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魔法少女だった私は、すべてを奪われて侵略者になった  作者: 摩利
2章

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矜持


「勝てたのでしょうか……」


 麗奈が、粉塵の向こうを見つめながら呟いた。

 崩れた建物の壁。砕けたコンクリート。舞い上がる灰色の煙。

 その奥で、グラシャラボラスは倒れていた。


 竜王の巨体を人型に押し込めたような肉体が、瓦礫に半ば埋もれるように沈んでいる。

 肩は壁にもたれ、片腕はだらりと落ち、頭は力なく俯いている。

 動かない。少なくとも、今は。


 麗奈は剣を握ったまま、息を呑んだ。

 当たった。届いた。そして、結衣が叩き込んだ。

 竜王を、吹き飛ばした。

 そんな現実が、まだうまく飲み込めない。


 結衣は肩で息をしていた。


「は……っ、は……っ」


 右脚が震えている。

 先ほどの連続蹴り。全身の強化魔力を脚に集中させ、限界を超えて叩き込んだ反動。


 膝が焼けるように痛い。

 足首の奥に、細い針を差し込まれたような疼きがある。

 太腿の筋肉も悲鳴を上げている。

 それでも、結衣は構えを解かなかった。


 白い魔力は薄くなっている。呼吸も乱れている。唇の端には血が滲んでいる。

 だが、目だけはまだグラシャラボラスを見ていた。


「勝ったんだから」


 結衣は、血の混じった息を吐きながら言う。


「ちゃんと引いてほしいよね」


 それは、約束の話だった。

 戦って勝てば、グラシャラボラスは引く。そういう話だった。

 結衣は、その言葉を信じた。


 竜王の目に嘘はないと思った。戦いを楽しみ、強さを尊ぶ者なら、負けを認めるはずだと。

 そう思いたかった。


 その瞬間だった。

 空が、陰った。


「――え?」


 麗奈が顔を上げる。

 結衣が反応するより早く、巨大な影が地上へ落ちてきた。

 風が叩きつけられる。

 翼。竜の翼だった。

 空から飛来した一体の竜が、轟音とともに道路へ降り立つ。

 アスファルトが砕け、瓦礫が跳ねる。着地の衝撃で、周囲の粉塵が一気に吹き払われた。


 だが、その前脚が落ちた場所に。

 オブスキュリテがいた。


「っ!」


 鈍い音が響いた。

 竜の前脚が、オブスキュリテを踏みつける。細い体が、道路へ叩きつけられた。

 赤黒い術式が、反射的に展開しかける。

 だが、間に合わない。

 踏みつけられた衝撃で、術式は途中で砕けた。


「祈!」


 結衣が叫んだ。反射だった。

 名前を訂正されることも。オブスキュリテと呼ばなければいけないことも。

 その瞬間だけ、全部飛んだ。


 目の前で、祈が潰された。そう見えた。

 結衣は動こうとする。


 だが、その声に反応するように、別の影が横から走った。

 別の竜。

 地上へ降りた直後、その尾を横薙ぎに振るった。太い尾が、瓦礫を撒き散らしながら迫る。


 結衣は避けようとした。

 だが、体が遅い。

 限界まで消耗した脚。直前まで張り詰めていた集中。オブスキュリテが踏みつけられた衝撃。


 ほんの一瞬。

 反応が遅れた。


「がっ!」


 尾が、結衣の腹を打った。

 防御魔法を張る暇もない。腕を挟むこともできない。

 重い衝撃が、腹の奥へめり込んだ。

 肺から空気が押し出される。視界が白く弾ける。

 結衣の体が宙を舞った。


「結衣先輩!」


 麗奈が叫ぶ。

 結衣は瓦礫の山へ叩き込まれた。

 砕けたコンクリート片が跳ねる。鉄骨が軋む。白い衣装が灰と血で汚れる。


 すぐには起き上がらない。

 瓦礫の中で、結衣は苦しげに息を吐くだけだった。


「っ、は……っ……!」


 動こうとしている。立ち上がろうとしている。

 だが、体が言うことを聞かない。


 その間にも、オブスキュリテは竜の前脚に踏みつけられていた。

 肺が潰れそうだった。息が入らない。

 胸を圧迫され、肋骨が嫌な音を立てている。

 背中の骨が道路に押しつけられ、肩の傷口が裂ける。

 視界の端に火花が散った。

 意識が遠のきかける。


 だが。


 飛ばしてたまるか。

 こんなところで。こんな竜の足の下で。

 何もできないまま、潰されてたまるか。


「……どきなさい」


 かすれた声だった。竜には届いていないかもしれない。

 それでも、オブスキュリテは言った。


「どきなさいと言っているの」


 指先に、赤い雷が灯る。


 赫塵。


 細く、弱く、それでも確かに赤い雷。

 オブスキュリテは、自分を踏みつけている竜の脚へ、それを流し込んだ。

 赤雷が鱗の隙間を走る。


 皮膚の下へ潜り込み、魔力の流れを痺れさせる。竜の脚に巡っていた強化の魔力が乱れる。

 竜が、わずかに呻いた。前脚から力が抜ける。


 ほんの一瞬。

 その一瞬を、オブスキュリテは逃さなかった。

 体をねじる。

 圧迫された胸が悲鳴を上げる。肋骨がさらに軋む。肩口に痛みが走る。

 それでも、転がるように前脚の下から抜け出した。

 道路を滑り、瓦礫に肩をぶつける。


「っ……!」


 息が入る。入った瞬間、肺が焼けるように痛んだ。

 それでも、オブスキュリテはすぐに起き上がった。


 膝が笑う。視界が揺れる。口の端から血が流れる。

 だが、立つ。

 目の前の竜へ手をかざす。


赫塵かくじん――」


 赤雷が、竜の胸元へ走った。

 竜の魔力を乱す。動きを止める。

 せめて結衣が起き上がるまでの時間を稼ぐ。


 だが。


 横から、別の竜の尾が振るわれた。

 死角。

 いや、見えていた。見えていたが、体が追いつかなかった。

 オブスキュリテの体が、横から弾かれた。


「ぐっ……!」


 軽い体が地面を転がる。

 肩がアスファルトに擦れ、拘束衣が裂けた。

 肘から血が滲む。背中を瓦礫が抉る。

 息が詰まる。

 それでも、倒れたままではいなかった。


 片手を地面につく。膝を立てる。無理やり体を起こす。

 その間にも、空から竜が降りてくる。


 一体。


 二体。


 三体。


 翼が空を切り裂く音。

 重い着地音。砕ける道路。舞い上がる粉塵。

 空を覆っていた竜たちが、地上へ舞い降りる。

 そして、三人を囲んだ。


 グラシャラボラス一体でさえ、限界だった。

 結衣と、オブスキュリテと、麗奈。

 三人がそれぞれの役割を必死に果たして。

 ようやく一瞬の隙を作って。

 ようやく叩き込んで。

 ようやく倒れさせた。


 その直後に。今度は、複数の竜。

 麗奈は剣を握ったまま、動けなかった。

 喉が乾く。指が冷える。心臓の音が、うるさい。

 勝てるはずがない。

 そう思った。思ってしまった。


 逃げ道もない。結衣は瓦礫の中で動けない。オブスキュリテも傷だらけ。

 自分の四晶も、先ほどの奥義で大きく消耗している。

 魔力の残量は少ない。腕も痛む。

 剣を構えているだけで、肩が震える。

 自分は、何もできない。

 その言葉が、胸の中に落ちた瞬間。


 膝が震えた。

 先ほどまで、無力でも無駄ではないと思えた。

 竜王に一撃を届かせた。結衣の攻撃へ繋げた。


 なのに。

 目の前に竜が何体も降りてきただけで、その小さな自信が砕けそうになる。

 竜の一体が、麗奈へ視線を向けた。金属を擦るような低い唸り。

 喉奥に、魔力が灯る。


 ブレス。


 麗奈の体が固まった。

 避けなければ。動かなければ。剣を構えなければ。

 分かっている。

 分かっているのに、足が動かない。

 竜の喉の光が強くなる。

 麗奈は息を呑んだ。


 その前に、黒い影が立った。

 オブスキュリテだった。ふらつきながらも、麗奈を庇うように前へ出る。

 背中は傷だらけだった。拘束衣は裂け、肩から血が流れている。

 頬にも、額にも、擦り傷がある。呼吸も浅い。

 立っているだけで限界に見える。


 それでも。

 オブスキュリテは、麗奈の前に立った。

 全身に、赤い雷を帯電させて。


「……次は」


 血の混じった息を吐きながら、彼女は笑った。

 口元だけの笑み。余裕などない。

 麗奈にも分かった。

 今のオブスキュリテに、竜たちを相手取る余力などほとんどない。


 赫塵も弱っている。

 防御術式を連発し、竜王との戦いで魔力を削られ、踏みつけられ、尾で弾かれた。

 それでも、彼女は笑う。

 竜たちに向かって。自分の恐怖を隠すように。

 相手の警戒を一秒でも引き出すために。


「どいつが落とされたいのかしら」


 強がりだった。明らかな強がり。

 だが、竜たちは一瞬だけ動きを止めた。


 赫塵の赤雷。


 竜にとっても厄介な魔力干渉。

 先ほど、実際に脚を痺れさせられた個体もいる。

 だから、完全には侮れない。

 オブスキュリテは、その一瞬を買った。


 麗奈は、彼女の背中を見ていた。

 黒い背中。傷だらけの背中。細くて、頼りないはずの背中。

 なのに、今は自分と竜の間に立っている。


 麗奈の喉が震えた。

 なぜ。そう思った。


 この人は、魔法少女局の敵だった。シティを壊そうとした人だった。姉の死に関わった人だった。

 憎むべき相手のはずだった。


 それなのに。

 今、彼女は自分を庇っている。

 瑠香の妹である自分の前に立っている。

 竜たちが低く唸った。喉の奥で、魔力が膨れ上がる。


 一体だけではない。二体。三体。

 周囲の竜たちが、一斉にブレスの予備動作へ入った。

 空気が熱を帯びる。


 魔力が圧縮される音がする。地面の小石が震える。肌がぴりぴりと痛む。

 麗奈の喉から、小さな悲鳴が漏れた。


 逃げられない。防げない。

 結衣はまだ瓦礫の中だ。立ち上がろうとしているが、間に合わない。


 自分の四晶では、あの数のブレスを止められない。

 オブスキュリテも、本当は止められないはずだ。

 それでも、オブスキュリテはさらに一歩前へ出た。

 麗奈の壁になるように。


 その背中は、傷だらけだった。赤雷が、かすかに揺れている。消えかけの火のように。

 けれど、まだ消えていない。


「下がっていなさい」


 オブスキュリテが言った。

 振り返らないまま。


「……でも」


「邪魔よ」


 冷たい言葉だった。いつものように、突き放す言い方だった。

 だが、その立ち位置がすべてを裏切っていた。

 邪魔だと言いながら、彼女は麗奈の前にいる。

 守るつもりがないなら、そこに立つ必要はない。


 麗奈は何も言えなかった。

 ただ、剣を握る手に力を込める。


 怖い。


 怖い。


 怖い。


 それでも。この背中だけに、全部を背負わせてはいけない。

 そう思った。

 けれど、体はまだ動かない。


 竜たちの喉が、さらに強く光る。

 ブレスが来る。

 オブスキュリテは、両手を広げた。赤い雷を、正面へ集める。

 防げる保証などない。耐えられる余力もない。

 それでも、彼女は立っていた。


 結衣が瓦礫の中で、血を吐きながら起き上がろうとしている。

 麗奈は震える膝を叱りつける。


 竜たちは、口を開いた。

 赤雷が、最後の抵抗のように瞬いた。

 ブレスが放たれようとした、その瞬間。


「何をしている」


 冷たい声が、戦場に落ちた。大きな声ではなかった。

 怒鳴ったわけでもない。吠えたわけでもない。

 ただ、静かに言っただけ。

 それなのに、空気が凍った。


 竜たちの喉奥に溜まっていた魔力が、ぴたりと止まる。

 膨れ上がっていた熱が揺らぎ、圧縮されていたブレスの光が薄れる。


 オブスキュリテも、麗奈も、声の方を見た。

 粉塵の奥。砕けた瓦礫の中。崩れた建物の壁を背に、ひとつの影が動いていた。

 グラシャラボラスだった。

 竜王は、ゆっくりと立ち上がる。


 瓦礫が肩から落ちる。砕けた石片が足元に転がる。

 破れた外皮の隙間から、黒に近い血が滲んでいた。

 口元から血が流れている。


 頬にも傷がある。

 背には、麗奈の四象連天斬が刻んだ裂傷。

 胴や脇腹には、結衣の連続蹴りによる打撃の痕。

 竜王の肉体は、確かに傷ついていた。


 だが。


 その眼は、死んでいなかった。

 金色の瞳は、なお鋭い。

 呼吸に乱れはある。それでも、膝は折れていない。

 むしろ、まだまだ余力があるようにすら見えた。


 オブスキュリテの顔が、さらに歪む。

 こちらは、もう限界に近い。

 結衣は瓦礫の中で動けない。麗奈は恐怖で足を縛られている。自分も、立っているだけで胸が軋む。


 それなのに。相手はまだ立っている。

 まだ、戦える。

 あれだけ叩き込んで。あれだけ削って。ようやく倒れたと思ったのに。

 まだ。


 グラシャラボラスは、ゆっくりと視線を巡らせた。

 オブスキュリテ。麗奈。瓦礫の中の結衣。

 そして、自分の配下である竜たち。

 その目が、配下の竜へ向いた瞬間。竜たちの巨体が、わずかに震えた。


「陛下」


 一体の竜が、恭しく頭を下げる。


「お目覚めですか。この者たちにとどめを――」


「言われるまでもない」


 グラシャラボラスは低く言った。

 配下の竜が、安堵したように口を閉じる。

 しかし、竜王はそこで言葉を切った。


「と、言いたいところだが」


 金色の眼が、細くなる。その視線が、配下の竜たちを射抜いた。


「なぜ邪魔をした」


 その一言に、竜たちが一斉に身を強張らせた。

 翼がわずかに縮む。爪がアスファルトを掴む。地面に、細い亀裂が走った。

 怒声ではない。

 だが、その静けさがかえって恐ろしい。

 グラシャラボラスの声には、冷えた鋼のような重みがあった。


「我が、死んだとでも思ったのか」


「それは……」


「答えよ」


 短い命令。それだけで、配下の竜は喉を詰まらせた。

 麗奈は、その光景を息を殺して見ていた。

 あれほど恐ろしかった竜たちが、グラシャラボラスの前では明らかに怯えている。

 数で囲み、こちらを押し潰そうとしていた竜たちが。

 ブレスを吐こうとしていた竜たちが。

 王の一言で、動けなくなっている。


「陛下が倒れられたため、我らは――」


「帰るぞ」


 グラシャラボラスは、配下の言葉を遮った。何の迷いもない声だった。

 竜たちが、一瞬理解できないというように固まる。

 グラシャラボラスは、瓦礫の方を見た。結衣が倒れている場所。

 白い衣装は血と灰に汚れ、体はまだ思うように動いていない。

 それでも、結衣は片手を瓦礫につき、立ち上がろうとしていた。


 グラシャラボラスは、その姿を見た。

 そして、低く言った。


「我は負けたのだ」


 その言葉に、戦場の音が一瞬遠のいた。

 麗奈が目を見開く。オブスキュリテも、思わずグラシャラボラスを睨む目を細めた。

 竜たちだけではない。

 その場にいる誰もが、すぐにはその言葉を飲み込めなかった。


 負けた。竜王が。人間の少女に。

 そう、自ら認めた。


「お待ちください」


 別の竜が声を上げた。その声には、焦りが混じっている。


「このまま帰れば、人間相手に負けたと捉えられかねません」


「それがどうした」


 グラシャラボラスは即座に返した。

 配下の竜が言葉を詰まらせる。


「我が後れを取ったのは事実だ」


 竜王は、淡々と言った。


「人間の少女に正面から打ち込まれ、別の少女の斬撃で姿勢を崩され、さらに追撃を受けた。我は一瞬、意識を手放した」


 金色の瞳が、倒れた結衣を見据える。


「その隙を見逃されていた。もしあの場で首を刎ねる手段があれば、我は死んでいたかもしれん」


 麗奈の手が、剣の柄を握りしめる。

 そんなはずはない、と思いたかった。


 竜王はまだ立っている。死ぬようには見えない。圧倒的な力はまだ残っている。

 けれど、グラシャラボラス自身は認めていた。


 あの一瞬。


 自分は敗北していたのだと。


「これを敗北と言わず、何と言う」


「しかし、それは陛下が魔力を使えなかったからであって――」


「それがどうした」


 グラシャラボラスの声が、ほんの少しだけ低くなった。

 竜たちが一斉に口を噤む。


「我はその条件で戦っていたのだ」


 静かな言葉。

 だが、そこには絶対の重みがあった。


「赤い雷に魔力を乱され、術式を封じられ、人型の肉体で戦う。その条件を承知で、我はこの場に立った。ならば、その条件で後れを取った事実を否定することは、我自身の戦いを否定することに等しい」


 配下の竜は何も言えなかった。

 グラシャラボラスは続ける。


「勝てなかった理由を並べるな」


 その声は、配下だけに向けられていた。


「魔力を封じられたから。横槍があったから。相手が複数だったから。地の利がなかったから。いくらでも言える」


 金色の瞳が、冷たく光る。


「だが、戦場で条件を選べると思うな」


 竜たちが、深く頭を垂れる。


 麗奈は、言葉を失っていた。

 恐ろしい。やはり恐ろしい存在だ。

 だが、それだけではなかった。

 グラシャラボラスは、負け惜しみを言わない。

 自分の敗北を、配下に覆させようとしない。

 それどころか、配下が横からとどめを刺そうとしたことに怒っている。


 王。


 その言葉が、麗奈の中に浮かんだ。

 ただ強いだけではない。配下に恐れられるだけではない。

 己の戦いに、自分で筋を通す者。

 だからこそ、竜たちは従っているのだ。


「言わせたい者には言わせておけばいい」


 グラシャラボラスは、崩れた街並みを見渡した。


 遠くでは、まだ魔法少女たちが戦っている。

 空には竜影。地上には防衛班。

 避難誘導は続き、防衛砲台は煙を上げながらも稼働している。

 竜たちの侵攻は、完全には止まっていない。

 だが、突破もできていない。


 この星の守りは、まだ折れていない。

 赤雷の広域支援が止まりながらも。

 竜王が降り立ちながらも。

 各地の魔法少女たちは持ち場を守っている。


 グラシャラボラスは、それを見た。戦場全体を見た。

 そして、低く言う。


「この星も、もはや楽に侵攻できる星ではなさそうだ」


 その言葉には、苛立ちよりも評価があった。


「我を足止めし、兵の進軍を押しとどめ、避難も進めている。脆いと思っていたが、存外しぶとい」


 グラシャラボラスは配下へ向き直る。


「兵を無駄に削る価値はない」


 竜たちが静まり返る。


「このまま攻めれば、いくらかの区画は落とせるだろう。人間も殺せる。魔法少女も削れる」


 だが、と竜王は続けた。


「その代償に、こちらも損耗する。王である我が敗北を認めた以上、この戦いは勝ちではない。無理に押し切る価値はない」


 そして、彼は命じた。


「帰るぞ。全軍、撤退させよ」


 竜たちは、一瞬ためらった。空気が重くなる。

 勝てるのではないか。このまま押せるのではないか。

 目の前の人間たちは、もう限界ではないか。

 そんな思考が、竜たちの間を漂った。


 だが、誰も口にしなかった。竜王の命に逆らう者はいない。

 一体の竜が、深く頭を下げる。


「……承知いたしました」


 その言葉を合図に、上空で魔力が渦巻いた。空間が裂ける。

 黒紫の光が、雲を押し広げるように広がっていく。


 ゲート。竜たちの帰還路。上空に開いた穴が、再び大きくなる。

 周囲の竜たちが、次々に翼を広げた。

 巨大な翼が風を起こし、粉塵を巻き上げる。

 アスファルトの破片が転がり、麗奈の髪が大きく揺れる。


 竜たちは、なお結衣たちを見ていた。


 怒り。

 不満。

 屈辱。


 その視線は鋭い。

 だが、誰も攻撃しない。王が帰ると言ったからだ。

 だが、グラシャラボラスはその前に、オブスキュリテへ視線を向けた。


「人の子よ」


 オブスキュリテは、麗奈を庇うように立ったまま睨み返す。


「何よ」


「我と拳を交えた戦士の名を知りたい」


 オブスキュリテは、瓦礫の中の結衣を見た。

 結衣は動けない。だが、息はある。

 血まみれで、意識も朦朧としているだろう。

 それでも、彼女は戦った。

 竜王と正面から。拳を交えた。


 オブスキュリテは、少しだけ目を伏せる。

 そして、答えた。


「……白瀬 結衣よ」


「シラセ、ユイ」


 グラシャラボラスは、その名を口の中で転がすように繰り返した。


「覚えておこう」


 その眼に、獰猛な笑みが浮かぶ。


「その魔力核は、いずれ我が宝物に加えたいものだな」


 オブスキュリテの赤雷が、鋭く弾けた。


「ふざけたことを」


「ふざけてなどいない」


 グラシャラボラスは笑う。


「それほどの戦士であったということだ」


 彼は踵を返す。巨大なゲートが開く。

 竜たちは次々にその中へ戻っていく。

 翼が空を打つ音。低い咆哮。魔力の渦。

 そのすべてが、少しずつ遠ざかっていく。


 最後に、グラシャラボラスが振り返った。


「シラセユイに伝えよ」


 竜王は言う。


「次に会う時まで、その牙を鈍らせるな、と」


 そして、彼もまたゲートの中へ消えていった。黒い裂け目が、ゆっくりと閉じる。

 空を覆っていた竜の気配が薄れていく。戦場に、風だけが残った。


 麗奈はその場に膝をついた。

 助かった。終わった。

 いや、終わらされた。


 自分たちは勝ったのか。見逃されたのか。

 その判断すらつかない。


 オブスキュリテは、しばらく空を睨んでいた。

 それから、足を引きずりながら結衣のもとへ向かう。


「結衣」


 その声は小さかった。麗奈は、聞き間違いかと思った。

 オブスキュリテは瓦礫の前に膝をつき、結衣の呼吸を確認する。結衣はかすかに息をしていた。

 それを確認して、オブスキュリテの肩からほんの少しだけ力が抜ける。


「……本当に、馬鹿なんだから」


 そう呟く声は、いつもの冷たさよりも、少しだけ震えていた。

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