教王暗殺
エリスは貴族の屋敷が並ぶ高級住宅街を抜け、街の中心部まで行ける大通りまで走って行った。大通りには複数台の辻馬車が客待ちをしている。
エリスはその中から一台の辻馬車の馭者に声をかけた。
―教王が奉司会を行う聖霊堂まで行ってほしいと
エリスの言葉に馭者は難しい顔をした。
「本日は混んでいてなかなかお客さんの言った場所までは行けませんよ」
エリスはそれなら聖霊堂近くまで、行けるところまででいいからと頼み込み、交渉が成立した。
エリスは馭者にもうひとつ注文をつける。
「なるべく急いで」と。
馭者台に座った馭者は「恋人でも待たせているんですかい」と下卑た顔でエリスをからかってきたが、エリスは「ええ、まあ」とやり過ごした。
貴族や豪商など屋敷に雇用されている馭者と違い、辻馬車の中にはこのような手合いもいる。下手にムキになったり、喧嘩腰に対応すれば、目的地とは全く違った場所に降ろされる可能性もあるのだ。
馭者はエリスの面白味の無い受け答えに興を削がれたのか、それ以降は無言で馬車を走らせた。
道は煉瓦で舗装されているが、車輪のスプリングの具合は悪いらしく、身体のあちこちに煉瓦道の凸凹がダイレクトに伝わる。
(帰るときはもう少しマシな馬車をつかまえよう)
エリスはそんなことを考えた。
大通りを走るにつれ、だんだん人通りが多くなってきている。道脇にも臨時の屋台が多く見られてきた。
やがて馬車はスピードを緩めてきた。
馭者が振り返って言った。
「これ以上は無理ですぜ」
馭者の言うとおり、もう少し先では、大通りは人の波でごった返していた。エリスは馭者に走り賃を渡し、人波を駆けて行った。
日が落ち過ごしやすい気温にはなっていたが、人の混雑のため食べ物や香水、汗など様々な臭いが充満していた。
夏至祭ともなれば貴族などでも開放的な家では年頃の令嬢はお供を二、三人つけて歩かせることもあるという。シトワ家はそうではなかったが、母の実家が商家ということで、エリスの知り合いにはそのような者も多い。顔見知りに会わないよう、エリスはカーラから借りた帽子を右手で深く押さえた。
(早く、聖霊堂に着かなければ)
聖霊堂のある方向を目指して人混みをわけて進んでいく。もはや走ることは不可能で、エリスはそれでも早足で進んでいった。
途中、肩や腕などが幾度もぶつかる。大抵の者は「アラ、ごめんなさい」「すみません」など軽い謝罪をし、エリスも頭を下げたが、祭特有の酔っ払いに絡まれそうにもなったりした。エリスはそのような者は無言で睨みつけた(カンバヤシの特徴が滲み出ているらしく、睨まれた者はひるんだり、おびえたりした)
普段より三倍以上の時間をかけて、ようやく聖霊堂の正門の柱が見えてきた。正門前は当たり前だがこれまで進んでいった道以上に混雑している。そして正門脇には赤と紺の制服を着た警備兵の姿があった。
エリスは正門が見えてくると、歩きながら悩んだ。
(正門から通って聖霊堂の中に入り、それらしい者がいないか探るか、それとも…)
エリスの歩幅が先程より遅くなる。
エリスは悩んだ末、正門へ向かう人混みから外れて、聖霊堂をぐるりと囲む塀へと歩いた。塀は壁タイプのものではなく、成人男性の拳が入れるか入れないかくらいの隙間がある白い門柱が縦に並んだフェンス状のものである。塀の周りにもある一定の距離を空けて警備兵が立っていた。
(特に異変が起きた様子は見られない)
エリスは塀やあたりを観察しているように立ち止まっていると、塀の向こう、見事な庭園がある更に奥、聖霊堂の渡り廊下に見知った姿を発見した。
(これはチャンス)
エリスは帽子を鼻の頭まで深くかぶり、声を変えて、叫んだ。
「アイナ様」
正門から離れた場所で殆ど人がいない(いても寝ている酔っ払いくらい)
だが一人の警備兵が気付き、エリスの方へ向かってきた。
(気がついてアイナ)
アイナがエリスに気付くのが先か、警備兵がエリスを追っ払うのが先か―
「おい、娘」
警備兵の手がエリスの肩に触れようとしたそのとき。
アイナも塀の外にいるエリスに気がつき、こちらに向かって歩いてきた。
警備兵もアイナが来たことに気づき、エリスに伸ばしていた手を止めた。
アイナは白と水色、銀の縁取りをしたローブを、白いドレスの上から羽織っており、清冽な美貌を持つ彼女によく似合っている。
エリスも横にいた警備兵も瞬間、状況を忘れ、しばしアイナの美しさに見とれた。
アイナがそんな二人の様子を構いもせず「どうされたのですか」と声をかけてきた。
警備兵はエリスがここから覗き見をして、アイナに声をかけたことを述べた。エリスは帽子を取り、素早く頭を下げた。オドオドした態度で、
「すみません、アイナ様と同じ故郷から出てきた者で、アイナ様の姿を一目見たかったもので」
とそれらしくそれらしくつっかえつっかえに語る。
アイナも名前を呼ばれた時点でエリスだということは分かっていただろう。
「左様ですが」
と返事をし、警備兵に確かに故郷にいたとき近所で見た顔だと答えた。そしてせっかくなので聖霊堂の中に招き入れたいと言った。警備兵はとんでないと最初は拒絶したが、アイナが真摯な顔で再度頼むとようやく折れてくれた。
エリスはローダ・バルという偽名で入門表に署名し、聖霊堂の中に入ることができた。
アイナは自分専用だという部屋に案内した。
エリスは部屋に入るなり、まずは周囲に人気が無い事を確認し、教王が何処にいるのか尋ねた。
「教王猊下なら今、次の奉司会までの間、控室で休憩されてますが」
エリスはそれを聞くと、これまでの事件ならびに自身が調べたこと、そして導き出した推論をアイナに話した。
エリスの話を聞き終え、アイナは恐怖のあまり顔は真っ青になり、身体を震わせた。
「まさか、でも、そんな」
言葉を無くし、呆然としているアイナの両肩をエリスは強く握った。
「お願い、アイナ。このことを猊下に伝えて」
アイナは小走りで教王がいる休憩室へと向かった。エリスはアイナの後を追いかける。
休憩室の扉は開いていた。教王に夏至祭や奉司会での書類を持って来る者、軽食を運んでくる者、そして挨拶に来る貴族や高官など。常時、さまざまな人間が出入りしている。
そのような者たちが僅かな時間、途切れた。
休憩室の仕切りのカーテンの向こうにアロン教王はいた。クッションの効いた豪華な椅子に座り、ようやく得た少しの休息に(やれやれ)と一息ついた。
とうに禿げた頭には教王の冠をかぶり、金糸で縁取りした緑のローブを羽織っている。彼の癖で顎の下の白髪が大分混ざっている髭を撫でた。
次の奉司会のため、喉をうるわそうと葡萄酒の入った水差しを取ろうとしたとき。
開いていた扉からノックもせず、ひとりの男が足音を立てずに突然入って来た。
虚ろな眼差しに、気配を全く感じさせないその男に、教王は最初、
(亡霊か)
と思った。
だが男の足元には影がある。影があるのならば亡霊ではない。
「何奴か」
男は教王の言葉には何も答えず、右手を上げた。
右手の先には一本の剣。
その剣に教王は見覚えがあった。自分を警護する警備兵が持っている剣である。
男は明らかに警備兵ではなかった。
(扉前にいた警備兵は!)
教王が人を呼ぼうとした。
「猊下!」
若い女性の声がしたかと思うと、教王は柔らかい何かがぶつかってきたのを感じた。
教王にぶつかったのはエリスであった。
アイナとエリスが教王の休憩室に入ったとき、男が教王に向かって剣を下ろそうとしていた。
エリスは瞬時に男と教王の間に入り、その身体に剣の刃を受けたのだ。
教王はエリスが床に倒れる瞬間、ようやく声を出すことができた。
「誰か、誰かいないか! 狼藉者が侵入してきた!」




