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魔法少女だった私は、すべてを奪われて侵略者になった  作者: 摩利
1章

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6/9

親友


 コンサートは中盤に差しかかっていた。結衣のソロパート。

 それまで複数人で形作っていた隊列が、音楽に合わせて左右へ割れる。

 後輩たちが一歩ずつ下がり、ステージ中央へ続く光の道が生まれた。

 その中心へ、結衣は進む。


 足元の魔法陣が淡く光る。照明が一斉に切り替わる。

 観客席から歓声が上がった。


 白瀬 結衣。


 その名前を呼ぶ声が、会場のあちこちから響く。


 ペンライトの海。歓声。

 音楽。照明。振動する床。眩しいほどのスポットライト。

 二年前、あの先輩が立っていた場所に、今は結衣が立っている。

 かつて見上げるしかなかったセンター。いつか祈と一緒に立とうと誓った場所。

 そして、四条 瑠香が最後に輝いていた場所。


 結衣は歌う。息は乱さない。笑顔は崩さない。指先まで意識を通す。


 観客の前に立つ白瀬 結衣は、現役魔法少女のエースだ。

 努力の象徴。折れない少女。後輩たちを導くセンター。

 だから、完璧でなければならない。


 歌いながら、結衣は一瞬だけ思う。


 祈。


 見てる?


 私、ここまで来たよ。一緒に立とうって約束した場所に、私は立ってるよ。

 でも。本当は、隣にいてほしかった。




 その瞬間だった。観客席の上空で、空間が歪んだ。最初は、光の演出に見えた。

 けれど、違う。

 結衣の体は、頭より先にそれを理解した。


 空気が、ひび割れるように震える。

 天井から吊るされた照明が、小さく揺れた。観客席の一部から、感嘆の声が上がる。


「え、なに?」

「演出?」

「すご……」


 違う。

 結衣の背筋に、冷たいものが走った。


 普通なら、防御機構が作動するはずだった。

 魔法少女ライブ会場には、異形の侵入を感知する結界が幾重にも張られている。

 観客を守る防御膜もある。避難誘導用の補助術式もある。

 魔法少女の戦闘に合わせて自動展開される足場もある。


 もし空間異常が発生すれば、警報が鳴る。観客席に防御膜が降りる。ステージ上の魔法少女には即座に戦闘移行のサインが出る。

 それが正常な流れだった。


 けれど。何も、発動しなかった。


 警報は鳴らない。観客席を包む青い防御膜も展開されない。天井に走るはずの結界光もない。

 ただ、空間だけが歪んでいる。


 結衣の背筋が凍る。二年前と同じ。

 思考より先に、記憶がそう囁いた。あの日も、こうだった。


 ライブの最中。観客席の上空。突然の空間異常。作動しない防御機構。

 胸の奥に、古い傷が開く。


 けれど結衣は、止まらなかった。止まってはいけない。


 あの日、動けなかった誰かがいた。

 あの日、守れなかった誰かがいた。

 あの日、手を伸ばせなかった親友がいた。

 だから今度は。今度こそ。


 割れた空間から、異形が姿を現した。灰色の皮膚。歪んだ四肢。裂けた口。観客席へ落下するように、黒い影が広がる。

 観客の悲鳴が上がるより早く、結衣は動いていた。


「マギアエンジン、起動!」


 光が弾ける。ステージ衣装がほどけ、戦闘用の魔法衣装へ変わっていく。

 白を基調にした衣装に、淡い青のラインが走る。

 腕と脚に薄い強化術式が浮かび、足元の魔法陣が一瞬だけ強く輝いた。

 結衣はステージを蹴った。


 魔力は少ない。派手な魔法もない。

 空を裂くような光線も。広範囲を覆う結界も。奇跡みたいな回復魔法も。結衣には使えない。

 彼女にあるのは、ただの身体強化。

 候補生時代には、最低クラスだと何度も言われた魔法。


 「白獅踏天はくしとうてん!」


 けれど、結衣はその最低クラスを鍛え続けた。

 どこに魔力を通せば、一歩が速くなるのか。

 どの瞬間に強化を切れば、消耗を抑えられるのか。

 どの筋肉にどれだけ魔力を乗せれば、最短で敵へ届くのか。


 何千回も倒れて覚えた。何万回も繰り返して、体に刻み込んだ。

 鍛え抜いた肉体は、一瞬で観客席の上空へ届いた。


 異形の腕が、観客へ伸びる。結衣はその前に割り込んだ。

 拳を握る。肉体強化を、右腕に集中させる。

 全身を覆うほどの魔力はない。だから一点だけでいい。


 拳。

 肘。

 肩。

 背中。

 腰。

 踏み込み。


 全部を一つの線にする。


「――はッ!」


 一撃。

 結衣の拳が、異形の頭部を打ち抜いた。衝撃が空中に広がる。異形の頭部が砕けた。

 黒い体が空中で爆ぜ、粒子となって消えていく。

 観客席へ落ちるはずだった残骸は、結衣の放った衝撃で上空へ散らされ、光の粒になって消滅した。


 会場がざわめいた。

 何が起きたのか理解できていない声。遅れて上がる悲鳴。

 スマホを構える音。スタッフが叫ぶ声。


 演出ではない。事故でもない。本物の襲撃だ。

 結衣は空中で体勢を整え、ステージへ着地した。膝を沈めて衝撃を殺す。顔を上げる。

 観客席を確認する。

 後輩たちを見る。ステージ上の魔法少女たちは、まだ動けていなかった。


 無理もない。これはライブだった。戦場ではなかった。笑顔を届ける場所が、一瞬で恐怖に塗り替えられたのだ。


 けれど、結衣は知っている。ここで一瞬でも遅れれば、取り返しのつかないことになる。

 あの日のように。


「みんな、変身して!」


 結衣は叫んだ。

 後輩たちは一瞬、結衣を見つめた。顔が強張っている。呼吸が浅い。足が止まっている。

 今の彼女たちには、結衣の声が必要だった。



「早く!」


 その声で、後輩たちははっとした。


「は、はい!」


「変身!」


「マギアエンジン起動!」


 光が次々と弾ける。ステージ衣装が魔法衣装へ変わっていく。

 手に杖を出す者。槍を構える者。羽のような魔法陣を背に浮かべる者。小さな盾を展開する者。

 ぎこちなさはある。でも、戦う準備は整いつつあった。


 結衣は短く息を吸った。

 大丈夫。今度は、止まらなかった。今度は、動けた。

 そう自分に言い聞かせた、その直後。空中の空間が、次々と割れ始めた。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 空間が、次々と裂けていく。


 観客席の上。

 ステージ脇。

 天井付近。

 非常口の前。

 照明機材の裏。

 音響ブースのすぐそば。

 黒い亀裂が、まるで会場そのものを内側から食い破るように広がっていった。


 そこから、異形が現れる。

 細長い腕を何本も持つもの。四つ足で這いながら、牙を剥くもの。鳥のような翼で空中を旋回するもの。人間の胴体に獣の頭をいくつも生やしたようなもの。


 無数のゲートが、同時に開いていく。


 結衣は息を呑んだ。

 二年前と同じ。その言葉が、胸の奥で響いた。あの日も、こうだった。


 ライブの途中。

 観客席の上空。

 作動しない防御機構。

 次々と開くゲート。

 悲鳴。

 混乱。

 逃げ惑う人々。


 そして、誰かが守れなかった。


 結衣の胸の奥で、古い傷が開く。けれど、結衣は立ち止まらなかった。

 足は震えない。呼吸も乱さない。拳は、ちゃんと握れている。

 立ち止まってはいけない。


 今度こそ。今度こそ、誰も見捨てない。


 観客の逃げ道を確認する。後輩たちの位置を見る。

 ゲートの配置を把握する。異形の数を数える。

 全部は無理だ。

 結衣一人では、すべてに手は届かない。


 だからこそ、指示を出す。後輩たちを動かす。自分が一番危険な場所へ行く。

 それが今の白瀬 結衣の役目だった。


 最後に、ひときわ大きな亀裂がステージ上空に走った。他のゲートとは違った。


 空間が割れる音が、会場全体に響いた。

 照明がちらつく。ステージ床の魔法陣が、ひび割れたように乱れる。

 結衣は反射的に身構えた。


 そこから、人影が降り立つ。黒い衣装。魔法少女のステージ衣装とは違う。

 華やかさのためではなく、威圧するための衣装。

 身体の線に沿った黒布に、赤黒い紋様が走っている。裾は影のように揺れ、足元に落ちた光さえ飲み込んでいるように見えた。


 顔は、仮面で覆われていた。白でも銀でもない。黒く、硬質な仮面。

 表面には、薄く赤い文様が刻まれている。目元だけが細く開いていて、その奥から冷たい視線が覗いていた。


 その全身から、敵意が滲んでいた。ただ殺意をばらまいているのではない。

 もっと深く、もっと湿った、長い時間をかけて煮詰めたような敵意。


 仮面の人物は、ゆっくりと会場を見渡した。


 逃げ惑う観客。

 変身したばかりの後輩魔法少女たち。

 警備員。

 崩れかけたステージ設備。


 そして、ステージ中央に立つ結衣。

 仮面の奥の視線が、結衣のところで止まった気がした。

 ぞくり、と背筋が冷える。

 次の瞬間、仮面の人物は異形たちへ命じた。


「すべてを壊しなさい」


 声は、ひどく静かだった。叫んだわけではない。怒鳴ったわけでもない。

 それなのに、不思議と会場中に届いた。


「魔法少女も」


 仮面の人物の指先が、ステージ上の結衣たちへ向く。


「この世界も」


 異形たちが咆哮した。

 その声に観客席から悲鳴が上がる。人の波が出口へ向かって押し寄せる。

 非常口の前にもゲートが開いているせいで、流れはすぐに詰まり始めた。


 まずい。このままだと、異形に襲われる前に将棋倒しになる。

 結衣はすぐに指示を飛ばした。


「みんなは異形を相手にして! 観客の避難路を確保! 絶対に観客へ被害を出さないで!」


「は、はい!」


「二人一組で動いて! 一人で突っ込まない! 防御役は観客席側、攻撃役はゲート前!」


 後輩たちはまだ顔を強張らせていた。それでも、結衣の声に従って動き出す。


 杖を構えた子が観客席の前に結界を張る。

 槍を持つ子が非常口前の異形へ向かう。

 翼の魔法陣を背負った子が、上空の異形を迎撃する。


 ぎこちない。危なっかしい。でも、動けている。


「結衣先輩は!?」


 後輩の一人が叫んだ。


 結衣は、仮面の人物を見据えた。

 異形たちは、ただ暴れているわけではない。観客の避難路を塞ぐように動いている。魔法少女たちを分断するように配置されている。

 ゲートの出現位置も、無秩序に見えて、明らかに会場の防御と避難を潰す場所を選んでいる。

 指揮している者がいる。なら、そこを叩く。


「あの指揮してるやつを叩く」


 迷いはなかった。

 結衣はステージを蹴った。床に亀裂が走る。

 身体強化を脚に集中。一瞬で距離を詰める。仮面の人物の前に降り立つと、結衣は拳を構えた。


「あなたが指揮官ね」


 仮面の人物は答えなかった。ただ、結衣を見ていた。

 仮面の奥から、視線を感じる。重い。冷たい。

 けれど、それだけではない。


 憎悪。


 それも、ただ魔法少女全体に向けられたものではなかった。

 魔法少女局への怒りでも、世界への敵意でもない。もっと個人的なもの。

 結衣だけを見ている。結衣だけを焼こうとしている。

 そう錯覚するほどの、剥き出しの憎悪だった。


「白瀬、結衣ぃ……!」


 仮面の奥から、声が漏れた。その声に、結衣はわずかに眉を寄せる。

 名前を知られていること自体は不思議ではない。

 今の結衣は、魔法少女のエースだ。顔も名前も広く知られている。敵組織が事前に情報を集めていても、何の不自然もない。


 けれど、その呼び方は違った。単に敵の名を呼ぶ声ではない。

 もっと深く。

 もっと近く。

 もっと、結衣の内側に踏み込んでくるような声だった。


 怒り。

 憎しみ。

 嘲り。

 それに、なぜか痛みのようなものまで混ざっている。

 結衣には、その憎悪に身に覚えがなかった。


 いや。本当は、どこかで身に覚えがある気がした。

 胸の奥が、ざわつく。

 けれど、目の前の敵が誰なのかは分からない。仮面が、すべてを隠している。


「あなたは何者?」


 結衣は問いかけた。

 仮面の人物は、ゆっくりと首を傾けた。まるで、その質問を待っていたかのように。


「私はオブスキュリテ」


 黒い衣装の裾が、舞台照明の風に揺れる。

 会場の光を浴びても、その黒は明るくならなかった。むしろ周囲の光を吸い込み、より深い影になっていく。


「世界を壊すものよ」


 静かな名乗りだった。

 けれどその言葉には、冗談も誇張もなかった。本気でそうするつもりなのだと、結衣には分かった。


 この人物は、ただこの会場を襲いに来たのではない。

 二年前と同じ状況を作り出し、魔法少女を、観客を、魔法少女局を、そして結衣自身を壊すためにここへ来た。

 結衣は拳を握り直した。


「壊させない」


 声は震えなかった。


「この会場も、観客も、後輩たちも。誰一人、あなたには壊させない」


 オブスキュリテは、仮面の奥で笑った気がした。


「言うようになったのね」


 その一言に、結衣の心臓が小さく跳ねた。

 なぜ。

 なぜ、その言い方はこんなにも――。



 次の瞬間、オブスキュリテが踏み込んだ。


 速い。


 黒い衣装の裾が揺れたと思った時には、もう間合いに入られていた。拳が結衣の顔面を捉える。


 迷いのない一撃だった。魔法の光もない。派手な術式もない。ただ、鍛えられた体捌きと殺意だけが乗った拳。

 だが、結衣は微動だにしなかった。


 打撃が頬に触れる瞬間、その部分だけに薄く魔力を通す。

 全身ではない。頬と顎、首筋、それを支える肩の一部だけ。肉体を一瞬だけ硬化させ、衝撃を殺す。


 鈍い音が鳴った。結衣の顔は、わずかに傾いただけだった。

 オブスキュリテの仮面が、わずかにこちらを向く。


「触れた瞬間に魔力で硬化するなんて。器用な真似をするわね」


 その声に、どこか楽しげな響きが混じっていた。敵を評価する声。

 けれど、それだけではない。

 昔の結衣を知っているような。弱かった頃を知っている誰かが、今の成長を確かめているような。


 奇妙な違和感が、結衣の胸をかすめる。

 けれど、今は考えている暇はない。


「その程度なら」


 結衣は拳を握る。


「あなたの攻撃は、私には届かない」


 反撃。

 結衣の拳が、最短距離で走った。

 魔力を拳に集めるのは一瞬だけ。打撃の瞬間だけ出力を上げ、すぐに切る。


 魔力量の少ない結衣が、長い訓練の末に辿り着いた戦い方だった。無駄な強化はしない。


 必要な瞬間に。

 必要な部位へ。

 必要なだけ。


 拳が、オブスキュリテの顔面を掠めた。仮面の端が欠ける。黒い布が揺れた。

 オブスキュリテは軽く後退する。だが体勢は崩れていない。

 後退と同時に、結衣の胴へ蹴りが放たれた。


 鋭い。

 蹴りの軌道は低く、肋骨の下を狙っている。まともに受ければ呼吸を奪われる位置。

 鈍い音が響いた。しかし、結衣は倒れない。


 衝撃が入る直前、腹部だけに魔力を流していた。皮膚、筋肉、内臓を守るように、薄い膜を作る。力任せではなく、精密な強化。

 魔力量が少ないからこそ、無駄に全身へ巡らせない。必要な瞬間に、必要な場所へ、最低限の魔力だけを通す。

 それが、白瀬 結衣の戦い方だった。


 候補生時代、結衣は何度も言われた。

 その魔法では戦えない。身体強化なんてありふれている。しかも出力が低すぎる。

 正式な魔法少女になるのは無理だ。

 だから結衣は、ありふれた魔法を磨いた。


 誰よりも細かく。

 誰よりも正確に。

 誰よりも無駄なく。


 才能がないからこそ、誤魔化しは許されなかった。


「へえ」


 オブスキュリテは、余裕を崩さない。


「努力したのね」


 結衣の胸が、わずかにざわついた。

 その言い方が、嫌だった。まるで、努力する前の自分を知っているみたいだったから。


「あなたに言われる筋合いはない!」


 結衣はさらに踏み込む。

 オブスキュリテの蹴りが、結衣の顔面めがけて飛ぶ。鋭い回し蹴り。

 仮面越しでも分かるほど、動きに迷いがない。


 結衣は低く沈んだ。蹴りが髪をかすめる。風が頬を切るように通り過ぎた。

 避けながら、軸足を蹴り払う。オブスキュリテの体勢が崩れた。


 ほんの一瞬。


 普通なら見逃すような隙。けれど、結衣は逃さない。


 踏み込む。腰を回す。肉体強化を脚に集中。

 膝、足首、爪先。踏み込みの反動を逃さず、蹴りへ乗せる。

 倒れかけたオブスキュリテの顔面へ、結衣の蹴りが叩き込まれた。


 衝撃。


 黒い体が宙を舞う。

 仮面に亀裂が走った。次の瞬間、砕ける。文様の入った破片が、舞台の光を受けながら散っていく。

 きらきらと。まるでステージ演出の一部みたいに。


 結衣は追撃しようとして――止まった。


 露わになった顔を見たからだ。


 黒い髪。


 白い頬。


 細い顎。


 見慣れた輪郭。


 何度も隣で笑っていた顔。

 何度も一緒に訓練場で汗を流した顔。

 何度も、諦めそうな自分に「結衣ならできるよ」と笑ってくれた顔。


 息が、止まる。心臓が、一拍だけ動き方を忘れた。


 視界の端で、異形が暴れている。後輩たちが戦っている。観客が逃げている。

 それなのに、結衣の世界から音が消えた。


 オブスキュリテは空中で身をひねり、軽やかに着地した。

 割れた仮面の残骸が、足元に落ちる。乾いた音がした。


「二年前より、格段に進化してるわね」


 懐かしい声だった。

 知らないほど冷たい声だった。

 結衣は、喉を震わせる。声が出ない。出してしまえば、何かが決定的に壊れる気がした。

 けれど、名前は勝手にこぼれた。


「祈……!!」


 その名を聞いて、オブスキュリテは嗤った。

 赤羽 祈の顔をした敵幹部が、結衣を見ている。


 それは祈だった。

 でも、結衣の知っている祈ではなかった。


 目の奥にあったやわらかい光はない。誰かと分かり合いたいと願っていた温度もない。

 代わりに、赤黒い憎しみが沈んでいた。


「久しぶりね、結衣」


 その声は、親友に再会した声ではなかった。罪人を見つけた声だった。

 結衣の拳から、力が抜ける。膝が震える。魔力強化が、少しだけ乱れた。


「どう、して……」


 言葉が、かすれる。聞きたいことはいくらでもあった。


 生きていたの。

 どこにいたの。

 どうして敵に。

 どうして連絡をくれなかったの。


 違う。

 連絡しなかったのは自分だ。

 返事をしなかったのは自分だ。

 助けを求めた祈の手を、取らなかったのは自分だ。


「でも」


 オブスキュリテは、ゆっくりと手を広げた。


「その名前で呼ばないで」


 その一言が、結衣の胸を貫いた。


 祈。


 その名前を、もう呼ぶなと言われた。それは、結衣が知っている赤羽 祈はもういないという宣告だった。


 指先に、赤い火花が灯る。

 結衣の目が見開かれる。その魔法を、知っている。


 訓練場で何度も見た。


 味方を巻き込まないよう、いつも距離を取って使っていた魔法。

 連携訓練で周囲に気を遣い、申し訳なさそうに笑いながら制御していた魔法。

 祈が、自分の力を怖がられながらも、それでも誰かを守るために磨いていた魔法。


 赤い雷。


 赤羽 祈の魔法。


「もう隠す必要もないものね」


 オブスキュリテの指先で、赤い火花が大きく弾けた。赤い雷が、空気を裂く。


 その音を聞いた瞬間、結衣の脳裏に訓練場の光景が蘇った。

 放課後の訓練場。誰も近づきたがらない隅のスペース。

 祈が赤い雷を指先に灯しながら、困ったように笑っていた。


『ごめんね、結衣。近くにいると、魔力乱しちゃうかも』


『大丈夫。私、もともと魔力少ないから』


『それ、全然大丈夫じゃなくない?』


 二人で笑った。

 あの赤い雷は、怖いものではなかった。少なくとも、結衣にとっては。なのに今、その雷は後輩たちへ向けられようとしている。


 観客へ。

 魔法少女たちへ。

 世界へ。


「見せてあげる」


 オブスキュリテの瞳が、赤く照らされる。

 赤い火花が彼女の周囲を舞い、黒い衣装の裾を照らした。

 その姿は、もうステージの端で笑っていた赤羽 祈ではなかった。祈りを捨てた少女。闇の名を持つ敵幹部。


 それでも、顔だけは。声だけは。

 どうしようもなく、結衣の親友だった。


 結衣は動けなかった。

 拳を上げなければならない。止めなければならない。


 今すぐ、あの赤い雷を止めなければ、後輩たちが危ない。

 分かっている。分かっているのに。目の前にいるのは、助けられなかった親友だった。


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