四つの事件の点と線
エリスたちが屋敷に戻ったのは、じつに次の日の昼過ぎであった。
ずっと道に迷っていたわけではない。
馬車を奪って走らせた頃、日は落ちようとしていた。
エリスは山道を走らせる際、まずは山道の土に残っているであろう轍を探した。山の中に連れ去られるときに、ついたであろう轍である。
乾季に入り天気の良い日が連続していたが、山の中では木陰であまり日が差し込まないことで、土は程良く柔らかい状態であり、容易に轍を見つけられた。
エリスは二頭の馬の手綱を操りながら、視線は轍を追う。
エリスは素手で手綱を握っていた。
摩擦により、手のひらの皮膚が擦りむける。それでも速度を落とすわけにはいかなかった。
あの男女が仲間を呼んだりして、そのうち何らかの方法で後を追いかけてくるかもしれない。
そう考えると、どうしても馬を早く走らせなければならない。
また日が完全に落ちてしまったら、山道に迷ってしまう。
日がまだあるうちに山道から抜け出さなければならない。
せめてもの救いは、カンバヤシの筋力で手綱を捌いているということであろう。
そのおかげで素手でも二頭の馬の手綱を捌くことができる。
山から抜け出し、舗装された街道らしき道に出たとき、日は禍々しい程赤い色を放ちながら地に消えようとしていた。
周囲は濃紺に染まり、木や石、自分自身の手さえ暗い影にしか見えたかった。
エリスはここまで来るとようやく、馬の速度を緩ませ、歩かせることにした。
ずっと目と両手に神経を集中させていたが、馬を歩かせることにで、少しリラックスできる。
虫が鳴く音はしたが、山から自分たちを追って来る者の音は聞こえなかった。
(とりあえず、助かった)
だが、今自分たちが何処にいるのか分からない。
エリスは後ろを振り向き、カーラに馬車籠の中に地図か何かないか聞いた。
カーラは馬車籠の中をごそごそと動いた後、窓から身を乗り出して「無いようです」と答える。そしてエリスに馭者役を替わると申し出た。
確かにエリスの両手はすっかり剥けている。腕の筋肉もパンパンに腫れ、痛みが出てきた。
エリスはカーラの申し出に少し考え、馬車の手綱を握ったことがあるか質問した。
答えは「ございませんが、やってみます」であった。
エリスはカーラの申し出を断り、もう少し自分が馭者役を務めると言った。
「そんな、でも」とカーラは渋り、二人の間で暫く問答が続くいた。
そうこうしてエリスが後ろを振り向き、カーラが窓から乗り出して問答をしているうちに、カーラが突然「あっ!」と驚きの声を上げた。カーラは指をさし、
「お嬢様、あちらに光が見えます」
カーラの指した方を見ると確かに光が見えた。光の大きさから村もしくは町があるようである。
エリスは再び手綱を強く握りしめた。光が見えたことで擦り剥けた手の痛みも殆ど感じない。
「行ってみましょう」
エリスの言葉にカーラは「はい」と答え、馬車はまた走り出した。
たどり着いてみると、思ったとおり町であった。
エリスとカーラは町の外れの人通りの無い場所に馬車を停めると、通行人に保安局の出張所(この世界に於ける交番)はないか聞いた。
保安局の出張所に着くと、カーラは保安局員に自分たちの身分と起こった出来事を話した。
対応した保安局員は大変驚き、すぐさま上司を呼んだ。
エリスもカーラも持ち物が無く(カーラの巾着バックは女に取られたままであった)髪の毛はぼさぼさであった。それでも突然飛び込んできた若い二人の女性の言い分にすぐに対応したのは、二人の身に付けている物が相応な物であったからであろう。
カーラと保安局の者が話している中、エリスは自分の手のひらを見た。思っていたより酷い有様で、三つ水膨れがあり、二つ水膨れが破け、血も出ていた。
手のひらの傷を見ているエリスにカーラはすぐに気づき、保安局員に応急手当の道具を借りた。カーラに手当てしてもらう。
保安局員のかみさんが温かいスープとパンを持ってきてくれる。
二人がたどり着いたのはルジという町であった。バルロの都からやや離れたところにある。
保安局員の上司がシトワ家へ急ぎの使者を出す。
エリスたちはその身分から特別な対応として、保安局員の上司の家の客間の寝台で寝ることになった。二人は同じ寝室で寝た。死の恐怖に晒された後なので二人の方が安心できる。
清潔で柔らかい毛布は疲れきった身に有難かった。
朝を向かえる頃、ルジから出した使者がシトワ家の者とバルロの保安局員を連れて戻って来た。
迎えに来たシトワ家の男性使用人は青ざめた顔であった。そしてシトワ伯爵と夫人がどんなに心配しているかを語った。それを聞いたカーラは自分が捕まったからだと、自分自身を責めだした。
深刻な空気に陥る中、エリスはカーラと迎えに来た使用人に対し、わざと明るく言った。
「まあ、無事だったし」
バルロの保安局員は詳しいことは都に戻ってからと言い、シトワ家の馬車を護衛しながら、ルジを後にした。
屋敷に戻ると、伯爵夫妻は涙を流しながら娘を強く抱きしめた。
どんなに心配したか、どんなに不安に思ったか、ルジから使者が来たときどんなに驚いたかを嗚咽混じりに語る。
父母の様子に、エリスも泣きながら謝った。
喉と涙腺が枯れるまで謝ったところで、エリスは馭者とカーラは悪くないことを伝え、二人を罰しないよう両親に懇願した。
両親は最初戸惑った。愛娘を危険に晒した使用人に対し、軽くて減給、重くて解雇という処置を考えていた。これは貴族社会において常識的な考えである。
だがエリスは誘拐されたのは自分が標的であったからである、カーラは巻き込まれただけ、馭者も異変に気づいていたのに自分が無理に帰したと主張した。
最終的に両親はエリスの主張を聞き入れてくれ、カーラと馭者は使用人頭から二間(約二時間)にわたる厳重注意で済んだ。
エリスたちが屋敷に戻った翌日、バルロの保安局員が訪問に来た。伯爵令嬢誘拐未遂事件ということもあり、上級保安局員である。
事が事だけに表沙汰にならないようにするとまずは説明を受けた。
確かに上級保安局員は保安局の制服は着用しておらず、また通常左腕にしている腕章もしていない。彼は国王印を押した上級保安局員しか持てない保安局員証を最初に呈示した。
シトワ伯爵と同世代で、紳士然とした頭の禿げた局員は、シトワ伯爵の屋敷に遊びに来た友人のように思われるだろう。
事情聴取が行われ、エリスは誘拐当日のことを詳しく話した。そしてリングトムを騙った手紙のことも。
話終え、エリスは慎重に「今回の事件とはあまり関係ないかもしれなませんが」と付け加え、これまであった遊月公園のアイナ襲撃未遂事件、ワモド氏の屋敷の窓破損事件も話した。
話を聞き終えた上級保安局員は自らの鼻の頭を掻き、まずは「ふむ」と唸った後、
「失礼ながら『一角獣の乙女』とナーター伯爵家令息、そして貴女の噂は私も耳にしたことがあります」
そこまで言ったのち、
「貴女の話した四つの事件は確かに繋がりがあるように思えます。しかしその繋がりが何なのか見えてこない。噂に対し面白がって窓を壊すならともかく、傷つけようとしたり、殺そうとするほどの動機が」
上級保安局員の言葉にエリスは強く肯いた。
エリスは保管していたリングトムを騙った手紙を渡した。
上級保安局員は分かったことがあったら、連絡をすると約束し、帰っていった。
事情聴取はカーラもされ、馬車に連れ込まれるまでの一部始終が分かった。
喜捨を払い終え、『修行者たちの家』の建物を出た。シトワ家の馬車へ向かう途中、女に道を聞かれた。すぐ近くの道であったので案内すると、突然路地裏まで引っ張られ、そこで急に意識を失ったという。
男が路地裏に隠れ、カーラの腹に当て身を食らわせたのだろう。
上級保安局員が帰り、カーラが新しいお茶を運んできた。
夏に飲むのに相応しい爽やかな香りのお茶を飲む。異国の薫葉を使ったお茶である。
「早く犯人が捕まるとよいですね」
「ええ」
エリスにはまだ誰にも話していない考察があった。
(アイナのときは街中の遊月公園でのペーパーナイフで襲ったり、屋敷にネズミを投げ込んでくるだけだった)
(対して私はひとけのない橋への呼び出したり、山中へ連れ去り、銃を使って殺そうとした)
(この差は何なのか? 明らかに私の方を殺そうとしている)
自分に向けられた殺意に対し、エリスは悪寒を覚えた。
(もしあのときカンバヤシの力がなかったら…)
そう考え、自分の左手をじっと見つめる。
今は黒の絹の手袋をしており、小指にしている指輪は隠されいる。
ルジにたどり着いたときには指輪は光るのをやめ、カンバヤシの力も消えていた。
馬鹿げた話だが、エリスはある試みをしようとした。
カンバヤシでいたとき、林檎を片手で潰すことができた。
エリスは屋敷に戻ったとき、試しに林檎を潰そうとした。
だができなかった。
そして指輪の石も光ることはなかった。




