あなたのままでいてください
「ああ、おかえり……大丈夫だったかい?」
あの後ミルティシアは老婆を家へと送り届けた。そして宿に戻ってきて、女将が出迎えてくれる。
「すみません。少し時間がかかってしまいました」
「いいのいいの。ちゃんと買ってきてくれたなら、それでいいから」
ミルティシアの手からメモとバスケットを受け取り、台所へと入ろうとする。
「ああそうそう! 今日はもう手伝ってもらうことはないから、部屋でゆっくりしてるといいよ」
薄々感じ取れている。女将も、あの疑念に影響されている。
「では、お言葉に甘えて」
「何言ってんだい! 客は店に甘えて当然でしょうが、って!」
それでも、あの女将は彼女を突き放そうとはしていなかった。それだけは、確かだった。
借りている部屋に入り、鍵をかけた。しばらくベッドの前に立ち続け、目線を落とし。やがて装備を外し始める。
腰のベルトを外し、吊るしていた曲剣ごと備え付けのテーブルの上に置く。
手先と前腕の鎧は革に縫い付けられた鉄が、がちゃがちゃとこすれ合いながら腕から引き抜かれていく。。
上半身を包む胸鎧は、左右のベルトを外して前後に大きく開く。コルセットのように押さえつけられていた二つの脂肪が、開放感を訴える。
彼女は、柄にもなくベッドの上に仰向けになった。今日一日で得た情報が、あまりにも多すぎた。
「私は……私のやってきたことは……」
主なら、どう答えてくれるのだろうか。肯定は間違いなくしてくれるが、この善意を受け取ってくれない人に、どうするべきだったのか。
「……でも。私は、こうすることでしか、こうしないと、生きてられなくて……」
何故、人を助ける? 何故、人に誠意を、善意を見せ続ける? 何故、剣を取った?
これまでの問いが、これまでの行動が渦巻く。彼女を眠りにいざなうには、十分すぎた。
「起きてるかい?」
控えめなノックと、女将の声。意図せず眠ってしまっていたことに恥を覚える。
「は、はい。今向かいます」
エプロンドレス状態のまま、鍵を開けて女将を迎え入れる。
「ああ、やっとそれ、外したんだね」
「いえ、その、これは」
「まあそれはいいんだよ。……ちょっとだけ、いいかい」
女将の声が低くなる。宿の事は、と聞けば、一旦任してきた、と返ってきた。
ただならぬ感情を目線と顔つきで読み取ったミルティシアは、女将と並んでベッドに腰掛けた。
「さて、どう言うべきかねえ……」
「……すべて、話してください。きっと、大事なことが起きたのでしょう」
「そうかい。あんたは強い子だね。そうやって、察して、聞く準備ができてる。強い子だ」
そんなこと、と返しそうになるが、一呼吸開けて女将の言葉が続く。
「……すまないけど。今夜で、ここを発ってくれないかね」
言葉の全てに、疲弊による重みがかかっていた。
「本当に、あんたみたいな子が報われないのが、憎くてしょうがないよ……」
「……私は特段、報われようとは」
「そうじゃなくってねえ!!」
涙がボロボロ出ていた。
「あたしだって、あんたのことを守ってやりたかったよ……言い返してやりたかったよ!」
「でも……あたしは、宿の女将だ。評判には、どうしても逆らえないんだよ」
「単なる街の一人だったら、いつまでもあんたの側に寄り添えてたよ」
「でも、そうだったら……きっと、あんたに会えてなかったんだろうね」
一言ずつ区切りながら、涙をこらえようとしながらも、溢れ出す感情は止められていなかった。
「あたしはね。あんたに会えて本当に良かったと思う。だから、あんたにもそう思ってほしい」
「私に……会えて……」
「朝と昼間、本当に助かったよ。余裕ができたから、夜の仕込みにも時間がかけれてね。ほら、あのシチュー、美味しかったでしょ」
「確かに、より味が染みていた気がします」
「だからね。あたしは絶対にあんたの事を忘れない。あんたに対して、疑念を抱いた人たちは許さない」
女将の言葉に、少しずつ決意が宿っていく。そうしないと、ミルティシアに別れを告げられないとわかっているから。
「でも。あんたには、今まで通りの振る舞いをやめてほしくない。それが、あんた……ミルティシアだから」
「奥様……私は、このままで、よいのでしょうか」
「少なくても、あんたほどの善人はいないよ。だから、これからも他の人達を助けてほしい。あたしみたいな人も、さ」
そこまで言うと、まるで吹っ切れた、と言わんばかりに女将が立ち上がった。
「……それじゃあ。おやすみ」
「はい。……おやすみなさいませ、奥様」
◆
理由もなく、妙に早く目が覚めた気がした。女将はすぐに彼女に貸していた部屋へ向かった。
鍵はかかっておらず、扉を開けた。その部屋は、貸す前よりもきれいに見えるほどしっかり手入れがなされていた。
ただ、その中に一つだけ。手紙という異物があった。
女将が手紙を開くと、そこには彼女の言葉で感謝・感想・謝罪……そして。
『どうか、ご自身を責めないでください。私はなるべく敵意を抱かれぬよう過ごしてきたつもりですが、そのための行為がこの事態を招いてしまっただけなのです。
対話さえできればよかったのですが、その機会も見逃してしまい、そもそも私の声が届くかもわかりませんでした。
私はまだ、亡き主の言葉の意味を探している途中。この度のことも、きっとその糧になるでしょう。
ですからどうか、ご自愛なさってください。奥様の無病息災と、宿の繁盛を祈っております』
見るものを美しいと思わせる筆跡で、そう結ばれていた。
お読みいただきありがとうございます。
ここでひとつ、大きな区切りを迎えました。
けれども彼女の歩みは、まだゆっくりと、確かに続いていきます。
次回以降も、おおよそ1~2日おきの更新を目指しています。
その足跡に再び静かな節目が訪れる、そのときまで――
どうか、歩幅を合わせて見守っていただければ幸いです。




