光った指輪
「カーラをどうしたの?」
背中に刃物があてられていると分かった瞬間、女の足を踏むなり、肘打ちをするなりしようと思った。だが女の不穏な言葉にエリスは動揺した。エリスは必死に感情を抑え、女を刺激しないよう努めて冷静に小声で尋ねた。
女はその問いに対し、腕を伸ばし巾着カバンを出した。カーラが持って来た巾着カバンである。巾着カバンはカーラのお手製である。
「小間使いが気になるなら、こちらの言うことを聞きなさい」
女は無感情な口調で同じことを繰り返す。
エリスは声を出さず、顔を前に向き直しコクリと頷く。
女が次の指示を出す。
「まずは自分のところ馭者に『知り合いと会ったからそちらに行く。馬車は必要ない』と言いなさい」
背中には刃物の先とともに布があたっているのが分かる。周囲の人には刃物を見えないようストールか何かで隠しているのだろう。女は刃物を突き立てた腕はそのままの状態で身体をエリスの右斜め後方に移した。そうすることで、周りからは親しい女友達に見える。
エリスは顔は正面のまま、右眼球だけ素早く動かし女を見た。特に目立つところのない夏用の外出着、帽子姿である。、外出着自体、物は悪くないが型がやや古い。
肝心の女の顔だが、帽子の影で目と鼻が隠されている。意図的にしているのだろう。年齢はエリスより年上であることは間違いない。二十代から四十代くらい、エリスはそう践んだ。
そして髪はエリスと同じ黒髪であった。
そう歩かないうちにシトワ家の馬車に辿り着く。
馭者には女の指示通りに伝えた。
馬車まで来たら、刃物を女の手から奪おうと再度考えた。馭者もいるし、勝算はある。
だが、カーラの身を考えやはり断念せざるを得なかった。女ひとりならともかく、共犯者がいる可能性がある。
馭者は「はあ、お知り合いですか…」と不審げに首を傾ける。年齢や身分が合わずおかしいと思ったのだろう。
(さすがシトワ家の馭者)
エリスは心の中で馭者を思いっきり誉める。だがカーラが捕まっていると思われる現状では、無理にでも馬車を帰さなければならない。
エリスは笑顔で「知り合い」であることを強調した。
馭者も最終的には納得し、馬車は去って行った。
去って行く馬車の姿を見ながら、エリスは悔やむ。
(何か馭者に事件を伝える手段があったら)
シトワ家の馬車の姿が完全に見えなくなると、女は相変わらずエリスを先頭にしたままで、次の行き先を指示した。
「このまま通りを真っ直ぐ」
「次の街路樹を右に曲がれ」
幾つかの指示通りに歩くと、ひとけのない商店街の外れまで来た。僅かにある店もとおの昔に閉店したものばかりである。
日はまだ高いにも関わらず、ここだけ薄ら寒さを感じるような閑散とした場所であった。
女が口笛を吹くと、元は雑貨屋だった廃墟から男が出てきた。男の身体はかなり大きく、筋肉質だった。男も同じく帽子を目深に被っている。
男は「来い」と言い、男を先頭に少し歩くと、小さな倉庫があった。男だけ倉庫の中に入り、二頭立ての馬車が出てきた。男は馭者台に載っている。馬車の中に入ると、カーラがいた。
「カーラ!」
両手を後ろに縛られた上、猿ぐつわまで咬まされている。
エリスは駆け寄った。カーラは意識はあり、瞳を涙ぐませた。顔色は悪く、額や首は汗ばんでいる。ぐったりとした様子から腹に当て身を食らったのだろう。
エリスが猿ぐつわを外そうとする。
「動くな」
女はそう言いながら、何処に隠し持っていたのか拳銃を突きつけた。
エリスは動きを止め、カーラの隣に座る。
女が持っているのは野ウサギ狩りに使われるものである。片手でも撃てる小型銃である。エリスも何度か野ウサギ狩りには連れられて行ったことがあり、銃自体は見慣れている。
小型とはいえ、至近距離では致命傷を負わせることもできる。
エリスはまたしても女の指示に従うしかなかった。
隣にいるカーラも女を睨みつけている。せめてもの抵抗であろう。
馬車が走り出す。
窓は閉められており、何処を走っているのか知ることができない。小さな馬車備え付きのランプが僅かな光を灯す。エリスは何度か女から情報を探ろうと試みたが、下手に口を開こうとすれば銃を撃ちかねない。結局エリスが得たのは、カーラの汗を拭うことだけだった。
カーラの巾着カバンは女が持っており、エリスのカバンはシトワ家の馬車に置いてきた。エリスは自分の絹の手袋を外し、それでカーラの汗を拭った。
「カーラ、こんなのでごめんなさい」
エリスがそう呟く。カーラの猿ぐつわがもごもごと動いた。目からは涙の粒がこぼれ落ちる。
かなり長いこと馬車は走り続けた。3間(約3時間)近くは走り続けただろう。最初は舗装された道を走っていたが、やがて舗装されていない山道に入ったらしく馬車がかなり揺れた。ただでさえ閉められた中で、そのような道を走ったので、カーラは車酔いをしたらしく顔色が更に悪くなった。エリスは必死に手袋で汗を拭い、背中をさする。エリスは山道を走っているなら、人はいないだろうから、せめて窓だけでも開けてくれないかと懇願したが、女は銃をエリスたちに向けたまま、黙っていた。
山道を走り続け、ようやく馬車が止まる。
エリスとカーラは馬車から降りるよう指示される。エリスは一人では立てないカーラを支え、降りた。
予想したとおり、山の中で周囲にはひとけや民家など全くなく、鬱蒼とした木々しかない。
男は馭者台から降り、女と連れ立って歩く。エリスとカーラはまたしばらく歩かされた。
「止まれ」
相も変わらず木々しかない場所で、そう女が命令する。
女の声は少し離れて聞こえた。エリスが後ろを振り向くと、やはり少し距離を取られている。わざとそうしているのだろう。
銃口は向けられたまま。
女が皮肉を込めた笑い声で言う。女の感情が見えたのは初めてであった。
「貴女が婚約者の手紙に従ってくれさえすれば、小間使いは助かったのに」
男が何やら口ずさむ。
「偉大なる我が師よ
我らが同胞の願い
贄を捧げる」
葬式で唱えられる聖霊の詩「偉大なる聖霊よ 我らが同胞の魂 天に捧げる」の一節を変えたものである。
どうやら山の中でこのまま殺すつもりらしい。
エリスの足が上がる。
エリスの足元にあった石が飛び、女の銃を持っていた手にあたる。
予想だにしなかった反撃に女は驚き、そのまま後ろに無様に尻餅を打った。
『修行者たちの家』近くで背中に刃物を突きつけられた瞬間から、エリスの中にカンバヤシの意識が強く目覚めていた。
女の様子はカンバヤシが見てきたテロリストたちとよく似ていた。
先ほど「止まれ」と言われ、後ろを向いたときエリスはすぐに足元に手ごろな石がないか探したのである。一か八かの行動ではあった。
銃が女の手から落ちたのを見て、エリスはそれを取ろうと走る。銃を掴むことができた。
だがすぐにエリスの右腕を男が掴む。
(やばい)
シトワ家の領地にいたとき自分に近付いた酔っぱらいに関節技をかけて撃退したことはある。
だがあれは素人で、油断していた上に酔っぱらていたからである。
今対峙しているのは躊躇なくカーラの腹に当て身を食らわせ、殺害もする男である。
いくらカンバヤシのとき会得した護身術があっても、圧倒的な体力の差がある。このまま右腕をひねり上げられ、骨を折られたらお終いである。
事実、男はそのような行動に移ろうとした。右腕に激しい痛みが走り、せっかく掴んだ銃を落とした。
(私、こんなところでお終いになりたくない)
そう思った瞬間、エリスは自分の視界の隅に赤い光が見えた。
左手の小指の件の指輪の石が光っている。
エリスの心臓が大きく打った。
指輪を填めたときよりももっと強く、血が四肢に、筋肉に流れていく。
(これは)
エリスは思わず左手で男の鳩尾を殴った。
男は「ヴッ」とうめき声を上げ、掴んでいたエリスの右腕を離した。
右腕を解放されたエリスはすぐに銃をドレスの中の、自分の懐に入れた。これで両手が使える。
鳩尾を押さえたままの男の襟元をつかみ、エリスは力加減せず投げ飛ばした。男は背中を地面に強く叩きつけられた。
男はしばらく動けないだろう。
女もカーラも何が起こったのか理解できず、呆然としていた。
エリスはすぐにカーラを縛っていた縄解き、猿ぐつわを取った。カーラの手を取り、その場から走り去る。
銃はエリスが持っているということもあり、女たちは追ってこない。
馬車の置いてある場所は見当ついていた。
カーラを馬車の中に乗せ、エリスは馭者台に乗った。
馭者がしていた動作を思い出し、見様見真似で馬車を走り出させる。
二頭の馬の手綱をさばきながら、エリスは笑っていた。
馬車の中からカーラの「お嬢様」と呼ぶ声がしたか、しばし無視した。
左手の小指の指輪にチラリと視線を投げる。石は炭油灯の如く光っている。
(間違いない あれはカンバヤシのときの体力だ)




