を右へといなす。

同時に詰め寄られ、足元がおぼつかなかった槍使いの足元へ尾を差し込んだ。一瞬にしてバランスを失い、背を土に落とした。

全体重をかけて放った短剣の刺突は、その威力の行き場を失う。こちらもまた、正面から土まみれになった。

そして即座に男が持っていた槍の柄へ脚を滑り込ませ、蹴り上げた。地に落ちた音はしなかった。

「うおおおッッ!!!」

雄叫びと同時に、頭上に剣を掲げながら走り込んでくる。最初の一人目だった。

だが、先程の二人と比べれば圧倒的に御しやすかった。

脳天を割る勢いで垂直に振り下ろされる。その剣を一対の刃で捕らえ、勢いを殺す。

そして左方向へ腕を払い、喉元へ左の刃を立て――その両足も払った。

「ぐ、おッ……」

男の身体はかろうじて浮いていた。ミルティシアの尾が、その腹を支えていた。

「私の刃は、守るに足る"何か"のために、誇りを持って振るうものです。貴方様方の刃には、誇りが見受けられませんでした」

立てた刃には、一滴の血もついていなかった。

お読みいただきありがとうございます。


彼女の歩みは止まりません。胸に秘めた言葉の意味を、その答えを見つけるまで。


もし、言葉にできない余韻や、静かな怒り、あるいは誇りのような何かが残ったとしたら――

どうか、それを胸の中で、そっと振るい上げていただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ