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魔法少女だった私は、すべてを奪われて侵略者になった  作者: 摩利
2章

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竜王グラシャラボラス


 幾度目かの天雷が、空を裂いた。赤い雷が天へ昇る。

 屋上から放たれた赫塵かくじんは、血の色をした柱となって雲を撃ち抜いた。


 次の瞬間。


 上空から、無数の赤雷が降り注ぐ。

 雨ではない。槍でもない。

 魔力そのものを痺れさせる、赤い裁断の網。


 それが飛来する竜たちを貫いた。

 竜の翼を打つ魔力が痺れる。浮力を支えていた魔力循環が乱れる。

 ブレスを練ろうとしていた喉奥の術式がほどける。

 飛行を維持できなくなった竜たちが、次々と墜落していく。黒い巨体が、空から落ちる。


 落下のたび、地上が揺れた。道路が砕ける。建物の壁が震える。粉塵が舞い上がる。

 そのたびに、各防衛地点の魔法少女たちが一斉に動いた。


 剣で切り裂く者。槌で頭蓋を砕く者。砲撃で追撃する者。

 防御班が結界で受け止め、近接班が足を止め、遠距離班が喉元や翼の付け根を撃ち抜く。

 飛行能力を持つ魔法少女たちは、赫塵の射程を逃れた竜を追い、空中で撃ち落とす。


 天上院 瑠璃姫の砲撃が、別の空域を金色に染めている。

 半竜化した百乃瀬 彩奈の翼が、竜の群れの間を切り裂いている。

 柊 凛の鏡盾が、病院前でブレスを受け止め、跳ね返している。


 防衛砲台も機能していた。

 砲口が火を噴くたび、魔力弾が空を横切り、竜の群れを押し返していく。

 ここまでは、順調と言ってよかった。


 オブスキュリテの赤雷で飛行を奪う。落ちた個体を地上班が処理する。

 逃れた個体は飛行班と砲台で落とす。

 病院前のような重要拠点には、瑠璃姫たち高火力部隊が張りつく。

 想定した戦術は、確かに機能していた。

 地上の魔法少女たちの士気も、少しずつ持ち直している。


 竜は強い。恐ろしい。

 だが、倒せない相手ではない。落とせば戦える。連携すれば倒せる。

 その実感が、防衛線全体に広がりつつあった。


 だが、その中心にいるオブスキュリテの負担は大きかった。

 屋上の縁に立つ彼女の額には、汗が浮かんでいる。呼吸も荒い。

 肩が上下し、指先に走る赤雷も、最初に比べるとわずかに乱れていた。


 広域に赫塵を張る。竜の高度と進路を読み、落下位置を調整する。

 地上班のいない区画へ落とさないよう、雷の方向を変える。

 味方の飛行班を巻き込まないよう、射線を制御する。


 ただ雷を降らせているだけではない。

 戦場全体を読み、空の敵を地上の味方へ受け渡している。

 それは、想像以上に神経を削る作業だった。


「……さすがに、広すぎるわね」


 オブスキュリテが吐き捨てる。

 強がるような口調だった。けれど、疲労は隠しきれていない。

 風に乱れた髪が頬に張りついている。


 腕輪の制御術式も、断続的に光を明滅させていた。

 出力が上がりすぎている。負荷がかかっている。それを知らせる警告だった。


 結衣はその横顔を見た。

 自分たちの役目は、オブスキュリテの監視だ。

 彼女が逃げないように。裏切らないように。危険な行動を取らないように。

 腕輪がある。制裁術式もある。

 けれど、それだけに任せるわけにはいかない。


 結衣と麗奈は、彼女のそばにいる監視役だった。

 だが、この戦いに限って言えば、それだけではなかった。

 護衛。今のオブスキュリテを守ること。

 それが、結衣と麗奈のもう一つの役目だった。


 オブスキュリテの赫塵がなければ、防衛線は容易に突破される。

 竜たちの飛行を止める手段が足りなくなる。

 病院も、避難路も、補修班も、すべてが危険に晒される。

 彼女は危険な囚人であると同時に、今この瞬間、シティ防衛の要でもあった。


 その事実は、結衣の胸に複雑な重さを残す。


 赤羽 祈。オブスキュリテ。

 敵。囚人。協力者。

 そして今は、守らなければならない存在。

 たった一人の少女に、あまりにも多くの意味が重なっている。


 麗奈も、それを理解しているのだろう。

 表情は険しい。剣の柄を握る指にも力が入っている。

 だが、オブスキュリテから目を離してはいない。


 ただ憎むだけではない。ただ警戒するだけでもない。

 守らなければならない対象として、彼女を見ている。

 それが悔しいのか。納得できないのか。麗奈の横顔には、苦い感情が浮かんでいた。

 それでも、彼女は立っている。逃げずに。目を逸らさずに。



 その時だった。空の動きが変わった。

 竜の群れの侵攻が、ぴたりと止まった。

 それまで防衛線へ向かって突っ込んできていた個体たちが、急に高度を保ったまま旋回を始めた。


 赫塵を警戒しているのとは違う。砲台の射線を避けているのとも違う。何かを待っているようだった。


「止まった……?」


 麗奈が呟く。

 上空で竜たちは旋回している。黒い翼が幾重にも重なり、空に不気味な輪を描いていた。

 だが、先ほどまでのように無秩序に突っ込んでこない。咆哮も少ない。

 獲物を狙う獣の騒がしさではなく、命令を待つ兵のような静けさがあった。


「これで終わりでしょうか」


 麗奈の声には、わずかな期待が混じっていた。

 だが結衣は即座に首を振る。


「まだゲートが開いてる」


 空を見上げる。複数の裂け目は、まだ閉じていない。

 そこから漏れ出す赤黒い魔力も、むしろ濃くなっている。


「油断しちゃだめだよ」


 その言葉が終わるのと、ほぼ同時だった。

 空の中央に、ひときわ巨大な亀裂が走った。

 これまでのゲートとは違う。裂け目が生まれた瞬間、周囲の雲が押し潰されるように歪んだ。


 空気が重くなる。屋上の床が、低く震えた。

 幅も、深さも、そこから漏れ出す魔力の質も、これまでとはまるで違う。

 黒い裂け目が、ゆっくりと開いていく。まるで、空そのものに巨大な傷口ができたようだった。

 その奥に、巨大な影が浮かぶ。


 結衣の背筋に、冷たいものが走った。心臓が強く鳴る。

 まだ見えていない。姿ははっきりしない。それでも分かる。


 来る。


 今までの竜とは違うものが。


 次の瞬間。巨大な竜が、単騎で飛び出してきた。

 他の竜とは格が違う。空を覆うほどの翼。黒鉄のような鱗。

 頭部から伸びる複数の角。首から背にかけて並ぶ棘。胸元で脈打つ、赤黒い魔力の核。

 その眼には、獣の本能だけではない、明確な知性が宿っていた。

 竜は、群れの中へ降り立つように空を滑った。


 その瞬間、周囲の竜たちが一斉に距離を取る。

 まるで道を開けるように。まるで、王族を迎える兵のように。


 空気が重くなる。ただ現れただけで、周囲の魔力が震えた。

 地上の防衛砲台が照準を合わせる。

 だが、撃つ者たちの手が一瞬遅れた。


 圧力。


 存在感。


 それだけで、戦場全体がわずかに凍った。


「……上位個体」


 結衣が呟く。口の中が乾いていた。

 少なくとも通常の竜ではない。


「落ちなさい」


 オブスキュリテが即座に手を掲げた。

 疲労を押し殺すように、赤い雷が走る。彼女の指先から、赫塵が伸びた。

 巨大な竜へ向かって、一直線に。広域に散らしていた赤雷を、今度は一点へ絞り込む。


 相手の飛行制御を痺れさせる。翼を止める。魔力循環を乱す。

 先ほどまで、多くの竜を落としてきた一撃。


 だが。


 竜は、その巨体に見合わぬ俊敏さで身を捻った。

 翼を大きく広げるのではない。むしろ一瞬だけ翼をたたみ、空気抵抗を消す。体を横へ滑らせる。

 赫塵の軌道を、完全に読んでいた。

 赤雷は竜の鱗をかすめただけで、空へ消えた。


「避けた……!」


 麗奈が息を呑む。

 それは、ただの回避ではなかった。

 偶然ではない。反射的な動きでもない。


 オブスキュリテの赫塵の性質を理解した上で、最小限の動きでかわした。

 赤雷を恐れ、距離を取るのではなく。正確に見切って、避けた。

 結衣の背中に、冷たい汗が浮かぶ。

 オブスキュリテも、わずかに目を細めた。


 竜が、体を大きくのけぞらせた。黒鉄のような鱗が軋む。

 巨大な翼が空気を叩き、周囲の雲を乱した。

 喉奥に魔力が集まる。


 赤黒い光。熱。圧力。

 ただの炎ではない。

 竜の体内で練り上げられた、高密度の破壊魔力。ブレスの予備動作。


 結衣が動くより早く、オブスキュリテが叫んだ。


「ぼさっとしない!」


 その手が、麗奈の襟首を掴む。


「えっ――」


 麗奈の声は、風にちぎれた。

 次の瞬間、オブスキュリテは麗奈を引きずるようにして屋上から飛び降りた。

 迷いはなかった。説明もなかった。

 ただ、掴んで、引いて、落ちる。


 黒い拘束衣が風に翻る。麗奈の体が宙へ投げ出される。

 結衣も反射的に地を蹴った。遅れれば死ぬ。そう判断するより先に、体が動いていた。


 直後。


 竜のブレスが、屋上を薙いだ。白熱した破壊光が、建物の上層部を呑み込む。

 音が遅れてきた。


 轟音。


 耳の奥を叩き潰すような衝撃。防御結界を張る暇などなかった。

 ブレスは屋上を削り取り、コンクリートを蒸発させ、鉄骨を飴細工のように曲げていく。

 赤く溶けた破片が、空中へ散った。


 直撃ではない。

 余波だけで、周囲の建物の壁面がえぐれた。窓ガラスが一斉に砕け、爆風が街路へ吹き下ろす。

 空気が熱い。肌を焼くような熱風が、落下する三人を追いかけてきた。


 三人は地上へ着地した。

 結衣は膝を曲げ、衝撃を殺す。身体強化を足へ集中し、アスファルトをわずかに砕きながら踏みとどまった。

 麗奈はよろめきながらも、なんとか体勢を立て直した。剣を抜く余裕すらなかった。着地した瞬間、膝が笑いそうになる。


 オブスキュリテは小さく舌打ちし、上空を睨んだ。

 息は荒い。それでも、視線は竜から外さない。


 麗奈は自分たちがいた屋上を見上げた。

 そこは、もう形を保っていなかった。屋上の縁は消し飛び、床は大きく抉れている。

 鉄骨が赤熱し、溶けたコンクリートが滴っていた。

 防衛拠点として使っていた場所が、ほんの一撃で廃墟に変わっている。


 背筋が凍る。危なかった。

 あんなものを受けていたら。魔法少女とはいえ、ひとたまりもなかった。

 変身していようが、防御術式を持っていようが、真正面から受ければ終わりだった。


 麗奈は唇を震わせる。さっきまで、自分は何をしていた。竜の動きを見ていた。

 だが、反応できなかった。

 恐怖で固まっていたのかもしれない。

 ブレスの予兆に気づきながら、足が動かなかったのかもしれない。

 その結果、オブスキュリテに引きずり落とされた。


 よりにもよって。姉の死に関わる相手に。

 自分が警戒し、憎み、不要だとまで言った相手に。命を拾わされた。

 麗奈は、ぎこちなくオブスキュリテを見る。


「あの」


 言葉が詰まる。喉の奥に、悔しさと情けなさが絡まる。

 それでも、言った。


「その……ありがとうございます」


 オブスキュリテは、ちらりと麗奈を見た。ほんの一瞬だけ。

 そして、すぐに視線を竜へ戻す。


「あなたに死なれたら、四条 瑠香に合わせる顔がないだけよ」


 麗奈は何も言い返せなかった。

 その言葉には、皮肉が混じっていた。

 恩を売る気はない。優しさだと思うな。そう突き放すための言葉だった。

 けれど、完全な嘘ではない気がした。


 四条 瑠香。


 姉の名前を出された瞬間、麗奈の胸が詰まる。

 オブスキュリテは麗奈を助けた。麗奈には、その意味が分からなかった。

 分からないから、何も言えなかった。


 空中で、巨大竜が三人を見下ろしている。大きく羽ばたいた。

 それだけで、台風のような突風が地上を襲う。車両が揺れ、街路樹がしなり、砕けた瓦礫が吹き飛んだ。

 三人は思わず地に伏せる。


「っ……!」


 麗奈が歯を食いしばる。

 飛んできた破片が結界の残滓に弾かれ、地面に転がる。

 結衣は片手で地面を押さえ、顔を上げた。


 竜はまだ空にいる。あれを落とさなければならない。

 落とさなければ、またブレスが来る。

 今度は屋上では済まない。


 避難路。防衛拠点。病院。

 どこかが消し飛ぶ。


「落ちなさい!」


 オブスキュリテが再び赤雷を放つ。疲労の滲む声。

 それでも、赫塵は鋭く伸びた。竜の翼を狙い、体内の魔力循環へ食い込もうとする。

 だが、竜はまた避けた。


 ただ力任せに飛んでいるのではない。こちらの攻撃を読んでいる。

 赫塵の軌道を見極め、最小限の動きでかわしている。大きな翼を一瞬だけたたみ、巨体を横へ滑らせる。

 赤雷は鱗をかすめ、火花を散らして空へ抜けた。


「また……!」


 麗奈の声に焦りが混じる。

 オブスキュリテが舌打ちした。額の汗が顎へ伝う。

 広域展開の疲労が残っている。集中させても、見切られる。

 この竜は、通常個体ではない。

 赫塵を知らない敵ならともかく、今の動きは明らかに警戒と分析の結果だった。


 そして、竜はまた喉元に魔力を集めた。

 ブレス。当たれば死ぬ。

 避けても、街がただでは済まない。このまま撃たせるわけにはいかない。

 結衣は駆け出した。


「結衣!」


 オブスキュリテの声が聞こえた。

 だが、止まらない。止まれば撃たれる。

 動かなければ、誰かが死ぬ。


 結衣は一瞬で間合いを詰める。

 地面を蹴り、建物の壁へ走る。垂直の壁面を、身体強化で強引に駆け上がった。

 割れた窓枠を足場にし、さらに跳躍。


 空中で、何もない場所を蹴った。

 足元に、一瞬だけ白い魔力の足場が生まれる。


 虚踏きょとう


 立体軌道を可能にする、身体強化応用術。

 魔力の足場を瞬間的に生成し、それを蹴ることで空中を移動する。

 簡単な技ではない。足場は一瞬で消える。強度も安定しない。

 生成位置を誤れば、踏み抜いて落ちる。


 けれど、結衣は迷わない。

 候補生時代、地味だと言われた身体強化。派手な攻撃魔法も、広域制圧も、特殊な術式もない。

 それでも磨き続けた。


 速く。強く。高く。

 届かない場所へ届くために。

 彼女はもう一度、虚空を蹴った。さらに上へ。


 竜の喉が膨らむ。赤黒い魔力が、口腔の奥で白熱する。

 ブレスが放たれる、その直前。

 結衣の脚が、竜の顎を蹴り上げた。


「せぇっ!」


 全身の強化を右脚に集中させた一撃。

 足首。膝。腰。背中。

 すべての力を一直線に通し、竜の顎へ叩き込む。


 衝撃が結衣の脚へ返ってきた。

 硬い。重い。

 まるで巨大な鉄塊を蹴ったようだった。

 だが、届いた。


 竜の顎が強引に跳ね上がる。放たれたブレスは、地上ではなく天へ向かった。

 白熱した光が雲を裂き、空の彼方へ消える。

 空気が焼ける匂いがした。結衣の頬を、熱がかすめる。

 だが、地上には当たらない。逸らした。

 その隙を、オブスキュリテは逃さなかった。


「今度は外さないわ」


 赤い雷が奔る。体勢を崩した竜へ、赫塵が直撃した。今度は避けられない。

 顎を跳ね上げられ、喉の魔力を暴発寸前まで練っていた竜は、一瞬だけ動きが止まっていた。


 赤雷が鱗の隙間へ入り込む。

 首筋。胸。翼の付け根。背骨に沿う魔力の流れ。

 赫塵が、巨体の魔力循環を痺れさせる。


 竜が低く唸った。先ほどまでの余裕ある咆哮ではない。苦痛と苛立ちが混じった声。

 翼の動きが乱れる。空中で大きく傾く。

 飛行を維持できなくなった巨体が、地上へ落ちた。


 轟音。


 道路が陥没し、粉塵が舞い上がる。地面が大きく揺れ、近くの建物の窓がさらに砕けた。

 竜の巨体が滑り、アスファルトに深い溝を刻む。

 それでも、完全には倒れていない。

 爪を立て、首を振り、なお立ち上がろうとしている。


 上位個体。


 通常の竜なら、ここで大きく動きを止められていた。

 だが、この竜は違う。赫塵を受けても、まだ抗っている。


 結衣は空中で姿勢を整え、近くの建物を蹴って地上へ降りる。

 右脚が痺れていた。蹴った衝撃が残っている。

 だが、立てる。戦える。


 麗奈も剣を構えた。さっきまでの震えは、完全には消えていない。

 でも、目は竜を見ている。恐怖を抱えたまま、前を向いている。


 オブスキュリテは肩で息をしながら、竜を睨んでいる。

 赤雷が指先で乱れていた。疲労は濃い。

 だが、目は鋭い。


 粉塵の中で、竜の巨体が揺らいだ。

 最初は、衝撃で視界が歪んでいるだけかと思った。

 だが違う。竜そのものが変化していた。


 道路を陥没させるほどの巨体。

 黒鉄のような鱗。空を覆っていた翼。そのすべてが、音もなく縮んでいく。


 巨大な翼が畳まれる。骨格が軋む。

 鱗が人の皮膚のような形へ変わり、角が短くなる。

 尾が消え、前脚が腕へ、後脚が人の足へと形を変える。

 それは、獣が人へ変わるというより、竜という存在が人の形へ凝縮されていくようだった。


 圧は消えない。むしろ、増した。

 巨大な姿で空にいた時よりも、今の方が近い。近すぎる。

 力の密度が、違う。


 やがて、粉塵の奥に立っていたのは人型の存在だった。

 背は高い。筋骨隆々とした肉体に、黒い鱗が鎧のように残っている。


 肩。胸。腕。脛。


 急所を守るように、竜の鱗が黒い装甲となって張りついていた。

 頭部には短くなった角。瞳は金色。

 人の形をしていても、その圧は竜のままだった。

 いや、人の姿をしているからこそ、その異質さが際立っていた。


 結衣は拳を握る。

 目の前にいるものは、人ではない。竜だ。

 それも、ただの竜ではない。


「なるほど」


 竜は、己の手を握ったり開いたりしながら言った。自分の肉体の感触を確かめているようだった。

 指を鳴らす。手首を回す。肩を軽く動かす。

 その一つ一つの動きだけで、空気が重く揺れる。


「この雷に当たると、魔力をうまく扱えなくなるのだな」


 その声は低く、重い。

 ただの獣ではない。明確な言葉と知性。

 そして、戦闘中に相手の能力を分析する冷静さ。


「配下が苦戦するのも道理か」


 オブスキュリテが眉をひそめる。赤い雷が、指先で小さく弾けた。

 竜は彼女へ視線を向けた。金色の瞳が、赫塵の使い手をまっすぐ射抜く。


「まずは貴様を潰させてもらう」


 次の瞬間、竜が踏み込んだ。

 速い。地面が砕ける。

 その音が届くより先に、竜の体が消えたように見えた。

 巨体だった時以上に、動きが鋭い。大きさを失った代わりに、速度と密度が増している。

 オブスキュリテへ一直線に迫る。


 結衣の体が、反射で動いた。考える暇はない。

 オブスキュリテを狙われたら終わる。赫塵が止まれば、空の竜たちへの干渉が弱まる。防衛線が崩れる。

 だから、止める。


「させない」


 結衣は竜の前へ滑り込んだ。

 拳を握る。身体強化を全身へ巡らせる。

 脚。腰。背中。肩。腕。

 すべてを一つの線にして、拳へ集める。


 竜も拳を繰り出した。結衣も拳を繰り出す。

 互いの顔面へ向けて。


 結衣の拳は、速い。候補生時代から磨き続けた、無駄のない一撃。

 だが、届かない。

 竜の腕の方が長い。そして、速さも重さも尋常ではなかった。

 竜の拳が、結衣の顔面を捉える。


 その瞬間、結衣は顔と首へ強化魔法を集中させた。

 首が折れないように。頭蓋が砕けないように。意識を持っていかれないように。

 さらに、背後からオブスキュリテの防壁術式が展開される。


 薄い赤黒い壁。赫塵とは違う、簡易防壁。

 即席で張られたものだったが、確かに結衣と竜の拳の間へ割り込んだ。

 衝撃を、一部受け止める。


 それでも。


 意識が飛びかけた。視界が白く弾ける。

 頭の中で、鐘を打ち鳴らされたような衝撃が響く。

 首が嫌な音を立てそうになる。頬の骨が軋む。

 歯がぶつかり、口の中が切れた。


 結衣の体が後方へ滑った。靴底がアスファルトを削る。強化した脚で踏ん張っても、勢いが止まらない。

 数メートル後退して、ようやく止まる。


「結衣先輩!」


 麗奈が叫ぶ。

 結衣は片膝をつきかけ、踏みとどまった。膝を地面につけてしまえば、立ち上がるのに一瞬遅れる。

 その一瞬が命取りになる。だから、耐える。


 口の中に鉄の味が広がった。唇の端から血が垂れる。

 結衣は手の甲で口元を拭い、血を吐き出した。赤い雫がアスファルトに落ちる。


 強化魔法。オブスキュリテの防壁。

 その二つを合わせても、この威力。まともに受ければ、本当に首が折れていた。

 それを理解した瞬間、背筋が冷たくなる。


 だが、同時に。

 まだ立っている。まだ戦える。


「驚いたな」


 竜が感心したように言う。その声には、明らかな興味があった。


「人間であれば、百人は首を折る一撃だったが」


「あなた」


 結衣は呼吸を整えながら立ち上がる。

 視界の端がまだ少し揺れている。 だが、目は逸らさない。


「ただの竜じゃないね」


 竜は口角を上げた。


「然り」


 その声に、周囲の空気が震える。

 まるで名前そのものに力が宿っているようだった。


「我は竜王グラシャラボラス」


 麗奈の顔色が変わった。


「竜王……」


 会議で出てきた名。来る可能性は低いとされていた存在。竜たちを統べる複数の王の一角。

 現れれば、通常の魔法少女小隊では止まらないとされた最悪の想定。

 それが今、目の前にいる。


 予測ではない。資料ではない。遠い星の噂でもない。

 竜王グラシャラボラスが、シティの路上に立っていた。


 オブスキュリテも目を細める。疲労の色は濃い。

 だが、その表情から軽薄さが消えていた。

 彼女も理解している。これは、ただの上位個体ではない。

 戦場全体の勝敗を変える存在だ。


 結衣は拳を握った。血の味が、まだ舌に残っている。


「竜王」


 結衣はまっすぐグラシャラボラスを見る。


「なら、あなたを倒せば、この侵攻は止まるの?」


 グラシャラボラスは一瞬、目を細めた。まるで、結衣の言葉を品定めするように。

 それから、楽しげに笑う。


「我に勝つ気か?」


「勝つよ」


 結衣は即答した。迷いはなかった。

 恐怖がないわけではない。むしろ、恐ろしい。

 一撃で首を折られかけた相手だ。魔力の圧だけで膝が震えそうになる。

 それでも、答えは決まっていた。


「このシティを守るために」


 グラシャラボラスの笑みが深くなる。獲物を見る笑みではない。玩具を見つけた子どもの笑みでもない。

 戦う価値のある相手を見つけた武人の笑み。

 彼は大きく腕を広げた。


「ならば誓おう。人の子よ」


 その声が、戦場に響く。


 遠くで竜と魔法少女たちが戦っている。

 砲撃の音。咆哮。通信の声。

 それらすら、一瞬だけ遠のいたように感じられた。


「我に勝てば、軍勢を撤退させる」


 麗奈が息を呑む。

 オブスキュリテも目を細めた。


 竜王の誓い。

 それがどれほど重いものなのかは分からない。

 人間の法が通じる相手ではない。契約書も証人もない。

 だが、この男は嘘をついているようには見えなかった。


 誇り。武勇。狩りの証。


 会議で聞いたゲオルギアスの価値観が、結衣の脳裏をよぎる。

 竜王が誓う。それは、彼らの中ではきっと軽くない。

 少なくとも、グラシャラボラスはその誓いを遊びで口にしたわけではない。

 オブスキュリテが低く言う。


「結衣、安易に信じるのは――」


「信じるしかない」


 結衣は小さく答えた。

 目はグラシャラボラスから離さない。


「倒せば止まる。なら、倒す」


 オブスキュリテは一瞬だけ黙った。

 それから、短く息を吐く。


「本当に、単純ね」


「うん」


 結衣は拳を構える。


「でも、分かりやすいでしょ」


「呆れるほどにね」


 その声には、苛立ちだけではないものがあった。

 結衣は一歩前へ出る。


「なら、今すぐ帰ってもらうよ」


 グラシャラボラスは、喉の奥から笑った。


「ははは」


 低く、重く、楽しげな笑い。

 その笑いだけで、周囲の瓦礫が震えた。


「よくぞ吠えた、人の子よ」


 金色の眼に、戦意が宿る。


「では示してみせよ。貴様らが守るに値する牙を持つのかどうかを」


 竜王が構える。人型でありながら、その構えは人間の武術とは違う。

 重心が低い。

 腕は長く、爪は鋭い。

 足先が地面を掴む。

 背中の鱗がわずかに盛り上がり、尾の名残のような魔力が腰の後ろで揺れている。

 一歩踏み込めば、またあの拳が来る。

 まともに受ければ終わる。


 結衣も構えた。頬は痛い。頭はまだ少し揺れている。

 右脚には、先ほど竜の顎を蹴り上げた衝撃が残っている。

 それでも、構えは崩さない。


 麗奈が剣を握り直す。不安はある。怖さもある。

 けれど、もう下がらない。

 さっきオブスキュリテに助けられた命。

 それを、今ここで無駄にはしない。


 オブスキュリテの指先に、再び赤い雷が灯る。

 赫塵は乱れている。疲労で出力も落ちている。

 それでも、彼女は笑った。


 空では、まだ竜たちが飛んでいる。

 地上では、魔法少女たちが戦っている。

 病院前では、瑠璃姫たちが防衛線を保っている。

 遠くの防衛地点では、若い魔法少女たちが恐怖を抱えながら竜へ立ち向かっている。


 戦場全体は、まだ続いている。

 だが、この戦場の中心は、今この瞬間、ここになった。


 白瀬 結衣。


 四条 麗奈。


 オブスキュリテ。


 そして、竜王グラシャラボラス。

 この戦いの結果が、侵攻全体を左右する。


 結衣は呼吸を整える。

 怖い。痛い。相手は強い。

 けれど、退けない。


 グラシャラボラスの足元で、アスファルトが砕ける。


 動く。


 そう思った瞬間、結衣は身構えた。

 麗奈が剣を低く構える。

 オブスキュリテの赤雷が、細く空気を裂く。

 竜王が、笑う。


「来い、人の子らよ」


 シティの命運を賭けた戦いが、始まろうとしていた。


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