思いがけない人物からの手紙
シトワ家の庭に植えられているライラックの大木の下には小さな樫の木製のテーブルと椅子のセットが置かれている。
来客用というより家人が私用で使うものであった。ライラックの花の季節はとうに終わっていたが、夏の日の光がまだまだ強い時期、テーブルと椅子をすっぽりと日影の中に収めてくれるので重宝されている。
エリスはここ数日、この場所で過ごすのが日課になっていた。することと言えば新聞の記事を隅の隅から丹念に読み、読み終えると顎に右手を添え、何処か遠くを眺めるようにして考え込む。時々は読書もした。そしてカーラが昼食やお茶などを日が落ちるまで運んで来る。
夏至祭の最中、体調を崩してしまい、寝台の中の住人となった。
エリスが体調を崩した翌日、エリス誘拐未遂犯が捕まったという知らせがシトワ家に入った。
報告を告げに来たのはすっかり顔なじみになった禿げ頭の上級公安局員である。エリスは寝ていたので会うことは叶わなかった。
上級公安局員から直々にその知らせを聞いてシトワ伯爵夫人は娘と交代するかのようにめきめきと体調を取り戻した。
ここ最近は夏至祭で会うことが出来なかった知人や親戚へ逢いに行っている。訪問できず心配をかけたことへのお詫びを兼ねてもいたので、夫のシトワ伯爵も同伴してだ。
エリスが寝込むようになって当初は伯爵夫妻は心配し、娘の元に寄り添っていたが、事件が解決したこと、そしてエリス本人が親の気晴らしを勧めた。故に伯爵夫妻はそれを受けての外出であった。
母は犯人が捕まったとの知らせで舞い上がっていた。そのため詳しい事までは聞けず、エリスは父に上級公安局員がどのような内容を喋ったのか尋ねた。
父によると犯人はニハラ文学院卒の貴族の子弟であること、そして犯人は聖士隊ならびに一族によって既にひっそりと世に出ないよう処理されたらしく、今後はシトワ家や社会に害を成す行動は絶対しないことが確定したため、それ以上は追求できないという。
貴族が体面を気にし、身内の恥をひっそりと当局に出さず処理することはままあることである。
一応、犯人からはシトワ家に対し慰謝料(口止め料)が支払われたらしい―これは父の口からは出なかったことで、エリスの推測であるが、多分当たっていることだろう。
父の話から分かった事は以上である。
そして夏至祭後の新聞の記事も同様に真実が曖昧にぼやかされていた。
夏至祭の最中、火薬を積んだ馬車四台が聖霊堂へと向かう混雑した大通りへと突っこもうとしていた。
エリスは聖霊堂の屋根の上で、最も被害を最小に防げるタイミングで先頭馬車の前輪を撃ち飛ばした。
哀れなことに馬はつんのめる形になり、その衝撃で馬車は爆発した。後に続く馬車も急停止できず爆発の波に呑み込まれた。
エリスは屋根の上で馬車が炎を上げて燃え上がる様子を見ていた。通りに人や屋台が絶えた所を狙い、見事に決まっていた。 被害は当の馬車のみであった。
エリスは消防の馬車が駆けつけたところまで見届けると、四つん這いで鐘撞部屋まで戻っていた。(この時点で狙撃銃は音も無く消えていた)
ここまできて体力の限界が来たらしく、エリスは猛烈な寒気、吐き気、頭痛、関節痛に襲われた。
アイナの肩を借り、下の階まで戻り、その後は心配するアイナに無理に作った笑顔で別れの挨拶をし、また大通りまで戻り辻馬車を拾い屋敷まで帰って来た。
本来は厳重な警備をしている聖霊堂も爆発騒ぎにより騒然としており(これは公安局員により警備がつけられているシトワ家にも同じことが言えた)エリスは比較的容易に動けた。
爆発騒ぎでパニックになった人々により辻馬車に帰宅客が押し寄せ、帰りの馬車を捕まえる方が大変だった。エリスは相場の倍近くの運賃を申し出て、何とか辻馬車を捕まえることに成功したのである。
屋敷に戻って来たエリスは血まみれで破けたコートと洋服をとりあえず寝台の下に押し込み、それ以降は泥のように眠った。
朝になりカーラが起こしに来たがエリスの顔色を見るなり、絶句した。エリスはカーラに寝台の下に隠した洋服などのことを手短に話し、麻袋か何か袋に入れて破棄するよう頼む。そしてカーラから借りたコートを駄目にしたことを謝罪した。
カーラはエリスの頼みを聞き入れ、エリスの言ったとおりにした。エリスは食欲がなかったが、カーラは「せめてこれだけでも」と糖蜜入りの温めたミルクを持って来た。それを飲み干した後、エリスは再度眠りの世界へと入った。
次にエリスが目を覚ましたのはすっかり日が落ちた頃であった。少し食欲が戻ってきていたのでブイヨンのスープを飲む。そしてスープを飲み終えたときエリスは両親から上級公安局員が昼間尋ねてきて事件が終結したことを知らされたのである。
翌日になってもエリスはまだ寝台から出られなかったが、新聞を持って来させ、夏至祭に起きた馬車爆発事件の記事を読んだ。
記事には教王暗殺未遂事件のことなど全く書かれておらず、奉司会が無事に終わったとされ、その奉司会の記事よりずっと小さく大通りにて酔っ払いにより騒ぎで花火用の火薬が爆発したことが書かれていた。
屋敷を警備していた公安局員らもすっかりいなくなり、シトワ家は日常をようやく取り戻そうとしていた。
エリスも五日間は寝台の住人ではあったが今は庭に出られるようになった。夏が終わる頃には体力も元に戻っていることだろう。
カーラには夏至祭の夜、「全てを話すから」と告げていた。
だがエリスは夏至祭が終わって十日も過ぎているのにまだ話せていなかった。
これはカーラがあえてそうしているふしがある。
エリスの体調や血まみれの洋服の件に加え、体調を崩したエリスをカーラが看病していたときのこと。カーラはエリスの着替えを手伝っていた。背中に回り寝間着を剥がそうとしたカーラは「エリス様、これは…」と声を震わせた。エリスは気が付かなかったが、背中には大きな切り傷の跡があった。聖霊堂で斬りつけられたものである。
あの時はアイナの治癒力で傷口は塞がったが、傷跡は残ってしまったようだ。
エリスも鏡で傷跡を確認した。背中の開いたドレスは着られないだろうというくらい目立つ傷跡である。
エリスの背中の傷跡を見てからというもの、カーラはエリスに対し今まで以上に気を遣うようになった。いつも不安そうな表情でエリスの一挙手一投足を見ている。
エリスとしてはまた以前のような仲に戻りたいと願っていた。
その日もまたエリスはライラックの大木の下の椅子に腰掛けていた。手には分厚い古代の戦記物がある。なかなか面白く時が経つのが早く感じられる。
カーラはいつものようにエリスの傍らにいたが、同僚に呼ばれた。カーラがエリスの元に戻って来たとき、手には手紙を持っていた。
エリス宛の手紙である。
エリスが手紙を受け取る。封筒は真っ白な上質な珠貝紙であった。
(こんな良い封筒を使うなんて誰だろう)
手紙をひっくり返し、差出人の名前を確認してエリスは固まった。
差出人は「ローダ・バル」
エリスが聖霊堂の中に入るときに使った偽名である。




