いけ好かない男
※異世界が舞台の物語ですが、現代日本では法律違反の未成年の飲酒シーンがあります
デックス・ラノウ
その名にエリスは聞き覚えがあった。
思い出そうと顔をやや下に傾ける。
脳裏にある記憶の引き出しを半分も開けないうちに、茶色の髪をしたいけ好かない美丈夫の顔が浮かんだ。
(ああ、あの男か)
エリスが巻き込まれた事件で屋敷にまで聞き込みに来た男である。
エリスはあまり好印象を抱いてなかった。
(そういえばあの男とリングトムは同じ髪型をしていたな)
堅物そうに見えて実は単純なリングトムらしい。尊敬する先輩の真似をしたのだ。
予定していた里帰りを中止させられたアイナもデックスには悪い印象はないらしい。普段からリングトムにデックスの話を聞かされ、またリングトムと同伴した夜会などで会ったことがあるという。
「ユーモアで聞き上手で紳士な方」
というのがアイナのデックス評であった。
(アイナにはそのように振る舞っているのか)
小馬鹿にされたことがあるエリスとしては同意できない評である。
ふたりがまだ会話をしようとしたところ、廊下の先からカーラの声が聞こえてきた。
「申し訳ありません、その先はちょっと…」
こちらに誰か向かって来るようである。
エリスとアイナは顔を見合わせた。
万が一、エリスとアイナの事を知っている人物であったらややこしくなる。
なにせ世間では二人は『恋敵』の間柄なのだから。
カーラが上手く追い返してくれるのを願うばかりである。
だがエリスとアイナの願いも虚しくカーラの引き留めようとする声と足音はこちらに近付いてくるばかりである。
アイナは不安そうな表情で足音が来る方向を見つめている。エリスは目を閉じ、せめてこちらに向かって来る人物が自分らのことを知らない者であるようにと聖霊に祈った。
「アイナさん、こちらにいたんですか」
そう言って足音が止まる。
耳心地の良い男性の声。
(最悪だ)
目を開いたエリスは声の主を見て、そう思った。
デックスと、彼を引き留められなかったため絶望の表情をしたカーラがそこにはいた。
婚約者を奪われた女と、奪った女。
デックスの目の前にいたのはそのような立場の二人である。
そして自分を引き留めようとしていたのは奪われた女の小間使い。
奪われた女が奪った女に難癖をつけるため人気のない淋しい場所に呼んだと考えるのが一般的であろう。
(もうどうにでもなれ)
エリスはヤケクソ気分で開き直った。じっとデックスの目を睨みつける。
一方アイナは友人が誤解されないようにと、一歩デックスの前に進み出た。
「ラノウ様、これは」
だがデックスはエリスの事など見えていないかのように、
「アイナさん、リングトムが探してましたよ」
そう言いアイナの肩を抱き、今来た道を戻って行く。
アイナは意表を付かれたらしく「ええと、あの」と口籠もりながら、連れて行かれた。
意表を付かれたのはエリス、そしてカーラも同じである。
残された二人は呆けた表情でしばらくの間、互いの顔を見合った。
ホテルの自分らの部屋に戻る。
カーラはデックスを引き留められなかったことを謝る。エリスは「仕方なかったわよ」とカーラの謝罪を受け止めた。
あのような曲者の男をカーラが引き留めることは困難である。
エリスはカーラがいつも以上に心を込めて淹れてくれた茶を飲みながら、自分の見解を話す。
「あのような場で下手な騎士道精神丸出しで、こちらを悪役にして責めなかった分だけ助かった」
「女同士の諍いには首を突っこむとややこしくなるなるだけだから、それを避けたのかしら」
あの男ならそれなりの場数を踏んでいることだろう。
そうこうしているうちに夕食の時間になった。
エリスは食堂に行くため着替え、やがてジュードたちが迎えに来た。
ホテル側はエリスとアイナのことを承知しており、互いが顔を食堂で鉢合わせしないよう時間をずらしてくれていた。
エリスらの方が少し遅めの夕食を取ることになった。アイナらの方が軽い夕食を取った後、広間の一つを貸し切ってダンスをするためである。
エリス、ジュード、メリカの三人は窓際の外の景色が見える一際良い席に通される。
小間使いのカーラはお付き用の部屋で夕食である。
揃いの糊の利いた白シャツに黒のベストを着た給仕たちが良い頃合に副菜、主菜、スープ、そしてそれに合ったフォークやナイフ等を用意する。
このホテルの自慢の一品は近くの湖と河からとれた数種類の魚を擦って蒸したものである。一見すると白いプディングのようである。それに温かいジンジャーソースをかけて食べる。
給仕らが自慢の一品を運んでくる。と同時に小さな成人の親指程のグラスと、緑色の果実酒の酒瓶を持ってきた。
ドロテア王国では飲酒について特に年齢制限はない。一般的に夜会に出るようになったら、小さな親指グラスに一、二杯は飲んでも構わない。(夜会がない労働階級は夏至祭などの宴会がそれにあたる)
エリスは銀のスプーンを持って、早速その自慢の一品を口に運んだ。
次に親指グラスに入った果実酒を飲む。
(うーん、美味しい)
満ち足りた気持ちでいると、ジュードとメリカが唖然とした顔で凝視していた。
「エリス、あなた魚料理嫌いじゃなかったの?」
(しまった)
前世の記憶を思い出してから、味覚がカンバヤシ寄りになってきているのである。
以前は甘い焼き菓子と果物の蜜煮をたっぷりと入れた茶が好物であったが、最近はそのようなものより魚料理や燻製、蒸したり煮た野菜料理の方を好むようになってきている。
「それに辛いジンジャーソースやお酒も苦手じゃなかった?」
エリスはスプーンを置き、渾身の演技力を込めて言った。
「辛い失恋をしてから味覚が大人になったのよ」
夕食を終えて、再びカーラと一緒になり、部屋に戻って来た。
まだ寝るには早すぎる時間である。
図書室にでも行くか、ジュードらを誘って遊戯室でカード遊びでもするか悩んでいると、扉をノックする音が聞こえてきた。
カーラが開けると、ホテルメイドである。
「こちらをシトワ様へと」
かなり大きめの円筒状の箱を渡される。
カーラが「軽いですわ」と怪訝そうな表情で言った。
箱にはカードが入った封筒がついていた。
エリスが封筒を開ける。
贈り主はデックスであった。




