黒髪のエリスⅡ 序
粗末な木戸の向こうから凄まじい風の音が聞こえる。
木戸は固く閉められており、外の景色を見ることはできないが、ロミはわざわざ見なくても雪と風により真っ白で、生き物の気配が無い世界であることは知っていた。
時折、一段と強い風が木戸を強く叩く。ここに来て最初の頃こそはそのような音がすると立ち上がったり、叫び声を上げたが、もう慣れた。
(ここに来てもう何日経ったかしら?)
時計は無いので正確な時刻は知らないが、まだ夜にはなっていないだろう。
ロミは室内を見渡した。
部屋には小さな暖炉が設置してあり、部屋を暖め、室内を照らしていた。そのため締め切っている部屋でも真っ黒な闇ではない。
部屋には暖炉以外に、粗末なベッド、テーブル、イスがあるのみで、木戸のある面からして左に厠があった。
(早く来て、ロミのお母様)
ロミは目を瞑り、強く願った。
―お母様
そう心の中で願う絶対的な存在
だがロミはその「お母様」のことをよく走らない。
ロミは物心ついたとき、孤児院にいた。孤児院の管理人曰く、16年前粗末な毛布に包まれただけの赤ん坊が孤児院の門の前に置き去りにされており、それがロミであったそうだ。
少しずつ成長するにつれ、ロミの髪の毛は光り輝く黄金色に、瞳は緑柱石色となった。顔の造作もそれらに相応しく、まるで陶器の着せ替え人形のようである。
お芝居ごっこをするとき必ずお姫様や仙女、聖霊といった役はロミであった。また孤児院の出資者や役人を招き、歌や劇を披露するときもロミは中心に置かれた。
誰しもが認める美貌を持っているのである。
ロミは目を開き、肩にかかる自分の髪を指先で掴み、じっと見つめた。
暖炉の炎の光に当たって本物の金細工のようなそれは、ロミにとって自分の真実の出生の証であった。
(物心ついたときから、周りにいる皆とは違うと感じていた)
だが孤児院の者や周囲の人間はそうは思わず、ロミは家々を転々とした挙げ句、一時は村の小役人の家の召使いまでさせられた。結局そこからも暇を出され、孤児院で一緒だった複数の仲間同士で借りている安宿に世話になることになった。
酒場の更に裏にある小汚い安宿で鬱々とした日々を過ごしていたところ、ある日、貴族の使いだという男性に声を掛けられた。
整った身なりをした男性はまず道を尋ねる。残念ながらロミはまだそこに住み着いてからあまり日にちが経っていないのでよく分からす、「ごめんなさい、よく知らないの」と首を横に振った。
男性はロミを見つめて、しばらく逡巡したのち、躊躇いがちにこう聞いた。
「貴女は御家族と一緒に住んでいるのですか?」
ロミはその質問にも首を横に振り、消え入りそうな声で呟いた。
「私は孤児院で育てられました」
男性はしばしロミをじっと見つめ、「そうですか、時間をとらせてすまなかった」と謝り、引き留めた償いとして銀貨一枚をロミに握らせた。
(道を尋ねられただけ、しかも教えられなかったのに)
(銀貨一枚なんて… 商店で十日働いても、精々銅貨五枚ぐらいだというのに)
ロミは渡された銀貨を強く握りしめ、男性の背中を見送った。
ロミはこのことは誰にも話さなかった。皆が僻むのが目に見えるように容易に想像がついたからである。
それから暫くしてある日のこと、仲間の一人が、ベッドの上で自慢の髪にブラシを当てていたロミに話かけてきた。
「今日、商店街で金髪に緑柱石色の瞳をした女の子を探している紳士がいたんだけど、あんたのことじゃない?」
ロミは直ぐに仲間から自分を探している紳士は商店街のどこら辺にいたのか聞いた。
翌日から早速ロミは仲間から聞き出した場所に立った。
幸運なことに男性も、今日もその界隈でロミのことを探そうとしていたらしく、直ぐに二人は再会することができた。
男性はロミを食堂に連れて行き、給仕人に幾分かのチップを握らせ、人払いをした。辺りに自分らの会話を聞かれぬよう細心の注意を払い、男性はロミに語った。
「私はさる貴族に仕えている者である。実は…」
そこから続いた内容は、男性の主人には娘がいたが、昔誘拐により行方が分からなくなったこと、主人はまだ必死に娘を探しており、生きているのであればちょうどロミと同じくらいの歳だということ、更に男性の主人であり、娘の母親である人物はロミと同じ金髪の持ち主であるという。
ロミは話を聞きながら胸が高鳴った。
(私が貴族のお嬢様!)
男性は一度屋敷に訪れ、主人に会ってくれないかと提案した。
ロミに異論などあるはずも無く、直ぐに了承した。
男性は最後にこう付け加えた。
「貴女が貴族の令嬢と分かったら、財産目当てに近付く者がいるかもしれません。このことは誰にも話さないよう」
ロミは強く頷いた。
男性の指示通り、ロミは行動した。目立たぬようにひとり列車に乗り、待ち合わせの場所に立った。駅から遠く人気の無い駅場所であった。夜の闇に隠れて馬車で移動。そうして連れてこられたのがここであった。
粗末な小屋であった。
男性曰く「屋敷の財産狙いの者がおり、命の危険性がある。暫くここで身を隠して欲しい」と。
ロミは従った。従うしかなかった。
身を隠すとき食料品も渡されたが、そろそろ底がつく。ここ二、三日はまともに食べていない。
(あとどのくらい待てば良い?)
おかしなことにロミは男性の話を疑う気持ちは全く涌いてこなかった。
ロミは自分が貴族の娘であることを確信していたのである。
小屋に入る前、お母様が待っているという屋敷を男性に教えてもらった。
ただでさえ日が暮れて暗い中、雪が強い風でちらついていた。
それでもロミの瞳には自分が毎夜寝る前に夢見ていた絵のような広大にして優美な城の姿が目に焼き付いている。
(あれは私のものなのだ)
空腹と疲労でうつらうつらとしていると木戸を激しく叩く音が聞こえた。
「敵の者が来ました! お逃げ下さい」
声の主は例の男性である。男性は直ぐさま木戸を開けた。
ロミは言われるがまま、小屋の外を飛び出した。
外はロミが思っていたとおり、吹雪である。
風が、雪が、寒さが剣のようにしてロミを襲った。
皮膚はあっという間に外気に熱を取られ、冷たくなる。呼吸するのも困難である。
足は氷のように凍え、歩くのも一苦労である。
しかし敵が近付いているというのでは、一刻も早くここから立ち去らなければならない。
ロミは自らの目の前に広がる雪壁の上にある城へと向かおうとした。
(早くお母様に会わなくては)
―お母様に会えば全ての受難から抜けられる
ロミはそう思った。
どのくらい歩いただろう。
城はまだまだ先にあり、ロミの前には白い雪壁が広がっていた。
吹雪の音で自分の息する音以外は何も聞こえない。
敵がどのくらいまで近付いているのか、それとも遠ざかっているのかも定かではなかった。
急に目の前が明るくなった。
城に辿り着いたのだ。
城の中はみな煌びやかな金銀、宝石が天井や柱に飾り付けられており、美しかった。
新聞でみた王宮よりずっとずっと光り輝いていた。
不意にロミの目の前に自分によく似た美しい人が微笑んでいるのが見えた。
(ああ、ついにお母様に会えた)
ロミはお母様の無礼にならないよう、粗末な上着を抜こうとする。
男性の声がした。
―さすが、やはり貴女は思っていたとおりだ
ロミはその声を晴れやかな気持ちで聞いていた。
そうして、目の前がパアと明るくなるのを感じた。




