第10話 お姫様抱っこ
――――――いやぁ、死ぬかと思いました。
そんな率直な一念に『何を言ってるんでしょうね、幽霊のくせに』と一拍遅れでセルフツッコミを入れてから、私は周囲を見回します。
もはや実家以上に慣れ親しんだ廃屋は、綺麗さっぱりなくなっていました。私が整備し続けた庭も余波を受けて荒れ果て、家屋を包み隠すように並び茂っていた周囲の木々たちも多くが倒れています。
この光景を写真に収め『竜巻が通過した直後の光景』などとタイトルを添えれば、万人が納得する事でしょう。
私がいまだに存在を保てているのは運がよかったからではなく、ひとえに太郎さんの機転と頑丈さがあったからです。
異空間が限界と破綻を迎えてついに壊れ出したその瞬間、太郎さんは霊体の私をひっつかむと、そのまま遺体へと覆い被さってくれました。
続けてバリア的な防御も発動してくれたみたいです。乾燥機の中でぐるんぐるん回転させられる湿った衣類のように私の視界は幾度もひっくり返り続けましたが、それでも深刻なダメージを負う事はありませんでした。
もちろん鈿碼さんや多くの物証が詰め込まれたリュックサックも防御範囲に収まっており、無事です。
人知を超えた論理と技術で強引に広げられた空間は現実に押し負け、潰れ、失われました。
数部屋分の物資は床下収納というほんのわずかなスペースに追いやられ、当然のごとく収まりきるはずもなく破裂。
多くの品々が次から次にキッチン内に溢れ出すだけであれば、廃屋はまだ形を保てていた事でしょう。
しかし自爆用のエネルギーも行き場を失って凝縮され、結局炸裂。ただただ更地という、見るも無残なご覧の有様です。
調査すべき現場そのものが失われてしまいましたが、重要な資料は確保している以上、今回のミッションはギリギリセーフの及第点を獲得……で、よいのでしょうか?
叱られてしょんぼりする太郎さんを見るのは忍びないので、上司やお仲間さんたちには甘めの採点をして頂きたいところです。
「いや、すまん。鈿碼の言う通りで、あぐっ、わ、分かってる。油断し過ぎてた。分かってるから、ぁぅ」
……あっ、既に叱られていました。長い太刀が軽く宙に浮かび、太郎さんの頭を柄でグリグリと捩じるように押しています。
必死に解決策を模索し続けた末に間に合わなかったわけではないため、鈿碼さんもかなりお怒りのようです。
タイムアップを悟った瞬間は『こんなの嘘でしょう? 何故なんですか!』と思いもしましたが、実のところ自業自得この上なし。
緊迫した状況下で何をやっていたのでしょうかと、無駄口を叩きまくった末に思考を桃色に染めていた自身に、今さらながら呆れてしまいます。
「ええっと、鈿碼さん? そのくらいで、どうか。何はともあれ皆揃って無事なんですから、それでいいじゃないですか」
自身の至らなさを痛感しているので、太郎さんがガンガン責められているのを見ると胸が痛みます。
鈿碼さんに私の声は届いているのでしょうか? こちらに意識を傾けてくれているのでしょうか? 刀身は陽光をきらりと反射させるばかりで、その心中は量りきれません。
ややあって、鈿碼さんの切っ先がさくりと地面に突き刺さりました。そして柄が太郎さんに向けて『さぁ、握れ』と言わんばかりに傾きます。一先ずお仕置きは終了したようです。
「ありがとう、葉月……いや、寧々寝子。助かったよ」
「私にも責任の一端があると思いますし、そもそも助けて頂いた身でもあります。お礼なんて要りません」
私に微笑みかける太郎さんの腕の中には『私の遺体』があります。太郎さんがしっかりと抱擁してくれなければ、私は地下異空間に取り残されて圧潰していたのでしょう。
「……気持ち悪くはないですか?」
「ん? 何がだ?」
「私の身体、ボロボロです。見たり触ったりしたいものじゃないでしょう?」
何らかの保存措置は取られていたようですが、本来はとっくに朽ち果てていてもおかしくはない遺体なのです。
それでなくとも事故と大蛇の身勝手な判断のせいで損傷はひどく、脆さも増しているはず。
太郎さんがぎゅっと力を込めた拍子に首がボロッと落ちたり、胴体が千切れたりしてしまう可能性もありました。
匂いはどうなのでしょう? 血生臭さや腐敗臭はきつくないでしょうか? 太郎さんの甘くて柔らかな魅惑のボディに不快な匂いが染みつくなんて、嫌過ぎるのですが。
「大丈夫だから気にするな。確かにひどい状態だけど、俺は平気だ。でっかくてキモい猿とか百足とか、もっと嫌なモンを見た事もある」
太郎さんは優しく私の身体を抱きしめ直してくれました。
そっと落とされる視線にも、嫌悪感や忌避感ではなく暖かな慈しみが込められているように感じます。
太郎さんの優しい抱き締めを甘受する、私の身体。
ちょっと……いいえ、とっても羨ましいです。どうして意志ある私ではなく、空っぽの亡骸が熱烈抱擁を受けているのでしょうか? もったいないでしょう! せっかくの機会ですのに!
いえ、分かっています。本能的にも状況的にも理解はしておりますよ?
あの遺体がさらなるダメージを受け、あまつさえ消失したりすれば、今ここにいる私も終わりを迎えそうだという事くらい、重々。
太郎さんに我が身を保護して頂けている事を、私は心から喜ぶべきです。
でも、それとこれとはまた話が別というか? 理性的には納得可能な事柄でも、不満は湧くものです。
私も太郎さんと密着したいです。胸の谷間に鼻先をぐにゅにゅーっと遠慮なく突っ込みたいのです。
ふと思いました。もしや霊体の私が身体に入り込む事で、生き返る事が――――――いえ、無理です。不可能ですね。一考の余地なしです。
入れる気もしなければ、動かせる気もしません。
仮に思惑通りに侵入出来たとしても、私の身体には目も頬も手も足もないのです。おっぱいに手の平を添える事も、頬擦りする事も、残念ながら叶いません。
感覚がきちんと働いてくれた場合、太郎さんの身の柔らかさを堪能する前に、私はそれこそ死ぬほどの激痛に苛まれなくてはならないのです。
今の私には、抱えられている身体を見守る事しか出来ません。
……自分の身体に嫉妬する。実に奇妙な状況です。
「太郎さんはこれからどうなさるんですか?」
「ちょっと休憩だな。さすがに疲れた。別に急いで戻らなくても、そのうち誰か駆けつけてくれそうだし」
「隠蔽の結界とかも、全部まとめて吹っ飛んじゃったはずですもんね」
「あっ、ヤバ。もしかすると仲間より先に一般の人が来ちゃうかも? 軽い人払いくらいは敷いといた方が無難か」
木っ端微塵な家屋と、薄汚れた巨乳美少女と、四肢のない少女の遺体。周囲をよくよく捜索すれば、猟銃やその弾丸も発見出来るかもしれません。
『凄まじい音がした』との通報を受けて駆け付けた警察官や市の職員などに今この場を目撃されれば、とっても面倒な事になりそうです。
気だるげに肩を竦めてから、太郎さんは私の身体をそっと地面に横たえ、次いで緩慢に立ち上がります。
何の技術も持たず、また遺体からもあまり離れられない私は、応急の処置に乗り出した太郎さんを静かに見守ります。
「あんま得意じゃないんだよなぁ、こーゆー系の術。つーか、俺の場合は『まだ得意な術がない』か。ちょっと眼がいいだけだもんなぁ」
ぶつぶつ呟きながらに、太郎さんは何やら指先を動かしています。
廃屋内に足を踏み入れる前と居間で、太郎さんはどこか変わったでしょうか? 何かが成長したでしょうか?
しています。
間違いなく。
私の眼力が確かであれば、バストサイズが急成長しています。ほんの1時間足らずで数センチ以上も……! これは脅威的な上昇率です。
太郎さん本人としては頭の痛い変化であり、断じて成長ではないのでしょうけれども、眺めている私にとっては眼福そのもの。ニコニコ笑顔でその姿を堪能します。
でも、恋人さんがどこかの誰かさんと子作りする事になって、ガチ凹みさせられる太郎さんは……やっぱり絶対に見たくないんですよね。
あちらを立てれば、こちらが立たず。円満な解決策はどこかに転がっていないものでしょうか?
「必要に応じてにょきっと男性の象徴をお股に生やせるスキルとか生態を獲得する方向で……これなら普段は可愛い女の子のままで、かつ恋人さんを誰かに寝取られずに済みます。完璧では?」
「俺の心が救われてないんですけど、それ」
「男の子って、好きな女の子にびゅびゅーって出すモノを出せれば、それでもう大よそOKなのでは? 一度出せば細かな事はどうでもよくなっちゃうって聞きますけど、実際どうなのでしょうか?」
「いや、ね、寧々寝子さん? うら若き乙女なんだし、あんまそんな出すとかどうとか言うなよ」
「ところで男の人って、何を出すんですか?」
「……は?」
「いえ、出すと大らかになるとは聞いているのですが、具体的に何を出すのか、よく知らなくて。色々あったせいで覚えてないだけかもしれませんけれど」
「ぁ、ぅ……ええと、それは……」
「太郎さん、教えてください。何を出すんですか? 男の子なら知っていますよね? 説明出来ますよね?」
「ほ、本当は覚えてるだろ!? 分かって聞いてるだろ!?」
「いえ、分かりません。私、地縛霊ですから」
「今それ関係ある?」
「さぁ? どうでしょうか? やっぱりよく分かりません。だから教えてください。詳しく」
素知らぬ顔で、さも無垢そうな眼差しで、私は太郎さんを上目遣いで見つめます。
困っています。
照れています。
あ~、癒やされます。大変可愛らしいです。
私もちょっと恥ずかしくはありますけれど。
「男の子って、下ネタをもっとガンガンと繰り出してくるイメージでしたけど」
「仲間内ならともかく、出会ったばっかの女の子相手にこーゆー話題はハードル高いって」
「一緒に窮地を乗り切った仲じゃないですか。気兼ねなくどうぞ。私にとって太郎さんは大恩人ですから、ちょっとくらいドきついフレーズでも笑って受け止めてみせます」
「恩人だと思うのなら、もうちょい手加減してくれ」
へにょんとした、強張りとは無縁の他愛ない会話。それが何とも楽しく、嬉しい。
自我がまだ存在を継続している事を実感し、次いで強い感謝の念がこみ上げてきます。
死んでますけど『生きてるって素晴らしい!』とか、賛歌的に高らかに声を張り上げた気分です。いわゆる最高にハイってヤツです。
先の事は分かりませんけれど、きっと悪いようにはならないでしょう。
私、やっぱり悪運が強くてかなりしぶとい女の子のようです。
「改めまして、今後ともよろしくお願いします。私、世の裏の事情なんてまったく知りませんし、頼れるのは太郎さんだけですから」
「ああ、任せろ。俺がここまで引っ張ってきたんだ。最後までちゃんと責任持つよ」
軽く握った手で胸の谷間をぽんっと叩いてみせる太郎さんに、私は大きな安心感を覚えるのでした。
「最後まで、責任。ふふふ、求婚されちゃいましたね、私。もちろんOKです」
「そ―ゆー意味で責任を取るわけじゃないから」
「太郎さんはツンデレさんですね」
「そんな事言われたの、生まれて初めてだわ」
――――――その後、さして間を置かずに空から大きな鶴や狐や鴉の面を付けた妖怪っぽい存在たちが舞い降り、現場の後始末を太郎さんから引き継ぎました。
私は約束通りに太郎さんのお姫様抱っこによってその場を後にし、ついに『森の外』へと出ていきました。
……正確に記すと、太郎さんが抱きかかえているのは四肢なしの亡骸であり、霊体の私ではありません。
よって主観を有している私は、太郎さんに肩車されているかのように纏わりつきます。当初の思い描いた理想からはかけ離れていますが……まぁ、これはこれで。
お姫様抱っこは、またいずれ。
焦る必要なんてありません。
時間はいくらでもあるのですから。
「貴女はもう長くはありません。現状はそれほど保たせられるものではないのです」
「…………ぇっ」
「湯宮寧々寝子さん。貴女は残された時間で、何がしたいですか?」
太郎さんに連れられ、意気揚々と退魔の名家へと参った私に放たれたのは、冷たい余命宣告でした。




