詩について
思いがけない報告に伯爵夫人は「オオゥ」と唸り、そのまま失神した。椅子の背もたれに全体重がかかり、倒れるんじゃないかというくらいに椅子が前後に大きく揺れる。
伯爵は家令を呼び、上級保安局員から許可を貰うと、夫人を応接室から退出させた。家令とメイド長、その他に数人の男性使用人とメイドたちが夫人を抱えていく。
夫人だけではなく、伯爵も顔色は土気色になっており、エリスの背後に立っているカーラも今にも貧血を起こしそうになっていた。
そんな中で一番冷静だったのはエリスだった。
報告を聞いたときは驚きのあまり息を呑んだが、母が失神したときはすぐに駆け寄り、母の呼吸や顔色などを確認した。ぐったりとした母の身体を揺さぶるといったことはせず、手や背中を優しく擦りながら声をかけた。父に使用人を呼ぶように言ったのもエリスである。
場は一時騒然とした。
夫人が退出し、しばらくしたのち上級保安局員が報告を続けた。
事の経緯はこうだ。
屋敷に戻ったエリス等から誘拐について詳しく話を聞くと、公安局は直ぐさま山へ何か犯人の手がかりは残されていないか捜索に行った。
エリス等から連れ去られたときは全くひとけは無かったが、山の南の麓には村があり、時々村人が薪を取りに入ったり、キノコなどを取りに入ったりするという。山の管理もそこの村人らが行っている。
公安局の者たちは村人らに最近怪しい人物の出入りがなかったかを聴取した。誘拐犯らしき人物を見たという村人はいなかった。村には小さな宿屋が一軒あるのみで、そこの宿泊者は皆、常連客ばかりであった。
公安局員らは山の中に天幕を張ったり、火を熾したりした跡がないか探した。麓の宿屋は使わず、山の中で寝泊まりしていたと考えたからである。
山の裏側には岩崖になっている場所があり、その崖下に男が倒れているのが発見された。
崖下には大きな岩が二つ並んでおり、その間で発見された。
男は既に絶命していた。
検死医によると死後十日以上は経過しており、死因は首の骨を折ったことだという。
顔の部分は岩の影にあったので、腐敗はさほど進んではおらず、人相書きとの照らし合わせが容易にできた。また身につけていた衣類もエリス等の証言と同じものであった。
以上のことを報告したのち、上級保安局員は一息つくため、茶を飲んだ。
つられるようにして、エリスと伯爵も自分の茶を飲む。
茶はすっかりぬるくなっており、舌に不快な渋みが残る。
カーラが慌てて、新しいのを淹れ直してくれた。
熱い湯で淹れた美味しい茶で口直しをした後、上級保安局員が再び話しはじめる。
「死体の状況から考えて、人質に逃げられたことの責任を取っての自殺か、もしくは女以外にも共犯の仲間がおり、仲間によって殺害されたかと」
公安局は引き続き女の行方を追い、他の共犯の仲間がいる場合を考えて、更に警護を強化すること、そしてシトワ家でも今まで以上に出入りする商人や屋敷の周辺に警戒するよう伝えた。
エリスが尋ねる。
「男の身元は分かりましたか?」
上級保安局員は顔を横に振った。
「残念ながらまだ」
シトワ伯爵は直ちに家令を呼び、身元のしっかりとした用心棒を複数雇うように命令した。
伯爵夫人は丸一日寝台の中で過ごし、神経が衰弱し、やたら甘い菓子を食べるようになった。
カーラは今まで以上にエリスのそばに付き従うようになった。
伯爵や家令、メイド長に「常に近くにいること」「異変に気がついたらすぐに伝えること」を厳命された。
だがそれ以上にカーラの意志でもあった。
(誘拐事件では私が助けて頂いた。今度はそのご恩に報いなければ)
一方、命の危険に晒されているはずのエリスはあまり動揺するといった様子は見せず、一人考え込むことが多くなった。
(岩崖から落とされた。ということは銃の類はもう無いということか)
(だけどナイフなどではなく、崖から落とすなんてことをしたんだ?)
(仲間割れによる殺害でなく、やはり自殺なんだろうか?)
人の目が多いところにいた方が良いため昼はなるべく居間のいるようにした。
カーラはそんなエリスに無理に話かけようとはしなかった。メイド長から特別に許しを得て、居間の隅の方で縫い物やたたみものなどをしている。
誘拐事件当時のことを思い出す。
死んだ男が言った言葉。
(確か弔いの詩を一部変えたものだったはず。「偉大なる師よ」、いや「偉大なる我が師よ」だったか?)
エリスはそこで初めてカーラに自分から話かけた。死んだ男が口にした弔いの詩を覚えているか、と。
カーラは手を止め、目を瞑りながら記憶を掘り起こす。
「ええと」と唸りながらカーラが思い出す。
「偉大なる我が師よ
我らが同胞の願い
贄に捧げる」
カーラの口から絞り出された言葉に、エリスは右の拳で左の掌を打ち、「そうだった」と声を上げた。
カーラはそんな令嬢の様子に怪訝そうな表情を浮かべる。
「この詩が何か?」
「いや、あんな人を殺そうとしたときによく口にできたなあと思って」
元々の弔いの詩は「偉大なる聖霊よ 我らが同胞の魂 天に捧げる」である。葬式のときに参列者全員が唱えるものでごく短いものである。
(それの一部変えたものをあの場で口にするとは)
改めてエリスは自分の口に出して言ってみる。
「エリス、その詩は」
伯爵が居間に入って来た。書斎で用事を済ませ、昼下がりのお茶の時間になったことと、エリスのことが心配で来たのである。
「お父様、この詩を知っていらっしゃるの!」
エリスは驚いた。カーラも同様で不躾ながら伯爵をじっと見る。
伯爵は肯く。
家令が茶と菓子を銀の盆にのせて、やって来た。
エリスは伯爵が茶を一口飲んだタイミングを見計らって、話を急かした。
「もう三十年前くらいになるかな。若者たちによる新興の創作集団が話題になった」
若者特有の熱気に包まれた集団で、それまでの既成概念を破壊するような詩、小説、戯曲の創作を行い、同じく若者たちに圧倒的な支持を受けていたという。
ただあまりにもその後に過激な思想に走ったため、行政機関や司法関係者に目をつけられ、また急激に支持も失っていったという。
エリスが先ほど口にした詩はその集団が作った弔いの詩のパロディであり、一時期酒場などで流行ったという。
伯爵よりは一世代上の間で流行り、まだよく事を理解していない当時少年であった伯爵も酔っ払った使用人が大声で口にしていたのを耳にした。
伯爵から話を聞き終わるや否や、エリスは駆け出した。カーラが慌てて後を追う。
伯爵は何事かと娘の名を呼んだが、エリスは貴族の令嬢にあるまじき大声で、
「何でもないわ!」
と叫んだ。
(そんなことがあったなら、記録が残っているはず)
エリスが向かったのは図書室であった。




