第15話 わからせ
「……どうすべきでしょうか?」
「お、俺に聞かれてもなぁ」
我が家の向かい側、公道の脇に立つ電柱の裏にて私は太郎さんと身を寄せ合い、ひそひそと小声で話し合い始めます。
認識阻害の術がある以上、別に2人揃って身を縮こまらせる必要などありません。極論すれば、家族の目の前で怒鳴り合おうとも存在を感知される事はないのですから。
そもそも電柱の太さでは私たちを隠し切れはしません。それでも人間とは不思議なもので、余人に気づかれてはならない状況下ではただのコンクリート柱にもそれなりの頼もしさを覚えるものなのです。
ついでに……こうしてお互いの吐息がほっぺにかかるくらいに寄り添っていた方が『自分は独りではない』と再確認する事が出来て、心もいくらか安らぎますしね?
過度に緊張していないリラックス状態の方が妙案も浮かびやすいはずですから、現状はそれなりに理に適っているのです。
「皆と話せないのは嫌ですけど、小さな女の子を悲しませるのも嫌なんですよね」
「分かる。すっげぇ楽しそうだしな」
戦争が終わった。
多くの兵が戦地より帰還し始めた。
しかし夫は……帰ってこない。
代わりに家へと届けられるは無情なる戦死の報せ。
どれだけ待とうとも夫は戻らず、妻は連日落涙する。
そして数年以上の時を経てようやく立ち直り、妻は今一度ひとりの女に戻って前を向く。
悲哀の果てに縁があった男性と結ばれ、子宝にも恵まれ、何事もなければ得られたはずの『ごく普通の幸せ』を、彼女は遅ればせながら手に入れた。
そんな時にひょっこりと姿を現す死んだはずの夫。かつて愛した男。別に憎んだり疎ましく思ったりしたがゆえに別れたわけではない伴侶。
何故、今頃になって?
――――――そんな使い古された王道的な哀傷シチュエーションに、まさか直面する事になろうとは。
いやまぁ、私の現状は戦火メランコリー系に比べれば、もちろん格段にのほほんとしているのでしょうけれども。
「あの子にはちょっとお昼寝してもらうってのはどうだ? 小さい子がお腹いっぱいになってウトウトするのって自然だろ?」
「そんなに都合よく眠ってくれますかね?」
「そこは俺がしっかり寝かしつけるから大丈夫だ」
人の認識や感覚を操ったり狂わせたりする術が行使可能な退魔人にとって、幼女ひとりを行動不能にする程度、まさしく赤子の手を捻るようなものなのでしょう。
退魔人であれば完全犯罪もラックラク。どれほど明晰な頭脳を持った名探偵であろうとも、異能を有していなければ決して真相には辿り着けません。
それゆえに退魔人には自制、自省、自重、自律が求められるのでしょう。今話題の4Gですね! 3Gを超える通信革命ですよ。
……あっ、4Gは私が死ぬ直前に風靡しかけていましたから、最新技術はとっくに5Gとか6Gとかに至ってるんでしょうか?
何はともあれ、太郎さんのアイディアは悪くありません。
クーちゃんには夕暮れ前まですやすやしてもらい、その間に私は私を知る人たちとお別れするといたしましょう。
「よろしくお願いしますね、太郎さん」
「お任せあれ」
力強く頷き、太郎さんが庭に向けて歩を進めようとした―――その時。がらりと我が家の玄関引戸がスライドし、中からひとりの男性が姿を現しました。
端的に言い表しますと、筋肉モリモリマッチョメンです。
特に力んでいるわけでもないのに隆起している、雄々しい胸筋。私の太ももと同じか、それ以上に太い二の腕。
私を含め、一般的な少女にとってはワンピースになってしまいそうなサイズのシャツがピッチピチ。
雄叫びとともに踏ん張れば、瞬く間にビリビリビリーっと布が弾け飛び上半身裸になりそうな、世紀末の覇者っぽさが漂っています。
どうしてあんなムキムキさんが、私の家の中から?
……冷静に見直してみれば、その顔には覚えがあります。
白髪が混じり、目蓋が緩み、ほうれい線もくっきりとし、私の記憶の中にある顔よりも老いてはおりますけれども―――父です。
っていうか、顔は順当に年を重ねているのに、身体は若返ってません? 何なんですか、あの筋骨モリモリ具合は。
私の知ってるお父さんは最近ちょっとお腹がヤバげな感じにぶよぶよし始めて、真面目にダイエットを考えなきゃなーって呟きつつも、晩酌は欠かさずほぼ毎日しちゃうというダメダメな感じなのですが。
「アナタ、そんなに急いでどうしたんですか? ピンポン鳴ってませんよ?」
父に続いて姿を現した女性を見て、私は少なからず安堵しました。
母です。
きちんと染めているのか髪は黒いまま。しかし肩まで伸ばされていたはずのそれは、スタンダードなショートに切り揃えられています。
小じわは増え、全体的に細くなっているようにも感じ、そこはかとない物悲しさを覚えます……が、お父さんのようにムッキムキなられるよりはマシです。
夫婦揃って体重と筋量が倍増していたら、私はどんな顔をすればいいのか分からなくなってしまいます。
……お父さんがマッチョ化している現時点で、私は呆気に取られて頬をひくつかさざるを得ませんけれども。
「妙な気配がした。お前は下がってろ。んん……そこぉっ!」
辺りを剣呑な眼差しで睨みつけた末に、お父さんは足元から拾い上げた石をこちらに全力で投げつけます。
石は私たちではなく電柱にぶつかり、かこぉんと乾いた音を生むだけでしたが……これは完全にバレていますね。
太郎さんにとっても意外過ぎる展開であったのか、あんぐりと口を半開きにさせています。
「あ、アナタ? 大丈夫? 何もいないわよ? ちょっと飲み過ぎたんじゃない? 水飲みましょ、水」
「まだそんなに飲んじゃあいない」
「……そうね、疲れてるのね。炎天下で火おこしとか、色々張りきっちゃったものね?」
「頭が茹だったわけでもない。いいからお前は家ん中に戻っておけ」
このままではお父さんが今さらながらに中二病にかかってしまったと認定され、お母さんからひどく生温い視線を向けられてしまいそうです。
いえ、下手すると痴呆症の前兆とすら捉えられかねません。
お父さんの名誉を、そして家庭内の空気を守るため、私は太郎さんにお願いして認識阻害を解除してもらいます。
「…………ぇっ?」
突如姿を現した娘に気づき、お母さんも目を見開きます。
なんて締まらない再会でしょうか?
どうせならもっとこう……ねぇ?
長く長く離れ離れになっていた親子の対面の瞬間なのですから、それに相応しい感動に満ちて欲しいものです。
映画ならばもう終盤で、ならばこそここぞとばかりに心を震わせる美しい旋律が流れ出すシーンですよ? 多分、ピアノとかで。
実際にこの場で奏でられしは、田舎臭い蝉の声。
まぁ、私たち親子らしいといえば、らしいのかもしれませんね。
「あの……えと…………ただいま、です」
「ね、ねーこ!」
私が気恥ずかしげに漏らした帰宅の挨拶を受けて、お母さんが感極まった声を漏らします。
ねーこ。
私のあだ名のひとつ。
普段からよく耳にしていた名前。
そうです。ねーこです。
お母さんもお父さんも、私を呼ぶ時は大抵『ねーこ』でした。『寧々寝子』ときちんと呼ばれる事は滅多にありません。
ああ、帰って来たんですね、私。
帰って来られたのです、やっと……。
自宅を目にした瞬間以上の熱い想いが、私の胸の中に噴き出します。
お父さんがいて、お母さんがいて、その後ろには懐かしの我が家が見えていて、私の名前を呼んでくれて、大急ぎで駆け寄って来てくれて……。
そしてお父さんが異様なまでに逞しくなった腕を大きく広げて――――――。
「悪霊退散ッ! 悪霊退散ンンンーッ!」
「にょわぁあ!?」
――――――全力で愛娘をブン殴ろうとしやがりましたよ、この人!?
「な、何するんですかっ!? 危ないじゃないですか!?」
「そ、そうよ、アナタ! 何で急に殴りかかってるのよ!? ねーこが帰って来てくれたのに!」
「ねーこは……寧々寝子は死んだんだ! もういないんだ!」
「そ、それはそうだけど! じゃあ、この子は!? 誰かのイタズラだっていうの!? どこからどう見てもあの頃のままよ? ここまで手の込んだドッキリ、どこの誰が仕掛けるっていうの!? きっと不思議な奇跡が起きてくれたのよ! ありがたく喜びなさいよ! 毎日仏壇を拝んでるあの信心深さはどこに行ったの!?」
「ふん! 生きてる人間のイタズラなら、まだいい! だがこいつは違う! 妖しい気配がプンプンしている! 俺は騙されんぞ! 何故なら俺は一家の主! 大黒柱だからだ!」
お父さんはそれはもう忌々しげにこちらに人差し指を突きつけ、威風堂々と偽物宣告をしました。
続いてポケットの中から朱色のお守りを取り出し、ぎゅぅっと握り締めます。
「ウチは家族全員、天寿を全うするんだ! もう誰も欠けずに! だというのに、ワケの分からんモンに取り憑かれてたまるか! 去れぇい、悪霊! やらせはせん! やらせはせんぞぉー!」
「ひぁぁ!?」
何ですか、これ?
何なんですか、これ!?
見つめ合えばすぐに心が通じ合っちゃうのが、親子で家族なんじゃぁないんですか?
いやまぁ本当にそこまで便利な感じなら、どのご家庭も離婚や崩壊の危機には至らないんでしょうけれども!
でも、私の場合、期待してもいいじゃないですか! おっぱい天国を投げ捨てての帰宅なんですよ? 甘い一時よりも家族の団欒を選んだんですよ?
なのに、こんな……あんまりです! お父さんに殴りかかられちゃうくらいなら、素直に太郎さんと芙蓉さんと波羅蜜さんと温泉に浸かってればよかったですよ!
「あーもー! 私が死んでるうちに一体何が!? お父さん、こんな感じじゃなかったですよね!? もっとフツーでしたよね!?」
「ふん、知らんか! メッキが剥がれたな! 俺の決意は墓前で表明した! お前が本物のねーこなら、父の本心を知っているはず!」
「そんな事言われても私はお墓の中にいませんでしたし!?」
「納骨はしたぞ!」
「手と足の骨だけでしょう!?」
「アナタ、やっぱりこの子、ねーこよ! ちょっとお盆過ぎちゃってるけど、戻って来てくれたのよ!」
「そ、そうです、お父さん! 私、帰って来たんです! 色々あって遅くなっちゃいましたけど、やっと!」
「ちぃっ……俺を! 俺の家族を惑わすな! ウチの子の顔で、声で、話しかけるな! この厚化粧が! その手足も何やら気持ち悪い! どうせ碌なモノではあるまい、妖怪め!」
どうやらウチのお父さんは無駄に『感』がよろしいようです。
確かに私の顔や身体の各所には玉希さん謹製の補修材が塗りつけられていますし、手足も後付けパーツであり、私自身のモノではありません。
総重量の過半が、私本人由来ではないのです。その上で特殊なお湯に長時間浸かり、全身を目に見えぬ保護膜で包み込んでもいます。
妖しい偽物だと感じられてしまっても仕方がないのでしょう。
むしろその感のよさは、ある種の頼もしさにも変じます。ウチのお父さんであれば、悪いモノに騙されてしまう事はまずないのだろうと。
でも実際! 私、本物ですし! 今回だけはあんまり疑わないで素直に受け入れて欲しかったですよ!?
「……あっ」
避けられない。
殴られる。
お父さんに本気で殴られた事なんて、生前は一度もなかったのに。私はただ帰って来ただけなのに。家族ときちんとお別れがしたいだけでしたのに。
固く握りしめられた拳が迫り、衝撃に先んじて私の胸には悲しみが広がります。
「はっ!」
「むぅ!?」
しかし、間一髪のところで太郎さんが割って入ってくれて、お父さんの拳が私の頬を打つ事はありませんでした。
「部外者が首を突っ込むのはどうかと思うけど、さすがにな」
「何だ、お前は!」
「俺は彷徨ってた寧々寝子を見つけてここまで連れて来た、いわゆる霊能力者だ。寧々寝子に残された時間は少ない。どうか、穏やかに家族の団欒をして欲しい」
太郎さんは努めて淡々と告げました。
無駄でした。
「……霊能力者だぁ? 妖しい。お前もひっじょぉ~に妖しい。何かこう上手く言えんが……全体的に嘘くさい。面接に正装じゃぁなく、全身すっぽり着ぐるみで覆って来るような? 信用出来るか、そんな非常識野郎を!」
またもお父さんが無駄な感のよさを発揮してくれやがりました。
いや、間違ってはいないのです。太郎さんは男の子で、今は諸事情により女体化しているわけですから『正体を隠し、偽っている』といえます。
「くっ、話し合いに応じてくれないのなら、無理にでも押さえつけるしか!」
「……太郎さん、庇ってくれてありがとうございました。もういいです。下がってください」
「寧々寝子?」
「私の父です。私が相手をします」
逃げ回ったり、太郎さんの後ろに隠れたり……それじゃあダメです。
私は本物です。
正真正銘、湯宮寧々寝子です。
私は何も悪くないのです。
ならば何故、私が逃げ隠れしなくてはならないのですか。
「私はお父さんの子です。ちょっと帰宅のタイミングが悪かったとは思いますけど、それだって多分親譲りです。だってお父さんも割と間が悪いですもんね?」
「まだ言うか! 誰がお前の親か!」
「何度だって言います! 私、嘘ついてません! お父さんの分からず屋! 嫌いになっちゃいますよ!?」
「ぁ、ぐっ!? 卑怯な!」
動揺する。
ただ似ているから?
違いますよね? お父さんも心のどこかで私が娘だと感じてくれているんですよね?
逃げ隠れしません。私は堂々と主張させて頂きます。
分かってもらいます。
分からせてあげます。
お父さんに信じてもらえなくて、悲しくて、寂しくて……そしてちょっとイラついてもいるんです、私。
残り少ない貴重な時間をどうしてこんな無意味な問答に費やさなくちゃいけないんですか!
「まったくもう! お父さんのお馬鹿!」




