竜の星
十日後。昼下がりの週末。オブスキュリテたち三人は、例のカフェにいた。
窓の外には、休日らしい穏やかな人通りがある。
数日前まで降っていた雨は上がり、通りには薄い陽射しが差していた。
古い商店街の看板は、光を受けてもやはりどこか色褪せている。
それでも、店内に差し込む光は柔らかかった。
木の床。落ち着いた色のテーブル。壁に並ぶ古い写真。窓際の観葉植物。
いつものように、コーヒーの香りが静かに漂っている。
相変わらず客は少ない。
だが、前に来た時よりは少しだけ人の気配があった。
端の席に老夫婦が一組。カウンターに、新聞を読んでいる男が一人。
それでも、繁盛しているとは言いがたい。
オブスキュリテは、その静けさを悪くないと思っている自分に気づき、すぐにその感情を胸の奥へ押し込めた。
本来なら、今日はここにいるはずではなかった。
オブスキュリテの協力は、平日の日中に限られる。運用計画にもそう記載されていた。
休日は監視区域内で待機。必要があれば、局内での情報提供のみ。外出は、原則として認められない。
そのはずだった。
だが、ゲオルギアス接近の緊急事態がすべてを変えた。
結界修復は遅れている。竜種対策の準備は山積み。竜王級の可能性まで浮上している。
侵略組織にいたオブスキュリテの知識も、赫塵による対空干渉も、局は必要としている。
だから、休日だろうが関係なく呼び出された。
限定協力戦力。
便利な言葉だ。
囚人であることには変わりないのに、必要な時だけ外へ出される。利用価値があるから。
思うところがないわけではない。
苛立ちもある。皮肉もある。自分をこんなふうに使う局への嫌悪もある。
けれど、それらは今、脳裏の隅に追いやられていた。
もっと別の疑問が、ここ数日、ずっと頭から離れない。
オブスキュリテは、机に肘をつき、頬杖をついていた。
目の前には、まだ口をつけていないコーヒー。小皿には角砂糖が三つ。
いつの間にか、この店では何も言わなくてもそれが出てくるようになっていた。
相馬 茜は、今日も店の奥でやたら明るく働いている。
だが、今のオブスキュリテの意識はそこにはなかった。
頭に浮かぶのは、同じ疑問だけ。
なぜ、四条 瑠香は自分を庇ったのか。
墓参りの時に、ふと生じた疑問だった。
いや、本当はもっと前からあったのかもしれない。
ただ、墓前に立つまで、きちんと形にならなかっただけだ。
あの日。ライブ会場で。異形の攻撃が自分へ向かった時。
四条 瑠香は迷わなかった。自分の身を投げ出し、祈を庇った。その結果、瑠香は死んだ。
祈は生き残った。そして、赤羽 祈の人生は壊れた。
なぜ。なぜ、庇ったのか。
四条 瑠香と自分は、特別親しかったわけではない。
話したことはある。訓練で見てもらったこともある。候補生時代、声をかけられたこともあった。
けれど、それだけだ。
結衣のような親友ではない。奈央のような先輩でもない。同じ部隊で長く戦った仲間でもない。
赤羽 祈は、四条 瑠香にとって、少し扱いにくい魔法を持った後輩の一人でしかなかったはずだ。
それなのに。なぜ命を捨ててまで庇ったのか。
考えても、答えは出ない。
四条 瑠香はもういない。問いかけても、答えてくれない。
墓石は黙っていた。雨に濡れた名前は、何も教えてくれなかった。
なのに、その疑問だけがずっと頭に残っている。
時間がある時は、ずっと考えている。
会議の合間。移動中。夜、監視区域の部屋で目を閉じた時。
ふとした瞬間に、あの光景が戻ってくる。
──私の後輩に、手出しはさせない。
あの声。あの背中。血の匂い。歓声が悲鳴に変わった会場。
倒れた瑠香。
生き残った自分。
なぜ。
なぜ、私なんかを庇ったの。
「オブスキュリテ」
声をかけられて、意識が戻った。
結衣だった。向かいの席で、心配そうにこちらを見ている。
テーブルの上には、結衣のブレンドコーヒーとチーズケーキがある。フォークはまだケーキに入っていない。
結衣は、ずっとオブスキュリテの様子を見ていたのだろう。
「どうしたの?」
柔らかい声だった。気遣う声。昔と同じ声。
それが、オブスキュリテの胸をざらつかせる。
「あなたには関係ないわ」
すぐに突き放した。
言ってから、自分でも分かった。
これは効く。結衣には効く。そう知っていて口にした。
子供みたいな行動だった。
実際、結衣の表情はわずかに曇る。
ほんの少しだけ。笑顔の端が下がった。
その変化を見て、オブスキュリテの胸の奥がちくりと痛んだ。
痛んだことが、さらに腹立たしかった。くだらない。何をしているのだろう。
結衣に聞けば、何か分かるかもしれない。
四条 瑠香のこと。瑠香がどんな人だったのか。どうして後輩を庇ったのか。
結衣なら、自分よりも知っているかもしれない。
いや、きっと知っている。
白瀬 結衣は、真っ直ぐな魔法少女だ。
四条 瑠香のことも、自分よりずっと正しく見ていたに違いない。
聞けばいい。
なぜ先輩は私を庇ったの、と。
たったそれだけだ。
でも、そうはしたくなかった。
都合のいい時だけ結衣を頼るなど、したくない。
二年前に手を離した相手に。謝罪を拒んだ相手に。
今さら弱音のような疑問を差し出すなど、耐えられない。
自分はオブスキュリテだ。
赤羽 祈ではない。なら、白瀬 結衣に甘える理由などない。
「心配無用ですよ、結衣先輩」
横から麗奈の声がした。
麗奈はミルクティーのカップを置き、皿の上のケーキをフォークで切り分けている。
今日は珍しく、チーズケーキではなく小さなショートケーキを頼んでいた。
白いクリームを崩さないように、真面目な顔でフォークを入れている。
「どうせ、どうやって逃げ出すか考えてるんですよ」
そう言って、麗奈はケーキを口へ運んだ。
結衣が困ったように眉を下げる。
「麗奈ちゃん……」
「冗談ではありません。警戒は必要です」
「この状況で逃げる方法を考えるほど暇じゃないわ」
オブスキュリテは淡々と返した。
「暇そうに見えますけど」
「あなたにそう見えるだけよ」
「では何を考えていたんですか」
「あなたに教える義務はないわ」
「ほら、怪しい」
麗奈は即座に言う。
オブスキュリテは、少しだけ口元を緩めた。
この少女は助かる。一貫して敵意むき出しだから。
嫌っている。疑っている。許す気がない。
それが分かりやすい。
麗奈はオブスキュリテを危険人物として見ている。姉の死と結びついた敵として見ている。
それでいい。それが正しい。
そういう視線なら、受け止め方を間違えない。
こちらも皮肉を返せばいい。距離を取ればいい。
敵意には敵意を。警戒には皮肉を。
それだけで済む。
その分かりやすさは、少しだけ可愛らしくもあった。
もちろん、口に出すつもりはない。
言えば麗奈は怒る。それもまた分かりきっている。
一方で、結衣は違う。
結衣は、友達として接してくる。親友だと言う。勝手にそう思っていると言う。
オブスキュリテと呼ばれても、祈を捨てない。
謝罪を拒まれても、離れようとしない。
それがたまらなく不快だった。
恨みがある。
確かにある。
二年前、手を取ってくれなかった結衣への恨み。
連絡を返さなかった結衣への怒り。
局の言葉を信じ、自分を一人にした親友への失望。
それは消えていない。消すつもりもない。
なのに。
胸の奥には、かすかに残る友情がある。
この店で向かい合って座った記憶。甘いものを分け合った記憶。
一緒に練習した記憶。正式魔法少女になろうと誓った記憶。
結衣の声を聞くと、それらが勝手に浮かび上がってくる。
オブスキュリテとして振る舞っても。
赤羽 祈になってしまう。
それが嫌だった。不快だった。許せなかった。
誰を。
結衣を。
それとも、自分を。
分からない。
分からないから、余計に腹立たしい。
「くだらない」
オブスキュリテは小さく呟いた。
「え?」
結衣が顔を上げる。
「何でもないわ」
押さえつけるように、オブスキュリテはコーヒーカップを手に取った。
考えるのをやめる。
四条 瑠香のことも。結衣のことも。赤羽 祈のことも。
全部、奥へ押し込める。
そうするように、コーヒーを口へ運んだ。
そして、すぐに顔をしかめた。
「……苦っ」
思わず漏れた声は、あまりにも素直だった。
結衣が目を瞬かせる。
麗奈もフォークを持ったままこちらを見た。
オブスキュリテはカップを見下ろす。
黒い液面。湯気。
そして、皿の端に置かれたままの角砂糖三つ。まだ入れていなかった。完全に忘れていた。
結衣が、ほんの少しだけ口元を緩める。笑わないようにしている顔だった。
麗奈は不思議そうに眉をひそめる。
「……砂糖、入れないんですか」
「今入れるところよ」
オブスキュリテは、何事もなかったように言った。
だが、声は少しだけ硬い。
結衣が耐えきれず、小さく笑った。
「昔も、よくそれやってたよね」
オブスキュリテの手が止まる。
角砂糖をつまんだ指先が、カップの上で一瞬だけ固まった。
「……知らないわ」
「うん」
結衣は、やわらかく頷いた。
「そうだね」
その言い方が、また胸に刺さる。
否定しない。押しつけない。
でも、覚えている。
結衣の中にいる赤羽 祈を、勝手に大切にしている。
オブスキュリテは何も言わず、角砂糖を落とした。
一つ。白い砂糖が、黒い液面に沈む。
二つ。小さな波紋が広がる。
三つ。スプーンでかき混ぜる。
カップの中で、黒い液体がゆっくり渦を巻いた。
その仕草を見て、結衣は何も言わなかった。
麗奈は何かを察したのか、あるいは察していないのか、ケーキをもう一口食べた。
「甘くしないと飲めないなら、最初から甘いものを頼めばいいのに」
至極真っ当な意見だった。
オブスキュリテは麗奈を見る。
「あなた、本当に遠慮がないわね」
「事実です」
「事実が一番失礼な時もあるそうよ」
「誰の受け売りですか」
「騒がしい女」
「天上院先輩ですか」
「察しがいいわね」
結衣がまた少し笑った。その笑いは、先ほどよりも自然だった。
オブスキュリテは、甘くなったコーヒーをもう一度口へ運ぶ。
今度は、飲めた。苦みは残っている。
けれど、砂糖の甘さがそれを丸めている。
昔と同じ味だった。
そのことに気づいてしまい、オブスキュリテはまた少し顔をしかめる。
何もかもが、過去へ繋がってしまう。
この店も。コーヒーも。角砂糖三つも。
結衣の笑い方も。
瑠香の墓前で生まれた疑問も。
全部。
オブスキュリテはカップを置き、窓の外へ視線を向けた。
昼下がりの商店街。穏やかな光。
迫る竜の星など知らないような、静かな街。
この街を壊そうとした自分。
この街を守るために使われている自分。
四条 瑠香が命を懸けて守った自分。
また、疑問が戻ってくる。
なぜ、庇ったのか。
答えはまだ出ない。
きっと、簡単には出ない。
オブスキュリテはカップの縁を指でなぞった。
結衣がこちらを見ている気配がする。
麗奈が警戒している気配もする。
店の奥から、相馬 茜の明るい声が聞こえる。
何もかもが、うるさい。けれど、完全に不快ではない。
そう思ってしまったことを、オブスキュリテは誰にも知られないようにした。
「しかし」
麗奈が、ふと窓の外を見ながら言った。
「ここ数日、平和ですね」
その声は、ただの雑談のようにも聞こえた。
けれど、言葉の奥には別のものがあった。
疑問。不安。警戒。
それらが、薄く混じっている。
結衣は、フォークを置いて顔を上げた。
麗奈の視線は、窓の向こうへ向けられている。
昼下がりの商店街。休日の穏やかな人通り。
買い物袋を提げた親子。自転車を押す老人。
通りの端で立ち話をする店主たち。
そこには、数日前までの緊迫した空気はない。
あれだけ頻発していたゲートは、ここ数日、なりを潜めていた。小規模な予兆反応すら、ほとんどない。
局内では、ゲオルギアス接近への対策で慌ただしく動いている。
けれど、街そのものは静かだった。静かすぎるほどに。
「うん」
結衣は頷いた。
「平和なのはいいんだけど」
そこで少しだけ言葉を切る。
コーヒーカップの中で、黒い液面がわずかに揺れた。
「なんか、ちょっと不気味だよね」
麗奈が小さく頷く。
「嵐の前の静けさ、というやつでしょうか」
その顔には、不安があった。
表情はいつものように整えている。背筋も伸びている。声も大きく乱れてはいない。
だが、完全には隠せていなかった。
無理もない。麗奈が正式な魔法少女になってから、まだ日が浅い。
三ヶ月前の侵攻も経験しているとはいえ、彼女はまだ新人に近い。
現場へ出た回数も多くはない。
戦闘経験も、結衣や瑠璃姫たちに比べれば浅い。
それでも、姉の名を背負い、監視役に任命され、オブスキュリテの隣に立っている。
強がっていないわけがない。怖くないはずがない。
結衣は、できるだけ明るく笑った。
「大丈夫だよ」
不安を払拭するように。
自分自身にも言い聞かせるように。
「訓練通りやれば問題ないよ。麗奈ちゃんはちゃんと動けてるし、この前のゲート対応でも落ち着いてた」
「……落ち着いていたようには、見えなかったと思いますが」
「最初はね。でも、ちゃんと立て直したでしょ」
結衣は穏やかに言う。
「初めての三人体制で、しかも三つのゲートが同時に開いた。あれで動けたなら十分だよ」
麗奈は視線を伏せた。褒められても、素直には受け取れない顔だった。
彼女の頭の中には、きっと別の記憶が残っている。
赤雷に縫い止められた異形。自分が斬る前に、もう動けなくなっていた敵。
オブスキュリテの力がなければ、あれほど楽には処理できなかったという事実。
それが、麗奈の自信を削っているのかもしれない。
結衣は、もう一言かけようとした。
その前に。
「怖いのなら」
オブスキュリテが口を開いた。
頬杖をついたまま、カップの向こうから麗奈を見る。
その声は、いつものように冷たい。
「訓練生と一緒に避難誘導でもしていればいいわ」
麗奈の眉が跳ねた。
「誰も怖いなんて言っていないでしょ!」
「あら」
オブスキュリテは、わざとらしく目を細める。
「捨てられた子犬みたいな目をしていたけれど」
「こいっ……!」
麗奈の手が、テーブルの端を掴む。危うく立ち上がりそうになるのを、ぎりぎりで堪えたようだった。
店内に他の客がいることを思い出したのだろう。
声を少しだけ抑える。
「戻ったら、あんたは不要だって上に伝えます」
「無駄な行動ご苦労さま」
オブスキュリテは淡々と返した。
「戦力として必要と判断されたから、私はここにいるのよ。あなたの感情で決まるなら、最初から外には出されていないわ」
「本当に腹が立つ……!」
「反応が分かりやすいわね」
「オブスキュリテ」
結衣が口を挟む。
「いちいち煽らないの」
「事実を述べただけよ」
「それを煽りって言うんだよ」
「そう」
オブスキュリテは悪びれない。
麗奈は頬を赤くし、悔しそうに睨んでいる。
結衣は小さく息を吐いた。この二人は、放っておくとすぐこうなる。
だが、今の麗奈の反応は、単なる怒りだけではない。
不安を突かれて、反射的に怒ったのだ。
なら、今はそこから目を逸らさない方がいい。
「麗奈ちゃんも」
結衣は、麗奈へ向き直った。
「怖いって感情は大事だよ」
麗奈の表情が少し変わる。
反論しようとしていた口が、途中で止まった。
「怖くないって言い張らなくていい」
「ですが」
「その感情があるから注意深くなる。周囲を見るようになる。わずかな違和感に気がつける」
結衣はゆっくりと言った。
自分が候補生の頃、何度も先輩たちから言われたことだった。そして、今ならその意味がよく分かる。
「怖いのは、弱いからじゃないよ」
麗奈は黙っている。
オブスキュリテも、今度は茶々を入れなかった。ただ、頬杖をついたまま、結衣の話を聞いている。
「怖くなくなった者から死んでいく」
結衣は静かに言った。
「麗奈ちゃんも、聞いたことあるでしょ」
麗奈は一瞬、目を伏せた。
「それは、まあ……はい」
魔法少女たちに伝わる教え。
恐怖を覚えなくなった者は、雑になる。
敵の動きを軽視する。異常を見逃す。
自分だけは大丈夫だと思い込む。
そして、命を落とす。
だから、恐怖は恥じることではない。
恐怖を抱えたまま動けるようになれ。怖いと思ったなら、その怖さを捨てずに使え。
候補生たちは、そう教えられる。
麗奈も、当然それを知っていた。
けれど、知っていることと、実際に受け入れることは違う。
まして、姉を失った少女にとって、怖いと言うことは簡単ではない。
怖がれば、姉に顔向けできないような気がする。
不安を口にすれば、瑠香の妹として弱く見える気がする。
麗奈は、きっとそう思っている。
結衣は、少しだけ声を柔らかくした。
「瑠香先輩だって、怖いものがなかったわけじゃないと思うよ」
麗奈の肩が、わずかに揺れた。姉の名前が出たからだ。
オブスキュリテも、カップに伸ばしかけた指を一瞬止めた。
結衣は続ける。
「怖くても、守りたいものがあったから前に出たんだと思う」
麗奈は何も言わない。唇を少しだけ噛んでいる。
「だから、麗奈ちゃんが怖いと思うのは、悪いことじゃない。むしろ、ちゃんと現場を見てる証拠だよ」
「……私は」
麗奈は小さく言った。
「怖いから、前に出たくないわけではありません」
「うん」
「逃げたいわけでもありません」
「分かってる」
「ただ」
麗奈の視線が、テーブルの上へ落ちる。
カップの中のミルクティーが、ほんの少し揺れていた。
「自分が、ちゃんと動けるのか分からないんです」
その言葉は、とても小さかった。
けれど、確かに出た。
麗奈自身も、言ってしまってから少し驚いたような顔をしていた。
オブスキュリテは、麗奈を見た。
いつものような嘲りはない。ただ、静かに見ている。
結衣は頷いた。
「うん。それでいいよ」
「それでいいんですか」
「分からないなら、確認すればいい。訓練で。作戦会議で。現場で無理しすぎないために、今できることを増やせばいい」
結衣は微笑む。
「麗奈ちゃんは、怖いって分かってる。なら、ちゃんと準備できる」
麗奈は黙っていた。
完全に納得したわけではなさそうだった。
けれど、少しだけ表情が緩んだ。
それを見て、結衣はほっとする。
だが、そこでオブスキュリテがぽつりと言った。
「まあ、準備しても死ぬ時は死ぬけれど」
「オブスキュリテ」
結衣が睨む。
「現実でしょう」
「言い方」
「綺麗ごとだけで戦場に出す方が不親切よ」
オブスキュリテはカップを持ち上げる。
角砂糖を三つ入れたコーヒーを、静かにひと口飲む。
「怖いなら怖いまま、死なない方法を考えなさい。怖くないふりをするよりは、よほど役に立つわ」
麗奈は目を瞬かせた。結衣も、少し驚いてオブスキュリテを見る。
言葉は冷たい。
だが、それは突き放しではなかった。
少なくとも、完全な嘲笑ではない。
麗奈もそれを感じ取ったのか、すぐには反発しなかった。
「……あんたに言われると、腹が立ちます」
「でしょうね」
「でも」
麗奈は、少しだけ目を逸らした。
「覚えておきます」
オブスキュリテは、ほんのわずかに口元を動かした。
「素直で結構」
「素直ではありません」
「そういうことにしておくわ」
「またそうやって……!」
「二人とも」
結衣が笑い混じりに止める。今度の声は、少しだけ軽かった。
さっきまでの不安が、完全に消えたわけではない。
ゲオルギアスは近づいている。
竜種がいつ現れるかも分からない。
竜王級の可能性だってある。
平和な昼下がりは、嵐の前の静けさかもしれない。
それでも。この静かなカフェで、麗奈は少しだけ本音を口にした。
結衣はそれを受け止めた。
オブスキュリテは皮肉混じりに、それでも逃げ道を一つ示した。
それは、三人の関係が劇的に変わるような出来事ではない。
信頼と呼べるほど、綺麗なものでもない。
けれど、何もないよりはずっとよかった。
窓の外を、穏やかな光が流れている。
店の奥から、相馬 茜の明るい声が聞こえた。
「ミルクティーのおかわり、いりますー?」
麗奈が少しだけ顔を上げる。迷ったあと、小さく答えた。
「……お願いします」
結衣は微笑んだ。
オブスキュリテは、またコーヒーを飲む。甘くしたはずのそれは、まだ少し苦かった。
その瞬間だった。
店内の空気を、警報音が切り裂いた。
高く、鋭い音。街中に設置された防災スピーカーが、一斉に起動する。
『緊急警報。大規模なゲート発生兆候を確認。住民の皆さんは、速やかに指定避難施設へ移動してください』
結衣の表情が変わった。
麗奈が椅子を鳴らして立ち上がる。
『繰り返します。大規模なゲート発生兆候を確認。住民の皆さんは、速やかに――』
「言ってるそばから……!」
麗奈が吐き捨てる。
結衣はすでに通信端末を取り出していた。
「局からの指示を確認する。二人とも準備して」
「まったく」
オブスキュリテは、まだ皿に残っているケーキを見下ろした。
「ケーキくらいは、ゆっくり食べさせてほしいわね」
その時、奥から明るい声が飛んできた。
「お代わりのミルクティー、お持ちしましたー」
茜が、トレイを手に現れる。
警報が鳴っているにもかかわらず、いつもと変わらない笑顔だった。
結衣は思わず声を上げる。
「茜さん、そんなことしてる場合じゃないですよ」
「え?」
「ゲートが開いています。マスターと一緒に避難してください」
「あっ、そうですねー」
茜は、ようやく思い出したように頷いた。
「じゃあ、マスターと避難しますね」
それから、三人へ向かって明るく手を振る。
「皆さんのご武運、祈っていまっす」
「軽い……」
麗奈が呆然と呟いた。
「なんていうか、マイペースな人ですね」
「避難なんて、慣れたものなんでしょう」
オブスキュリテは椅子から立ち上がる。その顔から、先ほどまでの気だるさは消えていた。
「それより、さっさと予定地点まで行くわよ」
結衣は頷く。
「うん」
通信端末に、局からの緊急指令が表示される。
敵性勢力侵攻。
想定防衛線、全域展開。
魔法少女各員は、指定ポイントへ急行。
結衣は端末を握りしめた。
ついに来た。
「行こう」
三人はカフェを飛び出した。
背後で、茜の明るい声が聞こえる。
「マスター、避難ですってー!」
その声は、鳴り響く警報の中でも、妙にはっきりと耳に残った。
同時刻。
魔法少女局、中央管制室。そこはすでに戦場だった。
壁一面のモニターに、次々と赤い警告表示が浮かび上がる。
シティ全域の地図。
結界損傷率。ゲート発生予測地点。
魔力波形。避難誘導状況。
オペレーターたちの声が飛び交っていた。
「大規模ゲートの出現を確認!」
「数、十、二十……止まりません!」
「第三区画、第五区画、第八区画にも反応!」
「西側外縁部に大型反応あり!」
渡会 源二が、モニターを睨む。
普段の柔らかな笑みは消えていた。
「ゲートの魔力鑑定はどうなってるんだい」
「照合中です!」
オペレーターが端末を叩く。
魔力波形が過去のデータベースと照合されていく。
数秒。
しかし、その数秒が異様に長く感じられた。
「出ました!」
オペレーターの声が震える。
「魔力波形、二十年前の記録と一致。間違いありません」
管制室が、一瞬だけ静まる。
「ゲオルギアスです!」
渡会が低く息を吐いた。
「やっぱり来たか」
隣に立つ桐生 聡は、表情を崩さない。
だが、その目は鋭くモニターを見据えていた。
「しかし、あちらも随分本気だねぇ」
渡会が呟く。
ゲートの数が多すぎる。これは偵察でも小規模侵攻でもない。
明確な本侵攻だ。
「ゲート出現地点を出せ」
桐生が命じる。
「はい!」
巨大モニターに、シティ地図が表示される。赤い点が次々と灯った。
外縁部。商業区。住宅地。
そして――。
「病院付近にも反応があります!」
「まずいな」
幹部の一人が呟いた。
病院。避難に時間がかかる。重症患者もいる。
もしそこに竜種が到達すれば、被害は計り知れない。
「防御機構突破まで、約六百秒!」
オペレーターの声が響く。
「避難が間に合いません!」
桐生は即座に言った。
「アブソリュートシステムを作動させろ」
管制室の空気が変わった。
オペレーターの一人が思わず振り向く。
「ですが、あれを使えば、のちのち結界制御に影響が出ます」
「承知している」
桐生の声は揺れない。
「今は住民を避難させることと、魔法少女たちの迎撃態勢を整えることが最優先だ」
「しかし、結界への負荷が――」
「急げ」
短い命令。反論を許さない声だった。
オペレーターは息を呑み、すぐに端末へ向き直る。
「アブソリュートシステム、起動準備!」
「中央結界制御、緊急モードへ移行!」
「避難区域周辺へ一時隔壁展開!」
「民間通信へ避難誘導ルートを強制配信!」
モニター上で、シティ各所に青い線が走る。
臨時の防壁。避難経路。
ゲート発生地点から住民を切り離すための緊急制御。
アブソリュートシステム。
それは、本来なら滅多に使うべきではない機能だった。
シティ結界を一時的に極限まで細分化し、区画ごとに強制的な防護壁を展開する。
住民を守るには有効。
だが、負荷は大きい。
使用後は結界全体の制御が不安定になり、長期的な防衛力に悪影響が出る。
それでも、今使わなければ間に合わない。
桐生はそう判断した。
「砲台の準備は」
渡会が問う。
「全機、異常なし!」
「まもなく装填準備も完了します!」
「対空魔力砲、第一から第八砲台、発射準備へ移行!」
別のモニターに、シティ各所の砲台が映し出される。
普段は地下に格納されている防衛砲台が、次々と地上へせり上がっていた。
砲身が空を向く。魔力弾の装填が始まる。
竜種は飛ぶ。ならば、空で止めなければならない。
桐生は通信回線を開く。
「全魔法少女へ通達。ゲオルギアスの本侵攻が開始された。各員、指定防衛地点へ急行しろ」
管制室の全員が、その声を聞いていた。
「飛行可能な者は対空迎撃へ。地上班は避難誘導と落着個体の処理。高魔力資質者保護班は病院および避難施設を優先防衛」
桐生は一拍置いた。
「二十年前の悲劇を、繰り返すな」
通信が各地へ飛ぶ。
シティ中の魔法少女たちが動き出す。
渡会は、モニターに映る赤い点の群れを見上げた。
「あとは、魔法少女たちを信じるしかないねぇ」
その声は軽かった。
けれど、表情は少しも笑っていなかった。
空が歪む。シティ各地で、黒い亀裂が開いていく。
魔法少女局の中にも、緊急警報が鳴り響いた。甲高い音が、訓練室の空気を切り裂く。
ダンストレーニングをしていた三枝 ミオは、反射的に動きを止めた。
音楽が止まる。床に響いていたステップの音も消える。
代わりに、館内放送が流れた。
『緊急警報。ゲオルギアスの大規模侵攻を確認。正規魔法少女は各自、指定防衛地点へ急行。訓練生は職員の指示に従い、避難誘導を補助してください』
ゲオルギアス。
その名前を聞いた瞬間、ミオの背筋に冷たいものが走った。
二十年前の悲劇。それは、訓練生時代から何度も聞かされてきた。
竜の群れが空から街を襲ったこと。
防衛線を飛び越え、避難区域まで到達したこと。
たくさんの民間人が犠牲になったこと。
魔法少女たちが命懸けで食い止め、それでも守り切れなかった場所があったこと。
映像資料で見た炎。
空を横切る黒い翼。
逃げ惑う人々。
それが今、このシティでも起きようとしている。
ミオの指先が、わずかに震えた。
予定通りの位置へ向かわなければならない。
自分は正規の魔法少女だ。指定された防衛地点がある。
そこへ行き、戦う。
分かっている。
分かっているのに、足が一瞬だけ動かなかった。
「ミオちゃん」
声をかけられて、ミオは振り向いた。
そこには、同期の少女が立っていた。まだ正式な魔法少女ではない。
同じ時期に訓練を受け始め、同じ更衣室で着替え、同じ食堂で何度も愚痴を言い合った友人。
彼女は不安そうにミオを見ていた。
「無事に帰ってきてね」
その声で、ミオの胸がきゅっと締めつけられた。
自分が戦場へ行く。
この子は避難誘導へ回る。
役割が違う。
けれど、守る側であることは同じだった。
ミオは震えを隠すように、ぎこちなく笑った。
「うん」
頷く。
「大丈夫」
大丈夫。
本当にそう思えたわけではない。
自分の動きで、人の命が左右される。
自分が遅れれば、誰かが傷つくかもしれない。
自分が敵を取り逃がせば、避難している人たちへ被害が出るかもしれない。
そう考えると、体が震えた。
逃げたいと思った。
怖い。
でも。
「大丈夫」
ミオはもう一度言った。
今度は、自分に言い聞かせるように。
「三か月前の侵攻だって、防ぎ切ったんだから」
あの時も怖かった。
赤い雷を受けて、変身が解ける感覚を知った。戦えなくなる恐怖を知った。
それでも、生きて帰ってきた。
そして、また立てるようになった。
なら、今度も。
「正規隊員は、各自所定の位置へ急げ!」
鋭い声が響く。森山 奈央だった。
廊下から訓練室へ顔を出し、集まっていた少女たちへ指示を飛ばす。
「訓練生は避難誘導補助! 職員の指示から離れるな! 焦るな、走らせるな、泣いている子がいたら手を引け!」
「はい!」
「正規隊員の子は、通信端末を確認! 各自の防衛地点へ急行! 単独で無理をするな、必ず管制の指示を聞け!」
奈央の声には、迷いがなかった。
その声を聞くだけで、ミオの背中が少しだけ押された。
不安はある。恐怖もある。
でも、自分の後ろにいる人たちのことを思うと、別の感情が湧いてくる。
避難する住民。泣いている子ども。
病院の患者。訓練生の友人。
そして、怖くても「無事に帰ってきてね」と送り出してくれた同期。
守りたい。
そう思った。
その気持ちが、震える足に力をくれた。
ミオは拳を握る。
「行ってくる」
友人にそう言った。
友人は、泣きそうな顔で頷く。
「うん。行ってらっしゃい」
ミオは走り出した。訓練室を出て、廊下を駆ける。
警報が鳴っている。
職員たちが走っている。
通信が飛び交っている。
シティはもう戦場になろうとしていた。
それでも、ミオは前を向いた。
怖いなら、怖いままでいい。
震えていても、走ればいい。
自分の後ろに誰かがいる。その事実だけで、彼女は魔法少女でいられた。
『こちら柊。天上院、百乃瀬とともに、所定地点へ到着しました』
凛の通信が、管制室へ届く。
三人が立っているのは、病院近くの防衛地点だった。
周辺では、職員と訓練生たちが避難誘導を続けている。
救急車のサイレン。
患者搬送用の車椅子。
不安げに空を見上げる人々。
そのすぐ向こうで、シティの空が不気味に歪んでいた。
ここが抜かれれば、多くの人が犠牲になる。
動けない患者もいる。
逃げるだけで体力を失う高齢者もいる。
小さな子どももいる。
だから、この地点は絶対に守らなければならない。
凛は通信を切り、肩を回した。
「さて、忙しくなりそうだね」
隣で、彩奈が気だるそうにため息をつく。
「せっかく新作スイーツ食べに行く予定だったのに」
「そんなことを言っている場合じゃないだろ」
凛が即座に言った。
「気合を入れなよ、彩奈」
「入ってるよ。見た目に出ないだけ」
「なら、もっと分かりやすく入れなよ」
「無茶言うなあ」
彩奈はぼやく。
だが、その目はいつもの眠たげなものとは違っていた。奥に、静かな火がある。
凛もそれを見て、口元を少しだけ上げる。
「大丈夫ですわ。彩奈さんはやる時はやりますから」
「姫ちゃんと凛ちゃんに振り回されてるうちに、やらざるを得なくなるだけだけどね」
「それを従者の鑑と言うのですわ」
「私は従者になった覚えないんだけどなー」
彩奈は相変わらず気だるげに言う。
しかし、手元ではすでに魔力を練り始めていた。
瑠璃姫は病院の建物を振り返った。窓の向こうに、避難する人影が見える。
職員に支えられて歩く患者。
ベッドごと運ばれる重症者。
不安そうに母親の手を握る子ども。
瑠璃姫の表情が、ほんの一瞬だけ引き締まった。
そして、すぐにいつもの高慢な笑みへ戻る。
「ここが抜かれれば、大勢が犠牲になりますわ」
声は高らかだった。けれど、軽くはなかった。
「真のエースたるわたくしの従者にふさわしい活躍を見せなさい、二人とも」
凛が笑う。
「もちろんです、姫」
彩奈が肩をすくめる。
「だから従者じゃないって言ってるんだけど」
それでも、その声に迷いはない。
瑠璃姫は満足げに頷いた。
「よろしい」
空が、低く唸る。病院前の空間に、黒い亀裂が走った。
ゲートだ。
まだ開き切ってはいない。
だが、その向こうから、巨大な翼の影が見えた。
竜種。ゲオルギアスの侵略者。
凛が腰を落とす。
彩奈が指先に魔力を集める。
瑠璃姫が一歩前に出た。
「此度の活躍で、真のエースが誰であるかを知らしめるとしましょう」
扇子を空へ掲げる。
その姿は、あまりにも派手で。あまりにも自信過剰で。
そして、不思議なほど頼もしかった。
各防衛地点に、魔法少女たちが配置されていく。
空は歪み始めていた。シティ上空のあちこちに、黒い亀裂が走っている。
まだ開き切ってはいない。
だが、その向こう側にいる何かの気配は、すでにこちらへ届いていた。
竜の咆哮。翼が空気を打つ音。異質な魔力のうねり。
ゲオルギアス。
二十年前の悲劇を引き起こした竜の星が、再びこの世界へ牙を剥こうとしている。
『全魔法少女へ通達』
通信機から、管制の声が響いた。
『ゲート開通まで、残り十秒』
その声が、シティ中の魔法少女たちへ届く。
『カウント開始』
緊張が、空気を張り詰めさせた。
『十』
三枝ミオは、仲間たちとともに持ち場についていた。
足が震えている。手も冷たい。
それでも、逃げなかった。
目の前には防衛線。
背後には避難する人々。
ここを抜かれれば、誰かが死ぬ。
そう思うと怖かった。
怖くてたまらなかった。
けれど、同時に。
だからこそ、ここに立つ意味があった。
ミオは短く息を吸い、拳を握る。
『九』
空の亀裂が広がる。
黒い魔力が、雨のように降り始めた。
『八』
奈央は、訓練生や職員たちとともに避難誘導に回っていた。
「慌てるな! 走らせるな! 小さい子と高齢者を優先!」
戦えない体。前線に立てない自分。
それでも、やるべきことはある。
「訓練生は列を切らすな! 職員は病院側の搬送を急げ!」
奈央の声に、訓練生たちが動く。
泣きそうな顔をした子もいる。
足がすくんでいる子もいる。
それでも彼女たちは、人々の手を引いて避難路へ誘導していた。
奈央は空を一瞥する。黒い裂け目が、広がっていく。
だが、すぐに前を向いた。
「大丈夫だ! 魔法少女たちが必ず止める!」
『七』
病院前。
天上院 瑠璃姫は、扇子を手に立っていた。
隣には柊 凛。
反対側には百乃瀬 彩奈。
病院の窓には、不安そうに外を見る人々の姿がある。
ここは絶対に抜かせない。
瑠璃姫は、扇子で空を示した。
「よろしいですわね、二人とも」
「もちろんです、姫」
凛が軽く笑う。
「だから従者じゃないんだけどなー」
彩奈はぼやきながらも、指先に魔力を集めていた。
その目は、いつもの気だるさを失っている。
『六』
対空砲台が空へ向く。
シティ各所の防衛機構が、唸りを上げて起動する。
『五』
管制室。
桐生はモニターを見つめていた。
ゲート反応は増え続けている。防御機構突破まで、もう猶予はない。
渡会が隣で低く呟く。
「いよいよだねぇ」
「全員を信じるしかない」
桐生は答えた。
『四』
ミオは仲間たちと視線を交わした。
誰も笑っていない。
けれど、誰も逃げていない。
それだけで十分だった。
『三』
瑠璃姫は、にやりと笑った。
その笑みは不敵で、派手で、いつものように自信に満ちていた。
「来なさい、竜ども」
扇子を閉じ、空へ向ける。
「この天上院瑠 瑠璃姫の輝きに、跪かせて差し上げますわ」
『二』
シティ中の魔法少女たちが、それぞれの持ち場で構える。
訓練生たちが避難路を確保する。
職員たちが最後の誘導確認を行う。
砲台が装填を完了する。
空が裂ける。
『一』
結衣たち三人は、とある建物の屋上にいた。
白瀬結衣。
四条麗奈。
そして、オブスキュリテ。
風が強い。遠くの空に、いくつものゲートが開きかけている。
オブスキュリテの腕輪は、戦闘用に一部制限を解除されていた。
彼女の指先には、赤い雷が小さく跳ねている。
「本当に来たわね」
オブスキュリテが呟く。
「止めるよ」
結衣は前を見たまま答えた。
「このシティを」
麗奈が剣の柄を握る。
「当然です」
オブスキュリテは横目で二人を見て、薄く笑った。
「なら、せいぜい足を引っ張らないで頂戴」
「それ、こっちの台詞です」
麗奈が即座に返す。
結衣は、二人のやり取りに少しだけ笑った。
緊張はある。恐怖もある。
それでも、今は前へ進むしかない。
『零』
ゲートが開いた。空が割れ、黒い裂け目の奥から竜の群れが姿を現す。
翼が広がる。咆哮がシティを揺らす。
その瞬間。
シティ中で、声が重なった。
「マギア・エンジン起動!」
光が弾ける。
ミオの体を魔力が包む。
瑠璃姫たち三人が、病院前で変身する。
結衣が屋上で拳を握る。
麗奈の剣が光を帯びる。
オブスキュリテの全身を、赤い雷が走る。
奈央は避難する人々の背を押しながら、空を見上げた。
魔法少女たちの光が、シティ各地で立ち上がる。
竜の星との戦いが、始まった。




