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魔法少女だった私は、すべてを奪われて侵略者になった  作者: 摩利
2章

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36/48

戦況


 建物の屋上に、強い風が吹いていた。地上よりもずっと冷たい風だった。

 髪を乱し、衣装の裾をはためかせ、足元の砂埃を巻き上げていく。

 眼下には、避難を続けるシティの街並み。誘導灯が赤く点滅している。


 大通りには避難車両が並び、職員たちが拡声器で人々を地下避難施設へ誘導していた。

 遠くでは、地上部隊の魔法少女たちが防衛線を構築している。

 結界補助装置が起動し、半透明の壁がいくつも立ち上がっていた。

 それでも、空は塞げない。


 遠くには、いくつものゲートが開いていた。

 黒く裂けた空間。その向こうから、濁った魔力が溢れている。

 そして、そこから飛来する竜の群れ。


 黒い翼が空を切る。鱗に覆われた巨体が、太陽の光を遮る。

 翼の膜が風を叩き、低い唸りが街全体へ響いていた。

 ただ飛んでいるだけで、威圧感がある。

 ただ空にいるだけで、地上の人間を見下ろす捕食者のようだった。

 竜たちは群れを成し、防衛線を飛び越えようとしていた。


 地上の魔法少女たちが迎撃態勢を整えている。

 砲台型の魔法装置も、すでにいくつか展開されていた。


 だが、相手は空を飛ぶ。高度を変え、速度を変え、防衛線の隙間を狙ってくる。

 落とさなければ、まともに戦うことすらできない。

 空を制されたままでは、避難区域も、結界補修班も、後方部隊も危険に晒される。


 オブスキュリテは、屋上の縁に立っていた。

 黒い拘束衣が風に揺れる。両手首の腕輪は、戦闘用に制限が一部解除されている。

 完全な自由ではない。位置情報の監視は生きている。制裁用の術式も解除されていない。

 それでも、赫塵かくじんを使うには十分だった。


 彼女の足元には、赤い火花が散っている。空気がぴりぴりと震え始めていた。

 雷の前兆。魔力が赤く変質し、屋上の床を細い血管のように這っていく。

 オブスキュリテは、ゆっくりと息を吸い込んだ。

 深く。長く。まるで、空全体を肺に取り込むように。


 その様子を、麗奈が不安げに見ていた。

 手は剣の柄に添えられている。いつでも動けるように。

 いつでも竜へ斬り込めるように。

 そして、いつでもオブスキュリテを止められるように。


 その視線には、二つの警戒があった。

 空の竜への警戒。隣に立つ元敵幹部への警戒。どちらも消せない。

 どちらも、麗奈にとっては当然のものだった。


 結衣は、その二人ではなく、眼前の竜を見ていた。

 空を覆う敵。あれを落とさなければならない。

 そうしなければ、地上が蹂躙される。


 避難が間に合わない。

 候補生たちも、民間人も、補修班も、まとめて狙われる。


 結衣の左腕には、まだ完全ではない違和感がある。

 だが、今はそれを気にしている場合ではなかった。


「怖いなら、下がっていてもいいのよ」


 オブスキュリテが、麗奈へ言った。振り返りもしない。

 ただ、赤い雷を指先に滲ませながら、軽く挑発する。

 その声は、風の中でもよく通った。


 麗奈の眉が跳ねる。


「誰が!」


 即座に言い返す。


「あんたが裏切らないか不安なだけです」


「それなら心配ないわ」


 オブスキュリテは、遠くの竜群を見たまま言った。

 赤い雷が、指先から腕へ絡みつく。


「私の目的は、このシティをめちゃくちゃにすること」


 結衣の胸が、わずかに痛む。分かっていても、その言葉は刺さる。

 オブスキュリテは続ける。


「私の手でね」


 赤い雷が、彼女の足元で弾けた。

 屋上のコンクリートに、細い焦げ跡が走る。


「だから、こんなトカゲたちに、このシティをめちゃくちゃにさせるつもりはないわ」


 それは、守るための言葉ではなかった。

 正義でもない。誇りでもない。誰かを助けたいという願いでもない。


 ただの所有欲。


 破壊の権利を奪われたくないという、歪んだ理屈。

 この街を壊すのは自分だ。他の誰にも渡さない。

 そんな、ひどく身勝手な宣言だった。


 けれど、それでも。

 今この瞬間、オブスキュリテは竜たちを敵と見なしていた。

 シティを襲う侵略者として。自分の獲物を横取りする不愉快な存在として。

 どんな理由であれ、彼女の赤雷は竜へ向いている。


 結衣は表情に出さなかった。出さないようにした。

 けれど、胸の奥が痛んだ。

 祈はまだ、自分が壊す側だと言い続けている。


 シティを守ると口にできない。助けたいと言えない。誰かのために戦うと認められない。

 その代わりに、壊す権利などという言葉で自分を縛っている。

 それが、どうしようもなく痛かった。


 それでも、結衣は何も言わない。

 今、否定すれば、オブスキュリテはきっと引っ込める。


 守るためではない。助けるためではない。自分のためだと。

 そう言い張ることで、彼女はここに立っていられるのだ。

 なら、今はその歪んだ理由ごと受け止めるしかない。


「下がっていなさい」


 オブスキュリテが言う。

 赤い雷が、さらに強くなる。髪の先が静電気でふわりと浮き、屋上の空気が赤く染まり始めた。


「感電するわよ」


 麗奈は何か言い返そうとした。

 だが、結衣が手で制した。


「麗奈ちゃん、少し距離を取って」


「……分かりました」


 麗奈は悔しそうに唇を噛み、数歩下がる。

 下がりながらも、視線はオブスキュリテから外さない。

 結衣も少しだけ距離を取った。


 その間にも、竜の群れは近づいてくる。黒い影が大きくなる。

 翼の音が重なり、空全体が震えているようだった。


 地上から、対空砲台の第一射が放たれた。青白い魔力弾が空へ走る。

 数発が竜の群れの手前で炸裂し、何体かの進路を乱した。

 だが、群れ全体を止めるには足りない。

 竜たちは高度を変え、散開しながら防衛線の上を抜けようとする。


「速い……」


 麗奈が小さく呟いた。

 訓練映像で見るのとは違う。実際の竜は、ずっと大きく、ずっと速い。

 空にいるせいで距離感も掴みにくい。

 あれを地上から迎撃する難しさが、見ただけで分かった。


 オブスキュリテは、その竜群を見上げていた。

 目を細める。獲物を見る目ではない。

 戦場全体を見る目。どの個体が先行しているか。どの高度を抜けるつもりか。

 群れの中心はどこか。指揮個体がいるか。


 風向き。距離。角度。赫塵の射程。


 全てを測っている。

 オブスキュリテの周囲で、赤い雷が膨れ上がる。

 髪が揺れる。拘束衣の裾が風に翻る。

 腕輪が警告音を鳴らしかけるが、戦闘許可範囲内と判定されたのか、すぐに沈黙した。


 オブスキュリテは、右手を空へ向けた。風が強くなる。

 屋上の床に、赤い火花が散った。

 足元を走る赫塵が、ひび割れのように広がっていく。


 空には、竜の群れ。黒い翼が幾重にも重なり、太陽を遮っている。その影が、シティの街並みに落ちていた。


 もし、あの群れをこのまま通せば。

 避難区域が襲われる。結界補修班が狙われる。

 候補生たちも、高魔力資質者も、竜たちの獲物になる。

 だから、落とさなければならない。


 空から。地上へ。戦える場所へ。


赫塵かくじん斬虚雷業ざんきょらいごう


 オブスキュリテの全身に、赤い雷が帯電する。

 肉体を焼く雷ではない。魔力を痺れさせる雷。

 術式を狂わせ、魔力循環を乱し、変身すら剥がす赤い赫塵。


 かつて魔法少女たちを恐怖させた力。

 味方の変身を剥ぎ、戦場を支配し、シティ中枢を破壊しようとした力。

 それが、今はシティを守るために空へ向けられている。


 いや。


 少なくとも、結果としては。

 オブスキュリテ本人は、きっと認めない。

 守るためではない。助けるためではない。

 この街を壊すのは自分だから。竜などに横取りされるのが気に入らないだけだから。

 そう言い張るだろう。


 だが、今この瞬間、赤い雷は竜たちへ向いていた。

 シティを襲う敵へ。空から街を蹂躙しようとする侵略者へ。


 オブスキュリテは、わずかに腰を落とした。

 左手を胸元へ添える。右手を天へ掲げる。

 赤い雷が、一点に集まった。


 指先。掌。腕。肩。胸。


 全身を巡る赫塵が、天へ向けて収束していく。


 腕輪の術式が、警告するように明滅した。

 戦闘用に制限は解除されている。だが、出力が上がりすぎている。

 制裁機能が迷うように、青白い光を瞬かせた。


 それでも、オブスキュリテは止まらない。

 赤い雷が、彼女の髪を浮かせる。

 黒い拘束衣の裾が、風ではなく魔力で揺れた。


「赫塵――」


 声が、低く響く。屋上の空気が震える。

 麗奈が思わず剣の柄を握り直した。

 結衣は、息を止めてその背中を見ていた。


雷命葬送らいめいそうそう


 次の瞬間。オブスキュリテの体から、赤い雷電が天へ昇った。

 柱のように。槍のように。血の色をした稲妻が、空を貫く。

 ただ竜へ向けて撃つのではない。空そのものへ赫塵を流し込む。


 竜の群れの上へ。進路の先へ。逃げ場を塞ぐように。

 赤い雷柱が、雲を裂き、竜たちの頭上へ到達した。


 竜の一体がそれに気づき、翼を広げて回避しようとする。

 遅い。

 上空へ届いた赤雷は、そこで枝分かれした。


 一本が二本へ。

 二本が十へ。

 十が百へ。


 空を覆う赤い根のように。

 あるいは、逆さまに生えた雷の樹のように。


 そして。天から、赤い雷が降り注いだ。

 竜の翼に。角に。胸に。背に。

 魔力を帯びた鱗の隙間へ、赫塵が流れ込む。


 それは、鱗を砕くための雷ではない。肉を焼くための雷でもない。もっと内側。

 竜たちの巨体を支えている魔力循環。

 飛行を補助している浮力制御。ブレスを生成する喉元の術式。筋肉と翼を連動させる魔力の流れ。

 そこへ、赤い赫塵が食い込んだ。


 竜たちの咆哮が、空で乱れる。一体が翼を大きく痙攣させた。

 別の一体が、ブレスを吐こうとして喉を震わせる。しかし、炎は形にならない。

 喉元に集まった魔力が、赤雷に痺れ、崩れ、霧散する。


 翼の動きが鈍る。体内の魔力循環が痺れる。飛行を支えていた魔力が断たれる。


 一体。


 また一体。


 竜たちが空中で姿勢を崩した。羽ばたこうとしても、翼に力が入らない。

 高度を保とうとしても、魔力が乱れて体が傾く。

 編隊を組んでいた群れが崩れ、黒い翼が互いにぶつかりかける。


 竜たちは本能的に立て直そうとした。

 だが、赫塵はそのたびに魔力の流れへ絡みつく。

 浮かび上がろうとする力を痺れさせる。羽ばたきの補助術式を狂わせる。

 空を支配していたはずの竜たちが、空に拒まれたように落ち始めた。

 黒い巨体が、次々と地上へ落下していく。


 そのまま市街地へ落とすわけではない。

 オブスキュリテの赤雷は、落下する角度まで歪めていた。

 地上の防衛班が待ち構える区画へ。

 結界で受け止められる位置へ。

 対空砲台の射線上へ。

 竜たちを、無理やり引きずり下ろしていく。


 地上で魔法少女たちが動いた。

 落ちてきた竜へ、防御班が結界を展開する。衝撃を受け止め、地面へ叩きつける。

 遠距離班の魔法が一斉に放たれる。


 炎。氷。光弾。拘束術式。対空砲台の魔力弾。

 赤雷に痺れ、姿勢を崩した竜たちは、地上で集中砲火を浴びた。


 屋上の上で、麗奈が息を呑んだ。


「……落とした」


 呟きは、ほとんど風に消えそうだった。けれど、結衣には聞こえた。

 麗奈の声には驚きがあった。恐怖もあった。

 そして、認めざるを得ないという悔しさもあった。


 あれほどの竜の群れを。空を飛ぶ、地上防衛線では届かない敵を。

 オブスキュリテは、一撃で落とした。いや、全てを倒したわけではない。

 竜たちはまだ生きている。抵抗もしている。


 それでも、戦場の形は変わった。空の敵が、地上の敵になった。

 その意味は大きい。

 結衣は拳を握る。


「うん」


 想定通り。オブスキュリテが空の竜を落とす。地上班が叩く。

 それが、会議で組まれた対ゲオルギアス戦術だった。




「落ちた!」


 地上の防衛地点で、魔法少女の一人が叫んだ。その声は、轟音にかき消されかけていた。

 空から落ちてくる黒い影。

 翼を痙攣させ、姿勢を崩した竜が、防衛区域の外縁へ向かって墜ちてくる。赤い雷が、その体にまだ絡みついていた。


 翼。首。胸。


 背骨に沿った魔力の流れ。そこを赫塵が痺れさせている。

 竜は必死に羽ばたこうとしていた。だが、浮かび上がれない。

 ブレスを吐こうとしても、喉元の魔力が乱れて炎にならない。

 飛ぶことも、焼くこともできない。


「想定通り! 地上班、迎撃開始!」


 指揮役の魔法少女が叫ぶ。


 その直後、墜落してきた竜が道路を砕きながら滑った。

 アスファルトが割れる。街灯が折れる。停められていた無人車両が吹き飛ぶ。粉塵が舞い上がり、破片が周囲へ飛び散った。

 防御班が即座に結界を張る。砕けたアスファルト片が、淡い障壁に弾かれて落ちた。


 それでも竜は生きていた。巨体を震わせ、爪を立てて起き上がろうとする。

 鱗に覆われた体は、落下の衝撃を受けてもまだ崩れていない。

 太い前脚が道路を抉る。尾が建物の壁を叩き、ひびを入れる。牙の並んだ口が開き、低い唸りが漏れた。


 だが、魔力はまだ痺れている。飛べない。ブレスも吐けない。

 その隙を、魔法少女たちは逃さなかった。


 三枝 ミオは剣を構え、走り出した。


 怖い。


 最初に浮かんだ感情は、それだった。

 巨大な竜が、目の前にいる。訓練映像で見たものとは違う。資料の中の数値とも違う。

 実物は、圧倒的に大きい。鱗の一枚一枚が、盾のように分厚い。

 爪は、ミオの胴ほどもある。

 牙も、尾も、翼も、すべてが人間を殺すための武器に見えた。

 あれに一撃でもまともに食らえば、自分の体など簡単に引き裂かれる。

 盾も、結界も、訓練で身につけた動きも、全部意味を失うかもしれない。


 怖い。


 足が止まりそうになる。

 喉が乾く。剣を握る手が、わずかに震える。

 けれど、相手は落ちている。動きは鈍い。魔力は乱れている。


 今ならやれる。否、自分は、やらなければならない。

 怖いままでも動け。

 恐怖を捨てるな。恐怖を使え。

 候補生時代に何度も聞かされた言葉が、頭の奥で鳴った。


 ミオは息を吸い、魔力を剣へ流し込んだ。

 肺が熱い。心臓がうるさい。

 それでも、足は前へ出る。


四閃煉獄殺しせんれんごくさつ!」


 剣が、うっすらと光を帯びる。

 赤ではない。白く、鋭い光。

 刃の周囲に、薄い魔力の軌跡が四つ重なった。

 四つの斬撃を一瞬で叩き込む、ミオの魔法。


 本来なら、単体の異形を素早く切り崩すための技だ。

 竜のような大型個体にどこまで通るかは分からない。

 けれど、やるしかない。

 ミオは踏み込む。


 竜がこちらへ顔を向けた。赤黒い目が、ミオを捉える。

 その瞬間、背筋に冷たいものが走った。

 見られた。獲物として。

 踏み潰せる小さな生き物として。


 竜の喉元が膨らむ。ブレスを吐こうとしている。

 だが、赤雷に痺れた魔力はうまく形にならない。

 喉の奥で、黒い火花が乱れるだけ。

 炎にならない。熱にならない。


 今だ。

 ミオは剣を振った。


四閃絶刀しせんぜっとう!」


 刃が空を裂く。本来なら四つの斬撃。

 だが、ミオは踏み込みと手首の返しを重ね、軌道を増やした。


 訓練で何度も失敗した応用。成功率は高くない。

 けれど、今は迷わなかった。

 七つの斬撃が、竜の体へ飛ぶ。


 一つ目が翼膜を裂く。

 二つ目が前脚の鱗を割る。

 三つ目が首筋を抉る。

 四つ目が肩口へ食い込む。


 五つ目が胸の鱗を削る。

 六つ目が喉元の魔力の乱れへ叩き込まれる。

 七つ目が、竜の顔面をかすめた。

 光の刃が連続して走り、竜の巨体を切り刻んだ。


 竜が咆哮する。怒りと痛みの声。空気が震えた。

 ミオの足元まで、その振動が伝わってくる。

 だが、まだ倒れない。さすがに硬い。

 ミオ一人の斬撃では、致命傷には届かない。

 竜の鱗は分厚く、筋肉も骨も、人型の異形とは比べものにならない。


 切った。傷はつけた。けれど、それだけだ。

 竜の前脚が持ち上がる。まだ魔力が痺れているとはいえ、純粋な質量だけで危険だった。

 ミオはすぐに後退しようとした。


 その時。


「頭、空いた!」


 別の魔法少女が叫ぶ。

 ミオは即座に横へ跳んだ。考えるより早く、体が動いた。

 次の瞬間、後方から飛び込んできた魔法少女が、巨大な槌を振り下ろす。


 重装型の魔法少女。全身に防御魔法をまとい、両手で魔力槌を握っている。

 彼女の足元が沈む。踏み込みでアスファルトが砕ける。


「せえええいっ!」


 竜の頭部に、魔力をまとった一撃が叩き込まれた。

 鈍い音。肉と骨と鱗がまとめて潰れるような、重い音だった。

 竜の頭がアスファルトへ沈む。地面が大きくひび割れる。

 黒い粒子が、鱗の隙間から漏れ出した。


 竜の巨体が、一度びくりと震える。そして、崩れ始める。

 鱗が粒子に変わる。翼が黒い霧になってほどける。尾が力を失い、道路の上に沈んでいく。


「一体撃破!」


 通信が飛ぶ。


『第一防衛地点、一体撃破確認。次の落下個体に備えてください』


 ミオは肩で息をしながら、剣を握り直した。

 心臓が激しく鳴っている。手はまだ震えている。膝も少し笑っている。


 怖かった。

 怖いままだった。

 竜と目が合った瞬間、体が固まりそうになった。

 喉元にブレスの魔力が集まった時、死ぬかもしれないと思った。


 けれど、動けた。

 斬れた。仲間に繋げられた。

 倒せた。竜を。

 あの巨大な、空から降ってきた怪物を。


「ミオ、大丈夫?」


 槌を持った魔法少女が振り返る。

 ミオは息を整えながら頷いた。


「大丈夫です」


 本当は、完全に大丈夫ではない。

 怖い。まだ怖い。

 でも、動ける。戦える。竜を倒せる。


「いけるよ」


 誰かが言った。

 それは仲間に向けた言葉であり、自分自身に向けた言葉でもあった。

 防衛地点の空気が、ほんの少し変わる。


 竜は恐ろしい。硬い。強い。

 まともに飛ばれれば、手が届かない。

 でも、落ちてくるなら戦える。


 赤雷で痺れ、翼を失い、ブレスを封じられた状態なら、自分たちの剣も槌も魔法も届く。

 絶望だけではない。


 ミオは頷く。


「うん」


 空を見上げる。まだ竜はいる。ゲートも閉じていない。

 黒い翼が、いくつも空を横切っている。

 遠くの屋上から、赤い雷が空へ昇っているのが見えた。

 天へ伸びた赫塵が、枝分かれし、竜たちへ降り注いでいる。


 その光景は異様だった。

 赤い雷。

 三ヶ月前、魔法少女たちを苦しめた力。変身を剥がし、魔力を乱し、仲間たちを倒した力。

 恐ろしい力だと感じた。オブスキュリテの力だと聞かされていた。


 その赤雷が、今は空から竜を落としている。

 味方かと言われれば、まだ分からない。信用していいのかと問われれば、首を縦には振れない。


 それでも、今はあの雷があるから戦えている。

 それだけは事実だった。


「次、来ます!」


 仲間の声。ミオは剣を構え直した。

 空から、また一体の竜が落ちてくる。翼を痙攣させ、ブレスを吐けず、赤雷に絡め取られた巨体。

 地上班の指揮役が叫ぶ。


「防御班、受け止め準備! 近接班、落下後に脚を狙って! 遠距離班は喉元、魔力反応が乱れているうちに叩く!」


「了解!」


 返事が重なる。

 ミオも短く息を吸った。怖いままだ。

 心臓はまだ速い。手もまだ少し震えている。けれど、もう足は止まらなかった。


 竜が落ちる。地面が揺れる。粉塵が舞う。防御結界が軋む。


 それでも、ミオは前へ出た。

 自分一人で倒す必要はない。仲間がいる。

 赤雷が竜を落とす。防御班が受け止める。

 自分が斬る。槌を持つ仲間が砕く。遠距離班が撃ち抜く。

 それで倒せる。それなら戦える。


 ミオは剣に魔力を流し込んだ。白い光が、再び刃を包む。


「行きます!」


 声は震えていなかった。少なくとも、自分ではそう思えた。

 空から赤い雷が降る。地上で魔法少女たちが構える。


 竜の咆哮が響く。

 その中で、ミオは一歩踏み込んだ。怖いまま。

 それでも、前へ。






 病院前の防衛線は、すでに戦場と化していた。

 正面玄関には、臨時の防御結界が幾重にも張られている。

 避難用の車両は、すでに病院裏手へ移動済み。重症患者や移動困難者は地下へ。

 候補生と職員が、残された人員の誘導を続けている。

 だが、完全な避難にはまだ時間がかかる。

 ここを突破されれば、病院の地下施設まで危険に晒される。


 上空を見上げれば、黒い裂け目の向こうから次々と竜が飛来してくる。

 翼を広げれば小型の家屋ほどもある巨体。


 硬質な鱗。剥き出しの牙。喉奥で煮えたぎる魔力の光。

 竜たちは旋回しながら、病院前の防衛線を見下ろしていた。

 まるで、そこにいる人間たちを品定めするように。


 オブスキュリテの赫塵は、確かに広範囲へ及ぶ。竜の飛行を乱し、魔力循環を痺れさせ、地上へ叩き落とす。

 想定した通り、その効果は大きかった。

 だが、あれは万能ではない。


 空全体を完全に覆い尽くせるわけではない。竜の進路すべてを封じ切れるわけでもない。

 竜たちもただの獣ではない。

 高度を変える。進路を散らす。群れの一部を囮にして、別動隊を抜けさせる。赫塵の薄い空域を探し、隙間を縫ってくる。


 現に今、この病院前には赫塵の干渉を抜けた竜たちが、意気揚々と飛来していた。


 だが。


 その進路の先には、三人の魔法少女が立っていた。


「数は多いですが――」


 最前に立つ天上院 瑠璃姫が、ふわりと髪をかき上げる。長い縦ロールが、風を受けて優雅に揺れた。

 白と金の衣装は、粉塵の舞う戦場でもなお華やかだった。

 いや、むしろこの荒れた戦場にいるからこそ、彼女の異物感は際立っている。

 その顔には、焦りどころか、むしろ自信しかなかった。


「わたくしたちの敵ではありませんね」


 瑠璃姫の背後で、空間が歪んだ。最初は、陽炎のような揺らぎだった。

 それが、瞬く間に金色の光を帯びる。空間の奥に、何か巨大なものが並ぶ気配がした。


 王宮。


 武器庫。


 砲列。


 それらが同時に現れるような、圧倒的な魔力の気配。


煌砲こうほう天華万雷宮てんかばんらいきゅう


 詠唱とともに、彼女の背後の時空が一気に花開く。まるで見えない王宮の門が開いたかのようだった。


 金の縁取りを持つ無数の砲塔。大型砲。速射砲。連装機関砲。

 浮遊する銃座が幾重にも展開し、瑠璃姫の背後に壮麗な砲列を築く。


 砲身には、花弁のような紋様が刻まれていた。砲塔の根元には、王冠を思わせる魔法陣。

 浮遊銃座の周囲には、細かな金の粒子が舞っている。


 金属の輝きと魔力光が重なり合い、戦場に不釣り合いなほど華麗な光景が広がった。

 それは兵器でありながら、舞台装置のようでもあった。


 竜たちが咆哮する。

 威嚇。怒り。あるいは、警戒。

 その声を、瑠璃姫は鼻で笑った。


発射ファイア


 短い号令。それだけで、砲塔群が一斉に火を噴いた。


 轟音。


 空気が震える。

 病院前の防御結界が、振動で淡く揺らいだ。


 魔力を帯びた砲弾が雨のように上空へ撃ち出される。

 金色の尾を引く砲弾。白い閃光を纏った貫通弾。弧を描いて飛ぶ炸裂弾。連装機関砲から吐き出される細い魔力弾の連射。

 それらが一斉に竜の群れへ突き刺さり、空中で激しい爆発を起こした。


 一体の竜の翼が吹き飛ぶ。別の一体の胸郭が弾ける。

 機関砲の連射が鱗の隙間を穿ち、竜たちの隊列を無理やり崩していく。

 硬い鱗に砲弾が弾かれても、次弾が同じ箇所を叩く。

 裂け目ができれば、そこへ速射砲が集中する。


 瑠璃姫の火力は、ただ派手なだけではない。

 広い空域を制圧しながら、敵の進路を狭め、次の攻撃地点へ追い込んでいる。

 空のあちこちで、黒い巨体が悲鳴を上げながら落ち始めた。


「おーっほっほっほっほ!」


 瑠璃姫が高笑いを上げる。

 砲塔群の中心で、彼女はまるで舞台の主役のように扇子を広げた。


「見なさいな! これが真のエースの火力ですわ!」


 あまりにも堂々とした宣言だった。戦場の空気すら、彼女の声で塗り替えられそうになる。


 だが、後続は止まらない。裂けた空間の向こうから、なおも新たな竜が押し寄せてくる。

 撃ち落とされる端から、別の群れがその空白を埋めるように飛び込んでくるのだ。

 数が多い。ただの乱戦ではない。

 竜たちは、本能と命令の両方で押し寄せてくる。


 瑠璃姫の砲撃で正面は削れる。

 だが、側面から回り込む個体までは、すべて撃ち落としきれない。


「私が行くね」


 百乃瀬 彩奈が一歩前に出た。気だるげな口調とは裏腹に、その目は鋭い。普段の眠そうな雰囲気は残っている。

 だが、戦場に立つ彼女は違っていた。

 半開きに見える目の奥で、空の流れを正確に捉えている。


 どの竜が速いか。

 どの個体が指揮役か。

 どこへ割り込めば群れの形を崩せるか。

 彩奈は、すでに見切っていた。


「ドラゴンズ・ロア」


 次の瞬間、彩奈の全身に変化が走る。手足を覆う魔力が鱗へ変わる。

 滑らかな肌の上に、薄い竜鱗の装甲が浮かび上がった。

 指先は鋭い鉤爪となり、背には巨大な翼が展開する。翼膜は深い紅と黒の混じった色。

 その縁には、熱を帯びた魔力が揺らいでいる。

 瞳は爬虫類のように縦に裂け、口元からはわずかに牙が覗いた。


 人と竜、その境界を曖昧にした戦闘形態。


 半竜化。


 それが、百乃瀬 彩奈の魔法だった。


 半竜化した彩奈は、地面を蹴った。

 アスファルトが砕ける。一息で空へ飛び上がる。

 低く飛来していた竜へ真正面から突っ込み、その懐へ潜り込んだ。

 速い。翼を持つ竜よりも小さく、軽く、鋭い。


 飛翔する竜の群れの中を、彩奈は小回りの利く軌道で切り裂いていく。

 巨体同士では回避しきれない間隙を縫い、爪を一閃。一体の首筋が裂ける。

 黒い血のような魔力粒子が散った。


 そのまま反転。

 もう一体の翼膜を切り裂く。竜が姿勢を崩すより早く、彩奈は急上昇して背後へ回り込んだ。


 背中へ蹴りを叩き込む。竜の巨体が空中で傾く。

 そこへ瑠璃姫の砲撃が横から突き刺さり、バランスを失った竜が他の竜と激突しながら落下していった。


「練度が足りないね」


 彩奈が鼻で笑う。

 風の中でも、その声は妙に落ち着いていた。


「こんなんで群れとか言わないでほしいな」


 その挑発が届いたのか。怒ったように、数体の竜が一斉に彩奈へ向けて口を開いた。

 喉奥に魔力が集まり、赤熱する。

 別の個体の喉では、青白い雷光が走った。

 さらに別の個体からは、黒紫の瘴気が漏れ出す。

 次の瞬間、複数のブレスが一斉に放たれた。


 炎。


 雷。


 腐食性の瘴気。


 色も性質も異なる吐息が、彩奈を飲み込まんと殺到する。

 空中に逃げ場は少ない。竜たちは彩奈の進路を囲むように吐息を重ねていた。


 だが彩奈は避けなかった。

 空中で翼を大きく広げる。爪を引き、体を固定する。

 真正面から口を開いた。喉奥に魔力が集まる。

 竜の因子を帯びた彼女の体内で、荒々しい力が脈動する。

 人間の魔力回路とは違う、太く、熱く、獣じみた魔力の流れ。


「――はっ」


 彩奈もまた、ブレスを吐き返した。

 紅蓮の奔流。

 人の魔法とも竜の吐息ともつかない高密度の破壊光が、正面から複数のブレスを呑み込んだ。


 炎が炎を食う。雷が紅蓮に呑まれる。瘴気が焼き払われる。

 ぶつかり合った魔力が空中で爆ぜ、病院前の空を白く染めた。

 衝撃波が地上へ降りる。

 防御結界が震え、病院の窓ガラスがびりびりと鳴った。


 押し切ったのは彩奈だった。

 彼女のブレスはそのまま竜たちをまとめて焼き払い、数体を空中で黒い灰へ変えていく。

 彩奈は吐息を切ると、軽く肩を回した。


「うん。思ったより通る」


 そんな気軽な声だった。


 その一方で。地上では、瑠璃姫を狙った別の竜が高度を下げていた。

 砲塔群を最優先で排除すべきと判断したのだろう。

 大型の竜だった。胸元の鱗が厚く、頭部には角が三本並んでいる。

 瑠璃姫の砲撃を何発か受けても、なお落ちずに突っ込んでくる。


 大口を開け、灼熱のブレスをまっすぐ瑠璃姫へ吐き出す。

 炎が空間を埋めた。病院前の道路が赤く照らされる。熱が押し寄せる。

 砲塔群ごと瑠璃姫を焼き払おうとする、正面からの一撃。


 だが、その前へ一人の少女が立ちはだかった。


鏡盾きょうじゅん反天守護陣はんてんしゅごじん!」


 柊 凛の前方に、巨大な鏡面障壁が展開する。

 円形の守護陣。何重もの魔法陣が重なり、その中心には鏡のように滑らかな盾面が輝いていた。

 鏡面には、瑠璃姫の砲塔群と、迫る炎が映っている。


 凛は足を開き、両手を前へ突き出した。普段の軽い笑みは消えている。額にはうっすら汗が浮かんでいた。


 竜のブレスが激突する。轟音とともに炎が広がり、周囲の空気が焦げる。

 病院前の植え込みが一瞬で黒く焼け、道路の表面が赤熱した。

 だが、鏡盾は割れない。


 炎を受け止める。呑み込む。凛の魔法陣が、その熱と魔力を吸収していく。鏡面の奥で、炎が渦を巻いた。

 凛の腕がわずかに震える。


 出力は高い。竜種のブレスは、普通の異形の攻撃とはまるで違う。

 重い。熱い。押し潰すような圧力がある。

 だが、受け切れないほどではない。


「返すよ」


 凛が片手を振る。

 鏡面が閃いた。吸収したブレスが、今度はそのまま圧縮され、逆流するように竜へ撃ち返された。


 炎の色が変わる。凛の魔法陣を通ったそれは、ただの熱ではなく、反射の刃を含む魔力奔流へ変質していた。

 自分の吐いた炎をまともに食らった竜が、苦鳴を上げながら吹き飛ぶ。


 胸の鱗が砕ける。口腔が焼ける。巨体が空中で大きく仰け反った。

 その巨体が後続の竜を巻き込み、隊列を乱した。


「ナイス、凛ちゃん!」


 上空から彩奈の声。


「当然ですわ!」


 瑠璃姫は胸を張る。


「わたくしの従者ですもの!」


「そこは普通に凛ちゃんを褒めようよ……」


 彩奈が呆れ気味に呟くが、その口元には笑みがあった。

 しかし、猛攻は止まらない。


 瑠璃姫の砲撃が竜を撃ち落とす。

 彩奈が空中で群れを切り崩す。

 凛がブレスを防ぎ、跳ね返す。

 三人の連携は確かに機能していた。


 それでも、竜たちの数は多い。空の裂け目はまだ閉じていない。

 撃ち落とされても、焼かれても、弾き返されても、次の個体がすぐに押し寄せてくる。


 竜たちは学習していた。正面からの群れは砲撃で削られる。

 側面から回り込めば半竜化した彩奈に切り裂かれる。

 ブレスは凛に受け止められ、反射される。


 ならば。


 砲塔群の中心。瑠璃姫本人を潰す。

 今度は一体の大型竜が、高度を一気に下げて瑠璃姫へ突進してきた。それまで上空を旋回していた個体だった。


 翼を畳み、空気抵抗を減らす。前脚をたたみ、牙を剥き、質量そのものを凶器に変えた突撃。

 黒い巨体が、一直線に落ちてくる。砲弾のようだった。

 いや、砲弾よりもなお悪い。


 意思を持ち、牙を持ち、爪を持ち、怒りを持った災害。

 病院前の防衛線に、影が落ちる。


「姫!」


 凛が叫ぶ。

 鏡盾を展開しようとするが、角度が悪い。

 竜は上方から斜めに突っ込んでくる。

 正面からのブレスなら受けられる。

 だが、あの巨体そのものを今の位置から完全に止めるには、間に合わない。


 彩奈も空中で反応した。翼を翻し、竜の側面へ回り込もうとする。

 しかし、距離がある。一瞬、遅い。


 だが、瑠璃姫は動じない。

 迫る影を見上げ、扇子を畳む。


「無礼なトカゲですこと」


 その声には、恐怖がなかった。焦りもない。

 ただ、舞台に乱入してきた無粋な相手を咎めるような響きだけがあった。

 瑠璃姫の両手に、二挺の拳銃が出現した。


 白銀の銃身。金の装飾。握りには宝石のような魔力結晶。

 装飾的でありながら無駄のない造形。

 砲塔群と同じく、背後の時空から瞬時に引き出された近接戦用の武装だった。


 天華万雷宮。


 それは、ただ巨大な砲塔群を呼び出す魔法ではない。

 天上院瑠璃姫が扱う武装の宝物庫。

 遠距離砲撃。対空制圧。近接用の銃器。

 状況に応じて、必要な火器を瞬時に展開する彼女の戦闘領域。


 竜の牙が目前に迫る。風圧が髪を乱す。スカートの裾が大きく煽られる。

 地面に刻まれた魔法陣の光が、竜の影に飲まれる。

 その瞬間、瑠璃姫は地を蹴った。


 高くではない。低く、鋭く、最小限の跳躍。

 派手な衣装からは想像できないほど、無駄のない動きだった。

 竜の頭部をかすめるように身を滑らせ、そのまま巨体の側面を転がるように回避する。


 紙一重。


 牙がスカートの裾を裂く。白と金の布が、空中に小さく舞った。

 だが、瑠璃姫は空中で体勢を崩さない。

 回避の最中ですら、両手の銃口は竜の頭部を捉えていた。


 連射。


 乾いた発砲音が続く。

 魔力弾が、至近距離から竜の目、鼻梁、口腔、耳孔へ叩き込まれる。

 硬い鱗ではない。柔らかな部位だけを正確に撃ち抜く射撃。

 大型砲で砕けないなら、弱点を撃つ。大火力で押し切れないなら、精密射撃で崩す。


 瑠璃姫の動きは派手だった。言動も派手だった。

 けれど、その戦い方は決して雑ではない。


 竜の目が撃ち抜かれる。鼻梁の奥で魔力弾が弾ける。

 口腔内に撃ち込まれた弾丸が、ブレス生成の魔力を乱す。

 耳孔へ突き刺さった弾が平衡感覚を狂わせる。

 竜が苦痛に悶えた。


 突進の軌道がわずかに逸れる。

 巨体は瑠璃姫を捉えられないまま、慣性のまま地面へ激突した。


 轟音。


 道路が砕ける。アスファルトがめくれ、破片が飛ぶ。

 竜の巨体が地面を大きく削りながら滑っていく。


 病院前の結界が衝撃で揺れた。

 凛が即座に鏡盾の一部を横へ展開し、飛んできた瓦礫を弾く。

 彩奈が空中から急降下し、まだ動こうとする竜の背へ蹴りを叩き込んだ。


 瑠璃姫は地面に着地する。くるりと銃を回して構え直す。

 裂けたスカートの裾を一瞥し、少しだけ眉を上げた。


「お気に入りの裾でしたのに」


 その声は、怒りというより不満だった。

 だが次の瞬間、彼女は胸を張る。


「遠近対応できてこそ、真のエースですわ」


 そして、いつもの高笑い。


「おーっほっほっほっほ!」


 戦場に響くには、あまりにも場違いな笑い声だった。

 だが、その声を聞いて、病院入口付近にいた職員たちの表情がわずかに緩む。


 瑠璃姫が笑っている。なら、まだ防衛線は破られていない。

 そう思わせるだけの力が、その声にはあった。


 病院前には、まだ緊張が満ちていた。

 避難は完了していない。病院の中には、動かせない患者もいる。医療機器から離せない者もいる。


 酸素供給装置に繋がれた高齢者。術後で搬送に時間のかかる患者。集中治療室から動かせない子ども。避難に時間のかかる妊婦や、車椅子の患者。

 医師も看護師も、職員も、必死に動いている。


 しかし、医療現場には速度だけでは動かせない命がある。

 ここが突破されれば、被害は甚大だ。


 竜のブレスが一発でも病棟へ直撃すれば。巨体が屋上へ落ちれば。地下避難経路が塞がれれば。

 それだけで、多くの命が失われる。


 凛が素早く通信を確認し、瑠璃姫へ声をかける。


「姫、病院の避難がまだ遅れてるみたいだ」


 声は落ち着いていた。

 けれど、内容は重い。


「動かせない患者が多い。地下への移送完了まで、まだ時間がいる」


 瑠璃姫は、空の竜を見上げたまま答える。


「構いませんわ」


 その声には、強い確信があった。

 強がりではない。慢心でもない。

 自分がここに立つ意味を、当然のように理解している声だった。


「ここから先は、一体も通しませんわよ」


 凛が、真っ直ぐ前を向く。

 鏡盾の魔法陣が再び展開する。


「承知」


 彩奈も上空で翼を広げながら、軽く手を振った。


「りょーかい」


 声は気だるげだった。けれど、その翼には迷いがない。

 瑠璃姫は二挺の拳銃を消し、再び扇子を掲げた。

 背後で、天華万雷宮の砲塔群が砲身を持ち上げる。


 大型砲が前へ。速射砲が側面へ。浮遊銃座が病院上空を守るように円形に展開する。

 砲列が組み替わる。広域迎撃から、拠点防衛へ。

 瑠璃姫の魔法は、状況に合わせて形を変えていく。


 再び竜の咆哮が響く。空が唸る。翼の影が病院の壁を走る。

 数体の竜が高度を下げ、別々の角度から侵入しようとしていた。


 一体は正面。一体は病院の屋上へ。さらに一体は、裏手の搬入口を狙っている。


「凛さん、正面を」


「了解」


「彩奈さん、裏手へ回る個体を」


「はいはい」


「残りは、わたくしが華麗に撃ち落としますわ」


 瑠璃姫の声に、二人は即座に動いた。

 凛の鏡盾が正面に広がる。竜のブレスが来るより早く、盾面が角度を変え、病院玄関を守るように固定された。


 彩奈は翼をひるがえし、裏手へ回り込もうとする竜へ一直線に飛ぶ。

 半竜化した彼女の爪が、空に赤い軌跡を描いた。


 瑠璃姫の砲塔が一斉に光る。金色の魔力が砲身へ装填される。

 竜は搬入口へは届かず、外壁から離れた位置へ落下していった。


 三人は、一歩も引かなかった。


 砲塔が光る。

 鏡盾が展開する。

 半竜の翼が空を裂く。


 瑠璃姫の高笑い。

 凛の落ち着いた指示。

 彩奈の気だるげな返答。


 それらが、轟音と咆哮の中で不思議なほど噛み合っている。

 病院の中では、避難が続いている。

 担架を押す看護師が、ちらりと窓の外を見る。


 赤い空。黒い竜。

 金色の砲撃。鏡の盾。竜の翼を持つ少女。

 その光景に、一瞬足を止めかける。


 だが、すぐに前を向いた。

 守られている。なら、自分たちも役目を果たす。

 その背中を押すように、瑠璃姫の声が外から響いた。


「おーっほっほっほ! ここは通行止めですわ!」


 新たな竜の群れが、迫っていた。

 だが、三人は退かない。この背後にいる人々を守るために。

 そして、自分たちこそが最前線だと示すために。


 瑠璃姫は扇子を前へ向ける。

 砲塔群が、再び空を狙った。


「さあ、来なさい」


 白と金の魔法少女は、戦場の中心で笑う。


「この天上院 瑠璃姫がいる限り、病院の空は一枚たりとも渡しませんわ」


 その宣言に応えるように、凛の鏡盾が輝いた。

 彩奈の翼が風を切った。

 そして、金色の砲火が、再び竜の群れへ放たれた。

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