会見
ゲオルギアス侵攻から数日後。
魔法少女局は、正式な記者会見を開いていた。会見場には、多くの記者が詰めかけている。
壁際には、各社のカメラが並んでいた。レンズはすべて壇上へ向けられている。
記者席には、端末を構える者、紙の資料に目を落とす者、すでに質問内容を整理している者たちがいた。
中央には、魔法少女局の紋章が掲げられている。その下に長机が置かれ、局幹部たちが並んでいた。
局長の上条。
作戦部門の桐生。
広報担当の東 邦治。
ほか、被害対応や防衛機構を担当する職員たち。
誰の顔にも、疲労が見えた。
それでも、姿勢は崩していない。
この場で見せる一瞬の表情が、世間にどう受け取られるかを全員が理解していた。
空気は重かった。
今回の侵攻は、早期に解決した。ゲオルギアスの軍勢は撤退した。
竜王グラシャラボラスとの戦闘も終息し、シティは壊滅を免れた。
中心区画、防衛中枢、主要避難施設、病院区画も守られた。
それは事実だ。
だが、被害がなかったわけではない。
防衛線を突破された区域がある。
避難が間に合わなかった場所もある。民間人に、少なくない被害が出た。
魔法少女にも負傷者が出た。そして、訓練生の死者も出た。
勝った。守った。早期解決した。
そう言える要素は確かにあった。
しかし、死者が出た以上、その言葉は簡単には口にできない。
会見場の空気は、最初から張り詰めていた。
局の広報担当である東が、淡々と資料を読み上げる。
四十代後半の男だった。
落ち着いた顔立ち。声も穏やかで、余計な抑揚はない。
机の上に置かれた資料を一枚ずつ確認しながら、東は項目を読み上げていく。
被害状況。避難完了区域。防衛線の損傷。
負傷者数。死者数。
竜種撃破数。ゲート閉鎖時刻。高位個体反応の確認。
防御機構の損傷と復旧見込み。
どの項目も、声色を変えずに読み上げられていく。
記者たちは、黙って聞いていた。ただ、その沈黙は納得の沈黙ではない。
質疑応答に移る前の、力を溜める沈黙だった。
そして、東が資料説明を終えた瞬間。会見場の空気が変わった。
「今回の侵攻についてですが」
記者の一人が手を挙げた。中年の男性記者だった。眼鏡の奥の目は鋭い。
手元の端末には、すでに複数の質問項目が表示されている。
東が頷く。
「どうぞ」
「早期解決と発表されていますが、防衛線を突破され、民間人に被害が出ています。訓練生にも死者が出た。これは、戦力が不足していたのではありませんか」
会場のカメラが一斉に東を捉える。
記者は続けた。
「ゲオルギアスの接近は事前に把握していたと聞いています。来ることが分かっていたのなら、もっと準備できたのではないですか」
質問は鋭い。
だが、当然の問いでもあった。
シティを守るための組織が、侵攻を止めきれなかった。
死者が出た。訓練生まで命を落とした。
ならば、準備は十分だったのか。戦力配備は適切だったのか。
誰もが知りたいことだった。
東は、手元の資料へ視線を落とした。
ほんの一拍。それから、ゆっくりと顔を上げる。
表情は変わらない。
だが、その目だけは疲れていた。
「結論から申し上げます」
東は言った。
「準備と戦力が不足していたとは、我々は考えておりません」
会場にざわめきが走る。
記者の何人かが、すぐにペンを走らせた。カメラのシャッター音が重なる。
誰かが小さく「強気だな」と呟く声もあった。
東は続ける。
「今回の侵攻規模は、二十年前のゲオルギアス侵攻と比較して、おおよそ二倍に相当します」
背後のモニターに資料が表示された。
二十年前の侵攻規模。今回の侵攻規模。ゲート数。
竜種推定数。飛行竜の割合。
高位個体反応。竜王級個体の出現。
そして、被害比較。
数字が並ぶ。淡々とした資料だった。
だが、その数字の一つ一つの向こうには、現場で戦った者たちの時間がある。
避難所へ走った市民がいる。
防衛線を維持した魔法少女がいる。
負傷者を運んだ職員がいる。
帰ってこなかった訓練生がいる。
「それにもかかわらず、人的被害は二十年前の十分の一以下に抑えられました」
東の声は穏やかだった。
「防衛線の一部突破、民間人の被害、訓練生の犠牲。これらは極めて重い事実です。完璧な結果とはなりませんでしたが」
そこで、東は一度、言葉を切った。
深く頭を下げるほどではない。けれど、声の調子がわずかに重くなる。
「しかし、各種事前準備、避難計画、対空防衛、魔法少女各部隊の対応が功を奏したこともまた、事実であると考えております」
男性記者が、すぐに反論した。
「亡くなられた方も大勢いるんですよ」
会場の空気が硬くなる。
その言葉は、資料の数字を一気に現実へ引き戻した。
死者数。負傷者数。それらは報告書の項目ではある。
だが、そこにいたのは数字ではない。
人間だった。
「その遺族に、そのように言うつもりですか。被害は十分の一以下だったから、準備は足りていたと」
東は表情を変えなかった。
だが、机の上に置かれた手が、わずかに固くなった。
桐生はそれを横目で見ていた。
東は怒っているのではない。こらえている。
遺族の痛みを盾にしてくる問いにではない。
その問いに対して、感情で答えられない自分自身に。
数秒の沈黙。東は静かに立ち上がった。
「まずは、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。そして、ご遺族の皆様に対しても、深くお悔やみ申し上げます」
東は頭を下げた。
会場に、シャッター音が重なる。
長い一礼ではない。
だが、形式だけの動きでもなかった。
数秒後、東は顔を上げる。
「その上で申し上げます。現場の魔法少女たちは、極めて困難な状況の中で最善を尽くしました。避難誘導にあたった職員、訓練生、医療関係者、防衛線に立った魔法少女たちも同様です」
声は淡々としている。
しかし、その淡々さの奥に、強い線があった。
「今回の作戦は、最良に近い結果であったと考えています」
記者席に、再びざわめきが起こる。
今の言葉は、見出しになる。多くの記者がそう判断した。
死者が出た作戦を、最良に近い結果と表現した。
それは、切り取り方によっては魔法少女局への強い批判材料になる。
別の記者がすかさず問いを投げた。
「それは、局は被害が出ることを許容している、という意味ですか」
東は即座に答えた。
「もちろん、そのようなことはありません」
「しかし、今、最良の結果とおっしゃいました」
「はい。申し上げました」
東は逃げなかった。言い換えもしない。撤回もしない。
「被害が出たことを軽く見ているわけではありません。犠牲になった方々を数字として扱うつもりもありません」
そこで、東は背後の資料を一度見る。
「しかし、今回の侵攻規模、竜種の飛行能力、高位個体および竜王級の出現、結界の損傷状況を総合すれば、想定されていた被害規模はさらに大きいものでした。実際の被害が各種想定より大幅に少なかったのは事実です」
記者がさらに言い募ろうとする。
「ですが――」
「同じ趣旨のご質問については、ここまでとさせていただきます」
東の声が、少しだけ硬くなった。
会場が静まる。
それは怒声ではない。威圧でもない。
だが、明確な線引きだった。
「被害を受けた方々への支援、補償、今後の再発防止策については、後日、担当部署より詳細を発表いたします」
その言い方は丁寧だった。
だが、明確に質問を打ち切るものでもあった。
男性記者は不満げに眉を寄せたが、東は次の質問者へ視線を移した。
会場のざわめきは、まだ完全には収まっていない。
被害をどう受け止めるのか。準備は足りていたのか。
亡くなった者たちに、局はどう責任を取るのか。
その問いは、会見場全体に重く残っていた。
そんな中、別の記者が手を挙げた。若い女性記者だった。
年齢は二十代後半ほど。表情は落ち着いているが、目は鋭い。
手元の端末には、すでに複数の資料が並んでいる。
「今回の作戦について、確認させてください」
「どうぞ」
今度は、東ではなく桐生 聡がマイクへ少し身を寄せた。
理知的な顔。疲労を押し隠した目。
会見の前半は、東が広報として対応していた。
被害状況、支援、補償、今後の発表予定。
そうした説明は、広報担当である東の領分だった。
だが、作戦内容に関しては桐生が答えることになっていた。
桐生は、手元の資料を一度も見なかった。記者をまっすぐ見る。
女性記者は、端末に目を落としながら言った。
「三ヶ月前にシティを襲ったオブスキュリテが、今回の作戦に関わっていたというのは本当ですか」
会場の空気が変わった。
それまで被害や防衛体制へ向いていた関心が、一斉に別の一点へ集中する。
カメラの向きが、わずかに桐生へ集まった。
オブスキュリテ。
その名は、会見場にいる誰もが知っている。
三ヶ月前、シティを襲撃した侵略者。
魔法少女たちを傷つけ、防御機構を破壊しようとした危険人物。
元魔法少女、赤羽 祈。
彼女が今回の防衛戦に参加していたという噂は、すでに一部で流れていた。
だが、局が正式に認めたわけではない。
女性記者は続ける。
「しかも、かなり重要な役割を任されていたと聞いています。侵略者に作戦の根幹を任せるという判断は、いかがなものなのでしょうか」
記者は言葉を区切らなかった。
「それ以前に、彼女を運用すること自体に批判の声もあります。局は、その点についてどうお考えでしょうか」
会場が静まり返る。
質問としては当然だった。シティを襲った者を、今度はシティ防衛に使う。
それは、市民にとって簡単に受け入れられる話ではない。
彼女に傷つけられた魔法少女がいる。
恐怖を刻まれた市民がいる。
オブスキュリテの名を聞くだけで、怒りや不安を覚える者もいる。
その人物を、局が運用した。しかも、作戦の要として。
桐生は、数秒だけ黙った。
隣の東が、軽く視線を向ける。
必要なら広報として言葉を引き取る。そういう合図にも見えた。
だが、桐生は資料を見なかった。逃げるつもりはない。
「オブスキュリテが今回の作戦の要の一つを担っていたことは、事実です」
会場がざわついた。
噂ではない。局が認めた。その意味は大きい。
記者たちが一斉に端末へ打ち込む。
カメラがさらに桐生へ寄る。
誰かが小さく息を呑む音も聞こえた。
桐生は続ける。
「彼女の魔法は、竜種の飛行能力を阻害する上で極めて有効でした。実際、彼女の魔法による対空干渉がなければ、複数の防衛地点は突破されていた可能性が高い」
記者たちが一斉に書き留める。
赫塵。
オブスキュリテの赤雷。魔力を痺れさせ、制御を乱す力。
それが、飛行竜に対して有効だった。局が公にそう認めた。
「ただし」
桐生は言葉を続ける。
「これは無条件に彼女を信用したという意味ではありません。事前に経過観察を行い、拘束具および監視体制を維持し、運用範囲を限定した上での判断です」
「つまり、危険性は認識していたと」
女性記者がすかさず問う。
「はい」
桐生ははっきり答えた。
「認識していました」
隠さない。誤魔化さない。
その答えに、記者の表情が少し変わる。
「その上で、使ったということですか」
「その上で、協力を要請しました」
桐生は言った。
「そして事実として、彼女は作戦に協力しました」
会見場の空気がさらに重くなる。
オブスキュリテ。三ヶ月前、シティを襲った侵略者。
その彼女が、今度はシティ防衛の要になった。
世間が簡単に受け入れられる話ではない。
だが、桐生は受け入れやすい言葉に変えようとはしなかった。
事実は事実として出す。その上で、判断の理由を説明する。
それが、この場でできる唯一の対応だった。
女性記者が、さらに問いを重ねる。
「彼女を運用するにあたって、懸念の声があるのもご存じですよね」
「存じています」
「では、なぜ」
桐生は答える前に、一度だけ息を吸った。
短い呼吸。それは迷いではない。
言葉を整えるための間だった。
「今は、緊急事態であると判断しました」
淡々とした言い方だった。
だが、その中には苦みもある。
「ゲオルギアス侵攻は、二十年前を上回る規模でした。結界は完全修復に至っておらず、竜種は飛行能力を持つ。通常戦力だけでは、被害を抑えきれない可能性がありました」
「だから、侵略者でも使ったと」
記者の言葉は鋭い。
桐生は眉一つ動かさなかった。
「元侵略組織幹部である彼女の知識と能力が、被害軽減に資すると判断しました」
言い直さない。否定しない。
ただし、表現は正確にする。
「その判断への批判は、受け止めます。ですが、今回の結果を見る限り、彼女の運用が多くの命を救ったことも事実です。どうか、緊急事態における判断であったことをご理解ください」
会場には、不満と納得の入り混じった空気が流れた。
理解できる。
だが納得できない。
そういう沈黙だった。
別の記者が手を挙げる。
「たまたまうまくいっただけとは考えないのでしょうか」
桐生の目が、その記者へ移った。
年配の記者だった。声には、抑えた怒りがある。
「オブスキュリテが侵攻を機に裏切る可能性もあったと思います。もし彼女が竜側、あるいは別の侵略組織と連携していたら、被害はさらに拡大していたのではありませんか」
会場の空気がまた揺れる。
その問いは、多くの市民が抱くであろう不安そのものだった。
シティを襲った者を、どうして信じたのか。
もし裏切っていたらどうするつもりだったのか。
責任は誰が取るのか。
桐生はすぐには答えなかった。答え方を間違えれば、局は批判を浴びる。
だが、曖昧にしすぎても信頼を失う。
東がわずかに身じろぎする。
しかし、桐生は自分で答えた。
「もしもを仮定すれば、どのような可能性も挙げることができます」
声は冷静だった。
「彼女が裏切る可能性。防衛線が想定より早く突破される可能性。竜王級が複数出現する可能性。結界が途中で完全に崩壊する可能性。救護動線が遮断される可能性。すべてをゼロにはできません」
記者が口を開きかける。
桐生は、静かに続けた。
「我々は、その中で現実的に取りうる選択肢を検討し、監視と拘束の下で彼女を運用することを決定しました」
「しかし、彼女が裏切っていたら」
「その仮定については、答えを控えさせていただきます」
桐生の声が硬くなった。
これ以上は、作戦上の対応を明かすことになる。
オブスキュリテが裏切った場合の制圧手順。
拘束具の仕様。監視体制。追跡手段。
それらは公開できない。
「実際には、彼女は裏切りませんでした。作戦に協力し、竜種の飛行阻害に大きく寄与しました。現時点で申し上げられるのは、それだけです」
記者席に不満げな空気が流れる。
だが、桐生はそれ以上踏み込ませなかった。
別の記者が、やや語気を強めて言った。
「市民感情としては納得しがたいと思います。三ヶ月前に自分たちを襲った人物が、今度は局の判断で戦場に出された。しかも、重要な役割を与えられていた。これは市民への説明が不十分ではありませんか」
「そのご指摘は受け止めます」
桐生は答えた。
「ただし、作戦前に彼女の運用を公表することはできませんでした。敵対勢力に情報が渡る危険があり、防衛計画そのものが損なわれるためです」
「では、事後なら説明できるのでは」
「可能な範囲で、今まさに説明しています」
桐生は静かに言った。
「彼女が作戦に参加したこと。魔法が竜種への対抗手段として有効だったこと。拘束具および監視下で運用したこと。危険性を認識した上で判断したこと。これらはお伝えできます」
「それ以上は?」
「安全保障上、お答えできません」
「便利な言葉ですね」
記者の声に、会場がざわつく。
東の目がわずかに細くなる。
だが、桐生は表情を変えなかった。
「便利であっても、必要な言葉です」
静かな返答だった。
「我々は、市民への説明責任を負っています。同時に、今後もシティを守る責任があります。すべての情報を公開することが、必ずしも市民の皆様の安全に資するとは限りません」
記者は黙った。
桐生は続ける。
「ただし、今回の判断について批判があることは承知しています。局内でも検証を行います。彼女の運用についても、今後の安全性、倫理性、必要性を含めて継続的に評価します」
「今後もオブスキュリテを使うということですか」
別の記者が問う。会場の空気が、再び鋭くなる。
桐生は答えた。
「現時点で、個別の作戦運用についてはお答えできません」
「否定しないのですね」
「必要と判断されれば、あらゆる選択肢を検討します」
その言葉に、記者席がざわつく。
あらゆる選択肢。それは、今後もオブスキュリテを運用する可能性を含む言葉だった。
女性記者が再び手を挙げた。
「オブスキュリテ本人は、現在どういう扱いなのですか。収監中なのか、協力者なのか、隊員なのか」
「隊員ではありません」
桐生は即答した。
「彼女は局の管理下にある収監対象です。ただし、今回の侵攻において限定的な協力を行いました」
「減刑などの措置は」
「今後の協力状況、危険性評価、被害者感情、法的手続きなどを総合的に判断します。現時点で確定したものはありません」
「市民からすれば、彼女が功績を挙げたことで罪が軽くなるのは納得できないという声もあります」
「その声も承知しています」
桐生は言う。
「功績が過去の罪を消すわけではありません。同時に、今回の協力がなかったことにもなりません。どちらか一方だけを見て判断することはありません」
その言葉に、記者席が少し静まった。
オブスキュリテは罪を犯した。
だが、今回シティを守る一助となった。
その二つを、桐生はどちらも否定しない。
別の記者が問いを投げる。
「被害者の魔法少女たちへの説明は行われたのですか。三ヶ月前に彼女に傷つけられた隊員たちは、今回の運用をどう受け止めているのでしょう」
桐生の表情が、わずかに硬くなる。
「個々の隊員の心情についてはお答えできません」
「説明は」
「必要な範囲で行っています。ただし、全員が納得しているとは考えていません」
会場が静まる。
「彼女の運用は、現場にも負担をかけました。その点も検証対象です」
桐生は言った。
「我々は、オブスキュリテの能力だけを見ているわけではありません。彼女を戦場に出すことで、周囲の隊員にどのような影響が出るかも考慮しなければならない」
「それでも使った」
「はい」
桐生は答える。
「それでも、使いました」
会見場に、重い沈黙が落ちる。
その言葉には、開き直りはなかった。誇りもなかった。
ただ、苦い現実を認める響きがあった。
「結果として、多くの被害を防げたと判断しています。しかし、その判断が誰も傷つけないものだったとは申しません」
桐生は続けた。
「現場の隊員、市民、被害者、ご遺族。多くの方にとって受け入れがたい判断であることも理解しています」
桐生は一度、言葉を切る。
「その上で、当時の状況においては必要な判断だったと考えています」
記者たちは、黙ってその言葉を記録した。納得ではない。
だが、桐生が逃げていないことは伝わった。
責任を避けるための言葉ではない。
批判されることを理解した上で、それでも必要だったと述べている。
女性記者が、最後にもう一度問いを投げた。
「では、局はオブスキュリテを信用しているのですか」
静かな問いだった。
会場の誰もが、桐生の答えを待った。
桐生は、少しだけ目を伏せた。そして、顔を上げる。
「信頼はしていません」
会場がざわつく。
桐生は続けた。
「ですが、今回の作戦における彼女の行動は評価しています」
短い言葉。
だが、線引きは明確だった。
「我々は、彼女の過去の行動を忘れていません。危険性も軽視していません。同時に、今回の協力によって救われた命があることも否定しません」
桐生は、女性記者をまっすぐ見る。
「信頼ではなく、管理です。赦免ではなく、限定的な協力です。称賛ではなく、事実の評価です」
会見場は静まり返った。
「それが、現時点での局の立場です」
東が静かに次の質問者へ視線を移した。
だが、しばらく誰も手を挙げなかった。
オブスキュリテ。危険人物。
協力者。元敵。今回の功労者。
その矛盾を、局は隠さなかった。
しかし、受け入れやすく語ることもしなかった。重い事実として、会見場に置いた。
それをどう受け取るかは、今度は市民と世論に委ねられることになる。
その横で、東がマイクを引き取る。
「オブスキュリテの今後の処遇、運用基準、監視体制については、現在内部で精査中です。決定次第、適切な形で公表いたします」
「市民への説明責任はどうお考えですか」
「当然、果たしてまいります」
東は即答した。
「ただし、作戦上の機密、拘束術式の詳細、個別の運用条件については、安全上の理由から公表できない部分もあります。ご理解ください」
会場はざわついたままだった。
被害が出たことへの怒り。それでも被害を抑えたという局の説明。
オブスキュリテを使ったことへの不安。彼女が作戦に貢献したという事実。
どれも簡単には整理できない。
会見場の空気は、答えの出ないまま重く沈んでいた。
東は、最後にもう一度マイクへ向かう。
「今回、命を落とされた方々に、改めて哀悼の意を表します」
彼はゆっくりと頭を下げた。桐生も、他の幹部たちも頭を下げる。
カメラのシャッター音が重なった。
その光の中で、桐生の表情は見えにくかった。
だが、机の下で握られた手には、強く力が入っていた。
被害は抑えた。作戦は成功した。オブスキュリテは協力した。
そのどれもが事実だった。
だが、死者が出たこともまた事実だった。
勝利の会見ではない。釈明の会見でもない。
これは、守りきれなかった命と、守れた命の両方を背負うための会見だった。
「ふん」
オブスキュリテは鼻を鳴らし、モニターから顔をそらした。
魔法少女局のエントランス。
吹き抜けになった広い空間の壁面には、大型モニターが設置されている。
普段は局からの告知や防衛情報、魔法少女たちの活動報告が流れる場所だった。
今そこに映っているのは、先ほどまで行われていた記者会見の録画だった。
東 邦治の冷静な説明。桐生 聡の淡々とした回答。記者たちの鋭い質問。
被害者数。訓練生の死者。
防衛線の突破。竜王級個体。
そして、オブスキュリテの運用。
それらの言葉が、映像が終わった後も、エントランスの空気にまとわりついているようだった。
周囲には、職員や魔法少女たちも何人かいた。
足を止めてモニターを見ていた者。
通りすがりに、会見の音声を耳にして表情を曇らせた者。
何か言いたげに唇を噛み、それでも何も言わずに去っていく者。
誰も大きな声では話さない。
だが、空気は重い。
今回の侵攻は早期に解決した。
竜王グラシャラボラスとの戦いも終わり、ゲオルギアスの軍勢は撤退した。
シティは壊滅を免れた。主要区画も、避難施設も、病院も守られた。
それでも、死者は出た。守れなかった命があった。戻らない者がいた。
だから、勝利に酔える者などいない。
エントランスの片隅に、オブスキュリテと麗奈は立っていた。
並んでいる、というよりは、麗奈が監視役として少し後ろに立っている形に近い。
オブスキュリテの両手首には、魔力封じの腕輪が嵌められている。
黒い拘束衣は補修されていたが、まだ完全に綺麗になったわけではない。包帯もいくつか残っている。
麗奈もまた、戦闘後の疲労が抜けきっていなかった。
それでも、剣を帯び、監視役として立っている。
結衣はここにはいない。他の魔法少女たちとともに、慰藉ライブへ参加している。
亡くなった者たちを悼み、負傷者や避難民を励まし、シティに少しでも光を戻すためのライブ。
白瀬 結衣は、そういう場から逃げない。
どれだけ疲れていても。どれだけ傷が残っていても。笑顔を作るのが苦しくても。
必要とされれば立つ。
そういう人間だ。
オブスキュリテはそれを知っている。
知っていることが、また腹立たしかった。
瓦礫の中で血を流していたくせに。
竜王と殴り合って、立っているのもやっとだったくせに。
それでも、結衣は行く。
誰かが待っているから。誰かを励まさなければならないから。自分が魔法少女だから。
そのまっすぐさが、今は嫌いだった。
眩しくて。腹立たしくて。
そして、どうしても目を逸らせなかった。
「局の人間ってのは」
オブスキュリテは冷たく言った。
「非を認めると死んでしまうのかしら」
麗奈の表情が、複雑に歪んだ。即座に否定することはできなかった。
会見で東は、局の準備が功を奏したと言った。
桐生は、オブスキュリテの運用は緊急事態における判断だったと言った。
どちらも嘘ではない。
実際、今回の被害は想定より大幅に少なかった。
防衛戦術は機能した。避難計画も一定の成果を上げた。
対空砲台も、後詰め部隊も、魔法少女たちも、ぎりぎりのところで持ちこたえた。
オブスキュリテの赫塵も。
瑠璃姫たちの帰還も。
結衣たちの戦いも。
多くの命を救った。それは事実だ。
だが。
死んだ者がいる。守れなかった者がいる。
訓練生の名前が、死者一覧に載った。
避難しきれなかった民間人もいた。
その事実の前で、局が成功を語ることに、麗奈自身も引っかかりを覚えていた。
もちろん、東は死者を軽んじていたわけではない。
桐生も、責任から逃げていたわけではない。
それは分かる。
分かるのに。
それでも、胸の奥に小さな棘が残る。
「……過去に」
麗奈は静かに言った。
「局が全面的に非を認めたことがありました」
オブスキュリテは横目で麗奈を見る。
麗奈は、モニターを見上げたまま続けた。
「かなり前の話です。私は資料で読んだだけですが。大規模な対応失敗があって、その時、局は会見で全面的に責任を認めました」
「それで?」
「結果は、局への信頼の失墜。魔法少女への風当たりの強化。加えて、魔法犯罪の増加もありました」
麗奈の声は硬かった。
「局が弱っていると見なされれば、犯罪組織や異端魔法使いが動きます。魔法少女への不信が高まれば、避難誘導も防衛も難しくなる。現場で指示を出しても、市民が従ってくれなくなる」
言葉を選びながら、麗奈は続ける。
「だから、局はそう簡単には非を認めないのだと思います」
言いながら、麗奈の眉がわずかに下がった。それが言い訳にならないことは、麗奈も分かっていた。
局には局の理屈がある。
社会を守るための建前がある。
市民の不安を抑える必要がある。
魔法少女への信頼を維持しなければならない。
防衛組織が、自分たちは失敗した、守れなかった、準備不足だったと簡単に認めれば、それは謝罪で済まない。
次の避難誘導に影響する。次の防衛戦に影響する。
魔法少女を支える社会基盤そのものが揺らぐ。
麗奈は、それを理解している。
魔法少女局の人間として。魔法少女として。姉の背中を追ってきた者として。
だから、局の会見がただの保身ではないことも分かる。
だが。
その姿勢のせいで傷ついた者がいる。
見捨てられた者がいる。
責任の所在を曖昧にされた者がいる。
目の前の人間は、まさにその一人だった。
二年前。
赤羽 祈は、世間から責められた。四条 瑠香を死なせた少女として。判断を誤った魔法少女として。
守られるべき魔法少女ではなく、責められるべき失敗者として。
局は、祈を守りきれなかった。
積極的に切り捨てたのか。守ろうとして失敗したのか。
それは麗奈には分からない。
けれど結果として、赤羽 祈の人生は壊れた。そして、オブスキュリテが生まれた。
麗奈は、それを思うと何も言えなくなる。
局の理屈を口にすればするほど、目の前のオブスキュリテを追い詰めるような気がした。
オブスキュリテは、しばらく黙っていた。
モニターには、会見の映像がまだ流れている。桐生が、記者の質問に答えていた。
――信頼ではなく、管理です。赦免ではなく、限定的な協力です。称賛ではなく、事実の評価です。
その言葉を聞いて、オブスキュリテは薄く笑った。笑みというには、あまりにも冷たい表情だった。
「結局、局はいつもそう。守るべきものが大きすぎるから、小さいものは踏み潰しても仕方ない」
麗奈は唇を噛んだ。
「二年前もそうだった」
麗奈の肩がわずかに揺れた。
オブスキュリテは、淡々と続ける。
「ライブ会場の防御機構は作動しなかった。異形が侵入した。四条 瑠香は死んだ。私は生き残った。世間は分かりやすい悪者を欲しがった」
その声は静かだった。静かすぎて、かえって痛い。
「局は調査中だの、確認中だの、再発防止だの、言葉だけは並べた。けれど、その間に私は責められた。学校で。家で。街で。ネットで。テレビで。知らない人間たちに、毎日毎日、殺人者みたいに呼ばれた」
麗奈は、俯いた。
想像はしていた。資料でも読んだ。
だが、本人の口から聞くと、重さが違う。
「誰も、止めなかったのですか」
気づけば、麗奈はそう聞いていた。
オブスキュリテは、少しだけ目を細めた。
「止めようとした人間はいたかもしれないわね」
「……」
「でも、止まらなかった。なら、私にとっては同じよ」
冷たい言葉だった。
けれど、その冷たさの奥に、深い傷があった。
麗奈は拳を握る。
姉の死を悼む気持ちは変わらない。
赤羽 祈に対する複雑な感情も消えない。
けれど、今の言葉を聞いてなお、何も思わずにはいられなかった。
祈もまた、守られなかった子供だった。
そう認めることは、麗奈にとって簡単ではない。
姉を失った自分が、姉の死に関わった相手を被害者として見ることになるから。
それでも、事実は事実だった。
「あなたは」
麗奈は慎重に言葉を選ぶ。
「局が謝れば、それでよかったんですか」
オブスキュリテは、麗奈を見た。
紫の瞳が、静かに細くなる。
「謝れば?」
「その……二年前に。局がもっと早く、赤羽 祈は悪くないと発表していれば」
「悪くない?」
オブスキュリテは小さく笑った。
「面白い言い方ね」
「すみません」
「謝らなくていいわ。あなたのそういうところ、本当に姉妹そろって面倒ね」
麗奈は一瞬、言葉に詰まる。
オブスキュリテは続けた。
「私が本当に悪くなかったかなんて、今でも分からないわ」
「え……」
「あの日、私は確かに間違えたのかもしれない。もっと別の動きができたのかもしれない。瑠香先輩が庇う必要なんてないように、私が避けるべきだったのかもしれない。そもそもライブに出るべきではなかったのかもしれない」
淡々とした声。
だが、そこに積み重なった二年分の自問があった。
「誰かが『あなたは悪くない』と言えば、それで救われた? そんな簡単な話ではないわ」
「じゃあ」
麗奈は、声を小さくする。
「何が、必要だったんですか」
オブスキュリテは答えなかった。
エントランスのざわめきが、遠く聞こえる。
モニターでは、会見映像が次の話題へ移っていた。
しばらくして、オブスキュリテは言った。
「分からないわ」
意外な答えだった。
麗奈は顔を上げる。
「分からないんですか」
「ええ」
オブスキュリテは、皮肉げに唇を歪める。
「残念ながらね。あの時、何をしてほしかったのか。誰に何を言ってほしかったのか。もう、私にも分からない」
彼女は、少しだけ目を伏せた。
「ただ」
「ただ?」
「一人にしないでほしかった」
その言葉は、小さかった。けれど、麗奈にははっきり聞こえた。
オブスキュリテは、すぐに顔を背ける。言いすぎたとでも思ったのだろう。
「……くだらない話ね」
「くだらなくありません」
麗奈は、思わず言った。
オブスキュリテの視線が、横から突き刺さる。
「あなたに何が分かるの」
「分かりません」
麗奈は正直に答えた。
「分かりません。でも、くだらないとは思いません」
オブスキュリテは黙った。
麗奈は、自分の声が少し震えているのを感じながら続ける。
「局の理屈も、分かります。全面的に非を認めれば、別の被害が出るかもしれない。魔法少女への信頼が揺らげば、防衛も避難も難しくなる。それは、たぶん本当です」
「そうでしょうね」
「でも、それで守れなかった人がいるなら、それも本当です」
麗奈は、オブスキュリテを見る。
「あなたのことも」
オブスキュリテの目が、わずかに揺れた。
すぐに冷たい表情へ戻る。
「同情?」
「違います」
「なら何」
「分かりません」
麗奈は唇を噛む。
「でも、少なくとも、何もなかったことにはしたくありません」
オブスキュリテは、しばらく麗奈を見ていた。
その目には、苛立ちと警戒と、ほんの少しの困惑が混じっていた。
やがて、彼女は視線を逸らす。
「……本当に、面倒な子ね」
「よく言われます」
「でしょうね」
短いやり取り。
だが、以前より棘は少しだけ浅かった。
モニターでは、会見の録画が終わり、通常の局内放送へ切り替わる。
慰藉ライブの準備映像が流れ始めた。ステージで歌う魔法少女たち。
避難民のいる仮設ホール。
負傷した市民を励ますためのメッセージ。
その中央に、白瀬 結衣の姿が映った。まだ顔色は悪い。
だが、彼女は笑っていた。
白い衣装に身を包み、マイクを握り、観客へ向かって手を振っている。
オブスキュリテの目が、一瞬だけ止まった。
麗奈は、それに気づく。
だが、何も言わなかった。
オブスキュリテはすぐに顔を背ける。
「馬鹿ね」
小さく呟いた。誰に向けた言葉なのか、麗奈には分からなかった。
結衣に対してか。局に対してか。
それとも、モニターから目を離せなかった自分自身に対してか。
エントランスには、まだ重い空気が残っている。
守れた命。守れなかった命。
語られる理屈。語られなかった痛み。
その全部が、同じ空間に沈んでいた。
麗奈は、隣に立つオブスキュリテを見た。
許せないことは、まだある。
分からないことも、まだ多い。
けれど。
二年前から何も変わっていない。
その言葉を、このまま終わらせてはいけない気がした。
麗奈は小さく息を吸う。
「変えたいです」
気づけば、そう言っていた。
オブスキュリテが横目で見る。
「何を」
「二年前から何も変わっていないなら」
麗奈は、モニターを見上げた。
そこには、歌い始める結衣の姿が映っている。
「変えたいです。今度は」
オブスキュリテは、何も言わなかった。
ただ、少しだけ目を細める。
「綺麗事ね」
「はい」
麗奈は頷いた。
「でも、姉ならそう言うと思います」
オブスキュリテの表情が、一瞬だけ止まった。
四条 瑠香。
その名前は出ていない。
けれど、確かにそこにいた。
オブスキュリテはしばらく黙った後、冷たく言った。
「なら、せいぜい頑張りなさい」
「はい」
「失敗したら、笑ってあげるわ」
「……笑われないようにします」
「無理ね」
「決めつけないでください」
麗奈の声には、少しだけ力が戻っていた。
オブスキュリテは、ほんのわずかに口元を歪める。
笑ったのか。呆れたのか。
麗奈には分からなかった。
ただ、先ほどまでより少しだけ、エントランスの空気が軽くなった気がした。
モニターの中で、結衣の歌声が響き始める。
それは、勝利の歌ではなかった。
失ったものを悼み、それでも明日へ顔を上げるための歌だった。




